1-10.悪魔襲来
カザミ・アヤメ、十八歳。
青春を謳歌すべき学生時代の十割を、読書と勉学に費やしたインドア高校生だ。
唯一の特技は掃除という、役立つけど非常に地味なもの。
そんな俺にも、やっと春が来ました。
白銀の美髪に真紅の瞳をもった、可愛らしくも理知的な雰囲気をもつ司書さん。
名前はプリムヴェールと言うそうです。
そんな彼女は小さい頃から『賢者』という職業に憧れており、自分が賢者になれないと悟ってからは、いつか賢者様と魔法や書物のお話をしたい、と思っていたらしいです。
夢が叶ったと、嬉しそうにしていました。
彼女の笑顔を見ると、俺も幸せな気持ちになります。
ええ……、この心の奥底から蝕まれるような、不甲斐なささえ取り除いてもらえれば……。
「ふ、不甲斐ないことです。本当に」
「いえ、そんな! アヤメさんは悪くありません。わたしがお誘いしたのですから、そうお気を落としにならないでください」
穏やかな正午の空の下。
プリムヴェールの優しい言葉が心に痛い俺、カザミ・アヤメ。
王都の端にあるちょっとおしゃれな喫茶店にて、二人でお食事なんかを楽しんだのが、ついさっきのこと。
芳醇な香り漂う紅茶のような飲み物を片手に、干し肉やアオナを黒くないパンに挟んだサンドイッチを二人でわけっこして食べた。
口元に付いたパンの欠片を取ってあげたり、逆に拭ってもらったり。
第三者の目からみれば、仲睦まじいカップルに見えるのであろう幸せな時間を過ごしていた。
さて、事件が起こったのはその直後のことである。
食休みを済ませ、さて次はどこに行きましょうかなどと話しながら、会計を済ませようとしたところで、伝票を見た俺の目が点になった。
「ぎ、銀貨五枚、だと……」
紅茶のおかわりは無制限だったし、サンドイッチも十分な量お皿に盛りつけてあった。
景色もよく外からは見えない場所だったし、紅茶を注ぐウェイトレスさんの仕草も様になっていた。
故に少しは高いんだろうなー、と覚悟はしていたはずだったのだが。
「た、足りない……」
せいぜい銀貨二枚程度だろう、なんて思っていた過去の自分を殴りたい。
もしかしたらもっと安いかも、なんて考えていた思考回路が酷く憎い。
銀貨二枚じゃあ、一人分にもならなかった。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、その……。今日はたまたま手持ちがなくて、その」
たまたまだと? 宿に帰っても銀貨五枚なんて大金ありゃしないよ。
こちとら無一文で異世界に放り込まれたんだ。
「大丈夫ですよ。元々わたしが出すつもりでしたから」
嫌悪や軽蔑など微塵も感じていませんよ、とでもいうように、花のような笑顔でプリムヴェールは銀貨五枚を支払ってくれた。
――――こうして、今に至る。
「アヤメさん、そんなにしょげないでください。隣でどんよりされると、わたしまで悲しくなってしまいます」
「あ、そうだね。ごめん」
背筋をピンと伸ばして、プリムヴェールに笑いかける。
そんな俺を見て、プリムヴェールは真紅の瞳を細めてクスリと微笑。
仕草の一つ一つが本当に可愛らしい方だ。
そういえば、と俺はすれ違う人たちの顔を見てみた。
銀髪やそれに近い色の髪をした人は、人族も亜人も含めてよく見かける。
だがプリムヴェールのように、燃えるように赤々としたルビー色の瞳を持つ者は滅多にみかけない。
稀に見かける魔族などは、濁った灼眼をしていることもあるが。
「アヤメさんは、純粋な人族なんですよね」
「え、ええ、まあそうです」
心を読まれたかと思うほどにタイムリーな話題だ。
だがそういう言い方をするということは、つまり。
「プリムヴェールさんは、違うんですか?」
「ええ、母は純粋な人族でしたが、父親が魔族――インキュバスでした」
インキュバス、という単語に、ふと先日の記憶が蘇る。
そういえば本棚の陰でくんずほぐれつしている魔族を見たが、あれが所謂サキュバスってやつだったのか。
だとすると、インキュバスがこの世界に存在していても、何らおかしいことはない。
だけど、魔族と人間の間、ハーフ魔族だったのか。
インキュバスというとイケメンなイメージも強いし、その子供が美形だということも納得できる。
確かにそう言われてみると、プリムヴェールはよく俺のことをじっと見つめてくる。
図書館で(性的な意味で)食べられていたのも痩せ形の青年だったし、もしかしてプリムヴェールは、俺を食べるために近づいた……?
