更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 4-②
「いぃぃやぁだぁぁーーーー!!」
「あんたは駄々っ子か!!」
私の腰にしがみついて背中にぐりぐり額を押し付けるランに、思わずそう叫ぶ。
場所は帝国の某所にある宿屋の一室。
遺跡の探索から戻って来てベッドに腰を落ち着けたところで、私はランに王都へと向かう計画を話した。
ハロルドが護衛を引き連れて帝国に来ており、加えて王国中の貴族が集まる社交シーズンの真っ最中であれば、そちらに警備が集中するはず。反面、私が調べようと思っている史料の保管場所──王都の史料館や学園の禁書庫、王宮の大図書館などの警備は、だいぶ薄くなっているだろうと思われたからだ。
一応前にもある程度調べた場所ではあるが、当時はまだ“翻訳”の神術を開発する前だったので、ほとんどの史料は流し読みで済ませてしまっていた。
しかし、もしかしたらあの中に聖女アンヌの遺した史料、あるいはその足跡を辿る手掛かりになるものがあったかもしれないのだ。いや、むしろ現状一番可能性が高いのはそこだろう。
と、まあ私のそういった説明に、ベッドの上で仰向けに寝っ転がりながらふんふんと頷いていたランなのだが……私が「じゃあ、ここで一旦お別れね」と言った途端、「え?」と言ってガバッと起き上がったのだ。
いや、「え?」じゃねーよと。なんで普通に付いてくるつもりだったのか、この皇女様は。
流石に無理だよ。一般人ならまだしも、皇族が王国に不法侵入とか大問題だよ。大問題どころか国際問題だよ。これには皇帝陛下もブチ切れするわ。
「だから、ね? ランだってお父さんに怒られたくないでしょ?」
「バレなければやっていないのと同じだ」
「うん、犯罪者みたいな発言やめようね? というか、バレる気しかしないから」
ただでさえ隠密行動が要求される潜入作戦に、こんな好奇心の塊みたいな破天荒娘を連れて行って無事に済むはずがない。というか、ぶっちゃけ足手まといでしかない。
「ひたすらこそこそ調べものするだけだし、別に面白くもなんともないって。それに、そんなに長くなる予定もないし」
だから、いい加減放してくれないかなぁ。そんなにギリギリお腹を締め上げられたら口から内臓出ちゃいそうなんだけど。
「だが……もしそれで帰る方法が見付かったら、リサは天界に帰ってしまうのだろう?」
「いや、そんなすぐ帰らないから……」
ランが言う天界というのは、私にとっての地球のことだ。
ランが回復した後、私は約束通り更科梨沙について……つまり、自分が前世持ちであることについて説明した。
その結果、ランの中で「聖人」=「神の住む天界から地上界に生まれ変わった人間」という解釈になったらしい。
まあ、実際聖人は強力な神術師だし、異世界という概念に馴染みがない以上、妥当な解釈と言えるだろう。
(でも、天界に戻りたがっている聖女とか言われると、なんか天界で罪を犯して下界に追放された元天使みたいな感じが出ちゃうけどおおぉぉぉ~~~ムリムリ内臓出るぅぅ~~~)
なんつー腕力。本人は鍛え直さないととか言ってたけど、もう十分じゃね?
「とにかく、何も言わずにお別れとか絶対にしないから。それに、ランにはついでに頼みたいことがあるんだよ」
「……頼みたいこと?」
うん、差し当たっては腕を緩めて欲しいってことかな。リアルに腹筋崩壊しそうだから。
「前に、ナハク・ベイロン討伐の報酬として、ツァオレン殿下にお願いしたことがあってね。その報酬を受け取ってきてほしいんだ」
「リサが直接受け取りに行けばいいではないか?」
「いやぁ……ランには悪いけど、私ツァオレン殿下は少し苦手で……」
というか、普通に嫌いなんだけど。私を洗脳しようとしたこと、“浅黄”の皆さんを傷付けたこと、私はまだ許してないからな。
「だから、ね? ランだってそろそろ皇帝陛下に顔見せしないとマズいでしょ?」
「……分かった」
渋々そう言うと、ようやくランは私を解放してくれた。イテテ、治した背骨がまた折れるかと思ったわ。
「それじゃあ……そうね、10日後の正午にまた合流するってことで」
調査自体は順調に進めば10日も掛からないと思われたが、私は少し考え、合流の日時を10日後に設定した。
なぜなら、その日はちょうどアメリさんとの約束の日の翌日だからだ。
どちらにせよアメリさんと会うために帝国に来なければならないのだから、その流れでランと合流すればいいかと思ったのだ。
「それで、場所は……」
