ヒリッジ視点③
「“三叉撃”」
その声が響いた直後、ユリナに押さえ込まれていた男が一瞬の残像を残して姿を消した。
(どこだ!? 奴はどこを狙う!? 奴は……っ、イミオラ様!!)
そこに思い至り、慌てて振り返る。
「イミ──」
だが、その時にはもう遅かった。
「あ──」
イミオラ様の呆然とした声に、ドサッという何か重いものが芝生の上に落ちる音と、ガンッという何かを強く踏みしめる音が続く。
ガンッという音は、高速移動した男が屋根の上に着地した音。そして、地面に落ちたのは……イミオラ様の、両腕だった。
「イミオラ様ぁぁーーーー!!!」
「ア、アアァァァァーーー!!!」
悲痛な絶叫と共に、肘の先から切断された両腕から、凄まじい勢いで鮮血が噴出する。
慌てて駆け寄り、神術で止血をしようとして──
(いや、ダメだ。先に腕をくっつけないと。このまま治療したら、腕がくっつかなくな──でも、このままだとくっつけられる術者が来る前に失血死してしまうんじゃ……なら先に、でも腕が)
両腕を繋げられなくなることを覚悟で確実に延命できる道を選ぶか、聖属性最上級神術を使える治癒術師が間に合う可能性に賭けるか。
2つの選択で迷い、立ち止まる俺に、イミオラ様の声が飛んだ。
「あ、つぅ……ふぅっ、ふぅっ! 何を、しているのですかヒリッジ! 聖杯を!!」
「っ!」
その声に視線を上げると、そこにはイミオラ様が握っていらっしゃった聖杯を右手で弄ぶ男の姿。
イミオラ様から両腕を奪っておきながら、まるで意に介した様子のないその姿に、頭の中がカッと熱くなる。
そして、半ば反射的に右手を掲げると、屋根の上の男に向かって風の刃を放った。だが、男は左手の剣を無造作に切り払い、こちらを見ることすらなくその一撃を防ぐ。
(くっ、ダメだ。俺だけじゃ止められない! まずは増援を──)
しかし、光属性神術で頭上に救援信号を撃とうとしたその時、周囲に神力の気配が満ちた。
(これは! さっきの──!!)
屋根に着地した俺達を、そして駆け付けたソフィ様を襲った爆炎。
一瞬にして炎に呑まれる俺とユリナ、そしてイミオラ様の姿が脳裏に浮かぶ。
(ユリナ、まだ倒れ──2人を連れて離脱を、いや間に合わ、どうすれば)
この状況で俺に出来るのは、呪術による風の操作くらい。でも、それでは炎を防ぐことは……いや、
(一か八か!)
俺は神力を全開放すると、周囲に滅茶苦茶な乱気流を起こした。
精度など気にせず、ただひたすらに広範囲の空気を攪拌する。
すると、発動し掛かっていた敵の火属性神術の気配が、フッと消えるのを感じた。
(やっぱりだ! 相手の攻撃は空気の加熱。対象となる空気を思いっ切り攪拌してやれば、術は発動しない!!)
と、その時。下から突き上げるような激しい地面の振動が起こり、俺は片膝をついた。
(なんだ!? 敵の攻撃か?)
その予想を肯定するように、屋根の上に立つ男の隣に、フードをかぶった女が舞い降りた。
(あれが爆炎の術者か? くそっ、俺1人じゃ守り切れないぞ!)
味方が合流する前に、敵が合流してしまった。
そのことに歯噛みし、どうにか2人だけでも逃がせないかと思案する俺の横から、突如赤い光球が空に向かって放たれた。
ユリナだ。
未だに地面に這いつくばったままだが、俺に余裕がないことを察して救援信号を放ってくれたのだ。
(よし! これで増援が見込める! それまでは、俺がなんとか時間を……)
しかし、そんな俺の覚悟を嘲笑うかのように、何事かを話し合っていた屋根の上の2人はいきなり突風を巻き起こし、南の方へと飛び上がった。
「は?」
こちらを見向きもしない鮮やかな逃走。
あまりにも唐突な幕切れに思わず呆然としながらも、俺はゆっくりと乱気流を停止させる。
「ヒリッジ様! イミオラ様とソフィ様を!!」
「っ!!」
しかし、ユリナのその声ですぐに我を取り戻す。
「すみませんヒリッジ様、わたしをイミオラ様の元へ運んでください。あとイミオラ様の腕も」
「分かった」
なぜか立ち上がれない様子のユリナを抱えると、俺はイミオラ様の元へ駆け寄る。
「イミオラ様!」
「ぅ……」
マズい、もう意識が朦朧と……
「ユリナ、頼む!」
「はい!」
ユリナをその場に降ろすと、俺は地面に落ちているイミオラ様の両腕を回収してユリナに渡し、続いてソフィ様の元へと向かった。
「ソフィさ──うっ!」
パチパチと残り火を散らす芝生の真ん中で仰向けに倒れているソフィ様は、思わず息を呑むほどに悲惨なありさまだった。
顔はほとんど見分けも付かないほど焼け焦げ、熱でガチガチに固まった両の前腕だけが空に突き出している。
(くそっ、手遅れか!)
