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7話:畑に芽吹くもの  ――初めての収穫と、静かな充実感

――夏の朝、エルデン村の畑は、静かで、どこか神聖な空気に包まれていた。


 シオンは、鍬を片手に自分の畑の端に立っていた。

 畝の間には、薄緑色の葉がしげり、その隙間から小さな芽や花が顔を覗かせている。

 土を耕し、種を蒔き、水をやり、毎日少しずつ手をかけてきた畑。

 その一角に、今朝は明らかに違う気配があった。


「……これは」


 しゃがみ込んで葉をかき分けると、そこには瑞々しい実がなっていた。

 小さなキュウリ、丸々としたトマト、艶やかなナス――どれも、ほんのひと握りだが、確かに“初めての収穫”だった。


 シオンは、そっと手を伸ばし、キュウリを摘み取る。

 その感触は、剣の柄とはまるで違う。

 土と水と光――そして、自分の手が生み出した命の重みが、指先に伝わってくる。


「……これが、畑に芽吹くもの、か」


 ひとりごとを呟いたとき、背後からリアナの声が響いた。


「シオンさん! おはようございます!」


 振り返ると、リアナがバスケットを抱えて駆けてくる。

 彼女の頬は朝日に染まり、目はきらきらと輝いていた。


「おはよう、リアナ。……見てくれ、初めての収穫だ」


「わあ、すごい! キュウリもトマトも、立派に育ちましたね!」


 リアナは、畑にしゃがみ込んで実をひとつずつ手に取る。


「すごいです、シオンさん。最初は土の耕し方も分からなかったのに、こんなに立派に……。ねえ、どんな気持ちですか?」


 シオンは、しばらく黙って青空を見上げた。


「……不思議だ。戦いのあとに感じていた達成感とも違う。これは……静かな、満ち足りた気持ちだ。剣を振るっていた頃は、何かを得ても、すぐに次の戦いが待っていた。だが、畑の実りは、ただ静かに、穏やかに、俺の手の中にある」


 リアナは、そっと微笑んだ。


「分かります。私も初めて自分で育てた野菜を収穫したとき、すごく嬉しかったです。……あのとき、父が“土は裏切らない”って言ってくれて。毎日世話をして、手をかけて、やっと芽吹いた命は、どんな宝石よりも大切に思えるんです」


「……そうだな。これは、俺の“初めて”だ」


 リアナは、バスケットを差し出した。


「よかったら、うちのパンと一緒に食べましょう! 採れたての野菜は、そのままかじるのが一番美味しいんですよ」


 シオンは、キュウリを手に取り、思い切ってかじった。

 みずみずしい香りと、さっぱりとした甘みが口に広がる。


「……美味い。これが、自分で育てた野菜の味か」


「でしょ? 村の人たちも、みんな自分の畑の野菜が一番だって自慢してますよ。あ、そうだ! 今日の昼ご飯は、みんなでピクニックにしませんか? シオンさんの初収穫、お祝いしましょう!」


「……いいのか? こんな小さな収穫で」


「小さくなんかありません! 初めての収穫は、どんなに小さくても特別なんです。村のみんなも、きっと喜びますよ」


 リアナは、すぐに村の子供たちを呼んできた。

 グレンやエミリア、村長バルスもやってきて、畑の前に小さな輪ができる。


「おお、これがシオンの初収穫か! 立派なもんだな!」


 グレンが大きな手でトマトを持ち上げる。


「最初の収穫は格別だろう? 俺も初めて鍬で土を耕したときは、手が痛くて泣きそうだったが、初めてのジャガイモを掘り出したときは、思わず叫んじまったもんだ」


 エミリアも、静かに微笑みながら言葉を添える。


「農業は、魔法とは違うわ。毎日少しずつ積み重ねて、やっと結果が現れる。……でも、その分、喜びも大きいのよ」


 バルス村長は、のんびりとした口調で続けた。


「わしも昔は、畑仕事が嫌いでなあ。でも、最初に自分で育てたリンゴの木に実がなったときは、思わず家族みんなで泣いたもんさ。シオンくん、今日の気持ちは一生忘れんようにな」


 子供たちは、畑の周りをぐるぐる回りながら、はしゃいでいる。


「シオンお兄ちゃん、すごい! 今度、一緒に野菜作り教えて!」


「私も、トマト食べたい!」


 リアナが、みんなに野菜を分けて回る。


「はいはい、順番ですよ。シオンさんが一番最初に食べて、次はみんなで分けましょうね」


 シオンは、静かに微笑んだ。


「……ありがとう、みんな。俺は、今まで“戦い”でしか誰かを喜ばせることができなかった。だが、こうして畑で実ったものを分け合うことで、こんなにも温かい気持ちになれるとは思わなかった」


 グレンが、肩を叩く。


「それでいいんだよ。村の暮らしは、みんなで分け合うのが一番だ。お前も、もう立派な村人だ」


 エミリアも、穏やかな声で続ける。


「シオン、あなたはもう十分に“ここ”に根を下ろしているわ。畑の実りは、あなた自身の成長の証でもあるのよ」


 バルス村長は、のんびりとした笑顔で言う。


「今日のこの気持ちを忘れずにな。畑の作物も、人の心も、手をかければ必ず芽吹く。……それが、村の教えさ」


 昼ごろ、みんなで畑の脇にシートを広げて、ピクニックが始まった。

 採れたての野菜をスライスして、パンにはさみ、チーズやハーブと一緒に味わう。

 村人たちの笑い声が、青空に響く。


「シオンさん、これからも一緒に畑仕事しましょうね!」


「……ああ。これからも、毎日少しずつ、畑を育てていきたい」


 シオンは、静かな充実感に包まれていた。

 剣を置き、鍬を手にした日々――その先に、こんな穏やかな幸せがあるとは、かつての自分には想像もできなかった。


 ふと、畑の端に咲く小さな花に目をやる。

 土の中で眠っていた命が、陽の光を浴びて芽吹き、やがて実を結ぶ。

 それは、シオン自身の新しい人生の象徴のようだった。


「……ありがとう、みんな。俺は、この村で生きていく。畑とともに、みんなとともに」


 誰にともなく、そう呟いた。


 畑に芽吹くものは、野菜だけではない。

 それは、静かな日々の中で育まれる、確かな幸せと、仲間たちとの絆だった。

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