第肆拾肆話 I respect a certain movie : Dawn of the dead ②
遅くなって本当に申し訳ないです。
遅れた主な理由は仕事で忙しかった事なのですが、無料化したMMMORPGにザックリはまってしまった事も大きな要因です。仕事から帰って家で何とか2時間ほど確保できるような状態が3ヶ月近く続いて、その2時間でゲームをするという何とも自分勝手な理由で更新を疎かにしました。
すまぬ。
第肆拾肆話 I respect a certain movie : Dawn of the dead ②
埃と蜘蛛の巣に阻まれながらも、天井裏の探索は順調に進んでいた。もう完全に掃除する事を諦めた真澄は、蜘蛛の巣を払いながら所々に見える光を頼りに道を作っていた。天井はそこそこの強度があり、簡単に踏み抜く事がない。流石に大型の店舗ではメンテナンスなどで人が入る事も想定しているだろうし、空虚で何もない空間だと思っていた天井裏には、様々な機械も沢山あった。用途不明な計器やブレーカー関連だと思われるパネル、それに複雑に絡み合う色鮮やかな配線や換気ダクトなど、真っ直ぐに進むには邪魔な程配置されていて、下手をすれば自分が入ってきた場所を見失う有様だ。
換気ダクトを辿ると、店内の色々な箇所に通じて空気を通す道になっているのがわかる。映画などのワンシーンでよく、ダクトを通って移動したり隠れたり脱出したりするのを覚えていた真澄だったが、どこでも出来るとは限らないようで、天井裏を這うダクトはとても大人の男が潜り込めるような巨大な通路とは言い難く、せいぜい子供が這って進むのが限界なほど狭かった。鼠などの小動物には立派な廊下だろうが、自分達にはとても利用できるものではない。
「映画みたいにはいかないか・・・。現実って案外こんなもんなのかもね。」
期待はずれに肩を落としながら、真澄はダクトを利用する事を諦め、天井裏を破って下に下りる道を模索する事にした。しかし、問題は次から次に発生する。イメージでは天井の換気扇やスプリンクラーなど外せばいくらでも下に降りられると高を括っていたが、換気扇は全てダクトと直結していて覗いて下を確認することすらできない。暗い天井裏では大まかな薬局の位置を掴むどころか、現在位置すら怪しいのが現状だ。所構わず穴を開けて下を確認するか、ダクトを一々解体して換気口から下を確認するしかない。ダクトは繋ぎ目がかなりの数の小さなボルトで固定されているか、もしくは溶接されているものも多く簡単にはいかなかった。
真澄がダクトの解体と薬局探しに躍起になっていた頃、光も遊んでいた訳ではない。常に妹の監視を受けながらも、二階にある全ての窓や通路、つまり死体の侵入経路を虱潰しに確認していた。これだけ巨大なモールになると、どこにどんな穴があるか分からない。普段は入る事の無いスタッフルームや厨房などにも手を入れ、少しでも死体の入ってきそうな侵入路は全て潰した。
斉藤は、妹に光の監視を任せ(妹は勝手に光の監視をしていたのだが)死体狩りを敢行していた。とは言っても、別に危険な作業ではない。自分達の身に付けていた衣服などを使って下を彷徨う死体をおびき出し、上から重い家具などをロープに付けて落とすのだ。当然何度も利用するためであったが、重い家具は一人で再度持ち上げるのに骨が折れる。なので試行錯誤を重ね、自転車の車輪と鉄製の頑丈なホースの巻き上げ機を使って滑車を作った。この滑車で作業は潤滑に進むようになり、一日で数十体の死体を始末できるようになった。しかし、段々と家具は破損し、もう使える物は数が限られている。死体も数は減るが数日すると新しい死体が下を徘徊するという、まさにいたちごっことなっていた。
