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(2)彼と彼女の丑三つ時


 生まれてきた人間は、いつどうやって自分が人間って生き物であることを自覚すんのか。俺がそれをいつどうやって自覚したのか何てことは、てんで分かんねーんだけど、自分の住んでる場所がゴミ溜めのように汚ったねぇ家だってのは、物心ついたときから理解してるつもりだった。

 俺の家のなかには、母親が近所のゴミ捨て場から拾ってきた扉のない電子レンジだとか、死体でも入ってんじゃねーかって疑いたくなるほど泥まみれの冷蔵庫だとか、前の持ち主の怨念がこびり付いてるようなタンスだとか、そういった家電とか家具とかが天井近くまで積み上がってて、ちょっとした迷路みたいになってんだ。

 さすがに迷うってことはねぇんだけど、便所に行くときとかに迷路の何処かしらに体の部位が当たりでもしたら、たちまち崩壊してしまうような粗い造りだからさ、どんな緊急時でも慎重に進まねぇといけないってのが難点なんだ。だから便所行くのも命がけだったりする。

 迷路っつーと何だか楽しそうなイメージをするかもしんねぇけど、実際のところ足の踏み場もない、とまでは言わねーけどさ、ある足の踏み場つってもどこを通ればいいのか分からない獣道のようにせせこましいとこを歩かなきゃいけねぇから、さしずめ樹海の深奥部を彷徨っているって感じなんだな。

 んで、俺の家では取り出してきた物を元の場所に戻さないってのは当たり前で、そもそも家中がゴミ溜まりだったからゴミ箱ってもんもない。使ったティッシュとか食べ終えた菓子の包装とかペットボトルとかは、そのままポイって捨てるわけだ。だもんで、小学校に入学するまで俺はゴミ箱という存在を知らなくて、鼻をかんだティッシュを教室中にポイポイ捨てて担任のユミコ先生に大目玉を食らったっていう笑ける話もあったりすんだ。

 ああ、ユミコ先生懐かしいな。家庭訪問で俺んち来たときは、大きな目をバチバチ瞬いて、相当面食らった感じだったなぁ。結局家のなかには一歩も入らなくて、玄関先で母親と一言二言話しただけだったしな、ははは。

 っと。ユミコ先生の話はどうでもいいや。

 俺んちはそんなだからさ、飯食った後の食器とかも当然洗わずに放置。また使うときになったらさっと水に通して使うって感じ。洗濯した衣類もびちゃびちゃのまま洗濯籠に入れっぱで、どんなに快晴の日でも外に干すなんてことは、たぶん俺が生まれきてから一度もなかったと思う。

 ってなわけで、ここまで言えばどんな馬鹿でも分かると思うんだけど、馬鹿がいるかもしれねぇから、もう一度言っておくとする。

 俺の家はゴミ溜めのように汚ったねぇ家で、そこに住んでるヤツらもゴミみてぇなヤツらってこと。もちろん、俺を含めてな。

 俺の家がこうなっちまったのは、その場限りの収集癖を持った母親が原因なんだけど、その母親を止めようともしなかった親父にも十分責任があると俺は思うね。そして、そんな二人の間を取り持つことを早々に放棄した俺自身にも、たぶん責任ってやつがあると思うんだ。

 つっても俺は、今更になって家族円満のために何か行動を起こそうなんて、ちっとも思わねぇけどな。

 子どもは親を選べないとかいうじゃん? ま、親も子どもを選べないからどっこいどっこいなんだけど、この話しはどうでもいいや。

 その家に生まれてちまった以上、子どもはそれを受け入れるしかねぇんだよな。不平不満があるなら縁を切ってさっさと家を出ちまえばいいんだし。

 俺? 俺はこの家に生まれたことに不満なんてないぜ。俺は風体がこんなだから、近寄っただけですげぇ嫌な顔するヤツとかいるけどさ、他人がどんだけ不快な表情をしようと悪口を言ってようと、俺にとってはこれが『普通』なんだよ。文句があるのは仕方ねぇとは思うけど、だからってそいつらのために俺が生活の様態を変える必要があるか? もちろん、あるわけねぇよ。それでも何か言ってくるヤツがいるなら俺はこう言い返すね。


「人目を気にして見てくれを取り繕ってるお前らの方がよっぽど見苦しいよ」


 あいつらにとって異常でも、俺にとってはこれが普通なんだよ。反対にあいつらにとって普通なことが、俺にとっては奇怪なわけだ。

 人の価値観なんてそんなもんだろ? 絶対に面白いと薦められたマンガを読んで、それが糞みてぇな内容だったときだってあんだろ? 俺が他人と違うのは、そのときに感じたことを包み隠さずそのまま言っちまうってとこなんだよ。

 つっても俺は友達なんていたことねぇから実際のところは分からねぇけど、俺ならたぶん、借りたマンガを突き返しながらこう言うんだ。


「こんな反吐みてぇなもんを読んで感動できるお前の感性はいい感じに腐ってるよ」


 そう平然と言って適当に開いたページに噛み慣らしたチューイングガムを吐き捨ててやるね。これを栞の代わりにしろよ、って万遍の笑顔で言ってやるね。

 まぁーあれだ。

 俺が周囲から白い目で見られちまうのは、見た目のこともあるんだろうけど、それよりもこの性格の方が問題なんだってことくらい、俺も一応は分かってるつもりだぜ?