歯を食いしばる俺の耳に、微かな声が届いた。
「────」
「っ!」
まだ生きている。
そのことに驚きと安堵を感じながら、俺はソフィ様を抱き上げてユリナの元へと向かった。
「ユリナ!」
「だめ、だめ……」
ユリナはイミオラ様の両腕を切断面に押し付けながら、焦燥と恐怖に駆られた表情を浮かべていた。
「どうし──」
「だめ……ああ、このままじゃ……」
その様子で、否応なく察した。
ユリナの力だけでは、イミオラ様の両腕を治せないのだ。
(くそっ!! 早く救援来いよ!!)
周囲を見回し、救援が未だ駆け付けないことにどうしようもない苛立ちを感じながら、俺は断腸の思いで決断した。
「ユリナ。もう腕を繋げることは諦めて、傷口を塞ぐことに集中してくれ。それと、ソフィ様を」
「で、でも……っ!」
「責任は俺がとる。頼む!」
顔を上げ、ソフィ様の状態を見て覚悟を決めたのか、ユリナが沈痛な面持ちでイミオラ様の両腕を放し──
「え?」
そのユリナの動きを制するように、そっとユリナの右腕に手が添えられた。
地面に寝かされている、ソフィ様の手が。
「ソフィ様?」
「────」
「え? なんですか?」
その口元に耳を近付け、そこでようやく、微かな声の正体に気が付く。
これは……詠唱だ。それも、これはたしか聖属性最上級神術の……
「──」
その時、ソフィ様の体から神力が放たれ、イミオラ様の両腕を柔らかな光が包み込んだ。
切断面から流れ落ちていた血が止まり、うっすらとした傷跡を残して腕が繋がる。
それを、見届けたかのように……ソフィ様の呼吸が、静かに止まった。
「そん、な……ソフィ様!!」
「ユリナ! ソフィ様を! 俺は治癒術師を呼ん──」
その時、頭上から凄まじい神力の気配が降り注ぎ、俺の全身を戦慄が駆け抜けた。
見上げると、そこには緑色の光。ゆっくりと対流するそれはたちまち勢いを増し、実体を得る。周囲一帯を覆い尽くす、緑色の嵐へと。
(まさか、奴らが逃げたのは……これのためか!?)
そう思った直後、轟々という激しい風音と共に、嵐が地上へと近付いてきた。
「!! ユリナ! 地面に潜れ!!」
「駄目ですヒリッジ様! 神術が、発動しません!!」
「なんだと!?」
俺も咄嗟に神術を発動させようとするが、頭上から押し寄せてくる高密度の神力のせいで、体外に放出した神力が具象化する前に吹き散らされる。
最上級神術くらいの強度があれば別かもしれないが、俺が発動できるのは風属性の上級までで、最上級神術など発動できないしそんな時間もない。
(くそっ! どうする? 俺に出来ること……考えろ!!)
どこかに避難……いや、建物の中に逃げ込んだところで無駄だ。それどころか倒壊に巻き込まれる可能性がある。
それに、イミオラ様とソフィ様を乱暴に移動させるわけには……
「うわっ!」
「きゃっ!」
突然強風に煽られ、俺とユリナは体勢を崩した。
なんとか踏ん張るが、あまりの強風にもう立って歩くことすら出来ない。
「っ!!」
その時、ユリナがイミオラ様とソフィ様に覆いかぶさるようにして身を投げ出すと、お2人に直接肉体強度強化の神術を掛けた。
(ダメだ、そんな程度じゃ……いや、でも)
もう、それしかない。こうなったらこの身を盾にしてでも、3人を守る。
「くっ!!」
覚悟を決め、俺もユリナを抱え込むようにして覆いかぶさる。
直後、凄まじい突風と共に、背中に猛獣に引っ掻かれたような痛みが走った。
「うぐっ」
苦鳴を呑み込み、必死に耐える。
背中に、腕に、脚に、短剣で切り裂かれたような熱感が走る。
(痛っ! くそっ! 少しは収まれよこの風!!)