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「痛いわねっ!もう少し女の扱いを覚えたらどうなの?」
眉を顰めながら、光がまた声を荒げていた。ここ数日、決まった時間に斉藤の治療を受けているため、すでに日常茶飯事になりつつある光景だったが、その度に斉藤は済まなそうな苦笑を浮かべる。
「悪いな、生憎だが女の扱いを覚えるほど満ち足りた生活はした事がなくてね。善処するが期待はしないでくれ。」
光の悪態に斉藤もなす術は無く、そう言った皮肉を返すのが精一杯だ。真澄はそんな二人を見ながら、ペットボトルに入れたお茶で喉を潤す。このモールでは、唯一生きている水道があった。水道費の軽減目的に地下水を利用したものだ。主にトイレや掃除業者の使う水道がそれだ。当然客用の蛇口に使われる物とは別で、消毒などされていない地下水をそのままくみ上げているだけのものらしいが今の生活でこれほど有難いものはない。生水は腹を壊す恐れがあるため、一度ヤカンや大鍋で火を通し、お茶や料理に使用している。ガスは下の厨房や店舗にあった簡易コンロやガスボンベを全て上の階に移動させていたため、困る事が無いほどあった。大型のガスボンベも、数人掛りで上の階まで持ち上げたと聞く。これは斉藤が指揮を取っていた時期に行ったことらしいが、ちゃんと先の生活を考えた処置が今になって生きていると言う事だ。
このモールでの生活もすでに一週間以上が経過し、二人ともここの生活に慣れてきた。妹の鈴子も、頭のネジが何本か抜けているような言動や行動さえ慣れてしまえば、いくらでも対処のし様はあった。つまり機嫌を損ねなければ危うい行動はしないのだ。光もそのあたりを察知したようで、常に警戒の色を目に浮かべていた鈴子も最近は光の行動にとやかく言うことは無くなってきたようだ。ここで自分達に敵対しても真澄達に利は無いと薄々感じているようで、世間話のような会話も可能になっていた。
「ねぇ、光はいつまでここに居るの?」
「怪我が治って薬を手に入れたらすぐにでも出て行くから、あんたはそんな心配しないでいいのよ。」
そんな光の返答に鈴子は「そっかぁ」と小さく返す。
「心配しなくても持てるだけの量しか持っていかないから大丈夫よ。抗生物質なんかは多めにもらうけど、それでもあんた達二人がこの先困るような事がないようにするつもりよ。」
光の素っ気無い返事に、鈴子は「うん」と小さく返し、黙ってしまう。手にした拳銃も光に銃口は向けられておらず、距離も手を伸ばせば届きそうな距離だ。その気になればいつでも拳銃を取り上げる事が出来たが、光はそれをしない。あくまでも兄妹に脅されて従っているというスタンスを取るつもりなのだ。その方がこの先、円満にやっていける。精神状態が不安定な人間に対して、新たなストレスを与えるべきではない。些細な切欠からリミッターは簡単に外れ、その行動は予測不可能になってしまう。
鈴子は目を伏せると、手持ち無沙汰になってしまい拳銃を弄繰り回す。光はそんな鈴子を傍目に見ながら、作業に没頭した。傷の処置も終わり、空になった店舗に乱雑に積まれた箱の整理が目的だ。箱のまま置かれたかつての商品群は、そのままではどこに何があるか全く把握できない。食糧、日用雑貨、その他の消耗品など適当に分類こそされていたが、箱のパッケージだけではそれが何なのかいまいち把握できないのだ。
