第二話 家出
助けてもらった日のことは、何度思い出しても胸が熱くなった。
黒い靄をまとった魔族。
あれだけ近づいただけで、空気が腐ったみたいに息ができなくなった。
父と母の腕の中で震えて、ただ終わりを待つしかなかった僕。
それを、一人で終わらせた。
エルフのハンター。
剣を振り抜いた瞬間の音。
迷いのない目。
魔族が倒れるときの、あの静けさ。
「大丈夫。もう終わったよ」
その一言が、僕の中の何かを変えてしまった。
翌日も、その翌日も、畑は同じ匂いがした。
父は鍬を振り、母は洗い物をし、僕は水を運ぶ。
風はいつも通りに吹くのに、僕の心だけがどこか落ち着かなかった。
考えてしまう。
もし、あのとき僕がもっと強かったら。
もし、父が武器を持っていたら。
もし、母が魔法を使えたら。
でも、現実は違う。
僕は人間だ。
弱い。
守られる側。
その事実が、急に恥ずかしくなった。
朝の手伝いを終えたあと、僕は父に言った。
「……僕、ハンターになりたい」
父の手が止まった。
木箱を直していた指先が、ぴくりと動く。
母も、鍋をかき混ぜる手を止めた。
しばらく沈黙が落ちた。
僕は、息を飲んで待った。
父は、僕の目を見て言った。
「だめだ」
一言だった。
「どうして?」
僕が聞き返すと、父の眉が寄った。
「危険だからだ。命を落とす」
「でも、誰かがやらないと国は」
「誰かがやる」
父は言い切った。
「お前じゃない。」
その言い方が、胸に刺さった。
まるで、僕には最初から資格がないみたいな言い方。
母が慌てて言う。
「ねえ、落ち着いて。あなた、まだ子どもよ」
「子どもでも、ハンターになりたいって思うのは普通だよ。」
「人間は違うの」
母の声が少し強くなった。
「あなたは、普通の暮らしをして、ちゃんと大人になって、幸せになってほしいの」
僕は唇を噛んだ。
幸せ、という言葉が急に遠く感じた。
僕の中の熱は、憧れだった。
生き方そのものが、変わる熱。
でも父と母の言葉は、冷たい水みたいにそれを消そうとしてくる。
「僕だって、守れるようになりたい」
「守らなくていい!」
母の声が震えた。
その震えに気づいたのに、止まれなかった。
「だって、また魔族が来たらどうするの!? また僕は震えてるだけなの!?
父さんも母さんも、僕を抱きしめてくれて……でも、何もできないまま」
父が立ち上がった。
「もういい!」
声が大きくて、家の空気が揺れた。
父は僕の肩を掴む。
「聞け。ハンターはな、命をかける。強い種族でも死ぬ。
お前がなったら、確実に死ぬ。そんな未来を許せるわけがない」
その“許せない”は、怒りじゃなかった。
怖さだった。
息子を失う怖さ。
分かってる。分かってるのに。
僕はそれでも言ってしまった。
「じゃあ僕は、一生、守られるだけで生きろってこと?」
父の手が、わずかに強く僕の肩を締めた。
「……そうだ」
その一言で、何かが切れた。
僕は父の手を振り払って、家を飛び出した。
背後で母が「待って!」と叫ぶ。
父が何かを言いかける気配。
でも僕は振り返らなかった。
胸が痛い。
息が荒い。
悔しくて、涙が出そうなのを必死でこらえた。
走って走って、村の道を抜けて、街の方へ向かった。
街は、夕方の色に染まっていた。
商人が店じまいをしている。
酒場の前では、仕事帰りの獣人が笑いながら肩を叩き合っている。
鍛冶場からは、金属を打つ音がまだ聞こえた。
みんな、強い。
みんな、自分の場所を持っている。
僕だけが、宙ぶらりんだった。
僕はどこへ行けばいい?
家出なんて、勢いだけだった。
どこで寝るとか、何を食べるとか、何も考えていない。
だけど、今さら戻れなかった。
戻ったら負けた気がする。
僕はふらふらと歩いた。
大通りから外れて、細い道へ。
人の声が遠くなる。
壁が高くなる。
光が少なくなる。
そこで、何かを感じた。
人の気配。
僕は足を止めた。
裏路地の奥から、くぐもった声が聞こえる。
「おい、出せよ」
「持ってんだろ?」
「フード取れよ、気持ち悪い」
僕は、そっと近づいた。
角を曲がると
そこに、三人のドアーフがいた。
小柄だけど、腕が太い。
顔は薄暗くてよく見えないけど、乱暴な雰囲気は一瞬でわかった。
そして、壁際に追い詰められている子が一人。
フードを深く被った、小さな子。
身体つきからして、僕と同じくらいか、もっと小さい。
その子は何も言わず、ただ身を縮めていた。
ドアーフの一人が、フードの端を掴んで引っ張った。
「見せろよ。何隠してんだよ」
その瞬間、僕の胸が熱くなった。
あのエルフなら、どうする?