苛立ち交じりにそう思った瞬間、体に触れる風の感触が少しだけ和らいだ気がした。
(なんだ、これは……そうか)
思い出す。神殿に引き取られて本格的に神術を学ぶ前。子供の頃に、ただ自らの意思のみで風を操っていた時のことを。
(あの感覚を思い出せ! 呪術は自分の想像力次第。俺に与えられた力は、もっと強くて自由だったはずだ!!)
意識を集中させ、周囲の荒れ狂う空気の流れを知覚する。その中でこちらに向かってくる流れを掴み、勢いを弱める。
脳への負荷と急激に消費される神力に、意識が飛びそうになる。だが、ここで失神するわけにはいかない。
(耐え、ろ……っ! 守る。俺が、守るんだ!)
友に託されたものがある。自らが立てた誓いがある。
だから、耐えろ。守り抜け。たとえ、ここで力尽きようとも。
(アーク……そうだ。俺も、お前のように……)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「これはまた……ずいぶんと手酷くやられたようですね。ゾレフ」
神殿の一室で寝台の上に体を横たえる俺に、エンガイは開口一番そう言い、珍しく本気で驚いた様子を見せた。
実際、俺がここまでの重傷を負うのは初めてのことだ。無理もない。
「……奴らの戦力と覚悟を甘く見ていたのは否めないな」
「ふむ。まあそれは私も同じですね。怖いシスターに一発もらってしまいました。鈍器で思いっ切り殴られたのなんて久しぶりなんで痛い痛い」
「アラ、エンガイちゃんに手傷を負わせるような女がいたの?」
「まあ、聖杖公の妨害が絶妙だったのが大きいですけどね。このブーツがなければ割と危なかったです」
「ああ、この前ルーなんとか辺境侯のところでちょろまかしたやつね」
「ルービルテですよ。ああそうそう、ルービルテと言えば、例の《パスパタ》ですが……壊れていましたよ。どうやら欠陥品を掴まされたようです」
「エ? どーすんのよ。あれがないと……」
「いや、どちらにせよ“パラメシュヴァラ”を発動できる帝国兵が全滅した以上、あれはもう使えん。さして問題はない」
「あ、それもそうネ」
「そんなことより、聖杖の方は確保できたのですか?」
「ああ……だが、霊廟にいた神術師の半分以上は潰された。目覚めたのは……100人ちょっとといったところか。聖人も、アンヌの他にはゲレ・ヴァイルドしか確保できなかった」
「それは……どうしますか? ミッティーベールの攻撃で混乱している今なら、もう少し戦力を確保できるかと思いますが」
「……いや、俺の神力もだいぶ心許ない。ここはさっさと撤退するとしよう」
最低限の目標は達した以上、長居は無用だ。欲をかいて手痛い反撃を受けては目も当てられない。
そこは、2人も同意見らしい。
「そうですね。では今のうちに引き上げるとしましょう」
「でもどーするの? 普通に逃げたら追撃されるわよ?」
「ふむ……」
「エンガイちゃん、ここに来る時に使った手は使えないの?」
「あれはちょっと無理ですね。使い捨ての神具を使ったので」
「フーン……」
「……脱出方法に関しては問題ない。もう呼んである」
「呼ぶ?」
「下だ」
その時、茶色い光と共に神殿の床に穴が開いた。
「なによコレ?」
「霊廟丸ごと地下を移動させた。歴代の聖杖公が複数人いれば、こんな力技も可能だということだな」
「アララ……つくづく規格外ね。七大神器は」
「なるほど、これに乗って脱出するわけですか」
「そうだ。階段が封鎖されている以上、奴らもそうそう霊廟が無くなっていることには気付かないだろう」
「なるほどネ。たしかに──」
「シッ!」
ミッティーベールの言葉を遮り、エンガイが周囲を警戒する。
その時、俺の耳にコツコツという靴音が聞こえた。
「……誰か来た?」
「ええ、1人だけ……足音からして、あまり警戒している様子はないようですが……」
「……どちらかというと、何かを探している感じ、だな。逃げ遅れた非戦闘員でも探しているんじゃないのか?」
「であれば、声で呼びかけるでしょう……人ではなく、物を探している可能性もありますが……」
小声でそんなことを話し合っている間に、足音は俺達が潜んでいる部屋のすぐ近くまでやってきた。
互いに目配せをし、ミッティーベールが扇を構え、エンガイが扉の横に移動する。
そんなこちらの警戒態勢を知ってか知らずか、数秒後、扉はあっさりと開いた。
すぐさまエンガイが侵入者の背後に回り、その腕をねじり上げながら首筋に剣を押し当てる。
「っ!」
「大人しくすることです。不審な動きをすれば即座に首を落としますので」
