46話 魔法の便利さと怖さ 魔法が村の日常にもたらす“魔法の便利さと怖さ”
夏の午後。干し草の香りが村に漂う中、薪割りをしていたノルの妻マルタが困ったように叫んだ。
「また竈の火が消えちゃった! 風が強すぎるのかしら……」
何度火打ち石を叩いても火はつかず、鍋の中のパン生地は膨らみを失いそうになっていた。そこに居合わせたエミリアが、そっと指先をかざす。
「貸して。ほんのひとときだけ」
ぱち、と乾いた音が鳴り、赤々とした火が竈の奥に灯った。炎は穏やかで、熱はちょうどよく保たれる。
「まぁ……!」
「助かった……!これでパンが無駄にならない」
子供たちは歓声をあげる。
「すごーい! ママの火よりずっと早い!」
「やっぱり魔法って便利だね!」
だが、少し離れた場所で見守っていた老人たちの表情は複雑だった。
「……あれが魔法、か」
「確かに助かるが……火はいつ力を増すか分からん。調子に乗って使われたら、この家一帯が灰になる」
エミリアは眉をひそめ、火加減を整えながら小声で呟く。
「……便利さと危うさ。切り離せないものね」
翌日。村の木柵が壊れ、子供たちが近づくのは危なくなっていた。大工道具を借りにグレンを呼ぼうとしたが、あいにく彼は他の修理に出ていた。
そこで村人の一人が意を決してエミリアに尋ねた。
「……その……魔法で直せたりは、しませんか?」
少し考えて、エミリアは頷いた。
「木を新しく組み直すことはできないけど、繋ぎを強めるくらいなら」
彼女が低く呪文を唱えると、折れた板のささくれが馴染むように重なり、まるで元から繋がっていたかのように修復された。
「ほら……これでしばらくは保つわ」
子供たちはまた目を丸くする。
「わぁー!すごい! トントンするよりぜんぜん早い!」
しかし、その場にいた農夫ドランが厳しい声を上げた。
「便利すぎるのも考えものだ。こんなやり方じゃ、誰も技を覚えなくなる。災難が起きた時、魔法使いがいなければどうする?」
空気がわずかに重くなった。エミリアは沈黙し、やがて淡い声で応える。
「……あなたの言う通り。魔法は“全能”ではない。頼りすぎること自体が危ういのよ」
魔法を見せるたび、子供たちは目を輝かせる。
「エミリアお姉ちゃん、もっと火の玉出して!」
「空を飛べるの?」
その無邪気な賛美に、エミリアは苦笑を浮かべながら答える。
「飛べなくはないけれど……空から落ちたら怪我をするでしょう?火の玉も、人を傷つけてしまうわ」
「でも見たい!」
「すごいの見たいー!」
大人たちは子供たちを嗜めた。
「こら! 軽々しく頼むもんじゃない。火遊びと同じだ!」
「便利さの裏にあるものを考えろ。痛い思いをしてからでは遅い」
その冷ややかな言葉に、子供たちはシュンとする。しかし、すぐに「でもやっぱり、かっこいい……」と囁き合うのだった。
村の長老バルスは、ある晩エミリアに向けて語った。
「わしらが魔法を遠ざけるのはな……昔、隣村で大きな火事があったからじゃ」
「……火事?」
「井戸端で火を灯す魔法を試した娘が、制御を失って家を一つ燃やしてしまった。誰を責められるでもない、不幸な事故じゃったが……村は滅び、今も草ばかり生えておる」
「……そう、ですか」
エミリアの表情はわずかに曇った。彼女自身も、宮廷時代に似た事故を目の当たりにしていた。優れた若者のちょっとした驕りが、大きな犠牲を生んだ夜。
(便利さは魅惑する。だからこそ、人は恐れる。私だって……決して例外ではない)
便利さを喜ぶ子供たち。恐れを口にする大人。どちらも真実だった。