まずは食糧の細分化を進める。うず高く積まれた箱の山を一つずつ開き中を確認していく。缶詰も鯖の味噌煮やツナの缶詰、コンビーフや焼肉まであり、種類はかなり豊富だ。それにコールスローや果物、あんみつなどのスイーツ系、コーンポタージュやトマトスープまである。高級ホテルなどの味を再現した土産物から一般に広く愛された大衆品まで何種類も積まれた缶詰の箱は、それだけで数年は食っていけるように思われる量だ。最早消費する人間は四人だけの現状で、二十名ほどいた前の状態と比べるべくも無く食料に関する問題は解決されていると言っていい。斉藤が食糧に関して厳しく管理したのは、人数が多すぎたためだろう。二十人の食生活を支えるには、この箱の山を持ってしても不安を拭えなかったとしても仕方ない。
「これだけあれば、ゾンビが死滅するのを待つのも案外アリかもしれないわねぇ・・・。」
箱を開けるだけで辟易してきた光は、そう呟く。それを耳聡く聞いた鈴子は、パッと顔を輝かせた。
「うんっ!光達の分まで余裕あるよ。だから、ずっとここに居ても問題ないってお兄ちゃんに言ってあげようか?」
光は急に生き生きと喋り始めた鈴子に面食らったような顔を向けたが、口角を少し上げながら口を開いた。この少女は、やはり年頃の娘だ。兄とたった二人だという心細さに、やはり心の何処かで他人を求めているのだろう。今や敵意は無いと認識した光と真澄は、仲間として彼女にも受け入れられつつあるのかもしれない。
「それは有難い話だけど、ちょっと考えさせてね。ここが絶対に安全な保障はやっぱり無いのよ。あんた達はずっとここに居るから知らないと思うけど、外の世界は・・・、ううん、何でもないわ。」
光はそこまで言って口を閉じた。外の絶望的状況をこの娘に語って何になると思ったからだ。希望を取り上げれば、この幼い精神はきっといつか近い未来に壊れてしまう。兄に依存し、それ以外を排除してしまったこの少女にこれ以上絶望を感じさせてはいけない。それに光自身も、その現状から目を背けたいのが正直な気持ちだった。
「・・・外がどうなのよ?」
不満げな響きを含ませた鈴子の声に、光は「何でもないわよ」と繰り返した。
★
斉藤は日毎に光に懐きつつある妹を目を細めながら見ていた。やはり同姓じゃないと話せない会話もあるのだろう。かつて、上月がそうだったように光の中に年上の女性、自分より格段に経験を積んだ大人の臭いを嗅ぎ取った妹は警戒心を薄めつつあった。元々、困るくらいに甘えっぽい性格だ。いつも犬の様に自分の後を追いかけていた幼い日の鈴子の姿を思い出しながら、斉藤は眼下に広がる一階の惨状を再確認した。日増しに死体の増えるスピードが早くなっている気がする。やはりこれまで、息を殺して引き篭もっていた時とは漏れ出す臭いや気配が段違いなのだろう。
「あの姉さんの言う事にも一理あるなぁ。ここに死体が集まるのは自然の理なのかもしれん。あの二人がいつかここを去る様に、俺も鈴子とここを去る日が来るかもしれない。」
今まで銃で殺す事ばかり考えていた死体の殲滅も、安全にやる方法を光に助言されたおかげで消耗するのは家具や空になったガスボンベばかりになった。特に生活に直結する品物ではないだけに、出し惜しみする気はない。だが、いずれ全てが尽きた時、死体の群は肥大化し、バリケードを破る程の力を得るのかもしれない。そうなった場合、自分達はどこに逃げればいいのか皆目見当が付かない。
「おっと、また釣れたな。」
思案を巡らせているうちに、また新しい死体がぼろきれの様になったTシャツにむしゃぶりついた。斉藤はそれを引きながら、死体を設置したガスボンベの真下に誘導して、固定していたロープの結び目を解く。狙い済ませた様に空のガスボンベは真下へ急降下し、蹲ってTシャツに夢中になっていた死体の頭に直撃した。グシャ、ゴーンゴンゴンと音が響き、周囲を徘徊していた他の死体の動きが一瞬止まる。音に反応して何かを探すようにゆっくりと周囲を確認し、やがてまたゆったりとした足取りで徘徊に戻る。斉藤は、それをロープを巻き直しながら眺めていた。既に床は多数の死体で半分埋め尽くされている。このまま放置すれば虫が沸いて衛生上良くないなと思いつつも、自分達が下に降りて処置をする事は自殺行為だ。斎藤は目下の問題から目を背けるように天井を仰いだ。
