番外編その1「元会長さんの小話」
もう少し後に挟んだ方がいい気がする
意外だった。彼女が私のことを許してくれたなんて。中等部にいる間は、いつも私のわがままで彼女に迷惑をかけていた。彼女を見つけては説教する。そんな嫌な人だった。例えば、名目だけになっているような「携帯電話の持ち込み禁止」とか「屋上の使用禁止」といったものばかりだ。
思い出せば情けないことだとは思う。何でこんなことをしていたのかといえば、自分から挑んだ勝負の結果に納得できなかったからだ。出来るはずもないとたかをくくっていた。それに「勉強は出来てもスポーツなんて出来はしないだろう」と思い込んでいた。
そんな計算のもと、私は彼女に「どんな競技でもいいから県大会にでてみなさい。もし、出来たなら何でも言うことを聞く」という馬鹿みたいなことを言い出した。今一度、冷静になって考えると恥ずかしい。その挙句の果て、いざ彼女が事を成すと些細なことで校則違反だのなんだのを言うようになっていた。
…いや、自分のことだ。取り繕うのはやめよう。
私は東鴻中等部の入試試験で彼女に負けた。そのことを知ったのは入学して数日後。
知るにいたった原因は、教員が「入試試験で全教科満点で入学した人間がいる」と話しているのを耳にしたからだ。私は自分のことだとばかり思っていた。その程度には実力も自信もあった。いくら難問だと呼ばれていても、中学入試の問題なんて解けないわけがないと驕っていた。
その当時の私は「絵にかいたように秀才面して増長した嫌な奴」だった。
でも、その満点入学者は私ではないと気が付くのは、職員室の前を歩いていた時に聞いた言葉だった。
「まさか、全教科満点の生徒が2人もいるとはな」
「それには私も驚きましたね」
「しかも、片方は文字通りの全問正解ときた。大学入試用の問題も難なく回答してた」
「私は本当にどうでもいいことを答えにしてみたんですが、駄目でした」
「何を答えに?」
「この問題冊子の中に出てきた「あ」という文字の数」
「それは、問題にしていいの…か?」
「各教師の判断の元、自由して構わない。いわばおまけみたいなものらしいですし。この問題は採点対象にはない旨が問題冊子にも書かれています。単純に早く終わった生徒の暇つぶしや、教師が出来を見て楽しむためにあるものですから、いいんじゃないでしょうか?」
「うむ。そうだな。それでその答えはいくつになるんだ?」
「ルビや隠し「あ」を含めて57個です」
「暇だったんだな。その生徒も」
「みたいですね」
その難問・奇問を全て正答をだされたことが悔しいのか、来年からはもっと難問にするだとかを教員同士で語っている。どうやら、その満点入学した生徒はこのおまけも全て全問正解だったらしい。
私はその問題にも全て回答していたが、正解しているかといわれると自信がない。それに、採点に含まれないのなら気にすることもないだろうと放っておいたものもある。しかし、
『私よりも優れた成績を残した生徒がいる』
その一点が私にとって許せなかった。たとえ、教師のお遊びのような問題に対してですら。
みっともない。3年経った今なら言える。しかし、当時は大真面目だった。それが自分の中で唯一の誇りだった。一番の秀才というプライドを守りたくて必死だったのかもしれない。「誰よりも勉強が出来る」それがなくなれば、私には何もないような気がして怖かったのだろう。
教師の会話は続いた。その中で、出てきた名前が「早瀬 遥」と「天竜 葵」だ。教師の話の流れから言うと、早瀬という人間が全問正解を果たしたらしい。私はどうにかして、彼女に勝ちたかった。その中で思いついたのは公開模試で順位を争うというもの。そこで、勝てばいいのだと思っていた。
翌日、担任から早瀬のクラスを聞くことにする。表面的な理由は風紀委員に誘いたい、ということにした。東鴻高校では風紀委員選挙と生徒会役員選挙が9月に行われるが、それ以外の時でも一般役員の募集はしている。そのお誘いをするという意味合いであった。
「1-5組に行けば分かると思うよ。背が高くて長い髪が特徴的だから」
その言葉を受けて、昼休みに1-5組に向かった。教室に向かいながら、どうやって勝負を挑めばいいのか考えていた。どういう風に話しかけて、いかに弱みを見せず、かつ自然に争うべきか。その算段をするので精一杯だった。手段がまとまらぬまま、教室にたどり着いてしまう。扉に手をかける。
(いいわ。あいつだって私がどうしてきたのかぐらいはわかるでしょ)
全員が自分と同じで、一番になることに執着してると思っていた。少なくとも、優秀な人間だと自負するのが当然だと信じていた。扉を開ける。なかには泣いてる女子生徒と、周りから白い目で見られている男子生徒がいた。
「えっと…。何があったんでしょうか?」
先ほどの考えも何処かへいった。出てくる言葉は疑問の声。泣いている女子生徒が例の早瀬という人間らしいのはなんとなく分かった。ロングストレートの黒髪から見てそうだろう。女子にしては大柄というが、今はどう見てもそんな雰囲気はない。そばにゆき慰める女子生徒よりも小さく、か弱く見える。顔は手で覆われているため見ることは出来ない。この涙声で相手を痛烈に批判する様子からも、泣いてはいるのだとは思う。そうは思うが、出てくる言葉が酷い。
