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第肆拾話 おかしな兄妹

4ヶ月も放置して申し訳ありませんでした。


詳細は活動報告などに愚痴が載っていますのでそちらを参照してください。


青年と妹の名前を確認する前に前話を消してしまったので、今回は違う名前で話が展開しますが、ご了承くださいφ(-ω-。`)


あとがきに大量の補足がありますので暇なら読んでちょーよー

第肆拾話 おかしな兄妹


 真澄を振り返った少女だったが、光が倒れなかった事に気付いて再び光の方に向き直った。追撃で止めを刺すつもりだろう。それに気付かず、光は低い声を漏らす。


「ぐぅう・・・。何するのよこの・・・。」


 いきなりの奇襲に頭がパニックを起こしていた。自分が何をされたか一瞬思い出せない。頭を流れる生暖かい液体の感触だけが妙にリアルに感じられる。意識に霧が掛かった様な感じに軽い眩暈を覚えながら、光は傷口を手で押さえるしか出来ない。とてもすぐに動ける状態ではなかった。少女はその隙を見逃さなかった。まだ頭を抑えて蹲っている光に向けて、少女は拳を振り上げる。コンクリートの塊は尖った角に血が付着していた。光の血だ。少女はそれを確認するように一瞬目でコンクリートの塊を見て握りなおすと勢いよく無防備な獲物に振りかぶった。


「死ねっ!!!」


 そう叫ぶより早く、再度コンクリートの塊は光の頭部を殴打した。光はその追撃を受け、完全に地面に崩れ落ちる。傷口を押さえていた手は真っ赤に染まっており、力なくパタンと落ちる。目の上にパックリと口を開けた傷口からは血がドクドクと流れ、その傷が掠り傷と呼べるものとは明らかに危険度が違うことを物語っていた。


「何してんだっ!?やめろっ!!」


 あまりの事に完全にフリーズしていた男二人だったが、意外にも先に動いたのは重装備の青年だった。真澄のナイフから逃れるようにしながら立ち上がると、肩で息をしながらその場に座り込んだ少女に走り寄る。真澄は青年を逃がした事にハッとしたが、それよりも今は光の安否の方が重要だった。


「待てっ!撃つなよっ!殺すなっ!!!」


 そう叫んで少女と青年の横を走り抜け、倒れた光に駆け寄る。光は虚ろになった薄目で肩がビクビクと痙攣している。少女の打撃はこの女性に予想以上の深刻なダメージを与えていた。血の止まりそうにない傷もそうだが、意識を刈り取るほどの頭部へのダメージは真澄にどうする事も出来なかった。このままでは光が死んでしまう。そう直感した真澄はオロオロと取り乱し、光を抱き起こすと何度か揺さぶった。


「先輩っ!大丈夫ですかっ!?何でこんな事にっ!ああ、どうすればいいんだっ!?やばい、死ぬ。どうしよう・・・、どうしよう・・・。」


「頭を揺らすなっ!!!」


 不意に大声が響いた。重装備の青年だ。取り乱して何をしていいか分からずパニックに陥っていた真澄は、ゆっくりと青年に振り返る。そこには拳銃を構えた青年が立っていた。銃口は真っ直ぐに真澄に向けられていた。いつでも自分に向けて発射できる態勢だ。


「ゆっくりその女を地面に寝かせろ。」


 青年が低い口調で真澄に告げる。真澄はその声に素直に従った。今、生殺与奪の権利を握っているのは銃を持つ青年だ。下手に逆らうと二人とも殺されることが理解できたからだ。青年は銃を失った直後の情けない表情から引き締まった最初の表情に戻っていた。


「どうしてナイフで刺さなかった?」


 青年は真澄にそう問いかけた。その問いの意味がすぐには分からず、真澄は何も答えられずに呆気に取られた表情をした。青年はそれを見てチッと舌打ちを漏らしてからまた口を開く。