「こんな連中にあのバリケードを破る事なんざ無理だと思うんだけどな。おっと、もう次が来たか。」
斉藤はそう言うと、手繰り寄せたロープを近くの柱に巻きつけ固定し、次の発射の準備に取り掛かった。
★
二人がこのモールを訪れて、もう二週間が過ぎた。光の傷もピタリと閉じ、斉藤による抜糸が行われた。まぁ肉から直に糸を抜くのだから、多少の痛みを伴うのは仕方が無かったが、光は予想以上の痛みにグッと奥歯を噛み締めて耐えていた。その様が可笑しかった様で、鈴子は光の傍にぴったりと寄り添ってニコニコと笑顔を浮かべていた。
「光、痛いの?痛いよね?」
「痛いに決まってるでしょっ!」
「そっかぁ、でも治って良かったね?」
「あんたが殴らなければこんな痛い事もしないで済んだんだけどね。」
「もう殴らないよ。光に死なれたらつまんないもん。」
「そう、それはありがとうございますだわ。」
「アハハハッ!」
「何笑ってんのよっ!大体あんた悪いと思ってなっ!痛いわよっ!もっと優しく、あ、痛たたたた。」
苦笑しながらピンセットで糸を摘み、慎重にゆっくりと引き抜いていた斉藤に光の八つ当たりは続く。体内に糸が残るとどんな支障があるか分からない為に、斉藤は細心の注意を払いながら糸を抜き取っていた。じわじわと来る痛みに絶句しながら、光は額に脂汗を浮かべながら耐える。
「ほら、これで終わりだ。後は傷が完全に塞がるまで消毒と塗り薬で大丈夫だろ。」
やっと抜糸が終わり、斉藤が一息つきながらそう言うと、鈴子が用意していたガーゼを傷口に当てテープで固定する。もう光とは軽口を言い合える程の仲に発展している。拳銃はいつの間にか腰のホルスターに常に収まっている状態になっていた。無論、弾は入っていない。
「やっと包帯から開放されたわね。蒸れるから嫌いなのよねこれ・・・。」
光は今まで頭に巻かれていた包帯を忌々しげに指で摘む。包帯からはシャンプーの香りに混じって少しツンとくる汗の臭いが微かに感じられた。
「おっと、それは回収しないとな。」
斉藤はそう言うと光の手から包帯を取り、鼻の辺りに持っていって臭いを嗅ぐ。
「ちょっとっ!何してんのよあんた?そんな趣味まであるわけ?」
光は斉藤を軽蔑の色を浮かべた瞳で凝視する。それに対して、斉藤は飄々とした態度で包帯を握って立ち上がった。
「違うよ。これは餌だ。」
ニヤリと笑いを浮かべた斉藤の言葉で光は理解した。要するに死体を殺すためにおびき寄せる餌に使うという意味だ。
「それでもいい気持ちはしないわね・・・。」
「光汁なら一杯釣れるわよ。伊達に巨乳じゃないしねっ!」
「汁とか言うのやめてもらえるかしら・・・。あと巨乳とか言われても嬉しくないんだけど。関係ないじゃない?」
「またまたぁ。それで何人も虜にしたんでしょ?」
「してないわよ。相変わらず馬鹿ね。」
鈴子の軽口に光はうんざりしたような顔をして立ち上がる。今日もまだ仕分けは終わっていない。すでに半分以上の箱が処分され、組み立て式のプラスチック製の収納ケースにラベルを貼った物がうず高く積まれている。いつでも迷わず取り出せるように管理化されているのだ。例えば調味料の棚、魚介の缶詰、肉系統の缶詰などなど、大部分が完全に仕分けされている。残るものは乾物やインスタント、あとは雑貨などだ。
