私と蛙に毎日ひとつ ~カエルチョコの行方~
ジャンル:恋愛と銘打っていますが、作中には明らかにおかしいカップルしか出ません。
むしろ二人の世界(有害)。
コメディ色強めかと思われます。
60年前、彼の王国に突如襲来し、悲哀と戦乱、幾千幾万の嘆きをもたらしたとされる異界よりの襲撃。
悪魔と呼ばれる未知の種族は人々を蹂躙し、山野を炎の海に変え、数々の悲劇を呼び込んだのだが…そんな血も涙もない襲撃者達が、恐怖と混乱以外にも持ち込み、何故か人々の間に定着してしまった風習や文化が少なからずあることは、王国民達の知るところである。
そんな、他愛もない文化風習の一つ。
数ある外来文化の一つに、St.バレンタインなる風習があることは、近頃他国からも注目を受けている事実である。
そもそも貴族女性とは貞淑を何よりも重んじ、万事につけて控えめであってこそ誉れとされるものである。一部、例外もあるが。
男女交際の機微にもそれは当然の如く求められ、王国の淑女達は押し並べて皆おとなしい。一部、盛大に逸脱した例外はあるが。
最初に愛を告げ求めるのは常に男側。
それが王国貴族の常識常道であった。
一部、最早別の常識を生きる例外生物がいたが。
そんな状況であるからして、真心をこめた品に想いを込め、贈り物という形で思慕の念を伝える行事というモノは上流階級のお方々にとっては寝耳に水も良いところであった。
中には貞節に欠けると忌避し、顔を顰める者もいたが…往々にして恋愛ごとは若き男女にとって最大の楽しみ。
駆け引きでも純愛でも、その恋愛に加える味付けの違いでしかない。
そしてそれは、種類が豊富であればあるほど楽しみが広がるものなのだ。
結果として固定概念に凝り固まった老境の方々には良い顔をされないものの、解放感と恋の喜びに頭のいかれた大体の男女はこの風習を恋愛における醍醐味の一つとして好意的に受け入れていた。
そうして毎年。
バレンタインなる風習を持ち込んだ悪魔が討伐された記念日になると、それに肖って王国のそこかしこで想いを伝えあう男女の姿が見られるようになった。
それは初々しいモノもあれば、こなれて婀娜めいたものもあり。
種々様々な恋愛模様が、この日ばかりは王国のそこかしこに降り注ぐのである。
それに良い顔をしないながらも、良い年をした老齢の方々も大目に見るという形で若者達の恋を傍観して楽しんでいた。
それはそう、王国の未来に重要な割合を受け持つ、アデレイド公爵家でも…
しかし他との違いが、一つ。
ここで見せつけられる公爵令嬢アデリシアの恋愛劇に、良識のある大人ほど意固地に反対姿勢を見せることである。
何故なら…
「ねえ、ダーリン。私の素敵な旦那様❤」
「何かなMy honey. 私の可愛い蜂蜜ちゃん」
「やだ、旦那様ったら! 私、あんなねっとりした女じゃないわ」
「ああ、貴女はさっぱりとした爽やかさすら感じさせる、3月の微風のような人だ」
「あら? 3月の風ってそれ、東風じゃない?」
「そなたは全てを吹き飛ばす突風の様な女でもあるからな」
「もう旦那様ったら! 私が吹っ飛ばすとしたら、その相手は精々うちの融通利かないハゲ親父くらいよ?」
「義父殿はふさふさしておられるように見受けるが…」
「あれはヅラだって私、信じてる…!」
「義父殿、哀れな」
他愛もなく、意味もない会話をイチャイチャと至近距離で交わす二人。
その声は互いの耳を直接擽るような、囁き合うような近さで。
それもそのはず、男の方は令嬢の肩にちょこなんとお行儀よく座っているのだ。
公爵令嬢アデリシア・アデライトの選んだ、婿がね。(まだ挙式前)
それは、令嬢の掌にすっぽりと納まってしまうような小ささで。
そして鮮やかな水色をしていた。
それもそのはず婿殿は、齢二百を数える妖怪蛙だったのである。
そんなお婿さんをある日いきなり家出した娘が連れ帰ったものだから、令嬢の父君…アデライト家の入り婿パパさんは発狂せんばかりに取り乱し、怒り狂った。
しかし取り合わずにその全てを受け流し、無視を決め込むアデリシア。
アデライト家の家中は、只今家庭内冷戦の真っ直中であった…。
蛙をして豪胆といわしめ、王国国王に山猿と称される異例の令嬢アデリシア。