エミリアは自分の立ち位置を考える。
「私は……人に役立ちたい。でも、その力で必ず恐れを生むのなら、どうすればいいの?」
その呟きは誰にでもなく、夜空に降り注ぐ星に向けられた。
夏祭りの夜。村人が集まり、櫓が組まれ、薪木が積まれた。
「さて、火を点けるぞ!」と若い衆が声を上げるが、湿った薪はなかなか燃えない。
ざわめく群衆。子供たちは心待ちにして跳ねるように待っていた。
そこへ声があがる。
「エミリアさん、魔法で火を……」
空気が張り詰めた。期待と不安、その両方の眼差しが彼女に注がれる。
エミリアは静かに歩み出て、掌を櫓にかざした。炎はぱっと灯り、長い炎柱が夜空を照らした。
「わぁー!」「きれい!」子供たちは歓声を上げる。
だが大人の口からは「おお……だが、やはり恐ろしいな」という声も漏れる。
火勢は落ち着き、祭りは無事に進んだ。だが賛美と畏怖の落差が、明暗を分ける影のようにエミリアの胸に残った。
火が落ち着いた後、井戸端に集まった老人たちは語り合う。
「魔法があると確かに便利だ。祭りも盛り上がったしな」
「だが、若い者が軽率に真似でもしたらどうする?」
「禁じれば禁じるほど、子供は触れたがる。厄介なことじゃ」
近くの農夫がぼそりと呟いた。
「でも、薬草のときは助かった。あの子牛は死なずに済んだんだ」
「わかる。役に立つんだ、確かに……だが、それ以上の何かを呼ぶ気がして怖い」
人々は結論を出さずに散り、エミリアは陰からその議論を聴いた。
「……便利さと怖さ、天秤はいつも揺れたまま」
帰り道、エミリアはシオンに声をかけられる。
「……また、祭りで力を見せたな」
「頼まれたからよ。断れなかった」
「子供は喜んでた。でも、大人の顔は……」
「怖れていたでしょう?」
「ああ。けど、それは仕方ないんじゃないか。俺だって剣を振れば、隣の誰かを怯えさせる」
シオンは真剣な眼差しを送る。
「……でもな、助かったときに人は感謝する。それは確かなんだ。お前の魔法は、これからも必要とされるよ。怖さごと受け入れていくしかない」
エミリアは短い沈黙の後、かすかに笑った。
「ありがとう。そう言ってくれる人がいるだけで、今日の火も――少しは許された気がする」
夜、宿の窓辺でエミリアは独り、過去に見た魔法事故を思い返していた。
暴走、火災、恐怖、絶望。あの時、自分は人から感謝ではなく恐怖だけを受け取った。
(……でも、この村では少し違う。恐れていたけれど、それでも「ありがとう」と言ってくれた。そして子供たちは笑っていた)
便利さと怖さは背中合わせ――それは一生消えはしない。
だが村人たちとの暮らしは、背中合わせの痛みにも“意味”を与えてくれる。
翌朝、子供たちが駆け寄ってくる。
「エミリアお姉ちゃん、あの火、すごかった!でも、ちょっとドキドキした」
「その気持ちを忘れないでね。火も魔法も、大事なのは“怖さ”をきちんと覚えておくことよ」
エミリアは子供たちに向かって微笑む。その姿を見ていた大人たちの顔に、ほんの僅かな安堵が見えた。
便利さと怖さ。どちらも嘘ではない。だがそのあいだに、小さな“信頼”が芽を出しつつあった。
エミリアの魔法は、村にとって避けがたい矛盾を孕んでいた。
人はそれを便利と呼び、同時に恐怖とも呼ぶ。
しかし、その矛盾の間で語り合い、歩み寄り、小さな日常を繋げていくことでしか生きられない――。
エミリアは村の夜空を見上げ、小さく呟いた。
「便利さも怖さも、きっと……わたしの居場所を探す道標になる」