侵入者は、武装も何もしていない中年のシスターだった。
俺達を前にしても表情を変えず、エンガイに腕をねじり上げられたことでわずかに顔を顰めたものの、恐怖した様子は一切ない。
(なんだ? この女は。本当に何か探し物をしに来ただけの一般人か? いや、それにしても……)
この無表情さ。無反応さは、まるで……
その時、ぼんやりと室内を見回していたシスターの視線が、俺の顔を見て止まった。
そして、じっと俺の顔を見詰め、ゆっくりと口を開く。
「キール」
「っ!?」
「キール、生きてた」
ああ、なるほど……そういうことか。
「エンガイ、その女を放せ」
「よろしいので?」
「構わん」
エンガイが拘束を解くのを見ながら、寝台から身を起こすと、女に近付く。
女は、エンガイに握られていた手首をさすりながら、近付く俺に虚ろな目を向けていた。
「キール、行こう?」
「……」
「アニーと、ブノハンも、いるよ?」
「……そうか」
「でも、フィールとは一緒にいれないの」
ぼんやりとした口調でそんなことを話し続ける女に、俺は手を掲げると神術を発動させた。
途端、女の独白がピタリと止まる。
「ここであったことは忘れろ」
「……うん、忘れる」
「それと、キールは死んだ」
「……キールは、死んだ……」
「そうだ。キールは死んだ。ここには誰もいなかった」
「……そっか」
俺が神術を解くと、女はフッと気を失った。
倒れそうになった女を抱きとめ、寝台に寝かせる。
「……いいの?」
「ああ、問題ない。ただの哀れな廃人だ。こんな女は傀儡にしたところで役に立たん」
「……そうですか。では、行きますか?」
「ああ」
エンガイの言葉に頷くと、俺はもう振り返ることなく、床に開いた穴へと身を躍らせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「う……」
「っ、ヒリッジさん!? ユリナさん、ヒリッジさんが目覚めました!!」
「ここ、は……」
ぼんやりと周囲を見回している内に、だんだんと記憶が戻ってくる。そうだ、俺は……
「ヒリッジ様!」
「ユリナ……無事だったか」
「はい! ヒリッジ様の、おかげです。本当によかった……っ」
「イミオラ様、は……?」
「イミオラ様もご無事です。ですが……ソフィ様は、亡くなられました」
「っ、そう、か……」
沈鬱な表情を浮かべるユリナに、俺も歯を食いしばる。
いや、予想は出来ていた。きっとソフィ様は自分が助からないことを直感して、最後の力でイミオラ様を救うことを選んだのだ。
「奴らは……真光教団は、どうなった?」
「……現在、連絡を受けた両公爵家が捜索を行っていますが……依然、足取りは掴めていません。それに、霊廟も……」
「霊廟? 霊廟が、どうした?」
「それが……無くなっていたんです。まるで、最初から何も無かったかのように」
「なに? ……っ、ビフォン様は!? ビフォン様はどうっ、ぐっ!」
「落ち着いてください! まだ安静に……ビフォン様は、行方不明です。ですが恐らく……」
そのユリナの表情で、俺は全てを悟った。
「そんな……」
一体、何が……ビフォン様……
「すまない、アーク……」
「ヒリッジ様のせいではありません。ご自分を責めないでください」
「……ああ」
「今はゆっくり休んで……今、聖水をお持ちしますから」
そう言って室外に向かうユリナ。その背中を見送りながら、俺は深い悔恨に身を震わせた。
後に聖地事変と呼ばれるこの一件。それまで暗殺を主としたテロリスト集団としか思われていなかった真光教団によって、聖地が半壊させられ、聖杯と聖杖が奪われたという事実は、王族貴族双方に大きな衝撃と波紋をもたらした。
しかしこの時既に、その波紋すらも呑み込む大波が、王国に迫っていた。
王族も貴族も全て巻き込み、呪術師と神術師による過去最大となる戦いの幕が上がる。
戦場は、ファルゼン王国王都。
聖地編終了です。次回から梨沙視点に戻ります。
今回もやはり作者の予想以上に長く、そして途中から作者の予想とは違った展開になってしまいました。
当初の予定では、こんなに聖地陣営が生き残る予定ではなかったのですよ……でも、書いてる途中で「あれ?聖杖公と聖杯公強くない?騎士も術師もめっちゃ頑張るし……これ、どう考えても真光教団の戦力不足では?」となってしまい、聖地陣営がすごく生き残ってしまいました。
……うん、まあ仕方ない。登場人物が勝手に動いてしまったのだから仕方ない。この先のプロットに大幅な修正が必要そうですけど……(汗)