「愚図…無能…下衆…無頼漢…強姦魔…童貞…玉無しの役立たず…」
ところどころにそれに近い言葉が混ざっている。しかし、それを言う人間は清廉潔白、そんな言葉を言った人間に見えない。どういった話術を用いているのかは分からないが、精神をえぐる言葉をこれだけ綺麗に使うところを見たことはない。
言われた相手はというと、顔を真っ赤にして怒ってはいる。それでも、クラスメイトの視線が四方から体中に突き刺さっているため、身動きが取れないといった様子だった。そんな状態のときに私が教室の扉を開けたらしい。
『早瀬さんが嫌だって言うのに、竹内君がしつこくクラス委員長やれって煩いからこうなった』
と、聞いた話をまとめるとそうなる。話だけ聞けばなんで泣くに至る経緯が理解できないが、周りの様子を見る限りではごく自然に泣かせたようだ。こんな状態ではどうしようもないので、事態の収拾に努めることにした。
「竹内君。あなたは早瀬さんに謝ったの?」
「謝るわけないだろ。何にもしてないし勝手にこいつが泣いたんだよ」
「そう。でも、周りのみんなはあなたが泣かせたって思ってるみたいだけど?」
「何もしてないんだから、謝る必要なんてないだろう!」
「あら、それなら謝らないつもり?それは残念ね。可哀想だけどそれじゃ仕方ないわ」
わざとらしいほど肩をすくめてこの場を去るそぶりをする。
「何するつもりだよ」
「私やクラスメイトが言って無駄なら、担任呼ぶしかないじゃない?面倒だけど」
担任を呼ぶと聞いて焦る竹内。たしか、この教室の担任は体育大出身と聞いている。こういったことには割と口うるさいとの噂だ。呼ばれたら何かと大変なことになるのだろう。目に見えて態度が大人しくなった。
「それはやめろよ。俺と早瀬の問題だろう」
「無関係じゃなかったの?何もしてないとか言ってたじゃない」
「それはそうだけど。というか、お前誰だよ。関係ないのに勝手に話に入ってくるなよ」
「一応、用事があるのよ。ま、それはいいから、さっさと謝ったら?いまなら、クラスメイトも担任呼ばないで済ませてくれるみたいよ?」
やんわりと周りの代弁して訴えかけてやる。担任を呼べば解決はするものの、そうなると関係のない生徒にまで飛び火するのが目に見えている。そのため、担任を呼びに行く生徒がいなかったようだ。そんなこともあり、睨みつけるだけで話が進まない状態だった。
しかし、私が軽くけしかけてみると竹内はあっさりと折れてきた。
「早瀬…ごめん」
「…」
早瀬はすぐには答えないようだ。その代わり、罵声をやめて、顔をぬぐったりしている。
「こっちもごめんね?泣いたりするつもりなかったんだよ。泣いたばっかりに、竹内君悪者みたいにしちゃって…」
「あ、いや。うん。俺が悪かったよ…もっと気を使うべきだった」
目に涙を湛えてはいるが、精一杯の笑顔を作って笑いかける早瀬。その上で、逆に謝罪をする。その様子に押されるようにして竹内は重ねて謝罪の言葉を口にする。さっきまで、あれだけ酷いことを言っていたとは思えない変わり身の早さだが、特に誰も疑問に思わないらしい。誰しもが、あんなふうに泣かせてきた相手を許すなんて優しい人だなと評価しているみたいだ。
仲直りの印に互いに握手を交わす。その姿を見て周りのクラスメイトも安心したのか、満足げに2人を見守る。握手をした際、竹内も若干照れているように見えた。浅ましい。
(それで、本題に入らなきゃ…)
と、思い出し声をかけようとする。
「天竜さんだよね?さっきはありがと」
「え、あ、ああ。どういたしまして」
(あれ、何で私の名前知ってるんだろ)
先ほどの影を微塵とも見せない晴れやかな笑顔をこちらに向けてくる。それに合わせて、先ほどの礼をしてくる。竹内が照れるのも分からないでもない。好意を前面に押し出して、こちらを好きだといわんばかりのものである。
顔立ちも目鼻立ちがすっきりとしたシャープなもので、媚びたところがない。黙ってさえいれば相手を威圧するだけの鋭利さを持っている。黄金比で整っており、完成された彫刻のような美しさといえばいいのか。
だが、その顔立ちが笑顔によって全てが一転したものになっている。人間味のある柔らかな笑顔で相手の心を緩ませる。男子なら間違いなく勘違いする。女子でも見惚れる。そんな笑顔だった。
(あ、危ない。なんか、押されてる)
「あー、そうだ。話あるから、ちょっと来て!」
「ちょ、ちょっと・・・」
そういうと、私の手を握り教室の外へと引っ張り出す。どこに向かうのか分からないまま、引きずられていくと、そこは中等部生徒会室前だった。彼女は迷わずその部屋をノックして扉を開ける。
「失礼しますー」
「あ、早瀬さん。ようやく、やる気になったのね?」
「いえ、違いますよ。推薦したい人がいるのでつれてきました」
…え?
