5話:鍛冶屋グレン、鉄と夢を鍛える男 ――農具作りと、勇者への憧れ
――鍛冶屋の朝は、村の誰よりも早い。
シオンが畑の端で鍬を研いでいると、金属を叩く重い音が、朝靄の中から響いてきた。村の中央通りを抜けて鍛冶屋の前に立つと、扉の隙間からは熱気と煙、そして鉄と油の匂いが漂ってくる。
「おーい、グレンさん。いるか?」
シオンが声をかけると、奥から豪快な笑い声が返ってきた。
「おう、シオン! 朝っぱらからどうした、農具でも壊したか?」
グレン・バルドーは、分厚い腕に煤をつけ、エプロン姿で現れた。彼の背後には、大小さまざまな農具や鍬、そして見慣れぬ剣や盾も並んでいる。
「いや、今日は相談があってな。畑を始めてみたんだが、どうにも鍬の扱いが下手で……。もう少し軽いものが作れないかと思って」
「ははは! やっぱりな。都会の人間は、鍬よりペンの方が似合うと思ってたが、まあ、やる気があるのはいいことだ。ちょっと待ってろよ」
グレンは奥の作業場に消え、しばらくして真新しい鍬を手に戻ってきた。柄には細かな彫刻が施され、鉄の部分は鈍く光っている。
「これが新作だ。村の土に合わせて、少し軽くしてある。柄は山の樫の木、刃は俺が鍛えた鉄だ。使ってみろ」
「……ありがとう。見事な鍬だな。重さも、ちょうどいい」
シオンは鍬を持ち上げ、感触を確かめる。
「グレンさん、農具作りはいつからやってるんだ?」
「俺か? 親父の代からだな。ガキの頃から鉄を叩いてた。最初は剣や槍を作りたかったが、村じゃ農具が一番の仕事さ。だがな、農具だって命を守る道具だ。剣と同じくらい、いや、それ以上に大事なもんだと思ってる」
グレンは、鍛冶場の奥にある古びた剣をちらりと見やった。
「……昔は、勇者様に憧れてたんだよ。魔物が村を襲ったとき、俺の家族は……守れなかった。あのとき、もし俺が勇者だったらって、何度も思ったさ」
「……グレンさん」
「だけどな、今は思う。村を守るのは勇者だけじゃない。畑を耕す奴も、鍬を作る奴も、みんなが村の命を守ってる。そうだろ?」
「……ああ。その通りだと思う。俺も、昔は剣しか知らなかった。でも、今は鍬を持つことの意味が、少し分かる気がする」
グレンは、シオンの肩をがっしりと叩いた。
「お前、なんだか不思議な奴だな。都会から来たってのに、剣の話をするときの目が、村の若い連中とは違う。……まるで、何度も戦場をくぐり抜けてきたみたいな」
「……そう見えるか?」
「見えるさ。だが、今は畑を耕す仲間だ。俺は、お前のために最高の農具を作る。お前は、村の土を豊かにしてくれ。それで十分だ」
「……ありがとう、グレンさん。本当に、ありがとう」
グレンは、照れくさそうに鼻を鳴らした。
「礼なんていらねえよ。……そうだ、昼になったら鍛冶場の裏で飯を食おうぜ。うちの娘が作ったシチューがある。お前も食ってけ」
「……いいのか?」
「当たり前だ。村の奴らは、みんな家族だろ? それに、鍛冶屋のメシは力がつくぞ。ほら、これも持ってけ。新作の小型鍬だ。ミリィちゃんにも使えるように作ったんだ」
「ミリィの分まで……。本当に、至れり尽くせりだな」
「ははは! 困ったときはお互い様だ。そうだ、今度の祭りには、俺が作った鉄の鐘を鳴らすんだ。お前も手伝ってくれ」
「鐘、か。昔、戦いの始まりに鐘を鳴らしたことがある。だが、平和の鐘は初めてだ」
「いいこと言うじゃねえか。村の祭りは、平和の証だ。みんなで笑って、歌って、騒ぐんだ。勇者も、農夫も、鍛冶屋も関係ねえ。みんな同じ村の仲間だ」
シオンは、鍬を抱えて静かにうなずいた。
「グレンさん、もし……もし、また村に危機が訪れたら、俺はどうすればいいと思う?」
「どうするもこうするも、できることをやるだけさ。お前はお前のやり方で村を守ればいい。戦うだけが勇気じゃねえ。知恵を出し合って、力を合わせて、村を守る。それが本当の“勇者”ってもんだろ?」
「……そうかもしれないな」
「おう。俺は、勇者に憧れてた。でも今は、村の子供たちが元気に遊んで、畑が実り、みんなで飯を食う――そんな毎日が一番の誇りだ。シオン、お前もそう思うだろ?」
「……ああ。今は、そう思うよ」
グレンは、ふっと遠くを見つめた。
「……昔、親父に言われたんだ。“鉄は、叩けば叩くほど強くなる。だが、優しさを忘れた鉄は、すぐに折れる”ってな。人間も同じだ。お前も、無理はするなよ」
「……ありがとう、グレンさん。俺も、これからは自分のペースでやっていく」
「それでいい。困ったときは、いつでもここに来い。俺が鍬でも剣でも、何でも作ってやる」
「……頼りにしてるよ」
「おう、任せとけ!」
鍛冶場の奥で、鉄が赤く輝いている。その光は、どこか温かく、力強かった。
「そうだ、シオン。お前、勇者って呼ばれるのは好きか?」
「……好きじゃない。むしろ、嫌いだ。勇者って言葉には、重すぎる責任がついてくる。俺は、ただの村人でいたい」
「はは、そうか。だがな、村の連中は、お前のことをもう仲間だと思ってる。勇者だろうが、農夫だろうが、関係ねえ。お前はお前だ」
「……ありがとう。そう言ってもらえると、少し救われる」
「おう。じゃあ、昼までに鍬をもう一本仕上げる。お前は畑で汗を流してこい!」
「了解。グレンさん、また後で」
「おう、待ってるぜ!」
シオンは、新しい鍬を手に鍛冶屋を後にした。背中には、鉄の温もりと、グレンの言葉がじんわりと染みていた。
村の通りを歩きながら、シオンはふと空を見上げる。
「……勇者、か。もう、その名に縛られるのはやめよう。今の俺は、ただの村人だ。そうだろう、グレンさん」
遠くから、鍛冶屋の金槌の音が響いてきた。そのリズムは、村の日常を支える鼓動のように、いつまでも続いていた。




