6-9.仲の良い夫婦
「粗茶ですが、どうぞ」
「は、はい! い、いただきます!」
芳醇な香り漂う麦色のお茶を差し出され、カップに口を付ける。
果物のような甘ったるい香りがするが、なんていうお茶だろう。
「お口に合いますかしら?」
「はい、えーと、物凄く芳醇で、良い香りでその、美味しいです!」
「ふふ、良かったわ」
カップに口を付けたまま、俺は心の中で溜息を吐く。
心臓がバックンバックンいってる。
何かもう申し訳なさと不甲斐なさと照れくささと恐ろしさで、さっきから胃の中身がごちゃごちゃ泡を吹いている。
さっきまで感じていた甘い香りも薄れ、味なんて分からなくなってきた。
ああ、どうしよう。どうしよう。
こんなところで、プリムヴェールのお母さんと出会うなんて思わなかった。
ちなみに今俺の置かれている状況は、プリムヴェールの実家に案内され、お茶を出されているところだ。
もう自分でも何を言っているのか分からないけど、ともかく。
プリムヴェールは俺のことを、実家の両親に伝えていたらしい。
勿論、俺とどういった関係なのかも包み隠さずだ。
プリムヴェールが遠出をしたという話は聞いていないので、多分手紙か何かだろうとは思うが。
こんなことなら、もう少し上質なローブを着て来れば良かった。
髪もちゃんと梳かして、顔も洗って。
ヤバい、昨日顔もろくすっぽ洗わずにここまで来てしまった。
ああ、誰かおしぼりと櫛を貸してください。
あと誰か時間止めてください。
でもその前に心臓が止まりそうです。
「ふふ、そんなに美味しいかしら?」
「ふ、ふへ?」
「さっきからずっと、ゆっくり味わっているみたいだから」
気が付けば、ずっとカップを口に付けたままだった。
「あ、いえその――あ、熱っ!」
「あら、大丈夫かしら?」
慌てたせいか熱いお茶が口の中に流れ込み、舌を火傷する。
治癒魔法をかけようと口を開けて舌を出すと、プリムヴェールの母親――プリマベーラに舌を摘ままれた。
温かい指先に舌先を撫でられ、全身を電流が駆け抜ける。
柔らかい指の腹で火傷した場所をなぞられ、痛みが消失する。
舌の痛みは消え去ったが、胸の痛みが再発した。
比喩ではなく、本当に鼓動が痛い。
緊張のせいか、胃の方まで痛くなってきた。
「うひゃー、うんまいのぉ! 果物を使った茶など、魔大陸では滅多に飲めんからの!」
ラスティはそんな空気を全く気にせず、足を投げ出して楽な格好をとっている。
今はこの胆力が羨ましい。
いや、単に自分と関係無いからか。
俺にとって、茶髪の女性プリマベーラは恋人の母親だ。
しかもその恋人――プリムヴェールとは、色々とよからぬこともしてしまった仲だ。
僕たちはプラトニックな関係です! とか、間違ってもそんなこと言えない。
あの天使のようなプリムヴェールを女にしたのは俺です。
どうか許してください。
「プリムヴェールから、アヤメさんの話は聞いてるわ」
「そ、そうですか」
「月に一度の頻度で、手紙を送ってくれるの。
最近は司書の仕事が忙しいから、実家に戻れなくてごめんなさいって言ってたかしら」
プリムヴェールの仕事場は、五日から十日に二日程度の頻度で休日があるはずだ。
基本的にローテーションで周るので、休暇が重ならなければある程度の自由は効くと言っていた。
だが最近のプリムヴェールの休暇は、二人でデートしたりいちゃついたりする時間で消費してしまっている。
実家に帰るための休日も、全て俺のために使ってくれているのだ。
「その、プリムヴェールは、俺――僕のことを、なんて」
僕か私で迷ったが、あまり堅苦しくなっても良くないだろうと思ったので、前者にした。
「とっても優しくて、とっても格好良くて、とーっても頼りになる賢者様だって、手紙に書いてあったわ」
プリムヴェールの言葉で頭の中に浮かび、思わず顔が熱くなる。
悪く言われてなくて良かったけど、少し過大評価し過ぎだよ。
俺は言うほど優しくないし、格好良くもない。
頼りにされてるってのは、嬉しいことだけど。
「あの娘は『賢者』って職業に憧れてたから、アヤメさんのこと、すごーく尊敬してるんだと思うわ」
「さ、さいですか」
そういえば、プリムヴェールは賢者志望だったな。
それも、魔法の賢者だ。