「質問を変える。何で俺を殺さなかった?」


 その問いで真澄は青年の質問を理解した。殺せたはずなのに何故殺さなかったかを問われたのだ。


「あ、喋っていいのか?」


 問われているのに喋っていいか確認するとは何とも間抜けな答えだったが、真澄はまだ動揺から覚めていない。それを理解したのか青年は手を動かさずに頷いた。


「人殺しはよくないと俺は思っている。できれば殺したくないってのは常識だと思うんだけど・・・?」


 その答えに青年は何か考えていたようだったが、質問を変えた。


「そんな甘い考えでよく生きてたな・・・。ここへは何しに?ゆっくり考える時間はないぞ。要求を言ってみろ。」


 言い訳は通用しそうになかった。真澄はここへ来た経緯を短く説明する。


「つまり、その女が医療品を欲しがっていて、ここに来たと?欲しいのはそれだけなんだな?」


「最初から言ってるだろっ!それより早く手当てをさせてくれっ!!」


 真澄はそう叫んだ。説明する内に冷静さを取り戻した彼は、光の出血だけでも止めたかったのだ。


「ふむ、分かった。あんたらは今までの来訪者とは違うみたいだ。その女の治療を許してやる。俺は一応治療ができるが手伝いは要るか?」


 青年は特に慌てる様子も無く淡々とそう言った。それは思ってもみなかった朗報だった。正直に言えば真澄に出来る治療なんて、傷口を消毒して包帯を巻く程度だ。少しでも専門的な知識が欲しい。真澄は寸分も置かずに頭を縦に振った。





 青年は驚くほどの手際の良さで、光の傷を縫合した。先を曲げた短い縫い針と木綿糸を消毒アルコールに漬け、意識を失っている光の頬を軽く何度か叩いて起きない事を確認すると、傷口を水で流しアルコールで丹念に消毒して躊躇無く縫い合わせていく。


「意識がなくて幸いしたな。これは目の上だから痛くて泣き叫ぶんだ。暴れると眼球を針で突き刺しちまうからな。」


 そんな事を言いながら、僅か五分ほどで光の縫合は終わった。何度かビクンビクンと光の腕が跳ねたが、青年は焦る事も無かった。縫合が終わると傷口に軟膏をたっぷり塗ってからガーゼを当て、新しい包帯で頭部を巻いていく。真澄は何度も感謝の言葉を述べながら、一部始終を見ていた。尤も、動けなかったのだ。なぜなら、青年が治療をする間、真澄は少女に拳銃を向けられていたからだ。全面的に信頼されたわけではなかったらしい。


 光の治療が済むと、青年は真澄に光を抱き抱えさせた。すでに武装は解除させられ、今は二人とも身軽だ。丸腰では下手な真似はできないし、最早その気もない。怪我を負わせたのは少女だ。青年はこちらを吟味した上で形ばかりかもしれないが協力をしてくれた。治療したという事はすぐに殺される事もないと真澄は考えた。


「頭を打ってるからな。出来るだけ揺らすな。すぐに冷やしてやる。いびきをかく様だと注意が必要だな。分かったら黙ってついてこい。変な動きをしたら二人とも殺すからな。」


 青年はそう告げて、妹を名乗る少女を先頭に立たせて自分は真澄の後ろに位置取り、銃を突き付けたままモールに入るよう促した。真澄は少女の後ろを大人しく歩く。まだ光が目を覚まさないのは気掛かりだったが、今は従うのがベストだと考えたからだ。


「お兄ちゃん、こいつら助けてどうすんの?」


 少女が気だるそうにそう青年に問いかける。真澄は正面を向いているので青年の表情は見えない。


「まぁ追々考えるさ。兎に角、今はその女を休ませよう。お前のせいでこうなったんだから文句言うなよ?」


 意外に高い声だった。さっきまでの緊張した脅すような口調ではなくなっている。その声のトーンは真澄を安心させた。





 モールの中は思ったより薄暗かった。電気の供給が止まり、明かりは窓から入る日の光だけだ。当然と言えば当然だが、真澄は違和感を感じずにはいられなかった。文明の儚さを再度認識させられる状況だ。塔から下に伸びた階段は二階のさらに下まで伸びていたが、まるでゴミ捨て場のように家具や木材で埋まり、一階には降りられなくなっていた。真澄は珍しそうに下を覗き込む。吹き抜けではなかったが、かなりの物資が複雑に積み重なっている。かなり強固なバリケードと言えた。