「食ーべちゃーうぞー」
「ひぃぅ!?」
「…………失礼ですね、アヤメさんったら。わたしが見境なく男性を襲うような人に見えますか?」
見えますか? って、まだ出会って二日目だから分からないよ。
清楚可憐に見せかけて、玲瓏な瞳を瞬かせながら狭いところに連れ込むとか、ありえない話でもない。
軽蔑とか恐れじゃなくて、期待とかそういう方の意味でだ。
インキュバスの娘さんって、そっちの方はどのくらい興味があるんだろう……。
すごく興味はあったけど、面と向かって聞くのはやめておいた。
唐突に話題として滑り込ませてきたから、血筋を嫌がっているということは無さそうだけど、他人に指摘されるのは嫌かもしれない。
俺だってラノベをよく読むから、自分でも少しオタクっぽいなと思うことはあるけど、それを出会って間もない他人に「お前オタクだよな~」とかからかい半分で言われたら、苛っとくる。
自分では簡単な話題の一つとして振ったつもりでも、必要以上に掘り込まれると嫌なことだってあるのだ。
「でも良かった。アヤメさんが、そういうことを理解してくれる人で」
そういうこと? もしかして、見境なく男の子を襲っちゃうって、そういうことですか。
我慢できなくなっちゃったら、俺はいつでも大歓迎ですよとか言うべきだろうか。
「魔族は昔から排他的に扱われることが多い種族ですから、未だに理解してくださらない方々も、少なくないんですよ」
違った。
もっと深刻な話だったらしい。
言われてみれば、そうか、魔族なのか。
インキュバスという単語が衝撃的過ぎてすっかり頭から抜け落ちていたが、彼女はハーフ魔族。
王都に限って言えば、亜人も獣人も人族も魔族もごったがえしているためとくに感じなかったが、人口の少ない街などでは、そういった迫害じみたこともあったのかもしれない。
「プリムヴェールさんは……」
「王都に来てからは、一度も無いですよ。国王様が亜人趣味というのもあってか、異種族間の触れ合いも多いですから」
王都に来る前は、あったのか。
思ったけど、口には出さない。
それにしても、そうか国王様は亜人が好きなのか。
顔もまだ知らないけど、先に変なことを知ってしまったよ。
多分顔合わせすることはないだろうから別に良いけど、さっきの発言で国王様だかに対して変なイメージしか湧かなくなってしまった。
「……どうしました、アヤメさん。お顔が引きつってますよ」
「いえ、別に何でもないです」
まさか王冠をかぶったおじさんが、猫カフェみたいなところでネコ耳美女に囲まれている情景を想像しただなんて、言えない。
◇ ◇ ◇
プリムヴェールは、先述の通りハーフ魔族だ。
魔族とは人族と比較して、体内に漂うオドの純度が格段に高いらしい。
ゆえにハーフ魔族であるプリムヴェールは、純粋な人族以上純粋な魔族未満という、比較的高い純度のオドをもっている。
純度が高ければ高いほど、オドの活性化が行い易い。
活性化が行い易いということは燃費も良く、普通では使用できない高等な魔法を簡単に発動させることができる。
ちなみにこの世界の属性魔法は、火、水、風、土に分けられる。
雷や闇とか光なる魔法は、存在しない。
属性魔法以外の魔法もあるらしいが、大抵のものが秘術や隠術に類されており、世に出回っていないのだとか。
原理はともかくサキュバスやインキュバスが他者の夢に侵入してことを致すのも、一種の魔法なのではないかと言われているのだとか。
ちなみに夢の中での行為では、サキュバスもインキュバスに睨まれた婦女子も、子を宿すことはないらしい。