ユグドラシルだかに選ばれないとなることが出来ない、特殊な職業。
努力どころか、才能さえ意味を為さない残酷なものだ。
魔導書の存在を知らずに一生を捧げる人間も、少なくないのではなかろうか。
「緊張してる?」
「え、えっと……。はい」
「ほぐしてあげる。ほら、ギューッ」
抱き締められた。ギューッと。
起伏に富んだ体躯に包み込まれ、思わず息が荒くなる。
いやしかし、待て。
これは流石におかしい。
「だ、ダメですよ。流石にこんなこと。旦那さんだっているのに……」
なんかすっげー昼ドラ展開なセリフだなと思いつつ、プリマベーラから離れる。
こんなとこプリムヴェールの父親に見られたら、大変なことになってしまう。
いや、見られる見られないの話でもないか。
それに。
「僕が本当に、プリムヴェールの恋人のカザミ・アヤメかどうかも分かってないのに」
写真も、証明するものもない。
同姓同名――もしくは俺の名を騙った別人かもしれないのだ。
簡単に信じて、こんな腰の辺りに熱を帯びてしまうような行為をしてくれるなんて。
あ、でもやっぱりもう少し抱きしめてもらえば良かったかな。
俺がそう言うと、プリマベーラはきょとんとした顔でこっちを見ていた。
やがてクスッと笑い声を漏らすと、嬉しそうに口元を緩めた。
「そんな、こんなおばちゃんに抱きしめられたって、若い子は嬉しくもなんともないでしょ? それに大丈夫よ。これでもわたし、嘘をついてる人とか、表情や仕草で分かるんだから」
こんなおばちゃんって……。
どう見ても二十代前半――いや、流石にそれは言い過ぎか。
それでも二十代後半にしか見えない。
実際の年齢がいくつなのかは知らないが、かなりの若作りだ。
美魔女とかそういうんじゃなくて、普通に若く見える。
プリムヴェールと並べば、姉妹だと言っても通用しそうだ。
とここまで考えたところで、妄想世界のプリムヴェールにほっぺたをつねられた。
プリムヴェールさんじゅうななさい。
流石に母親と姉妹なんて言われたら怒りますよね。
「待っててね。もう少しで旦那――シエボルディも戻ってくると思いますから」
「お、お義父様が!?」
思わず口から出た言葉に、プリマベーラはきょとんとした顔でこちらを見てから、幸せそうにニヤけてみせた。
はい、焦りすぎました。
なんかもお、どおしようもないくらい恥ずかしい発言でしたわ、今の。
「そうね、将来的には、わたしもアヤメさんのお義母さんになるのかしら」
「プリムヴェールさんさえ良ければ、僕は……」
結婚を前提にお付き合いしていますなんて、偉そうなことは言えない。
現に今だって、ティオとプリムヴェール二人――どちらも同じくらい大切に接している。
俺から見ればそれでも良いだろうけど、プリムヴェールの親からしてみれば優柔不断で不真面目な話だと思うだろう。
この世界では一夫多妻やその逆もありうるらしいが、流石に自分の娘が二人目などにされては、良い気分はしないだろう。
「話に聞いてた通り、利発そうで素敵な方だと思いますよ。プリムヴェールがあなたを好きになったのも、良く分かります」
「勿体ないお言葉です」
リップサービスだということは重々理解している。
だがやはり、本心をいえば嬉しいのだ。
最愛の恋人の母親から認められる。
悪く思われていないというだけでも、胸のつかえはとれるものだ。
張りつめていた空気が、ようやく緩和したような気がする。
元々緊張してたのは俺だけなので、空気がガラッと変わるわけではないが。
「それにしても遅いわねえ……。まーたどこかで、若い女の子でも口説いてんのかしら」
拗ねたような顔で、プリマベーラは唇を尖らせる。
主語は抜けているが、大体想像はつく。
大方、インキュバスであるシエボルディだかが、中々帰ってこないことを心配しているのだろう。
「ごめんねぇ。うちの人、すーぐ女の子に色目使うから」
「インキュバスじゃからな。そうでもせんと、プリマベーラ殿の性生活も大変じゃ――――あ、痛ぁ! なにするんじゃ、にぃ様よ!」
何するんだはこっちのセリフだ。
ものすごい爆弾発言に、思わずラスティの太ももを摘まんでしまう。
確かに口より先に手が出たのは悪かったと思うけど、でもこの状況。少しくらい空気を読んで欲しかった。