「おっ!今日は大物がいるぞ。自衛隊だなあいつは。」
光の包帯を釣竿の先に付けながら、斉藤がそう言って指差した。その先には、迷彩にポケットの沢山ついたベストを羽織った如何にもな死体が足に肩からズリ落ちた雑嚢を引き摺って徘徊している。あの中に銃弾や爆薬などがあるかもしれない。実際、数日前に潰した警察官の死体は弾が二発残った拳銃を携帯していた。ただ、死体を引っ張り上げる事は至難で、動かなくなった死体の足にロープを掛けるだけで数時間を要した。下まで距離がある上に足を上から引っ張って上げさせ、そこに輪を作ったロープを掛けるという荒業なのだ。だが、もし銃弾などあるならやる価値はある。
段取りを決めて、お目当ての死体の前に餌を投げる。案の定、死体は包帯の存在に気付きそれを取ろうと手を伸ばした。それを寸前で躱すように糸を巻くと、死体はまたそれを取ろうと手を伸ばし、繰り返す事でベストポジションに誘導するのだ。狙い済ました家具が自衛隊員の頭を砕くまで、そう時間はかからなかった。後は雑嚢の回収と、死体のベストも頂戴しておきたい。これには弾倉などが収納されている場合がある。苦戦する事一時間、ようやく足首にロープが嵌るのを確認して、斉藤はゆっくりとロープを引っ張った。締まれば死体を引き上げるのに時間は掛からない。だが、締める時に何度も足からロープが外れるので、これで何度目の挑戦になるか分からなかった。足を引っ掛けるのに適した烏賊用の疑似餌を使って上げるまでは簡単なのだが、その先が歯痒くなるほど失敗するのだ。
「今度こそ・・・。」
斉藤は、息を殺しながらじわじわとロープを引く。やっと足首でロープが止まり、その輪が口を閉じた。ホッと息が漏れる。後はこれを引き上げるだけの簡単な作業だったが、そこで違和感を感じた。足にロープを引っ掛けられた死体の傍に、いつの間にか別の死体が立っていたのだ。本来、死体同士でコミュニケーションはあり得ない。他の死体がどんな扱いを受けても、それを気に留める死体はいないのだ。
「何だあいつ・・・?」
斉藤は不審に思いながらも、滑車にロープを取り付けると取っ手を回して手繰り寄せる。この滑車でかなりの重量のあるガスボンベなども巻き上げてきたのだ。死体くらいどうと言う事はない。だが、思った以上に死体は重かった。斉藤は渾身の力を込めて巻き取る事に集中した。滑車は階下の見える手摺から離れた場所に設置しているため(固定してある)に死体が上がってくる様は見えない。足が見えたら取っ手を固定し、後は人力で死体を引っ張り上げる。
「やたら重いな・・・。」
斉藤はそうぼやきながら取っ手を回す。そして死体が見える位置まで上がってきたか確認のため振り返ってギョッとした。何と先ほど傍らに立っていた別の死体が持ち上がる死体抱きついていたのだ。斉藤が慌てて手を離した時はすでに遅く、死体は手摺に飛びついていた。ロープが凄まじい勢いで逆転し、グシャッという音がホールに響いた。巻き上げていた死体が下に落下した音だ。
「う、うわああああっ!!!」
手摺を乗り越えて二階に降り立った死体に驚愕し、斉藤が大声を上げる。完全に気が動転し、真っ白になった頭がまともな判断を手放した。離れた位置に立て掛けているマシンガンの存在を忘れ、近くにあった棒を素早く手に取ると死体に向かって振り下ろした。それをまるで見えているような動作で死体が躱す。しかし、動きそのものは鈍いままなので完全に躱す事が出来ず肩口に棒が叩きつけられた。
「死ねっ!死ね死ね死ねっ!!!」