「下の化け物が上がってきたら死ぬんでな。こうするしかないんだ。変か?」


「いや、いいんじゃないすか?」


「そうか、階段はもう一箇所あるが、そっちも同じだ。」


「そうすか・・・。」


 真澄の視線に気付いた青年がそう口を開く。真澄もそのお喋りに適当に相槌を打った。正直、どうでもいい話だ。一目でその目的は分かる。いちいち説明されるまでもない事だった。


「お兄ちゃん、ベッドはどれ使うの?」


「インテリアのベッドでいいだろ。布団は敷きっ放しだから埃っぽいかもしれないが、構わないよな?」


 それが真澄に投げかけられた問いだと気付いて、遅れて真澄が首を縦に振る。インテリアでも何でもいいから、柔らかい寝床が与えられるのは助かる。断る理由はない。しばらく少女について歩くと、様々な家具が置かれた店が見えた。このモールは、個人経営の店舗が軒を連ねるエリアと大型量販店のエリアに分かれているらしかった。今いるのが店舗エリアで、吹き抜けになっている。そのど真ん中に途中から折れたエスカレーターがあった。どうやら下に降りるルートは全て潰されているらしい。


 少女が軽やかな足取りで入ったのは、視認した家具店だった。洋風のインテリア専門店で、アンティークな家具や現代風のフォルムの洗練された家具が所狭しと並んでいる。その中で少女が選んだのは、天蓋付きの巨大なベッドだった。サイズは軽くダブルはあり、綺麗なレースの付いたカーテンまでかかっている。少女は文句ないでしょうという様な顔で真澄に向き直り、親指でベッドを指差した。さっさと寝かせろという事らしい。真澄はそれに従って、丁寧に光を寝かせる。やっと開放された腕を摩りながら、真澄は反射的にベッドに腰を下ろした。


「お兄さん、これ知ってる?」


 不意に少女に声を掛けられた。少女は両手を拳にして胸の前で合わせていた。そして親指を立てたり寝かせたりとピコピコ動かして見せる。青年は銃を構えたままその様子をジッと見ていた。真澄はそれを目の端で確認しながら少女の手元をマジマジとみつめた。そして少女が何を言っているのか瞬時に理解した。


「ああ、せーのか?」


「そそ、せーの一とかせーの二とかっ!」


 少女が嬉しそうに笑顔を見せながらそう言って真澄に両手を突き出した。少女が誘っているのは、かなり前に流行った遊びだ。数人で両手をグーの形で合わせ、順番に「せーの」という掛け声に合わせて親指を立てる。それで言った数字の数だけ親指が立てば一本ずつ腕を抜く事ができ、両手が抜けるとアガリというゲームだ。地域ごとに掛け声が違ったりするが、この地方は「せーの」が主流だった。


「もしかして今からやるの?」


 真澄が訝しげにそう少女に尋ねた。その問いに少女は嬉しそうに頷く。


「どうせ暇っしょ?」


「そうだけど・・・、何もこんな時にしなくても?」


「いいからっ!」


 少女はそう言って両手をさらに突き出す。真澄はそれに渋々従った。基本的に女の子の誘いは断れないのがこの男の性だ。少女は嬉しそうに両手を合わせてくる。そして数回ゲームが行われてから、少女が何かを思い出したように手を引っ込めた。


「どうした?」


「ん~、ちょい待って?」


 真澄が両手を突き出した姿勢でしばらく待たされる。少女はゴソゴソと自分の服の内ポケットをまさぐっている。何を取り出そうとしているか気になった真澄は少女の手元を覗き込もうとしたが、そこに青年が声をかけた。