「でもまあ、そうなのよねぇ。若い頃は毎日ドキドキの連続だったけど、歳をとるに連れて相手するのが疲れてきちゃって」
「まあそんなもんじゃよ。妾も若い頃は、サザンと身体を重ねる毎日が何よりも――――」
俺を押しのけ、ラスティはプリマベーラと昔の話に花を咲かせ始めた。
最初こそ「あなたはまだ若いんだから」と言っていたプリマベーラも、ラスティの実年齢を知ってからは興味津々といった様子で聞き手に回った。
倦怠期の乗り越え方だとか、どうしても相手をしたくない日に、旦那を満足させるにはどうしたら良いのかとか。
何か俺は、いないものとして扱われているらしい。
はっきり言おう。すっげー居心地悪い。
「まぁ、唾液をそんな風に?」
「あとは背中とかじゃの。サザンはそれで喜んでくれたんじゃが――、これは単なる性癖かもしれんの」
聞きたくない事実がじわじわと脳内を浸蝕していく。
ああ、シエボルディさん。早く帰ってきてください。
お宅の奥さんが大変なことになってますよ。
そんなことを思いつつカップに口を付けていると、ガチャリと閂が外される音がした。
和気藹々といった様子で、談笑する男女の声が聞こえる。
ああ、ようやく帰ってきたのだろうか。
だが誰か女性を連れているようだ。
修羅場――ってか、目の前で夫婦喧嘩とか繰り広げなければ良いのだが。
「ただいま、遅くなった。いつもすまないな」
「あら、お帰りなさい。今ねえ、プリムヴェールの彼氏さんがお見えになってるのよ」
玄関と客室を分けるのれんを上げて、プリムヴェールの父親――シエボルディが帰ってきた。
透き通るような美しい銀髪に、燃え盛るような真っ赤な瞳。
肩までかかるほどの長髪だが、凛々しい面差しにその髪型は良く映える。
一言で表すなら、綺麗な男性だ。
麗人――そんな言葉がピタリと当てはまるような、そんな男性。
そして言うまでもなく、びっくりするほどイケメンだった。
肌は色白で、切れ長の双眸をこちらへ向ける。
じっと見つめるような視線に、思わず背筋が伸ばされる。
座っているのも失礼だろうと、立ち上がって深々と腰を折る。
えっと、何て言えば良いんだっけ。
娘さんを僕にください――は、まだ早いし。
娘さんとよろしくやってますなんて言ったらぶっ飛ばされるだろうし。
頭の中が再度真っ白に塗り潰された。
「プリムの彼氏――。ああ、賢者様か。
プリムの手紙で、話は聞いているよ。
優しくて何にでも一生懸命で、とても頼りになるお方だと言っていた。
確かえーと、カザマ――そうだ、カザマ・アヤノくんだ」
すっごく聞き心地の良いハスキーボイスで、盛大に名前を間違えられた。
名前を間違えるなんて、罰金バッキンガムよ!
いや、違いますよ。
苗字も一文字違うし、なんか気が抜けてしまった。
「カザミ・アヤメです。娘さん――プリムヴェールとはその、えーと」
「あれ? 何でアヤメくんがこんなとこにいるの?」
聞き覚えのある声に、思わず顔を上げる。
シエボルディの背後から、ひょっこりと顔を出した金髪美少女。
お人形さんのような容姿をした美少女が、玄関からこちらを眺めていた。
リュウナ・アルデバランがそこにいた。
「うん? リュウナさんは、アヤノくんとお知り合いなのか」
「あら、リュウナさんって、あなたの新しい彼女さんかしら?」
リュウナを見やるシエボルディと、そのシエボルディを見やりながら小首を傾げるプリマベーラ。
まてまて、状況を整理しよう。
俺の恋人の父親の浮気相手が、リュウナ――いや、分かりにくいな。
プリマベーラの旦那の浮気相手が、娘の恋人と顔見知りだった。
どんな関係だよ、これ。
「くっくゥ。面白くなってきたのぉ」
「面白いって思ってるのラスティさんだけですよ!」
一体全体、何がどうすればこんなややこしい状況に巻き込まれるんだ。
「待ってくれ、プリマベーラ。リュウナさんは、浮気相手だとか遊び相手だとか、そういう関係じゃない」
「あら、そうなの。じゃあ、新しい奥さんかしら?」
プリマベーラが挑発的な軽口を叩くと、シエボルディがむっとした顔で詰め寄った。
肩に手を置いて、プリマベーラの顎をくいと撫でつける。
「私が君以外の女性に、心を許したことがあるか?
