心で見ていた
彼女いない歴、イコール、実年齢。
大学生になり、そろそろ恋の一つでもしてみたら? と、最近周りによく言われる。
今の時代、恋愛をしない人だってたくさんいるだろう、と口答えしつつも、気にしている自分がいる。
本当は俺だって、恋愛がしてみたいのだ。彼女が欲しいのだ。
ただ、俺はどうしようもなく、コミュニケーションが苦手だった。文字だけだったらいい。直接会うのが駄目だ。自分自身、ものすごく緊張するし、相手をびっくりさせてしまう。
容姿にも自信がない。これといった特徴がなく、芸能人の誰々に似ている、と言われたこともない。せいぜい、通行人Aが適役だと思う。
それでも、彼女は自然に沸いては出てこない。俺はいよいよ勇気を出して、マッチングアプリとやらに挑戦してみることにした。
写真は――ちょっとは身なりをこぎれいに整えた、大学の入学式のやつでいいか。
趣味は――映画鑑賞。特に、字幕で見る洋画。好きなタイトルをいくつか載せておこう。
何か一言――メッセージをやり取りして、あなたのことをたくさん知りたいです。
我ながら、さえないプロフィールだと思う。でも、これも経験だ。俺は、意を決して会員登録ボタンを押した。
秒で、何件もマッチした。
大体が、やたら化粧の濃いお姉さん。本当に本人の写真かどうかも疑わしい、怪しげなアカウントばかりだ。プロフィールもなんだか絵文字でゴテゴテしていて、急に繁華街に迷い込んだみたいに、目がチカチカしてしまう。
『お写真素敵ですね!』
『すぐ会えます!』
とても俺のプロフィールを見たとは思えないようなメッセージが、次々に届く。きっとこういう人たちは、誰彼構わず同じメッセージを送っているのだろう。そのコミュニケーション能力の高さを賞賛しつつ、引いてしまう自分がいる。
所詮、マッチングアプリなんてこんなもの。俺みたいな地味な学生のものではないのだろう。
既に希望を失いつつ、スマートフォンの画面をスクロールして、送られてきたメッセージをぼんやり眺めた。ふと、一件のメッセージに目が留まった。
『私もあなたと同じ映画が好きです。良かったら、もっと映画のお話しをしませんか?』
他の人とは違うテイストのメッセージをくれたその人は、「ここね」さんという名前だった。キラキラしたお姉さま方とは違って、何の加工もしていなさそうな写真。同い年で、すぐ近くに住んでいるらしい。正直、特に可愛いとは思わなかったけれど、プロフィールをきちんと読んでくれたことに、とても好感が持てた。
『ぜひ!』
その日から、俺たちのメッセージのやり取りが始まった。
共通の趣味である映画の話を切り口に、ここねさんとは会話が弾んだ。
『あの映画、いいですよね。ラストシーンの俳優さんの表情に迫力がありますし、カメラワークが美しいなぁ、と思って』
『ラストシーン、私も好きです。セリフの勢いと、音楽の盛り上がりに、ドキドキしてしまいます』
同じ映画を見ていても、俺とここねさんは、楽しみ方が違う。映像で楽しむ俺と違って、ここねさんは音で楽しむ傾向があるようだった。その良さは俺には分からないけど、新しい発見だったし、同じ作品に感動しているという一体感が嬉しかった。
仲良くなってくると、俺たちは映画以外の話もするようになった。
『「ここね」は本名ですか?』
『本名です。「心」に「音」と書きます。「ひとみ」は本名ですか?』
『はい。漢字でそのまま「瞳」です。生まれたとき、目がくりくりしてたからって、両親が。俺の名前、女とよく間違えられます』
『私も、なかなか一度では正しく読んでもらえない名前です。生まれたときの心臓の鼓動に感動したからって、両親がつけてくれたんですけど……。小学生の頃、「しんおん」と呼ばれていじられたものです』
『俺もよくいじられました。「瞳」だから、「人見知り」、なんじゃないか、って』
そんな他愛のないやり取りが、信じられないくらいに幸せだった。
ここねさんのことを一つ知る度に、一歩ずつ好きになっていく。もっと知りたくなって、いつまでもメッセージのやり取りが終わらない。
でも俺は、ここねさんにこれ以上近づくつもりがなかった。この距離感を保てたら十分だ。
だから、数ヶ月後のここねさんの提案は、俺が最も恐れていた事態といえた。