「おい、あんた名は?」


「え?ああ、桜井真澄です。そういえば自己紹介はしてなかった、あれっ!?」


 不意に手に何か金属が触れたが、真澄が違和感に気付いた時には遅かった。何故か両手に銀色の輪がかかっている。どうみても手錠だ。


「何だこれっ!?」


 狼狽した真澄は手をガチャガチャと動かしたが、手錠はビクともしない。慌てた表情で顔を上げた真澄の目ににんまりと笑みを浮かべた少女の顔が写った。嵌められた。


「まぁ捕虜なんだから我慢しなよ。」


「嵌められたっ!嵌められて嵌められたっ!!!」


 嬉しそうにケラケラ笑う少女に呆気に取られる真澄を青年が気の毒そうな目で見る。少女は明らかに練習した動きだった。青年も確信犯で真澄の気を逸らしたのだろう。


「銃で脅して拘束するのもいいんだけどさ、それじゃツマンナイじゃん?」


 しばらく笑った後、少女はあっけらかんとした表情で真澄にそう耳打ちした。





 拘束された真澄は、少女に連れられて椅子に腰を下ろしていた。応接室のような部屋だ。青年は拳銃を少女に渡してからマシンガンのような銃に新しいマガジンを装填し、肩に担いで何処かへ消えた。真澄は一人残された光が気になったが、現状では手の施しようがない。目覚めるのを待つしかできないので、今は大人しくするのが得策と考えていた。少女は真澄と反対側の椅子(正確には革張りのソファー)に腰を下ろし、冷蔵庫から出した缶ジュースを飲んでいる。多分とっくに冷却の用途は無くなっているだろうが、貯蔵庫として使っているのだろう。開けた冷蔵庫の中には、他にも菓子の袋などが入っているのが見えた。


 暫く待つと、青年が姿を現した。手には真澄達の荷物が持たれている。それを部屋の隅に置くとまた姿を消した。そしてまた暫く無言の時間が過ぎ、再度現れた青年は光の荷物と武器を持っていた。それらも部屋の隅に置く。どうやら二人の荷物と武装をわざわざ屋上から運んできたらしい。一度では持ちきれずに二度に分けただけだろう。意外に几帳面なのか律儀なのか。青年の性格はまだ読めない。


 青年は荷物を綺麗に並べなおすと、やっと真澄の正面(妹の横)に座る。するとすかさず少女が缶ジュースを青年に渡した。青年はそれを受け取り、プルタブを引くと一気に喉に流し込んだ。そして、もう一本少女に要求する。青年はプルタブを引くと、間にあるテーブルにジュースを置いた。そして、肩に担いだ銃を両手に構えると、その銃身を使って真澄の目の前にジュースを押した。


「そのままでも飲めるよな?」


 どうやら手錠をされた真澄を気遣っているらしい。やはり鬼のような男ではないようだ。尤も、傷の治療や光に与えた処置でその思いはとっくの昔に真澄からは消えていたのだが、やはり友人のようには思えない。真澄は恐る恐るジュースに手を伸ばし、両手で持つと喉に流し込んだ。久しぶりの甘い液体に、二口目からはもう止まらなかった。青年と同じように一気に飲み干した。そしてやっと落ち着いた。甘いオレンジの味が口内に余韻を残す。


「あ、ついでにもう一つあるんだが、妹さん頼めるかな?」


「何?」


 喉を潤して落ち着きを取り戻した真澄が少女に尋ねる。それに少女が素っ気無い返事を返した。


「タバコ吸いたいんだけど・・・、その茶色のバッグに入っているんだが取ってくれない?」


「これでいいの?」


 少女は素早く立ち上がると真澄の荷物から赤い小箱を取り出して尋ねた。真澄はコクリと頷く。


「何かしたら蜂の巣だからね・・・?」


 そう言いつつも少女は箱からチャコールフィルターの付いたタバコを一本取り出して真澄に咥えさせ、ライターで火を点けた。暫く、紫煙が立ち昇りその場が静寂に包まれる。たっぷり五分ほど経って、フィルターの根元まで火種が届いたタバコをジュースの空き缶に落とし、真澄は青年に向き直った。青年は真澄がタバコを吸う間はリラックスした様子だったが、その間もずっと銃口は向けられたままだった。やはりかなり警戒はしているようだ。