「ここでいい。先に10日分の宿代を払っておいて、荷物を少し置いておけばいいだろう。私が身分を明かせば、主人も無下にはしないだろうしな」
そう言うと、ランは私が大迷宮でやっていたように、机の上に目印となる硬貨を並べた。私もそこにアクセサリーを加え、その配置を覚える。
「では、早速行くか」
「え? もう行くの?」
「うむ、まだ日が暮れるまで時間がある。ホンの足なら隣町まで十分行けるだろう。10日となるとあまり余裕もないしな」
そう言って、ランは素早く旅支度を整えると、今度は正面からぎゅっと抱き着いてきた。
「では、しばしの別れだ。達者でな」
「あ、うん。ランもね」
「うむ」
最後にぐっと腕に力を入れ、私の頸椎を軋ませると、ランは足早に部屋を出て行った。
なんというか……相変わらず行動力すごいな。そこは素直に感心するわ。
「……さて、じゃあ私も行きますか」
首筋をさすりながら、私も身支度を整える。
本当は明日出発する予定だったのだが、ランが行ってしまった以上、ここに留まっても仕方がない。私もすぐに王都に向かうとしよう。
「ふぅ……よし!」
心を落ち着け、私は廊下に繋がる部屋の扉へと向かう。
王都に行くと言ったが、何日も掛けて飛んでいくつもりはない。この扉で“空間接続”を使って、一気に王都に向かう。
接続先は王都にあるレーヴェン侯爵邸の自室。いや、元自室かな? もしかしたら既に改装されているかもしれないし。
でも、おおまかなレイアウトが変わっていなければ接続は可能だ。
何度か実験して分かったが、恐らく空間接続の接続先の指定は、要所さえきちんと押さえていれば成立する。
ネットでの検索みたいなものだ。
「このくらいの距離にある場所で」とか「このくらいの大きさの部屋で」とか「ここに本棚、ここに机があって」とか検索条件を打ち込んでいき、候補が1つまで絞られた時点で接続される。
つまり、最初の頃にやっていたように接続先に漠然としたイメージを思い浮かべるよりは、もっと具体的な情報を思い浮かべた方がいい。
たとえば、机の上の花瓶には何の花が生けられているとか……あるいは、本棚の一番上の右端の段には、なんというタイトルの本が置かれているか、とか。
そして、私は王都にある自室なら、家具の位置はもちろん本棚に並べてある本の順番までほぼ完璧に覚えている。家出した娘への腹いせに、家具をまとめて廃棄でもされていなければ大丈夫なはずだ。
ドアノブを握り、目を閉じて意識を集中させる。右手を通して、神力を漏れなく扉へと注ぎ込む。
以前、領都の自室に接続した時と同じ失敗はしない。
あの時は考えなしに神力を流し込んだせいで、その気配をラルフに気取られてしまった。だから、今回は一切気配を漏らさないよう、完璧に神力をコントロールする。
(……よし、繋がった。よかった。改装とかはされてなかったみたい)
問題なく繋がったことに安心し、私はドアノブをぐっと回した。
自室に入ったら、すぐさま“隠密”を発動して離脱する。
まあもし万が一、部屋の中を掃除しているメイドとかがいたら鉢合わせてしまう可能性はあるが、その時は不幸な遭遇ということで“記憶消去”を使わせてもらおう。そんでさっさと逃げる。今世の家族に見付かったら面倒なことになる気しかしないしね。
(よし、行くぞ!)
覚悟を決め、扉を引き開ける。
途端、懐かしい香りが鼻腔をくすぐった。懐かしい、花と本の匂いが混じった香り。
そこにあったのは、記憶にあるものと何1つ変わらない自室だった。
正面の窓から差し込む陽の光。見慣れた本棚。見慣れた机。見慣れた天蓋付きの……
「「え?」」
そこで、目が合った。
両腕でぬいぐるみを抱いて……ベッドの上で寝転ぶ、ナキアと。
(え? あれ? 私の部屋、だよね? というか、そのぬいぐるみ私の……)
呆然としたまま、半ば無意識に部屋に入ると、後ろ手に扉を閉める。
そんな私を、ナキアも呆然とした表情で眺めながら、ゆっくりとベッドの上で上体を起こした。
そして、一瞬ハッとした表情を浮かべると、ぐぐっと眉間にしわを寄せ、冷たい口調で言い放った。……その胸にしっかりとぬいぐるみを抱いたまま。
「こんなところで何をしていらっしゃるのですか? お姉様」
「いや、それこっちのセリフ……」
あまりにも予想外な展開に、私は思わず素でそうツッコんでしまうのだった。
「前世持ちであること」と入力しようとして「前世餅であること」と誤変換してしまいました。
いわしの聖女以来のやべぇ打ち間違いです。梨沙、おまえ前世では餅やったんか……。