黒い靄の前で、迷いなく剣を振った。
怖くないはずがないのに、それでも立った。
僕は、喉が鳴るのを感じながら、声を出した。
「やめろ!」
三人が一斉に振り向く。
「は?」
「誰だよ」
僕は足が震えているのに、前に出た。
「弱い子いじめて楽しいのかよ!」
言ってから気づく。
僕、今、まったく同じことをしてる。
あのエルフみたいに、助けようとしてる。
胸が高鳴った。
怖いのに、ちょっとだけ誇らしい。
ドアーフが、にやっと笑った。
「なんだ、人間じゃん」
一人が僕に近づき、胸を指で突いた。
「お前が止めんの?」
僕は指を払いのけた。
「止める」
その瞬間。
拳が飛んできた。
頬に衝撃。
視界が白く弾ける。
次に腹。
息が詰まって、膝が折れた。
「うわ、弱っ」
「人間ってこんなもんか」
笑い声が頭の上で弾む。
僕は倒れた。
土の匂い。
石の冷たさ。
口の中に鉄の味。
立ち上がろうとした。
でも、足に力が入らない。
拳がまた飛んでくる。
背中。
肩。
腕。
痛い。
痛すぎる。
僕は必死に歯を食いしばった。
泣くな。泣くな。
助けるって言っただろ。
あの子を、守るって
でも現実は残酷だった。
僕は、何もできない。
ただ殴られて、倒れて、呻いているだけ。
「助けるんじゃないの?」
「人間はやっぱり人間だな」
ドアーフの靴が僕の腹を蹴った。
息が漏れる。
身体が丸まる。
そのときだった。
頭の中に、あの光景が入り込んできた。
黒い靄。
剣閃。
倒れる魔族。
そして、あのエルフの背中。
“強い”って、こういうことだ。
僕の心が、瞬間的に燃え上がった。
「……っ」
立て。
立て。
立て――
そう思った瞬間。
三人のドアーフが、突然、言葉を止めた。
「え……?」
次の瞬間。
ドサッ、ドサッ、ドサッ。
三人が、ほとんど同時に地面へ倒れた。
何が起きたのか分からなかった。
僕も、フードの子も、固まっていた。
そして、裏路地の入口から足音がした。
軽い。
風みたいな足音。
現れたのは
小さなエルフの女の子だった。
彼女は倒れたドアーフたちを見て、ふん、と鼻を鳴らした。
「三人がかりで、子ども二人を殴るとか。情けなさすぎ」
僕は、息をするのも忘れて彼女を見ていた。
小さいのに、かっこいい。
僕は必死に言葉を探した。
「……君、は……」
エルフの女の子は、僕の方を見た。
僕の前にしゃがむ。
「立てる?」
差し出された手は、小さくて、でも強そうだった。
僕はその手を取った。
立ち上がった瞬間、膝が震えた。
エルフの女の子は、壁際のフードの子をちらっと見てから、僕に言った。
「……あの子は友達?」
「……いや、違う」
「ふうん」
彼女は少しだけ笑った。
「じゃあ、次はちゃんと助けなさい」
それだけ言って、踵を返す。
僕は慌てて叫んだ。
「待って!」
彼女が振り向く。
「……なに」
僕は胸の奥が熱くなるのを感じながら言った。
「君、ハンターなの?」
エルフの女の子は、少し考えるように間を置いてから答えた。
「……まだ違う」
「ハンター試験受けないとだから」
(ハンター試験?)
僕が口を開こうとしたとき、
フードの子が小さく息を吸う音がした。
でも、その子は結局、何も言わなかった。
エルフの女の子は、倒れたドアーフを一瞥し、僕に最後に言う。
「帰りなよ。」
「……ありがとう」
彼女は去った
僕はフードの男の子に近づく
「大丈夫だった?」
「ご、ごめんなさい」
彼はフードを下ろした
僕は息を呑んだ
「君は、ダークエルフ?」
一見、エルフに見えるが肌の色が黒い
目は大きく綺麗な赤い瞳
美少年だった
彼は泣いていた
とても弱く小さく見えた
「きみ、名前は?
僕は、ルーク」
「ノクティァ」
「ノクティア!
よければうち来る?」
「え、」