「で、先輩の傷の手当てをしたり拘束したり、あんた何がしたいんですか?」


 相手は銃を持った人間だ。少し前から真澄はタメ口に敬語の混じったような妙な喋り方をしていた。同年代だが強い者に高圧な態度は取れない。その言葉遣いに気付いていた青年は口の端を上げる。


「あんた歳はいくつだ?」


「今年で二十三だがどうしてですか?」


 その答えに青年はフッと口から息を漏らした。


「じゃぁ俺の方が一年先輩か。これで敬語も躊躇ないだろ?」


 それを聞いて真澄は顔が熱くなる。この状況で相手が年下だったら嫌だなと下らない事に拘っていた自分を見透かされていた。これは素直に恥ずかしい。


「それを聞いて安心しました。今度からは躊躇無く敬語を使いますよ。で、さっきの問いに答えて頂くと助かりますが・・・。」


 青年はそれを聞いて今度は声をあげて笑った。その笑いにさすがに真澄もムッとしたが表情には出さなかった。


「いや、すまない。笑うつもりは無かったんだが、あんたけっこう素直だな。」


 まだクックッと笑いを堪え切れてない青年はそう言って非礼を一応詫びる。


「そんな事どうでもいいでしょう。何なんですっ!?」


 真澄の声のボリュームが自然に上がる。


「いやいやいや、決して悪意があるわけじゃないんだが、そんな素直な反応をする人間に久しぶりに会ったと喜んでるんだよ。」


「馬鹿にしてますよね?」


「いや、本当に嬉しいんだ。今まで会ってきた人間は皆裏があってどうにも食えない奴ばっかりだったんでね。俺がここまで警戒するのにもそれなりに訳があるんだよ。聞くか?」


 青年はそう言って銃を構えたまま真澄に向かって少し身を乗り出す。真澄はそれを聞いて青年の話を聞きたくなった。しかし、もう一つ気になっている事を後回しには出来ない。


「先輩は今どうしてるんです?冷やすって言ってましたが、変な事してないでしょうね?」


 それを聞いて、青年はにやりと笑い口を開いた。


「ああ、あのお姉さんは今頭に取って置きの氷嚢を乗せてるよ。まぁしばらくは経過を見ないと命の保障はできないが、今できる最善の手は尽くしてる。なんなら鈴子に看病をさせるが?」


「ぜひお願いします。」


 真澄の即答に青年は少女の方を向き顎で行くように伝える。少女は小さく「ぇー」と反感を示したが、ゆっくりと席を立つと部屋を出て行った。





 今日で何日経ったか分からない。俺は妹の鈴子を連れたまま、できるだけ人の居そうに無い山の中を彷徨っていた。あの惨劇が起きてから、俺は危険を犯してでも警官や自衛隊員のゾンビを狩っていた。目的は武器の確保だ。幸い、立て篭もった自宅の傍に防衛線が敷かれた事もあり、武器を持ったまま徘徊するゾンビ達に事欠かなかった事も生き延びた要因の一つだった。俺は持てるだけの武器を装備し、妹に確保した弾薬を背負わせて自宅からかなり離れた山中まで逃げ延び、道無き道を突き進んだ。二人ともボロボロになりながらも、山を突っ切って海を目指す。地図も無く、ただコンパスを頼りに海を目指す道中は特に食料の確保に困ったが、山の中には意外と人間も食べられる木の実や藻類が豊富にあり、それらを食いながら命を繋ぎ、ようやく海が見える場所まで辿り着いた。