話が少し逸れたが、そういう理由からプリムヴェールは他の人族と比べて魔法の扱いが上手いらしい。
どうやらオドの活性化とは体力を消耗するらしく、オドの純度が低い種族はすぐにバテてしまい、ろくな魔法が使えない。
ちなみにエルフやハイエルフなんかが、オドの純度が低い種族の代名詞になっている。
意外だ。
ゲームとかだと、エルフやハイエルフはどちらかというと魔法の扱いに長けている種族であることが多い。
だから、エルフが一番多くて次点に魔族、になると思っていたのだが。
「あまり書物には書かれていませんが、大まかな種族で分けると、魔族が一番オドの純度が高いんですよ」
とのことだ。
胸の前で腕を組み、自慢げにしていた。
ちなみにプリムヴェールの得意魔法は、風魔法だ。
原理はよく分からないが、水魔法や火魔法と比べて風魔法は若干オドの燃費が悪いのだとか。
そのため純粋な人族には、風魔法を極めようとする魔術師がほとんどいないらしい。
ハーフ魔族の特権ってやつだと、嬉しそうに語っていた。
ついでに疑問を解消しておこうと思い、魔法を使うことのできない人族はいるかどうか、プリムヴェールに聞いてみた。
「魔法が全く使えない人は少ないけど、いないわけではないですよ」
人族として生まれたのに、エルフなどの先祖返り――とくにハイエルフなどの特徴が露わになってしまうと、オドの活性化を行うのはまず無理らしい。
身体つきもほっそりとしたものになってしまうため、そういった人々は戦いには向いていない。
逆にエルフ系統の先祖返りをした人は大抵容姿が美形になるので、男性も女性も引く手あまたで、貴族や王族関連の人と結婚して幸せに暮らす場合が多い。
もちろん中には独身を貫き、長寿を活かして知識を高めて賢者になったり、賢者とまではいかなくても、王宮直属の家庭教師として活躍したりと、様々な人生が待っているらしい。
そういった意味では、プリムヴェールは容姿と魔力両方を持ち合わせているな、と思う。
溢れんばかりの美貌に、人族を凌駕する純度のオドだ。
どちらも不足している俺からすれば、これ以上無いほどに恵まれているようにも見えるのだが――、どうやらそうでもないらしい。
数代前の時代では、魔族や魔族とのハーフは悪しき者として排斥されていた。
だが今から五代前の王が、異趣族との交友を推進し始めた。
当時次期国王になると噂されていた皇子が大きくそれに貢献し、彼が国王となった頃から、種族を理由に排斥するという行為が徐々に減っていった。
そして時は流れ、先代国王の時代。
先代王が少年時代、狩りをするために入った森で出会った魔族の少女に、恋をしたらしい。
それが切っ掛けとなり、先代王は完全な亜人、魔族の平等化を推進。
そして現在、先代王の意趣を汲んだ現在の王は、先代の考えを引き継いで時代を担っている。
ちなみに先ほどの通り熱心な亜人趣味で、身の回りを世話する家臣は亜人が多いのだとか。
「母が婚姻したのは先代王の時代でしたから、辛い現実を見ることはありませんでしたけど」
色々な話を聞きながら通りを歩いていると、緑豊かな広場に辿り着いた。
魔族や獣人や人族の少年少女たちが混ざり合い、サッカーのような遊びをしている。
異世界に来て間もない俺には実感が湧かないが、このような光景こそが、昔年から求められていた平等かつ平和な世界なのだろう。
「楽しそうですね」
「アヤメさんも、蹴り球、好きなんですか?」
「いや、俺はああいう身体を動かすものは、ちょっと……」
ソフトボールをすればエラーに三振。体育のサッカーではディフェンスと称して、キーパーの目の前に突っ立っていた。