『直接お会いしませんか? 一緒に映画に行ってみたいんです』
ここねさんからのメッセージに、俺は多分、今世で一番悩んだと思う。いつかこうなることは予想していたけれど、起こらないように、ずっと祈っていた。
ここまでの関係は良好だし、お互いに、いいなぁと思えている実感があった。でも、それは、文字だけのコミュニケーションだったから。
実際に俺の姿を目にしたら。声を聞いてしまったら――。きっとここねさんは俺のことを、これまでとは別人みたいに捉えるだろう。こんなはずではなかった、と感じるだろう。ここまでの良い雰囲気を、一発で台無しにしてしまう自信が、俺にはある。とても怖いと思った。
それでも、俺は悩み抜いた末に『ぜひ』と、震える手で返信した。
怖さ以上に、俺はもう、ここねさんに惹かれてどうしようもなくなっていたのだった。
それから何度かやり取りをして、待ち合わせの日時と場所を決めた。
『目立つように、赤いワンピースを着ていきます。私を見つけたら、声をかけてくださいね』
そこで俺は、まだ言えていないことを打ち明けるかどうか悩んだ。でも、結局言えなかった。代わりに、こう返信した。
『いきなり声をかけるなんて、緊張してしまいます。見つけたら、メッセージを送りますね』
ここねさんと会う日まで、俺は不安と緊張で、眠れない日々を過ごした。
約束の日、俺は普段使わないワックスをつけて、香水を振りかけて、少しでも印象が良くなるように努力した。鏡の前で、笑顔の練習もした。
上手に喋れるように、自分なりに発声練習もした。効果があるかどうかは分からなかったけど、できることは何でもしておきたかった。
目的地に向かうまでのいつもの街の静寂が、普段よりも怖かった。「ここねさん、ここねさん」と、歩きながら呪文のように何度も呟いた。周りの人に不審者扱いされていたかもしれない。
やがて、待ち合わせの場所に着いた。約束の時間よりも早かったけれど、赤いワンピースの女性は、もうそこにいた。
写真の通り、やっぱり飾り気がなくて。そして、写真には写っていなかった、白い杖を持っていた。
ここねさんに対して抱いていた違和感の正体が、ここではっきりと分かった。
声が届く距離にはいたけれど、俺はあえてスマートフォンを取り出して、メッセージを打った。数秒後、ここねさんが何かに気が付いた様子で、自分のスマートフォンを取り出す。俺のメッセージが届いたのだ。
ここねさんは、じっと画面を見つめている。いや、きっと聞いているのだ。機械音に変換された、俺のメッセージを。
『見つけました。すぐ側にいます。俺は生まれつき、耳が聞こえません。ずっと言えなくて、ごめんなさい。これから声をかけますが、多分、変な声だから、びっくりさせてしまうかもしれません』
メッセージを聞き終わったここねさんが、スマートフォンに向かって何か言っている。音声入力している。唇の動きは読めるから、何を言っているかは何となく分かった。
入力が終わると、ここねさんはスマートフォンの画面を、掲げるように目の前に突き出した。俺は画面が見える距離まで近づいて、その内容を確認した。
『ひとみくん、私の方も、言えなくてごめんなさい。私は生まれつき、目が見えません。あなたが離れていってしまうかもしれないと思ったら、怖くて言えませんでした。もし、こんな私でも受け入れてくれるなら、声をかけていただけますか? 私からは、あなたを見つけられないのです』
俺は決意を固めて、口を開いた。
「ここねさん」
自分には聞こえない、声。きっと聞き取りにくい、声。
でも、ここねさんにはちゃんと聞こえた。ここねさんは俺の方を向くと、素早くスマートフォンを操って、俺に画面を見せた。
『はじめまして、ひとみくん。手を取ってくださいませんか?』
俺に、もう迷いはなかった。
ここねさんの手を取る。一瞬驚いたような顔をした後で、ここねさんが微笑む。俺も笑う。俺も、こういうときは、こんなに自然に笑えるのだと気が付いた。ここねさんにはどのみち見えない。練習なんてして、身構えることなんてなかった。緊張が一気に解けていく。
この数ヶ月、心でお互いを見ていた二人だった。恐れることなんて、何もないはず。
俺たちは映画館を目指して、ゆっくりと歩き出した。