「鈴子、ここがどこか分かるか?」


 俺は眼下に見える景色を眺めながら妹に尋ねる。多分移動した距離は思ったより短いだろう。道の無い山を走破するのにはとんでもない時間がかかる。一日の移動距離はせいぜい十キロがいいところだ。すでに何日も着たきり雀の衣服は泥と汗にまみれている。重い武器と弾薬を持っての移動で妹の体力が限界に近いのは分かっていた。できれば安全な場所で休ませたい。妹は兄の問いに疲れきった表情を見せながら、眼下に広がる景色をザッと見渡し、ゆっくりと頭を横に振った。どうやら妹もこの場所が正確に何と言われていた地域か判断がつかないようだった。


 やっと民家の広がる場所に辿り着いたものの、それ以上どこを目指すべきか俺は完全に目標を失った。海を目指したのは、船による脱出を考えたからだ。しかし、よくよく考えれば船などとっくの昔に無くなっているだろう。生き延びた人間が目指すのはとにかく人の居ない場所だ。それもゾンビの襲撃を受けない要塞や孤島をイメージする。自給自足のできそうな無人島など、すでに逃げ延びた人間同士の争いの場所になっているかもしれなかった。


 途方に暮れながら、俺はとりあえず安全に休息できそうな場所を探す事にした。目下のところ食料と水を欲しかった。それらを入手でき、尚且つ強固な守りのある建物。そう思いながら双眼鏡を取り出し覗く。目の届く範囲にそれらしい建物が無かったからだ。ここにあるのは民家ばかりだ。きっと自宅のあった都市部から離れたベットタウンなのだろう。小さな商店くらいはありそうだったが、町の真ん中など侵入すれば返り討ちに会う事は必至だ。いくら銃器を持参しているとはいえ、俺は素人だ。何度か試し撃ちや試行錯誤を重ねた結果、何とか弾を撃つ事ができるようになっただけだ。大群に追われたら一たまりもない。


 できるだけゾンビのいないルートを算出していた俺の目に止まったのが、少し離れた場所を流れる水路だった。コンクリートで舗装されているが、水は流れているようだ。衛生の面では不十分だが、久しぶりに水で体を洗えるかもしれない。お世辞にも清流の類とはいえなかったが、山の傍なら生活廃水で汚染されている心配も少なそうだ。距離もせいぜい五百メートルほどだ。俺は妹を促すと、山肌を斜めに横切って舗装されたアスファルトに降り立った。





 水は冷たかった。さすがに山から流れ出たばかりの水は普段目にしていたドブのような川とは違い、水も澄んでいた。飲めはしないだろうが、ずっと山の中をうろついていた汚れきった体には良薬となる。妹は積み重ねられたブロックのような斜面を駆け下りて水に飛び込んだ。俺は周囲にゾンビが居ない事を念入りに確認した後、妹に続く。荷物はできるだけ水に濡れない場所に置いて、拳銃を一丁だけズボンのすそに突き刺して水に入る。深さはせいぜい脛が濡れる程度だったが、火照り乾ききった体を潤すには十分だった。上に着ていたTシャツを脱ぎ捨てると、タオルにたっぷりと水を含ませ体をゴシゴシと擦る。妹も下着姿を見られるのを躊躇する事もなく上を脱ぎさり、同じように体を洗った。いつの間にか石鹸をタオルに塗りたくって体をゴシゴシやり始めている。俺はそれを笑顔で見ながら、久しぶりの水浴びを満喫した。


 コンクリートに洗った衣服を貼り付けて、俺と妹は新しい衣服を身につけ水路の横を走る道に腰掛けた。熱せられたアスファルトに座る気はなかったので二人とも自然と雑草の上に腰を下ろす。新たに泥や埃が付く事に何ら気を回す必要は無い。汚れていようが、今はそれを笑う人間も居ないのだ。妹は近くに何も居ない事を確認すると、草の上に横になった。空を流れる雲は何も変わらないねなどと呟くように話しかけてくる。俺にもその思いはあったが、ここはもう人間のテリトリーだ。いつゾンビが群がってくるか分からない。だから油断する事無く周囲に気を配りながらウトウトしだした妹をそのまま休ませる事にした。


