8話:平和の中の違和感 ――村人たちの好奇心と、シオンの正体へのささやかな疑念
――夏の午後、エルデン村は蝉の声とともに、どこか浮き立つような平和に包まれていた。
シオンは畑の隅で、朝に収穫したばかりの野菜を手入れしていた。
陽射しは強いが、村の空気はどこまでも穏やかだ。
だが、その静けさの中に、どこか微かなざわめきが混じっているのを、シオンは感じていた。
村人たちの視線――それは好奇心と、ほんの少しの警戒が混じったものだった。
「シオンさん、こんにちは!」
リアナが、雑貨屋のエプロン姿で駆けてくる。
彼女の後ろには、村の子供たちが何人かついてきていた。
「こんにちは、リアナ。みんなも一緒か」
「うん! 今日はみんなでシオンさんの畑を見学に来たんです。だって、すごく立派なトマトができたって噂になってて!」
「そうか。みんな、よかったら好きなだけ見ていってくれ」
子供たちは畑の間を駆け回り、野菜や花を指さして歓声を上げる。
だが、その中に混じって、年配の女性たちが少し離れた場所からシオンを観察しているのが見えた。
「ねえ、シオンさんって、やっぱり都会の人なんですか?」
「そうだよ。都会から来たんだ」
「でも、鍬の使い方が最初から上手だったって、お母さんが言ってたよ。都会の人なのに、どうして?」
「……そうだな。昔、ちょっとだけ畑仕事を手伝ったことがあったんだ」
子供たちはそれ以上気にせず、また畑の中に戻っていく。
だが、年配の女性たちは、ひそひそと話し合っている。
「ねえ、あの人、やっぱりどこか普通じゃないわよね」
「そうねえ。見た目は若いけど、目の奥がすごく深いっていうか……」
「村長さんは“いい人だ”って言ってたけど、何か隠してるんじゃないかしら」
シオンは、その声を遠くに聞きながら、静かに鍬を土に差し込む。
村の平和の中に、確かに“違和感”が芽生えていた。
そのとき、グレンが大きな声でやってきた。
「おーい、シオン! 鍬の調子はどうだ?」
「グレンさん、こんにちは。おかげさまで、すごく使いやすいです」
「そうかそうか。……おい、そこの子供たち! シオンの畑で遊ぶときは、苗を踏むなよ!」
「はーい!」
グレンは、シオンの隣に腰を下ろした。
ふと、低い声で囁く。
「……最近、村の連中が妙にお前のことを気にしてる。まあ、悪い意味じゃねえが、噂好きな奴らだからな」
「……気にしてませんよ。どこに行っても、最初はそういうものだと思ってます」
「それならいいんだがな。だが、リアナの母さんなんか、“シオンさんの目は、昔話に出てくる勇者みたいだ”とか言い出してる。……お前、何か隠してることはないか?」
シオンは、しばらく黙って空を見上げた。
「……隠してること、か。誰にだって、言えないことの一つや二つはあるさ」
「はは、そりゃそうだ。俺だって、昔は鍛冶屋になる前に色々やらかしたもんさ。だがな――村の奴らは、平和な中にも刺激を求めてる。だから、余計に“新しい人”には興味津々なんだ」
グレンは、空を見上げてぼそりと呟く。
「昔、村に勇者様が住んでたって伝説があるだろ? あれを本気で信じてる奴もいる。だから、シオン、お前みたいな奴が来ると、つい重ねて見ちまうんだよ」
「……俺は、ただの村人です」
「それでいいさ。だが、もし何かあったら、俺には相談しろよ。お前はもう、村の仲間なんだからな」
そのとき、エミリアが静かに現れた。
彼女は少しだけシオンを見つめ、声を落とす。
「シオン、村の人たちがあなたのことを色々噂しているわ。“都会の人にしては畑仕事が上手すぎる”とか、“目つきが普通じゃない”とか……。気にしない方がいいけど、もし困ったら私にも言って」
「ありがとう、エミリア。……君も、村に来たばかりの頃は、同じような目で見られたのか?」
「ええ。でも、私はあなたほど目立たなかったわ。……あなたは、どこか“普通じゃない”雰囲気があるもの」
シオンは、苦笑した。
「……隠してるつもりなんだがな。どうしても滲み出てしまうらしい」
エミリアは、そっと微笑む。
「でも、それは悪いことじゃないわ。村の人たちは、あなたを怖がってるわけじゃない。ただ、好奇心が強いだけ。……それに、もし本当に“勇者様”だったとしても、今のあなたを受け入れてくれると思う」
シオンは、少しだけ目を伏せた。
「……ありがとう。俺は、もう戦いたくない。ただ、静かに暮らしたいだけなんだ」
エミリアは、静かにうなずいた。
「分かってるわ。私も、あなたのそういうところが好きよ」
そのとき、村長バルスがのんびりとやってきた。
「おーい、みんな元気かね? シオンくん、今日は村の広場で集まりがあるんだ。よかったら来てくれ」
「集まり、ですか?」
「そうさ。新しい仲間が増えたときは、みんなで顔を合わせて話をするのが村のしきたりだ。リアナもグレンも、エミリアも、みんなで来てくれ」
リアナが、ぱっと明るい声をあげる。
「やった! シオンさん、みんなでお茶会しましょう!」
シオンは、静かにうなずいた。
「……分かりました。みんなと話すのは、嫌いじゃない」
村の広場に集まった村人たちは、シオンを囲んで思い思いに話しかけてくる。
「シオンさん、畑仕事は慣れましたか?」
「都会の人なのに、どうしてそんなに手際がいいんです?」
「もしかして、昔どこかで修行してたんですか?」
シオンは、ひとつひとつ丁寧に答える。
「畑仕事は、みなさんに教わったおかげです。都会にも畑はあったので、少しだけ経験がありました」
「へえ、そうなんですねえ。でも、なんだか不思議な感じがします。シオンさんって、村に来たばかりなのに、まるで昔からここにいたみたいで」
「そうそう、目がすごく落ち着いてるっていうか……。どこか遠いところを見てる気がするんですよね」
シオンは、苦笑しながら答える。
「……昔、いろんな場所を旅していたことがあるので、そのせいかもしれません」
村人たちは、それ以上深くは追及しない。
だが、好奇心と、ほんの少しの疑念が、村の空気に静かに漂っていた。
その夜、シオンは自分の家で静かに独り言を呟いた。
「……平和の中にも、違和感はある。だが、それもまた人の営みか」
窓の外では、村の灯りが優しく揺れている。
シオンは、静かな夜の中で、自分が“村の一員”として受け入れられつつあることを、少しだけ嬉しく思った。
だが、心の奥底では――
“本当の自分”が、いつか誰かに見抜かれるのではないかという、かすかな不安が消えることはなかった。




