更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 1-②
「それじゃあね、サラちゃん」
「はい、それでは」
隣町に着き、馬車を降りると、ローナさんと別れる。
結局、話好きなローナさんと何だかんだずっと話している内に隣町に着いてしまった。
(さて…っと)
私は馬車内でこちらを見ていた強面の男が、まだ馬車の停留所に留まってこちらを窺っているのを視界の端で確認すると、適当にローナさんと反対方向に向かって歩き出した。
そして、ある程度歩いたところで、これまた適当に路地に入る。
その際にフードの端から横目で確認すると、先程の男が私を付けて来ているのが分かった。
どうやら私を狙っているのは間違いないらしい。
路地を更に奥へと進みながら、私はそっとため息を吐く。
(面倒なことになったなあ)
とはいえ焦りはない。
馬車の中できっちり対応策は考えていた。
相手が単独犯なのか、それともなんらかの犯罪グループに所属しているのかは分からないが、後者だった場合、仲間を呼ばれるとかなり面倒なことになる。
ならば、こちらから隙を見せて、1人で襲い掛かって来たところを返り討ちにした方が面倒は少ない。
路地を人気のない方へ進みつつ、小声で神術の詠唱をする。
詠唱を完了させて神術を発動待機状態にしたところで、ちょうど袋小路に行き当たったのでそのまま振り返る。
すると、ちょうど後を付けて来た男が曲がり角を曲がって姿を現した。
「何か用ですか?」
一応そう問い掛けてみるが、男は返事をすることもなく、猛然とこちらへ突進して来た。
予想以上の勢いに一瞬反応が遅れたが、すぐに右手を掲げ、発動待機させていた風属性中級神術“縛風”を発動させる。
途端、路地に風が吹き荒れ、男の周りを渦巻いたと思った次の瞬間、男は全身を空気の層で拘束され、強制ヘッドスライディングしていた。
…まあ、全力で突進していたところでいきなり両腕両脚を固定されたらそうなるよね。
空気の層がクッション替わりとなって全身を強打することはなかったけど、鼻と額は思いっ切りぶつけたみたい。
といっても、男は悲鳴を漏らすことも出来ない。
“縛風”は、詠唱を封じるために口も塞いでしまうからだ。
今も、悪態を吐きながら必死に拘束を解除しようとしているのだろうけれど、私の“縛風”は人間の筋力で解除出来るような強度ではない。
それにしても、今のは結構危なかった。
まさか、剥き出しの悪意と暴力の気配が、これほどまでに人の身体を縛るものだとは思っていなかった。
ある程度覚悟が出来ていて、しかも詠唱を予め完了させていたから対処出来たけど、不意打ちだったらきっとやられていた。
対人戦闘はあの兄との訓練で何回か経験があったが、あれは所詮訓練でしかなかったのだとよく分かった。
それでもあの経験がなかったら、完全に身体が硬直して全く動けなかったかもしれない。
あの兄に感謝するのは癪だが、あんなんでも少しはためになることがあったらしい。本当に!ほんっとーに癪だけど!!
まあそれはそれとして、この男をどうにかしなければならない。
本当は憲兵に突き出すべきなんだろうけど、一応未遂だし、襲われたという証拠もない。それに、この男が言えば私が神術師だということがばれるだろう。それは面倒だ。
じゃあ始末する?
ムリムリ、私にそんな度胸はない。
やろうと思えば人間の1人や2人、一切の痕跡を残さずに始末出来るだろうけど、私は人殺しをする気はない。
単純に私の倫理観とか罪悪感とかが耐えられないというのもあるし、それに私は、前世の家族の元へ帰るからには、きちんと胸を張って帰れる自分でありたい。
家族の元に帰るために人殺しをしてきたなんて絶対に言いたくはない。
甘いと言われようが、そこを曲げるつもりはなかった。
曲げてしまったら、それはきっともう“更科梨沙”ではない。
私はこの世界の“セリア・レーヴェン”であることを捨て、“更科梨沙”として生きることを決めたのだから、その名に恥じるようなことは出来ない。
それに、そんなことをしなくても簡単に問題を解決できる手段を私は入手している。
入手経緯を考えるとかなり複雑というか頭を抱えて転げ回りたくなるが、折角便利な後始末の手段を使えるようになったのだから、使わない手はない。
という訳で、男の前にしゃがみ込みます。
右手を手刀の形にして高々と振りかぶります。
右手に神力を込めます。
後は振り下ろすだけ。
必殺!記憶抹消チョーーップ!!