種族柄身体を許してしまったことは幾度となくある。
それは認めよう。プリマベーラには、いつも悪いことをしていると思ってる。
だけど、今の言葉は聞き捨てならないな」
「……ごめんなさい。でも、わたしは別にそういうつもりは」
「そんな悪いことを言うお口は、この私が塞いであげなきゃいけないな」
「や、……ダメ。皆さんが見てる前でそんな――――ん」
プリマベーラの唇が、シエボルディの唇によって塞がれる。
顔を傾け、深く長く――愛し合うための接吻を重ねる。
二人だけの世界が、そこには存在しているのだ。
突如始まった夫婦の愛情表現に、リュウナの目が点になっていた。
ラスティはニマニマ口元を緩めながら、楽しそうに二人の愛を眺めていた。
「……なんだこれ」
俺はもう、そう呟くのだけで精一杯だった。
◇ ◇ ◇
リュウナとシエボルディの出会いについては、今から二十分程前まで遡る。
俺たちと別れたリュウナは、一先ず村長――もしくは長老の住む民家まで足を運んだ。
龍族であることや、首から下げたお祈り用の装飾品を駆使して、どうにかこうにか信頼を得たリュウナ。
どこかお部屋が余っている家があったら、一晩だけ貸してほしいと頼み込んだのだ。
勿論迷惑をかけるつもりはないし、食事は携帯食料(燻製肉などの保存食)を持ち運んでいるので、食事の心配はない。
早朝出来るだけ早くに出発するから、朝方の忙しい時間帯の邪魔になるようなこともしない。
ですから誰か泊めてくれないかと、村長に頼み込んだらしい。
頭を下げるのではなく、胸元をピラピラさせながら懇願していたというのがリュウナっぽいが。
「良いから、もう胸元を引っ張るのはやめとくれ。
若い女子が、そういうことをするもんじゃない」
「私だってこんなことしたくありません。
でも、こうでもしないと、寝る所が無くて困ってる二人に悪くって……」
とはいえリュウナが色仕掛け紛いのことをしたのは、基本的には二人のためである。
決して自身の身体を、安く見積もっているだとかそういうわけではない。
村長も、出来る限りリュウナの力になりたかった。
だがやはり、ラスティの存在がネックだったらしい。
何人か候補は見つけたのだが、どの家も魔族を一晩泊めるということに関して、首を縦には振らなかった。
この村でも、魔族を嫌悪する人間は多いのだとか。
「この村には、魔族の方は住んでいないんですか?」
「いや、何軒かはあるがね。
若い夫婦の家だったり、小さな子供のいる家だったり――、余所者を三人も泊められるような家族では無いんだなあ」
しかもこの村は、魔竜を繋いでおく場所を探すのに一苦労するくらい、土地が狭い。
俺の魔法を使って家を建てるという案も浮かんだらしいが、家を建てるスペースが存在しないということで、すぐに没案となった。
意外と融通の利かない話である。
「その魔族さんたちのお宅に、頼み込むことは出来ません?」
「まあ、試しに頼む程度なら構わないが――」
などと押し問答をしている時に、丁度村長の自宅に参ったのが、他でもないシエボルディだったのだとか。
シエボルディはそれまでの話を聞き、一晩だけならと了承してくれてのだとか。
どうやら声と容姿だけでなく、性格もイケメンらしい。
ただ自分一人では決められない。
妻に許可をとりたいから、まずは一緒に来てほしいと、そう言われたのだとか。
そして二人並んで自宅へ戻り――さっきの状況に至る。
「……お見苦しいところをお見せしました。改めて、家主のシエボルディと申します」
「では改めて、リュウナ・アルデバランです」
「ラスティ・ネイルじゃ」
「カザミ・アヤメです。娘さん――プリムヴェールとは、一年ほど前からお付き合いさせていただいております」
何だか俺だけ結婚の挨拶みたいだなと思いつつも、一応言っておきたいことは先に申しておく。
ちなみに、今この場所にプリマベーラはいない。
シエボルディと熱い接吻を交わした後で、顔を真っ赤にしながら台所へと逃げ帰ってしまったのだ。
まああれが普通の反応だろう。