王国貴族子女の中でもとびきり異彩を放つ例外の権化。
しかしそんな彼女とて、婿と仲良くしたい願望に支配された乙女の一人である。
普段の行動が乙女とはかけ離れていても、乙女は乙女である。
そして乙女というのは、恋愛イベントが大好物なもので…
「それでね、旦那様」
アデリシアは、満面の笑みで蛙を両手に掬いとり、にっこりと微笑んだ。
蛙もにたりと笑い返す。
ほのぼのとした幸せを味わいながら、令嬢は緊張に震える声で告げる。
「旦那様に、是非召し上がってほしいものがあるの。軽く刺激物だから蛙の貴方のお口に召すかはわからないのだけど…」
「何を言う。我が口は数々の魑魅魍魎をして悪食と言わしめた功績を持つ。どのようなモノであろうと、例え無機物であろうと、そなたが望むのであれば一口に平らげてくれよう」
「まあ素敵! 旦那様、男らしい!」
「ふっ…そなたには負ける」
余談だが、蛙は体調を悪くすると口から内臓を吐き戻して丸洗いが出来るという。
そのような芸当が可能なのであれば、例え丸呑みにしても不都合があれば後で吐き戻すことが出来るだろう。
「うふふ…あのね、今流行りの贈り物なのよ。どうか旦那様、用意が整うまで此処で待っていらして」
そう言って、アデリシアは蛙を寝室に置き去りにした。
豪奢な四柱式の大きな寝台には、天涯の内側に入るようくっつけて小さな卓が置かれている。
その上には彼女が蛙の為にしつらえた、専用のプール付き寝台(ただの水盆)が可憐な睡蓮の花を揺らしていた。
ふわりと香る花の上で、蛙は活き活きと輝くアデリシアの顔を思い浮かべる。
そして毎日の習慣と化した、「お願い事」を叶える楽しみに胸を躍らせていた。
食物の用意を整えると言っていたので、存外時間がかかるかと思っていたが…
予め用意が整っていたのか、公爵令嬢の期間は思いのほか早かった。
この為にと、とびきり自分が見栄えよく見えるよう、公爵令嬢も張り切って。
夫(まだ挙式前)の為にめかしこんだ少女が駆け寄ってくる。
彼女の取って置きの勝負服…
警戒と威嚇の鮮やかな色彩は、彼女にとてもよく似合った。
惚れ惚れと見惚れる蛙に、少女は満面の笑顔だ。
「旦那様ー。見て❤ これ!」
「これは…」
「凄いでしょう? 力作なのよ♪」
そう言ってアデリシアが両手に掲げたモノ。
それは銀の皿に色とりどりのフルーツとともに飾られた、茶色の物体。
「王国ではね、今日この日に慕う殿方に女性からショコラを贈って想いを伝える風習があるのよ? 何でも数十年前、王国を侵略に来た悪魔から取り入れた風習なのですって」
「なんともはや豪胆なそなたに相応しい風習であるな。まさか敵方からそのような行事を取り入れるとは」
「まあ❤ 旦那様ってば!」
いやんと身を捩り、蛙の額にデコピンをかます、令嬢。
体の対比的に、彼女のデコピンは蛙相手では凶器も同然だ。
しかしそこは妖怪。流石は妖怪。
蛙は平然とデコピンを甘んじ、大したダメージを受けることも吹っ飛ぶこともなく、まじまじとただただ目の前の物体を眺めた。
アデリシア曰く、どうやらチョコレート菓子らしいのだが…
「………うむ。何やらどこぞで見たような形をしているな。どこぞというか、水面に映る影として毎日目にしておるような」
「傑作…いいえ、大作でしょう? 見事に旦那様の素晴らしさを取り入れ、菓子という姿に限界まで取り入れることに成功したと思わない? モデルが良いから、ほら…こんなにキリッとしてる!」
「そなたの目には、こう映っているのだな…少々、美化しすぎではあるまいか?」
「そんなことないわ! そっくりそのままじゃない」
「しかし自身よりも大きな移し身をこの目で見るとは複雑なことだ…」
「旦那様15匹分くらいの大きさかしら? ほら、並んで見ると親子みたい…!」
ここまでの会話で、察しの良い方ならお分かりであろう。
そう、アデリシアの用意した真心こもったバレンタインチョコ。
それは………どこからどう見ても、妖怪蛙そのものだった。
まさに、茶色い妖怪蛙。
アデリシアは、婚約者(蛙)の姿を模したチョコを用意していた。
恋愛イベントを前に迷走する乙女はよくいるが、よりにもよってそのチョイス!