斉藤は一撃目を外した事でさらに気が動転し、少し怯んだ死体に向かって滅茶苦茶に棒を叩きつけた。死体は生前に比べると驚くほど脆くなっている事が多い。この死体も強靭な肉体を持ち合わせていない普通の死体だったために、棒の乱打で呆気なく床に沈み、頭部を中心にグチャグチャになった死体だけが後に残った。やっと動かなくなったことを確認し、斉藤は棒を床に投げ捨てるとその場に座り込む。そこに騒ぎを聞きつけた光と鈴子が駆け寄った。
「何があったのっ!?」
座り込んで疲労困憊な様子の斉藤と無残に頭を砕かれた死体を交互に見ながら光が叫ぶようにそう言った。鈴子は兄に駆け寄ると母親の様な仕草で頭を抱えこむように抱く。細かな振動が兄の肩から伝わり、相当の恐怖が兄を襲った事は言うに及ばなかった。
「まず落ち着いて、後でゆっくり話を聞くから。鈴子、お兄さんを落ち着ける場所に連れて行って。」
光はそう鈴子に促すと、頭を砕かれて横たわる死体に向き直った。グロテスクな内容物を床に散乱させていたが、出血は驚くほど少なかった。普通なら血の池でも出来そうな感じの傷だが、通常より遥かに薄い血が首筋から滴っている程度で生きていた人間でない事は確かだ。そう言えば死体を何体も破壊してきたが、観察した事はなかったと光は気付く。腐敗もせず歩き続ける死体に疑問は持っても、謎に迫ろうなどという考えは今まで持ったことがない。
「いい機会だわ。」
そう言うと、光はゴム手袋とマスクを用意し、散乱した死体の肉片を吐き気に堪えながらつぶさに観察して記録を取り始めた。
★
青白い顔の光が、銃を担いで私室に現れたのはそれから二時間以上経った頃だった。斉藤は傍らに鈴子をぴったりと張り付かせ(正確には鈴子が離れようとしない)ソファにぐったりと座っている。真澄が床下から這い出してきて、暢気に部屋に入ってきたのはさらにそれから三十分後のことだった。
「何かありました?」
ぐったりした斉藤と青白い顔で今にも吐きそうな感じの光、兄に縋りつき離れようとしない鈴子を目の当たりにして流石の真澄も異変に気付く。
「ええ、杉田玄白になった気分よ・・・。うぷ・・・。」
軽く嘔吐きながら光が小さな声で呟く。それに斉藤が続けた。
「死体に襲われたんだ。正確には、遺品を取ろうと引き上げた死体に別のがくっついて上がってきた。」
「はぁっ!?どういう意味ですっ!?」
驚きを隠せない様子で真澄がそう斉藤に聞き返す。それに光が答えた。
「聞いた通りよ。今までとは違うタイプのゾンビが居たの。何て言うか、目が見えてる様な行動をして、頭が少し回るみたいね。」
「そんなの今まで・・・。」
「居たんだよ。俺も驚いたが、光は何か覚えがあるらしい。」
斉藤がそう言って視線を光に向ける。光はそれを受けて、メモ帳を広げて説明を始めた。
「桜井、橋の上に居た目が黒いやつ覚えてない?」
「・・・。トレーラーを落としたあいつかっ!」
真澄の素っ頓狂な声に光が「ビンゴ」と返す。
「そう、それよ。さっき殺したのが同種だったみたいだわ。潰れていない眼球が真っ黒だった。黒目が大きいんじゃなくて眼球が真っ黒なのよ。黒いピンポン玉ってイメージね。それが最大の違いみたい。見た目で判断できるわ。斉藤の話だと、棒で殴りかかったら躱されたみたい。そうよね?」
光に促され、斉藤は力無く首を縦に振る。
「間違いない。第一、引き上げている死体にしがみ付いて上がって来るなんて知恵があった事に驚いた。あんなのがいっぱいいれば、バリケードもやばいかもしれない。冷静に考えても、数は少ない。だが、君らと合わせて二回も遭遇しているとなると、何らかの変異が起こりつつあると仮定することもできる。
そう考えると、何ヶ月も篭城すればするほど、黒目の数は増えるかもしれない。」
「そうね。でも下に居る死体に黒目はもういなかった。さっきのやつが最後の一匹と考える事も出来る。まぁ都合良過ぎるわね。同じのがウジャウジャ居る