 奴らはまるで蛭のようだと思う。山の中を歩き回る内に山蛭というものに悩まされた。いつの間にか頭上の木から落ちてきて首筋や服の中、果ては靴の中にまで入り込んで噛み付き血を吸う連中だ。おぞましさに妹は何度も泣く目に会い、俺もほとほと嫌気がさした。あの探知能力に近いものがゾンビにもあると俺は勘で気付いていた。だからこそ生き延びられたと断言できる。


 妹が寝入って三十分も経たない内に、最初の敵が現れた。ここは住宅地からも程よい距離だったが、一体のゾンビがまるで自分達を視認でもしたように真っ直にこちらを目指してきた。まだ豆粒ほどの大きさだったが、俺は急いで妹を起こした。ここで発砲はまずい。奴らが音に反応するのはすでに体験済みだった。防衛線もそれで壊滅したと言ってもいい。銃はあくまで最終手段だ。諸刃の剣をここで振りかざしても状況は悪化するだけだろう。すぐに出発の準備をして俺と妹はその場を離れる事にした。


 豆粒ほどだった死体はもう服の模様まで確認できる位置に迫っていた。歩みは遅くとも奴らは一歩一歩確実に間合いを詰めてくる。それに疲れることを知らない追跡は一度みつかると振り切るのは不可能に近い。このまま進んでも、寝込みを襲われる危険は十分にあった。ここで始末するのが最良だと考え、奴を撃退する事にし、俺は杖代わりに使っている手製の短槍を構えた。これは自宅に居る時に作った物で、軽い樫の棒の先にサバイバルナイフを固定し、普段はレザーの鞘を先端に付けている。半日かけて試行錯誤し、先端はビクともしないほど強固に固定されている逸品だ。


 俺は鞘を抜くと、ゾンビに向かって走る。狙いは足だ。短槍と言っても俺の身長ほどはあるリーチだ。ゾンビが掴みかかる前に右足(重心のかかっている方が効果的)を思いっきり横に薙ぐ。この槍は先端の接続にパイプを用い、釘や樹脂粘土を駆使してかなりの強度に仕上げていた。折れるとすれば樫の本体の方が寧ろ心配であるくらいだ。ゾンビは足に深手を負いながら、横向きに倒れる。やはりベースは人間なので、腱などに損傷を負うと人体の構造上、奴らは立てなくなる。何とか立ち上がろうと手足をジタバタさせていたが、俺は躊躇することなく頭を遠めの間合いから貫いた。


 妹は心配そうに一部始終を見ていたが、血の滴る槍を片手に戻ってきた俺に抱きつく。俺はその体を汚さないように気を使いながら妹の頭を数回ぽんぽんと叩くように撫で、疲れた足取りで水路に下り、血を洗い流した。そして丹念にハンカチで水滴を拭うと、皮の鞘を先端に被せる。そして、妹に合図をして、また歩き出した。





 今日の宿は乗り捨てられたワゴンだった。そこそこ広い上に、エンジンはまだかかる。俺はそれを確認すると、すぐにエンジンを切った。この音で周囲のゾンビは気付くだろう。案の定、十分もしない内に三体も奴らが現れた。俺と妹は締め切った車内で固唾を飲んでそれを見守る。奴らは臭いに敏感だが、それでも完全に外気と隔絶された車内に潜む俺達を見つけることはできなかった。念のために車内にコロンを大量に振り撒いていたのも効を奏したのだと思うが、油断はできない。水分は途中にあった道端の自販から水とお茶を持てるだけ持ってきた。鍵は拳銃でこじ開けたので、今頃あの辺りはゾンビで溢れているかもしれない。俺はゾンビが離れていくのを確認すると、先に妹を寝かせ弾薬を数えた。拳銃は同じ型の物を五丁持っている。全て9mmなんとか弾だ。それが今の手持ちで二百発ほど残っている。このまま安全な場所に逃げ延びるには心許ない。また補充したいが、都合よく警官や自衛隊員のゾンビがいるわけもないし、もう補充できない事を前提に考えた方がいい。俺と同じように武器をかっぱらって逃げた連中も多数いるはずだ。