               ◇ 


 教育機関という閉鎖的な空間のさらに局所的な教室という密室で行われているイジメという諸問題が問い質されるようになったのは、ここ十年ほど前からではないかと私は思います。

 無論、それ以前から同様の行為はあったのでしょうけれど、過去のそれと現在のこれとでは、その粘質度が爬虫類と両生類くらい異なるのです。

 過去のそれは、主として肉体の損壊のみに着眼点が置かれ、加害者は被害者の損傷した肉体を視覚的に取り入れることで、また、暴力を振るうことで快感を得ていました。それに対して現在のこれは、被害者の肉体を傷つけることよりも精神を破壊させることを重視します。その方がより多くの快楽を味わうことができるからです。


『皮膚を裂くより心を裂け!

痣よりも鮮やかな恐怖を植え付けろ!』


 どうでしょう。加害者たちの血気盛んなシュプレヒコールが聞こえてきませんか?

 豪快に獲物を貪り食う蛇から、しれっとした顔で虫を食らう蛙へと形態を変じた彼らは、陰湿な標語を掲げて今日も獲物を探して校舎を徘徊しています。

 肉体から精神へ、視覚から死角へ、アナログからデジタルへと移行するかのように時代とともに狙いを変えた彼らでしたが、そこに思わぬ誤算がありました。

 それは、肉体に比べて精神はとてもとても脆弱であったことです。

 拳で殴られただけでは決して折れなかった少年の心は、クラス中の生徒から一日無視されただけで、それはもうアッサリと折れて、砕けて、飛び散りました。

 バレーボールが大好きだった少女は、どんなに激しい練習にも耐えることができましたが、部活の帰りにたまたま自分の悪口を聞いてしまったその夜に、自身の手首に傷を付け、掻き毟り、引き千切りました。

 そのため、より陰部へと潜行するはずであったイジメは、瞬く間に社会に認知され、空前絶後の気象現象のように騒がれるようになりました。内気な子を持つ親が喚き、教育委員会の議題に上がり、教職者たちは目を光らせました。

 そのように注目を浴びたことで、諸行為が減少したのかと街頭インタビューで問われれば、私は声高になって「分かりませんっ!」と答えるのでしょう。

 だってテレビのニュースだけでは、本当にそれが全国的に起きていたのか分からないじゃないですか。

 私が認知していない地方の学校では、もしかしたらイジメという単語すら知らない生徒たちが、日々、和気藹々と勉学や運動に励んでいるのかもしれないじゃないですか。問題視され始めた十年ほど前から怒涛の如く日本国中から消失していき、現在では我が校のみに残存する超貴重現象になっているかもしれないじゃないですか。それ故に、政府が特別な措置を施してこの現象を保護しようという取り決めが秘密裏になされているのかもしれないじゃないですか。それなら私はその超貴重現象の中枢にいる超貴重な存在ということになるじゃないですか。

 論点が少しずつ逸れていきましたね。

 この辺りで、私のイジメ観についてまとめておきましょうか。

 朝学校に来てあるべきはずの机がなかったり、お花を摘みに行っている合間に筆入れのなかにあるお気に入りの薄桃のシャペーペンが真っ二つに折られ、マリーゴールドの香りがする消しゴムがカッターナイフによってズタズタに切り裂かれていたり、買ってもらったばかりの靴が裏庭のドブ池から発見されたり、机のなかに使用済みの避妊具や生理用品が敷き詰められていたり、体操服が男子トイレに捨て去られていたり、目を覆いたくなるような罵詈雑言が書き連ねられたお手紙を頂戴したりしてしまうイジメという現象は、もしかしたら、この広い世界中で私のみに訪れている貴重な現象なのかもしれないと、私は思っていたりするのです。

 そう思えば楽になるじゃないですか?

 だって私は、世界にただ一例しかないこの天然記念物めいた現象を体感していることになるのですよ。それは、とても貴重な体験と言えませんか?

 はい、そうですね。言えませんよね。

 何にせよ、です。

 私はイジメという現象に対して前述したような歪曲した考えを持っていないと、いまにも雑居ビルの屋上から飛び降りるなり、特急電車と相撲を取るなり、ロープに首を括り「ブランコっ!」という一発芸を披露するなり、出刃包丁で手首の奥深くにまで切り込みをいれなければならなくなってしまう衝動に駆られてしまうのです。この生害衝動は、日に日に私の全身を打ち据えるようにして蓄積されているようです。今だって私の身体は、弾け飛ぼうとしてぶるぶると小刻みに振動しています。

 いつ何時、そのような衝動に襲われても可笑しくない私は、この歪んだ観念のみで生死の平衡を保っているわけではありません。私にはもう一つ、重要な拠り所があります。

 それが、彼です。




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