どういうわけか、シエボルディ本人はそのことをとくに気にしていないようだが。
ラスティは何やら鼻をひくつかせ、納得したような顔で頷いていた。
大方さっき嗅いだ匂いが、この人のものだと嗅ぎ分けたのだろう。
分かってしまった自分が何か凄く嫌だ。
「プリムは、この村に来ているのだろうか」
「いえ、この村に来たのは、僕たちだけです」
「そうか……。プリムは来ていない。ふむ」
訝しげな視線を向けられた。
確かに。彼女を置いて、しかも二人も別の女性を連れて飛び回ってるとか、もはや危険な臭いしかしない。
自分の娘は遊び好きな自称賢者に騙されているのではないか。
そう思われてしまうかもしれない。
出会うタイミングが少し悪かったな。
「プリムは、元気にしているだろうか?」
これは言葉通り、風邪や病気を患っていないだろうかとか、そういう意味ではないだろう。
近況を伝えろとか、そういう意味で言っているはずだ。
文字通り、「元気にしてますよ」なんて返したら、変な顔をされるに違いない。
「私も早く、孫の顔が見たいからな……」
「はい?」
言葉を組み立て終えるより先に、シエボルディはしみじみとそんなことを呟いた。
元気にしているか。
孫の顔が見たい。
この場所にいないプリムヴェール。
ちょっと待てよ。
まさかこれって……。
ふと視線を揺らすと、ラスティが変な顔をしていた。
その隣で、うんうんと頷いてみせるリュウナ。
その顔が同時にこちらを向き、生温かい視線を向けられる。
「プリムももうすぐ、お母さんになるんだなぁ……」
「ち、ちちち、違います!」
思わず立ち上がってしまい、座ったままの三人から視線の集中砲火を受ける。
立ち上がったは良いが、言葉なんて思いつかない。
威勢よく直立した俺は、そのまま情けなくも腰を下ろしてしまう。
ヤベえ、やっちまった。という思いがぐるぐると巡る。
至って健康体なプリムヴェールを置いて、女の子二人とこんな田舎の村まで赴く行為。
どこからどう見ても、これは良くない。
非常によろしくない。
焦燥のあまり俯き汗をだらだら垂らしていると、ポンと優しげな手が肩に乗せられた。
細くて長い、色白な指。シエボルディの手だ。
「え、えと、その……」
「大丈夫。プリマベーラには内緒にしておこう。
君はまだ若い。
インキュバスである私ほどでは無いだろうが、色々な経験をするのは良いことだと思う。
……最後にはちゃんと、プリムを幸せにしてくれるんだろう?」
緊張のあまり喉が砂漠化をおこし、声が出ない。
とりあえずすごい勢いで首肯して、意思表示をする。
「そこらじゅうに種を撒かれては私も良い気分はしないが、唾を付ける程度ならまあ許そう。君も男の子だからね」
「……その、何とお詫びをしてよいやら」
「構わないさ。私だってプリマベーラと出会うまで、何人の女性の夢に忍び込んだことか……。最終的に、キチンと愛してくれればそれで良いんだよ」
真紅の瞳を片方瞑り、得意げな顔でそんなことを言われた。
気を使ってくれたのだろうか。
それとも、本当にこれが彼の恋愛観なのだろうか。
「シエボルディさん……」
「アヤノくんにお義父さんと呼ばれる時を、楽しみにしているからね」
「アヤメです、僕の名前はアヤノじゃなくてアヤメです!」
「そうだったか。アヤメ、アヤメ……。よし、カザマ・アヤメくんだな。よし、覚えた」
「カザミ・アヤメです! それで覚えないでください!」
「うん、カザミくんだね。カザミ、カザミ……。カザミ・アヤノくん。よし、今度こそ覚えたよ」
余裕ありま温泉ボン桜!?
何か最後までおちょくられたような気がするが。
ともかく、悪く思われたわけでは無さそうだったので、一安心といっておくべきか。
「君は本当に、若い頃の私にそっくりだ。良い意味でも、勿論悪い意味でもね」
最後にそれだけ言うと、シエボルディは嬉しそうに奥の部屋へと姿を消した。
数秒後。プリマベーラの嬌声と、何かを引っ叩くような音が聞こえた。
仲の良いご夫婦ですこと。