 考える事が同じなら、狩るにも標的など微々たるものだ。残るのはマシンガンの方だが、これがマガジン五本しかない。いざという時の虎の子貯金のような物で、おいそれと撃てない代物だった。セーフティーロックも外した事がない。弾が少なすぎるのだ。これと同系の武器を持っていた自衛隊員はかなり居たが、ほとんどが空の弾倉をセットされた物で、残った弾をかき集めてやっとマガジン5本ができた。重いので正常に動いた一丁だけしか持ってこれなかったが、妹に扱える代物でもないのでこれでいいと思っていた。


 武器の確認が終わると、俺はビーフジャーキーを齧りながら先の事を思った。犬用だが、味が薄いだけで食えないことはない。缶詰は保存がきくので開けないようにしている。たまに甘い桃缶など開けたくなったが、我慢していた。今は腹が膨れるだけでいい。食えればドッグフードだろうがキャットフードだろうが関係ない。贅沢を言っている場合ではないのだ。もうそれすら手持ちが少なくなっていた。最終的に缶詰に手を出せば、後はもう魚でも犬でも捕まえて食うしかなくなる。


「これが人間の暮らしかよ・・・。」


 自虐気味に呟いて、俺は苦い笑みを浮かべた。自分達はまだ幸運なのだ。生きているのだから。万物の霊長と生態系の頂点に立っていた人間は同じ人間の攻撃で滅んだ。(正確に確認してはいないが、もう滅んだも同然だ)それでも自分達は優れている、もっと素晴らしい生活ができると思っている時点で愚かなのかもしれない。個々の力では自然の動物に勝てるものなどほとんどないだろうに、そう言う欺瞞に満ちて生活していた。その仇が今降りかかっているのかもしれない。


「お兄ちゃん?」


 考え込んで一人笑いをしていた俺に気付いて妹が起きてしまった。


「鈴子、疲れてるんだから寝てろ。次はいつ寝られるかわからんぞ。」


 俺はそう妹に告げる。俺が寝ていないのは、単に自分の安全のためだ。二人とも寝入ってしまったら、不意の襲撃に耐えられない。


「ん、分かった。後で代わるから起こしてね?」


 妹はそれだけ言うとすぐに寝息を立て始める。信用されているのだろう。これが一人だったら、俺はとっくの昔に発狂して自分の頭をふっ飛ばしていたかもしれない。こいつにも案外救われてるんだなと思いながら、俺は睡魔と闘うために太ももを思いっきり抓った

兄妹の逃走経路はかなり割愛しています。詳細を書くと何話かかるか検討もつかない・・・。


【以下補足】


自宅は都市の外れに近い住宅地にあったと思ってください。かなりの距離と描写していますが、実際には3~4km程度の道のりを経て山中に逃げ込んでいます。それすらも絶望的なほど危険だったというわけです。


銃を使っていますが、まぁご愛嬌ということで。防衛線のバリケードが自宅の傍にでき、多数の死傷者(まぁ噛まれれば死者)が武器を携帯したままその辺を徘徊していると。

兄と妹は自宅で立て篭もり、眼前を徘徊するゾンビの首に縄をかけて部屋に引き入れ武器を奪いました。銃が手に入った後はそれで頭を撃って殺してから部屋に引き入れていたというわけです。自宅は三階建てで箱型、一階部分が駐車場になっており、横の階段を塞げば二階までゾンビに侵入されない作りです。

防衛線に助けを求めなかったのは、すでに自宅側にゾンビが徘徊し逃げられない状況だったからです。孤島に取り残されちゃった的な。



銃は一応H&K P2000を採用しています。近年の警察官は持ってるらしいので。文句があればwikiまでどうぞ!マシンガンや拳銃と描写しているのは、青年が作者と同じく武器に疎い一般人だからです。ミリオタでもないかぎり銃の外見で名前を連想できるわきゃないってばよ(。・ε・。)

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