第3話 お互いの道
裏路地を出たあと、僕とノクティアは並んで歩いた。
夕方の街は、昼よりも少しだけ静かだった。
店を閉める音、荷車のきしむ音、遠くから聞こえる酒場の笑い声。
さっきまで殴られていた身体は、歩くたびに痛んだ。
でも、不思議と気持ちは落ち着いていた。
ノクティアは、フードを深く被ったまま、何も言わずに隣を歩いている。
「……家、あるの?」
僕が聞くと、ノクティアは少し間を置いてから首を振った。
「ない」
短い答えだった。
「ずっと?」
「……ずっと」
それ以上は、聞かなかった。
聞いていいことと、今は聞かない方がいいことがある気がした。
少し歩いてから、僕は言った。
「……僕の家、来る?」
ノクティアが足を止めた。
「いいの?」
「うん。父さんと母さん、優しいから」
本当は、不安もあった。
勝手に決めていいのかとか、怒られないかとか。
でも、あの裏路地で一人置いていく選択肢は、最初からなかった。
ノクティアは、少しだけ考えて、頷いた。
「……行く」
その声は、ほっとしたようにも聞こえた。
家に着くと、灯りがついていた。
母が真っ先に気づいた。
「……あなた!」
僕の姿を見て、ほっとした顔になる。
でも、その後ろに立つノクティアを見て、少し驚いた。
「この子は……?」
「……ドアーフにいじめられてた、行く場所がなくて」
父も出てきて、ノクティアを一目見るなり、表情を変えた。
「ダークエルフ……」
その言葉に、ノクティアの肩がわずかに強張る。
僕は慌てて言った。
「でも、すごく優しいんだ。悪い子じゃない」
父はノクティアをじっと見たあと、視線を僕に戻した。
「名前は?」
「……ノクティア」
小さな声だった。
父は少し考えてから、言った。
「中に入れ」
それだけだった。
母はすぐに微笑んで、ノクティアの手を取った。
「寒かったでしょう。お腹も空いてるでしょう?」
ノクティアは戸惑いながらも、こくりと頷いた。
その日の夕食は、少しぎこちなかった。
でも、ノクティアは出されたものを残さず食べ、
何度も「ありがとう」と言った。
一口ごとに、
椀を置くたびに。
その様子を見て、母は何も言わず、料理を少し多めに盛った。
父は多くを話さなかったけど、
ノクティアが箸を落としたとき、静かに拾って渡した。
それだけで、十分だった。
食後、父が言った。
「しばらく、ここにいろ」
ノクティアが目を見開く。
「……いいんですか?」
「行く場所がないなら、ここだ」
父の言葉は短いけど、迷いがなかった。
ノクティアは、深く頭を下げた。
「……ありがとう」
その声は、少し震えていた。
夜。
母が言った。
「お風呂、先にどうぞ」
僕が「一緒に入ろうか?」と言うと、
ノクティアは、はっきり首を振った。
「……僕は平気」
「え?」
「後で入る」
僕は、あまり気にしなかった。
知らない家だし、恥ずかしいのかな、と思った。
「じゃあ、先に入るよ」
風呂から上がると、ノクティアはもう寝間着に着替えていた。
いつの間にか、きちんとフードも外している。
長い髪が、肩に落ちていた。
「……入らないの?」
「あとで」
その日は、結局ノクティアが風呂に入った気配はなかった。
母は何も言わなかった。
父も聞かなかった。
それからの日々は、静かで、穏やかだった。
ノクティアは、よく手伝いをした。
水を汲み、
洗濯物を干し、
母の横で野菜を切る。
「……楽しい」
ぽつりと、そう言ったことがあった。
「ここ、落ち着く」
その言葉を聞いたとき、
僕は胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
僕たちは、よく話した。
街のこと。
川のこと。
星のこと。
ノクティアは、自分のことをあまり話さなかった。
家族の話もしない。
でも、嘘はつかなかった。
「一人だった」
それだけ。
それ以上、深くは言わない。
僕も、無理に聞かなかった。
ある夜、僕は父に言った。
「……ハンター試験、受けたい」
父は黙って聞いていた。
「諦めるつもりはない」
しばらくして、父は言った。
「……覚悟があるなら、止めはしない」
母は不安そうだったけど、何も言わなかった。
ノクティアは、その話を聞いて、静かに言った。
「……一緒に行く」
「え、なんでノクティアまで」
僕はすぐに否定した。
「僕の真似しなくていいんだ」
ノクティアは、迷わず言った。
「やだ、君を助けたい」
その言葉は、突き放すものじゃなかった。
「君がハンターになるなら僕も一緒」
「……」
「一緒に生きる」
ノクティアの目は、まっすぐだった。
この子は、か弱そうに見える。
でも、芯が強い。
それだけは、はっきり分かった。
ハンター試験は、三年に一度。
次は、三年後。
それを目指して、僕たちは動き出す。
夜、布団に入ると、隣から小さな寝息が聞こえた。
「……ノクティア」
呼んでみたけど、返事はない。
眠っているらしい。
僕は、天井を見つめながら思った。
(守りたい)
守られてばかりだった僕が、
初めて誰かを守りたいと思った。
それが、ハンターになりたい理由なのかもしれない。
三年後。
僕とノクティアは、ハンター試験を受ける。
まだ何も知らない。
何も分からない。
でも――
一緒に進むと決めた。
それだけで、十分だった。