と考えた方がいいわね。」
光も斉藤もそう言うと、黙り込む。暫く沈黙が部屋を支配したが、重苦しい空気を払うように鈴子が声を上げた。
「ご飯食べようっ!今考えても無駄だからさ。私頑張って美味しいもの作るよ。光も手伝ってっ!」
そう言って鈴子は、まだ吐き気の消えそうに無い光の手を引き部屋を後にした。
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日の消えないうちに食卓を開くのは、すでに習慣となっていた。電気が無いため、日が落ちた後はライトか蝋燭の光くらいしか闇を照らす術がない。なので、電池の浪費を避けるために暗くなったら蝋燭の灯りのみで早めに就寝するのが常となっている。時刻はまだ一六時を過ぎたあたりだったが、食卓には鈴子の作った豪華な食事が並んだ。豪華と言っても、やはり缶詰とレトルト、米と麺類くらいしかないために料理のレパートリーは限られるが、それらを最大限に利用した鈴子の料理は意外にも美味い。
今日は奮発したのか真空パックの肉なども使用しており、いつものレトルトに一手間した程度の料理でも十分に満足のいく物に仕上がっていた。光も料理に関しては意外な腕前を持っていたが、それでも鈴子には一歩及ばずに給仕は全て鈴子が担当しているのが現状だ。空になった鍋と食器を洗いながら、光は今日の出来事を頭の中で整理していた。新種の確認は大きな問題だ。
「あんなのが何匹もいたら、ここに居ても安全とは言えないわね・・・。やっぱり奴らの来られない(・・・・・)場所に行くのが最善の策だわ。一度とっつぁん達と合流して、あの防波堤に逃げるのがベターかもしれない。あの防波堤なら船でも使わない限りは上陸は不可能だし、運が良ければ船舶で脱出した連中にみつけてもらえる。まぁそれが略奪を目的とする連中かもしれないリスクはあるけど・・・。うぅん、結局はどこに居ても危険には変わりないって事じゃない?どうしたもんかしらねぇ・・・。近い内に決断しないと命取りになるわ。」
光はそうボヤきながら洗剤で泡立つ食器を手に取り、スポンジで強く擦った。そしてふと視線を感じて顔を上げると、そこに鈴子が立っていた。思案を巡らし過ぎてその存在に気付くのが遅れた事に小さな後悔を感じたが、もう遅い。鈴子は光の顔をジッと見つめていたが、その瞳には見る見るうちに水滴が溜まり頬を伝ってポタポタと床を濡らした。
「光はやっぱり行っちゃうの?」
震える声で鈴子は呟く。光はいつもと違う鈴子の反応に戸惑いながらも鈴子に言葉を返した。
「そうね、最初から言ってたけどやっぱり行くわ。」
その光の返答に鈴子は口をへの字に曲げた。啜り泣きを必死で我慢しているのだ。
「どうしても・・・、行くの?お兄ちゃんとあたしを見捨てるの?」
「見捨てるわけじゃないわ。」
「出て行くってそういう事でしょっ!!!」
声のボリュームを一気に上げて鈴子が叫んだ。光はその声にビクリと肩を竦めたが、やがて優しい声で鈴子にこう告げた。
「ここは安全じゃない。だから私達は生きるために移動するだけ。あなたもお兄さんも、私達と同じように決断をしなければいけないのよ。もう、賽は投げられたんだから・・・。」
その言葉に鈴子は小さく「行かないで」と何度も何度も呟いた。
遂に島編で出現した死者の登場です。こっちでは黒目とか呼ばれそうかな。
何とか年内に更新しましたが、次はもっと早くなるように善処します。でも今とても欲しい装備があって、ちまちま狩りをしながら金策して、露店して・・・。
何を言ってるか理解できるあなたは作者と同じ病魔に蝕まれています。医者には治せないのさ(´Д` )