必死に拘束を解こうと力を込めていた男が大人しくなる。
足で蹴り転がして仰向けにし、男が白眼を剥いて完全に気絶していることを確認してから“縛風”を解く。
軽く周囲を見回して人に見られていないことを確認してから、男が目覚めない内にさっさとその場を立ち去る。
まあ、腕力も神力も必要以上に強めに込めておいたから、当分目覚めることはないだろう。
もしかしたらかなりの時間の記憶が飛んでいるかもしれないけれど、殺されることも憲兵に突き出されることもなかったのだからそれくらいは我慢してもらおう。
大通りに戻ると、私は目に付いた一番立派で大きな宿屋に入り、そのままチェックインした。
本当はもっと安い宿に泊まろうと思ったのだが、流石に襲われた直後に安全度が低そうなところに泊まる気にはなれない。
部屋に通してもらい、1人になると、椅子に座ってラルフにもらったサンドイッチを食べつつ、先程のことを考える。
どうやら、私が想像していた以上にこの世界は物騒らしい。
まさか領都の隣町でいきなり暴漢に襲われるとは思わなかった。
私の危機意識が低かったというのは否めない。実害なくそのことを認識出来たというのは不幸中の幸いだろう。
それに…
正直、私は自分の力を過信していた。
神術の才能が開花し、何でも出来るような気がしていたけれど、決してそんなことはなかった。
私は神術を使えなければただのか弱い小娘なんだという、至極当たり前のことを今更になって痛感した。
そこで、予定を繰り上げて本気で旅の装備を整えることにする。
元々の予定では、せめてレーヴェン侯爵領を出てからにしようと思っていたが、それでは遅いようだ。
とりあえずの目標は、なるべく目立たないようにすること、それと襲われても対処できるようにすることの2つ。
この宿屋に何日か引き籠り、このローブと家から持ってきた神術の触媒を使って、それを実現出来る装備あるいは神術を作る。
そう決めたところで、ちょうどサンドイッチを食べ終わった。
ごちそうさまをして、このバスケットをどうしようかと考えていると、先程ポケットに突っ込んだ革袋を思い出した。
ラルフにもらった餞別だ。まあそれほど大きくなかったし、本人の言っていた通りにささやかな気持ちくらいなのだろうけれど、一応中身を確認しておいた方がいいだろう。
右ポケットから“念動”を使って先程の革袋を取り出す。
口紐を緩めて中身を確認して…
私は天を仰いだ。
中には金貨が10枚ほど入っていた。いや、これはいい。あまりよくないけれど、まだ大した問題ではない。
だが、その金貨に混じって1枚だけ入っていたものが問題だ。
「ラルフ…」
もう一度確認してから、私は呻くように声を絞り出した。
「餞別って金額じゃないでしょ……っ!」
この世界に主に流通しているのは鉄貨、銅貨、銀貨であり、金貨など庶民は一生手にしないのがざらだ。
それぞれの硬貨は年代によって複数の種類があり、主に聖人などの過去の偉人の肖像が刻まれており、その人物名がそのまま硬貨の名前となる。
それぞれ流通数やその含有成分によって微妙に差はあるが、硬貨の種類が同じならその価値はそれほど大きく変わらない。
まあ日本でも昔の大判小判は色んな種類があり、その価値もバラバラだったというのだから、それとそんなに変わらないだろう。
話がずれたが、今現在最も流通しているリオン銀貨が1枚あれば、庶民の4人家族が1週間は暮らせるだろう。ちなみにこの部屋は1泊リオン銀貨1枚だった。
今革袋に入っているクロード金貨はリオン銀貨約50枚分の価値がある。
つまりクロード金貨1枚で庶民の4人家族が1年は暮らせるということだ。
そして…
私は、金貨に混じって入っていたそれを取り出す。
一見銀貨だが、その輝きは銀というより鏡というべきだろう。
硬貨として加工されているにもかかわらず、鏡のような輝きを持ち、どっしりとした重さがある。
表面には精緻な刻印が施された剣を持った男性の横顔が彫られている。
アーサー聖銀貨
その価値、クロード金貨にして約80枚分。
元々聖銀は神術の触媒として用いられる貴重な鉱物だが、これは400年ほど前に、聖銀の鉱脈が発見された際に限定的に作られたものらしい。
今は有力貴族か大商会でなければ手にすることも出来ないような代物である。
「こんなものどうしろっていうのよ……」
恐らく私に遠慮させないように、持った感じの硬貨の枚数を減らしたかったのだろうが、正直こんなもの使い道がない。
アーサー聖銀貨が使えるような店などほとんどないだろうし、大手の両替商にでも行かなければ換金も出来ないだろう。
というか、ラルフにとってもこれはかなりの財産なのではないか?