リアル過ぎる造詣が、蛙に共食いの忌避感を訴えかける。
こんな蛙チョコを、一体誰が作ったのだろう。
まさか、外注したのだろうか。
「あのね、このチョコレート手作りなのよ」
「ほう…」
手作り。
その一言で蛙のテンションが俄然上がる。
だが、そのテンションは次の瞬間に下降した。
「バレンタインのチョコレートは手作りがベターだって聞いたから、頑張ったのよ。マルセルが」
「マルセル………厨房の、料理人見習いであったか」
「ええ。中々将来有望よ! 料理の腕はまだイマイチだけど、お菓子を作らせたら既にこの屋敷内で右に出る者はいないわ…!」
張り切って作らせていただきます――そう告げた、マルセルの姿がアデリシアの脳裏に蘇る。
その台詞には一切の誇張も妥協もなく、まさに『張り切って』作られた至高の逸品が目の前にあった。
「手作りとは、そなた自身が手掛けてこそ言えるのではないか?」
「あら。私、だってお菓子作れないもの。そんな私が手を出しても悲惨なことになるだけよ? それならいっそのこと、その道の玄人に頼むのが道理というものでしょう。それに手作りがベターとは聞いたけど、誰それの手作りに限るとは聞いていないし」
「清々しいまでに前向きの解釈であるな。そなたといると斬新な思いがして退屈せぬよ」
「あら、有難う? でもね、旦那様。このチョコレート、完全に私の手が入っていないという訳じゃないのよ? 私だって出来る範囲で貢献したんだから!」
「ほう…? ではこれは、そなたとマルセルの共同作成…という訳か?」
「そうよ」
「厨房で仲良く、身を寄せ合って作ったと…?」
「厨房? いいえ、出入り禁止されてるから、厨房には入ってないわよ。私」
「それではそなた、何をしたのだ」
「旦那様の形の菓子型を作ったわ」
まさかの工作手作業。
菓子型を作るのは、どう考えても料理じゃない。
「チョコレートだけじゃなくって、ゼリーやパウンドケーキ系もばっちりよ!」
「この造形はそなたの手によるものか。そなた、器用なのだな」
「ええ、木型を彫るところから始めて、鉄板の加工が一番大変だったわ」
「そうか、そこまでそなたは力を入れてくれたのだな…」
蛙さんは、素直に感心した。むしろ感動した。
だが気付こう、蛙さん。
そんな問題じゃないよ、と。
その後。
娘のあまりの残念さに号泣した父君が、己の選んだ婚約者候補たちを召喚して娘と蛙のらぶイチャっぷりを妨害しようとしたり。
はたまた何をとち狂っちゃったのかアデリシアに惚れてしまっているという可哀想なことこの上ない国王様(幼馴染)が乱入して蛙に勝負を挑んだり、と中々賑やかにこの日は過ぎていくのだが。
その誰もが、アデリシアの用意したキワモノというしかないチョコレート(大量生産)――蛙に超☆酷似――を前にすごすごと尻尾をまいて遁走することになるのだが………
公爵令嬢と妖怪蛙はそんな外野を全くもってちっとも気にする余地もなく。
己と互いが全てといわんばかり、お互いばかりに思いも視線も全てを向けて。
いつもの常と同じように、異色過ぎるカップルはこの日もいちゃいちゃ甘々と仲睦まじく。
こうしてバレンタインと呼ばれる異界の祭は、アデライト公爵家にて恋人同士の周囲に阿鼻叫喚を撒き散らしつつ、当人達だけ和やかに過ぎていくのだった。