1-2.間違った魔法の使い方
目を覚ました時、俺は高原に寝転がっていた。
新緑の香りがそよ風に届けられ、くっきりとした青空では嫌がらせのように眩い太陽が燦々と輝いている。
日光を浴びていたためか、胸や腹の辺りは温かい。
だがその割には背中が冷たい。湿った土や植物の朝露が染みているのか、着古されたダークグレーのジャージがじんわりと湿っていた。
湿り気が腰の辺りまで広がっていたためもしやと思ったが、漏らしたわけではないようだ。
良かった。
「…………いや、良くはないな」
背中の湿り具合から察するに、多分俺は長い時間気絶していたのだろう。
その間誰も俺を起こさなかった。確かに俺は人に好かれるような見た目はしていないが、触れることを躊躇われるような容姿はしていないと思う。
そうなると、朝露で背中が冷たくなるまでの時間、俺は誰にも見つけられることなくここで倒れていたことになる。
暴行された跡や金品を荒らされた風もない。もしここが生活圏であれば、善良な人か悪い人か最低でもどちらかは通るだろう。そのどちらにも目を付けられていないということは、やはりその考えで間違っていないはずだ。
「図書館が消し飛んだ――それよりは、俺一人が別世界に飛ばされたと言われた方が十分信憑性あるな」
図書館ごと何か事件に巻き込まれたのなら、俺だけが無事だということが謎だ。
だとすると、やはり俺だけがどこかに連れ出されたと考える方が妥当だろう。
無論そんなこと信じられないが、これはもう信じる方向で妥協するしかない。
現に俺は誰もいない高原に転がされているのだ。
「とにかく、現地人――百歩譲って外国人かもしれないけど、誰かしらとはコンタクトをとらないとな」
とにもかくにも、ここがどこなのか知っておかなければならない。
財布も身分証明書も持っていないのだ。下手に近隣をうろうろしていて、不審者扱いされてもつまらない。
ここが地球のどこかなら、英語さえ話せればなんとかなるだろう。
一応中学英語は人並みに話せる。挨拶とか自分がどこから来た何者なのか、その程度だったら説明できる。
「あと何か、役に立ちそうなもの――!」
持っているのは、図書館のカードと携帯電話と、あとは――。
「あの意味不明な本じゃねーか。がむしゃらに何か掴んだ覚えがあるし、持ってきちゃったのかな」
どうせ持ってくるなら、中身の読める本だったら良かったのにな。
菖蒲色の紙束を恨めしげに見やり、すぐに目を逸らす。
ともかく、よし、携帯電話があった。
まずこれを使って、家か警察に電話を――って電池切れてる!
友達もいない恋人もいない状態なため、酷使した覚えは無いのだが、どうやらあまりに使わなかったせいで、充電するのをすっかり忘れていたらしい。
確か携帯って、使わなくても少しずつ電池食うんだったな。
「完全に八方ふさがりだ、どうしろと」
携帯も使用不可能となれば、残った財産はこの訳の分からない紙束のみだ。
もしかしてこれが原因なんじゃないか、と嫌な考えが頭を過る。だが何もせずに事態が進展するとも思えない。
一縷の望みをかけて、俺はその本を手に取って開いてみた。
どうせ読めないんだろうけどな。
「……はー、何々、体内の魔力を利用して火を作る方法。水を生み出す方法――ってちょっとまて!」
みみずがのたくったより酷い文字なのに、何故か俺はそこに書いてある言葉の意味が理解できた。
読めるわけではない。どこからどうみても、絵や記号の混じった線だ。
だけど分かる。何が書いてあるのか、感覚的に理解できるのだ。
「もしここに書いてあることが本当だとすれば――、これは、魔法の使い方が書かれている本だったのか!?」
いわゆる教本や解説書というものだろうか。
なるほど確かに。ページの最初の方には「火の出し方」や「水の出し方」など基本的なものが書かれているが、後ろに行けば行くほど奇妙な魔法が書かれている。
半分以上進めば、もはや別世界だ。
死体から純粋なオドを取り出す方法だとか、別の種族集団を従えさせる方法。大地に巡る膨大なマナを利用して、小さな小屋を建てる魔法なんかも記されている。
もしこれが魔法教本などではなく、単なる中二全開の妄想百科だとしたら、それはそれで凄すぎる。
厚さの割にページ数は破格の量だ。これを一人で書くとなれば、月日が幾らあっても足りないだろう。
「……試してみようかな」
どうせ暇なのだ。今なら誰も見てないだろうし、ちょっと恥ずかしいことでもできそうだ。
まずこの基本的な――体内のオドを水に変化させる魔法を試してみよう。
火の方が先に書いてあるが、水にしておこう。
たとえ小さくとも、火は下手に扱うと怖い。
「んーと、水の出し方。体内に巡るオドを活性化させ、腕を前に突き出します」
本当は両手を突き出すべきなのかもしれないが、本を片手に持っているので突き出すのは右手だけだ。
「詠唱とかは――とくに無いのか。そして頭の中で、手から水が出る想像をします」
イメージするというわけか。
右手を突き出したまま、俺は手のひらから水が出る状況を想像する。
水、水――――水、水――水。
「…………出ない」
やり方は間違っていないはずだ。強いて言えば『体内に巡るオドを活性化させ』というのがイマイチ分からないが。
「仕方ない。水はあきらめて火を使ってみるか」
――とも思ってみたのだが、やはり火を出す魔法も基本は水を出す魔法と同じだった。
手を突き出して、そこから火が出現する想像をする。
暫く試してみたが、俺の手から火や水が出ることは無かった。
「このオドってのがイマイチよく分からないんだよな。オドを活性化させなくても使えるって魔法、何か無いかな」
ペラペラと捲っていると――、あった。ありましたよ。
大地に眠るマナを利用して、火を生み出す魔法と書かれている。
やり方はさっきより簡単そうだが、用意するものが面倒だ。
どうやら先ほどから躓いている「オドの活性化」の代わりに、自然界に漂うマナを集結させ、それを使用して魔法を具現化するらしい。
マナの取り出し方に関しては、書いてあることには書いてあるのだが――はっきり言って信憑性がない。
植物でも小石でも土でも、とにかく自然界の物質を手に取り、そこから火を生み出す想像をするようらしいが、そんな上手くいくのだろうか。
ともかく試してみよう。
足元に落ちていた小石を一個拾い、右手に乗せてみる。
そして先ほどと同じく、火が出現する想像をする。
「火、火――――火、火炎、火炎!」
ポン! と気の抜けるような音がして、小石に蝋燭程度の火が灯った。
成功――といっていいのだろうか。まさかこの石には油が塗ってあって、犯人はそれを利用して火をつけたのでは――って違う違う、犯人じゃ無かった。
ともかく火をつけることは出来た。幸い小石本体が燃焼しないため、暫しの間持っていても皮膚に火が燃え移るようなことにもならなかった。
うん、便利だな。もう少し大きめの石を使えば、夜とかに灯として使えるかもしれない。
「しかしこれで……」
認めたくなかった事実が、とうとうはっきりとしてしまった。
この科学が進歩した地球で、こんな簡単に魔法が使えるなんてことはありえない。
つまりこの書籍は本物で、そしてここは地球とは別世界。
「異世界転移ってことで、間違いないらしいな」
青い空を、飛龍っぽい黒い影が流星のように飛んでいくのが見えた。