バレーボールではこぼれ球を女子に掬われ、バスケでは一度もボールに触っていない。
あれ、思い返すと涙が出そう。
「土魔法でボールを作れば、二人でもできますよ」
「え、遠慮しておきます」
見たところ、男女問わず仲間に入れてもらっているようだ。
女の子も遠慮なく脚を振り上げているし、讃え合って抱きしめ合っていたりする。
年齢もあるだろうが、意外とこの世界では種族だけでなく異性間の関係も良好なのかもしれない。
単に俺が浮いていただけかもしれないけどな。
見れば武装した兵士さんも数人、広場を歩いていた。
ちょうどお昼過ぎだし、日向ぼっこにでも来たのだろう。
どうせ休憩するなら鎧を外せばいいのに、そうもいかないのだろうか。
兵士さんたちは蹴り球をしている少年少女に近寄り、何か声をかけていた。
一緒に入れてくれとか言っていたら、軽く笑える。
あんなに武装してやるものなのか? 蹴り球。
シュールな光景に思わず笑みをこぼしていると、不意にちょんちょんと肩を突っつかれた。
「アヤメさん、何だか、兵士さんたちの様子がおかしいのですけど」
彼女の言葉が終わるより先に、少年少女たちはボールを持って一目散に広場から出て行った。
その表情に、ふざけや笑顔の類は見られない。
不穏な空気が流れる。
いやに武装した兵士と、逃げるよう指示された少年たち。
「どうかなさったのですか?」
「……ああ、司書さん。あなた方も、早くここから退避してください」
プリムヴェールの問いかけに、鎧を着こんだ兵士は焦燥に駆られた口調で淡々と告げる。
周囲には緊張が走っており、空気がピリピリしている。
「先日王宮側の兵士訓練場に、悪魔が出現したのは知っていますね?」
「……ええ、話だけは。悪魔に関する書物をお探しになられている兵士様も多くおられましたから」
プリムヴェールはチラリと俺の顔を見た。
残念だが、俺は知らない。
多分俺がまだ高原を歩いている時、もしくはこの世界に迷い込むより前のことなのだろう。
「あのときは幸い出現場所が訓練場だったため、一般市民に被害は出なかったのですが……」
「また、出現したのですか?」
「……いえ、正直言うと数が多すぎまして。何体か逃げられましてね」
プリムヴェールがもう一度俺の方を見た。
何だろう、少し寂しそうな顔をしているようにも見えるけど。
「アヤメさん、ここは危険です。安全な場所へ速やかに逃げて下さい」
「え、ああ。分かった」
そうこうしている間にも、武装した兵士たちが広場に集まっていた。
ざっと数十人はいるだろう。
ここにいる兵士たちが全員戦闘訓練を受けているのだとすれば、一般人の介入は邪魔になるだけだ。
撤退命令が出ているのなら、すぐにでも逃げなければ。
「では、プリムヴェールさんも」
「わたしはここに残ります」
差し伸べた手を一瞥して、プリムヴェールは真紅の双眸を揺らめかせた。
その理知的な瞳には、覚悟のようなものが宿っていた。
不穏な空気がビシビシと素肌に突き刺さる。
「わたしは半分魔族です。魔法には自信がありますから」
そう言うと、プリムヴェールは踵を返し、兵士たちのもとへと歩み寄っていく。
彼女を止めようと、遠ざかる背中へ手を伸ばす。
たった二日間の付き合いだけど、俺は彼女を手放したくない。
ここで逃げたら、もう二度と会えなくなる、そんな気がするのだ。
「――プ」
駆け出そうとして足を踏み出した刹那、突如地面に影が差した。
燦々と輝いていた太陽は漆黒の体躯に隠匿され、黒い集団によって青空が真っ黒に染まった。
悪魔の集団が、広場の空をびっしりと隙間なく埋め尽くしていた。