「その人とは!天竜 葵さんです。いやー、会った瞬間ビビビッと来たんですよ。このひとならきっといい生徒会長になるだろうと」
「天竜さん?ああ、あなたも確か入試を満点で合格したのよね?それなら、学力は問題ないわね」
「でしょう?それに、性格もなんというか会長さんっぽいんですよ。さっきもクラスの問題をズバッと解決してましたし」
…えぇ?
「あら、そうなんだ。早瀬さんが言うからにはそうなんでしょうね」
「だから、私を買いかぶりすぎですって会長」
「そうかしら?」
「そうです(きっぱり」
「でも、良かったわ。良い次期生徒会長候補が見つかって」
「お役に立てて光栄です。会長。それでは私は失礼します」
…えええ?
「あなたも生徒会に入ってもらえるとうれしいんだけど」
「約束は果たしましたし、それは言っちゃ駄目ですよ」
「そうね、仕方ないわ」
「それでは」
「ええ、気が向いたら来て頂戴ね?」
「気が向いたら。ですけどね」
…えええええええ!!
そういって、彼女は生徒会室を出て行き、私だけが取り残された。目の前には現生徒会長。今までの会話からいって、私は生徒会に入らないといけないらしい。それも、次期生徒会長候補として。色々、分からないことだらけで混乱している。なぜ私のことを知っていたのか、何で生徒会室にいるのか、なぜ生徒会長候補にされているのか、なん…
「それじゃ、天竜さん。これからよろしくね?」
「は、はい…」
どうして断らなかったんだろう。今ではそれだけが疑問に思う。疑問に思うだけであって、実は後悔をなにひとつしていない。生徒会に入ったことも、生徒会長をやる羽目になったことも、この先、彼女に勝負を挑むことになったことも。何かと、彼女に振り回されることがあったり、逆に彼女に絡んだりすることが多くなるのは、この生徒会に入った事が原因ではあったが、
(おかげで学校が楽しかったかな)
と思っている。ただひとつ申し訳なく思うのは風紀委員の後輩たちのことだ。兼任していた風紀委員長ではあったが、後輩たちをうまくまとめることが出来なかった。彼らは私の意を汲んで手助けしようとしてたのかもしれない。私は決して彼女に嫌がらせしたいわけではなかったのに。
私の思いに反して、あの勝負を初めてから周りの風紀委員が彼女にちょっかいを出すが多くなった。ことあるごとに役員が彼女に嫌がらせや妨害するような真似をするようになった。そんなことは絶対にしたくなかった。正当な手段で正面から戦う…言葉は変だと分かっているが、戦っていたんだ。
敵対心や対抗心から始まり、彼女を乗り越えて学業で一番になる事が入学当初からの目的だった。しょうもない私の一方通行な関係だった。そのうちテストと聞けば何でも彼女に勝負を挑むようになってゆき。大抵は負けて、他の分野でも勝負を挑み直したりした。
そんな一方通行を繰り返していくうちに勝てないことが不快じゃなくなっていた。そんな彼女とのやり取りが面白く思えていた。いいようにあしらわれたり、たまには追い詰めて学校の校庭の草むしりさせてみたり。そういう関係だった。
そんな関係が続いた数か月後、本気でけりをつけようという話になる。これがあの勝負のきっかけ。掛け値なしの全力で、厳しい条件をお互いに提示しあって雌雄を決そう。彼女は陸上の5000mのタイムで自己新記録をめざす・私はテストの成績で全教科1位を目指す。
お互いに同じ条件でも良かったのだけれども、学業で勝負したら勝てる気がしなかったのだ。それに私はスポーツはからっきしだ。けれども、彼女には今年から始めた陸上の長距離で勝負してもらうことにした。
今回の勝負は「勝者が何か1つだけ命令をする」ことを賭けて戦っている。内容が内容なだけに、それなりに重いものを命令するだろう。しかし、それは各自の判断にまかせている。
そんな風に始まったこの勝負はなかなか決着が付かなかった。彼女は何でも出来る人間だったが、この勝負がきっかけで1つの事に集中するようになった。学業を疎かにしてでも記録は着実に伸ばしていった。それに負けじと私も意地になって勉強していた。