正直、返しに行きたい気持ちでいっぱいだったが、あんな見送られ方をしてノコノコ返しに行く訳にもいかない。仮に返しに行ったところで受け取ってもらえないだろうが。
「はあ…何かもういいや…」
もう色々と考えるのも嫌になってしまい、私はローブを脱ぐとベッドに倒れ込んだ。
どうせ神力が回復しない内は出来ることもない。
私はベッドの周りに簡易の結界を張ると、神力を手っ取り早く回復させるために昼間から惰眠を貪った。
~ ゴロツキ視点 ~
「う…ん?」
目が覚めると、見慣れない路地に寝っ転がっていた。
「何だここは?どこだ?」
どうにも記憶がはっきりしない。倒れた時に打ったのか、鼻血が出て、額に瘤が出来ていた。
とりあえず大きな通りに出ようと道を歩いて行くと、ここが最近拠点としている町だということが分かった。
「どういうことだ?」
俺は領都で仕事をしていたはずなのだが、いつの間にこの町に戻っていたのだろう?
(酔い潰れて記憶が飛んじまったのか?誰かと喧嘩したにしちゃあケガも少ねえし…)
状況がよく分からないが、自分の懐を見て、そこに目的の物があると確認する。
思わずにやけつつ、まあ1人で祝杯でも挙げて酔っ払ったのだろうと結論付けると、とりあえず仲間の元へ行こうと考えた。
大通りをしばらく歩くと、脇道に逸れて狭い路地を進んで行く。
見るからにボロイ廃屋に着くと、慎重に辺りを確認してから中に体を滑り込ませ、2階の角部屋に向かう。
そこのドアを開けると、既に仲間たちは全員集まっていた。
「あっ、ボス!お疲れ様です!」
「「「「お疲れ様です!」」」」
「おう、首尾はどうだ?」
彼らは、かなり悪名高い盗みを生業とする犯罪者グループだった。
各地を転々とし、1カ所を拠点にしてその周囲の町で盗みを働く。
盗みと言っても色々で、すりや空き巣、強盗など、盗みと呼ばれるものは何でもやった。
実はボスと呼ばれているこの男が狙っていたのは梨沙本人ではなく、その見るからに高級そうなローブと、右ポケットに入っている革袋だった。
バスケットから取り出してすぐにポケットに入れたので、見えたのは一瞬だったが、この男は職業柄、そこに10枚以上の金貨が入っていると見抜いたのだ。
男の問い掛けに、最初に挨拶した瘦せぎすの男が返答した。
「へへっ、皆バッチリっすよ。ボスはどうだったんです?例のブツ、手に入ったんですか?」
「ああ、もちろんだ」
そう言うと、男は懐から大ぶりの宝石が付いた金色のネックレスを取り出した。
それを見た男たちから歓声が上がった。
「おおっ!流石ボスっすね!これを上手く捌けばしばらくは遊んで暮らせますぜ!」
「ああ、今日は気分がいいから俺の奢りだ。皆で飲みに行くぞ!」
ボスの男気に部屋の男たちが歓声を上げる。
そして、各々の戦利品を自慢しながら、酒場へと向かって行った。
…実はこの男、目的の物を手に入れたはいいのだが、そのことを嗅ぎ付けた憲兵に追われてしまい、何とか振り切ってその足で町を出たのだ。
本当は梨沙から金品を巻き上げた後ですぐに仲間たちと共にこの町からトンズラするつもりだったのだが、この男はそのことをすっかり忘れていた。
結局、翌日に彼らはあっさり領都から来た憲兵に捕まった。
顔を見られておきながら堂々と隣町に居座り、あろうことか酒盛りをして酔い潰れていた彼らの間抜けさに、憲兵の皆さんは揃って呆れ顔だったという。
聖人は前世の名前で記録が残っている場合と、今世の名前で残っている場合の2パターンがあります。
貨幣価値はそれほど重要でもないので覚えなくて大丈夫です。
細かい設定を作り込みたがる作者の悪い癖が出たと思っておいてください。
今回から活動報告ではなく、後書きで次回予告をすることにしました。
更新の度に活動報告していると本当に大事な報告が埋もれそうなので。
次回更新は明日か明後日になる予定です。