引き分けが続き、気が付いたころには3年の2学期になっていた。それまでは決着が付かず、以前と変わらない関係を続けていた。はじめたのは1年の2学期からだから2年間は勝負を続けていたことになる。
決着が付いた時の勝負は彼女が「3000mの記録を10秒縮めること」で私が「全国模試で全教科1位」(所謂、駿○模試)だった。いままで全国模試では1位をキープできている。ミスさえしなければ今回もこなせる自信はあった。しかし、条件を決めるとき一つだけ取決めをしていた。
「10秒縮めるには足りないものが多すぎる。時間も人もないんだよ。不利な条件受けられるわけない」
と、いつになく真剣な表情で憤りを隠せない様子だった。私に詰め寄って食って掛かる。本気で感情をぶつけてきたのは初めてのことでたじろぐが、それでも私は気のない振りして言ってのける。
「たかが10秒でしょ?どうしてもって言うなら条件変えてもいいけど?」
「どうすればいいのさ?」
「負けを認めたらいいわ」
「なら、条件変えなくて良いよ。でも、次回は英検1級とってもらうから」
「な、なんで、急にそんな難しいのなんて!わけ分からないわよ!」
「そういうことだよ」
そういって、勝負条件の確認した時の事を思い出す。そのとき初めて彼女の本気の顔を見た。言葉遣いは変わらないけれど誰も寄せ付けない凄みがある。今まではお互いに同条件に近かったのもあるが、今回はどうやら、よほど理不尽な要求をしたらしい。しかし、その様子からも今回さえ凌げば勝てると確信できた。
(で、あの油断だったわけね)
結果は惨敗。彼女は8分台に記録を載せ日本ジュニア記録更新のおまけつき、私は1教科だけ2位になっていた。その教科が英語。
模試結果を見ると、
英語
1、早瀬 遥
2、天竜 葵
3、山田 太郎
・・・・・・・
となっていた。
(化け物だって、ホントに)
敵わないなと心から感じたのはそのときだったかもしれない。片方で日本新記録はたきだして、片方じゃ、1教科だけに焦点当てて満点を出してきた。私は猛勉強しなきゃいけないはずのその教科で1点だけ落とすという、詰めの甘さが露呈する。白羽の矢が立っているというのにそこを落とすなんて格好が悪いにもほどがある。
そう考えると、彼女が校内のテストで毎回低い点数を理由が分からない。練習に忙しくとも、多少の時間さえあればある程度の点数を取れるだろう。
そこに至って、ようやくひとつの答えにたどり着く。
彼女が私を立ててくれていたという事実だった。
校内では文武の双璧で対比するように話されていることが多い。そのたびに仲間意識というか、彼女とのつながりを感じ取っていた。それが誇りであり、変わらぬ自惚れでもあった。だが、実態は私のちっぽけな優越感のためにあえて点を落としてくれていたということだ。
(ここまでされちゃ、怒る気も何も起きなかった。ただ感服するばかりだった)
― そこまで思い出して、その紙をしまうことにする ―
帰り道の電車の中で、誓約書と書かれた紙を鞄の中へしまった。座席に人が居らず、横から覗き込まれたり、前から見られたりすることがなかったため、まじまじと眺めてしまっていた。この紙1枚に思い出が凝縮されているため、少し振り返るつもりがだいぶ掛かってしまった。
気が付けば、自宅からの最寄り駅だ。少し急いでドアからホームへ降りる。慣れた階段を降り、改札口を出た。歩いて自宅へと向かう。いつものなれた通学路の一部だったが、少しだけ様子が違う。いつも、夕方に帰るときには暗くて見えないが、今日は昼間ということもあってよく見える。
公園に植えられていたアカシアの花が咲いていた。少し時期が遅かったが咲いてきたものらしい。
(遅く咲いているアカシアか…)
そんなものを見たこともあってか、思っていることが声にでる。
「今度は、友達になれたらいいな」
そんな、会長さんの昼下がり。