44話 エミリアの過去の影 宮廷時代の回想、重責と孤独、魔法を舞台にした苦悩の日々。
静かな村の夜。 エミリアはひとり居間で古い魔導書を開き、淡く揺れる蝋燭の明かりに眼差しを置いていた。 ふっと
指先に触れたページが、遠い宮廷の日々に心を誘う。
(――あれは、もう何年も前のこと。都の高い窓、大理石の回廊に響く靴音。私は、誰よりも近くで「魔法」と「人」の狭間を歩いていた。)
宮廷魔導士の職は、名誉であるが余計な孤独の役職だった。
――都の魔導士会議。 長い金色の卓を隔てて、各国の代表と王家の高官が並ぶ光景。
「本日の守護環の強化策について、魔導士エミリア・レード、説明願おう」
司会役の声に背筋を伸ばします。
「各環魔法は昨日未明より改良試験を重ねております。王都限りへの防壁充填は完了しました。魔力漏洩はありません」
「都の安定は、貴女の研究のおかげだと王も申しられている」
「……身に残る光栄です」
そう応えるエミリアの眼差しには、常に冷静な誇りと、誰にも渡せぬ孤独が宿っていた。
会議が終われば、静かに魔導者の回廊を一人で歩いた。 仲間と肩を並べる機会はごく多かったよ。 誰もが「彼女は特別な存在」と敬いながら、心の底で「理解できない異質」と感じた――それが宮における魔導士の現実だった。
宮廷には魔法と宮殿を管轄する目にぬ力学がある。 エミリアは魔導士の中でも特別に見える命、王家直属の「監視員」として任命された。
「――監視とは、ただ見張ることではない」
「王の身辺、魔導実験、不穏な者の行動、時には同僚の心にさえ目配りをしろ。魔法は人を救うが、人を壊す力でもある。君には“その境界”を守ってもらう」
「……魔法は、いつも二つの顔を持っているのですね」
「そうだ。魔導士は、その両方を見守る責任を持たない」
誰かを守るため、誰かを制御するため。監視員の仕事は、身内にも容赦なく冷たい目を向けたことだった。
同時に、魔法という奇跡の才能を持って生まれたエミリア自身が、王家にとっては「制御すべき働き者」でもあった。
記憶は城の北塔に一時戻る。
幼い王女セリーナに魔法薬を調合し、毎晩の発作を重視。 王室の弟は魔法の治療を避けながら、エミリアだけには心を開いた。
「エミリア様の魔法は、痛くないです」
「……魔法は、心にも感動させられると信じたいね。辛くなったら、いつでも呼んでね」
「王家は悩みだらけです。でも、あなたがそばにいると安心なんです」
誰かを守れる魔導士として日々を過ごし、しかし「守る者」もまた、誰にも守られる孤独だった。
他人の秘密を知り、王家の運命に手を貸し、時に宮廷の陰謀を阻止――そのどれもが、人間孤独の計算だった。
「魔法は素晴らしい力だよね」と、都の研究員が言った。
魔法は畏敬の 対象であり、同時に一瞬で人や都を滅ぼす凶器でもあった。
「監視員」として駆けつけたエミリアが制御
魔法で止まる――その後、彼女の心には取り返しのつかない痛みがあった。
「あなたは『防壁』だったんだね」
「……でも、防ぐだけでは誰も救われない。『恐怖』も、ずっと覚悟がいる」
王宮の祝宴、輝く灯りの中でもエミリアはいつもひとりで椅子に座る。
「エミリア様は立派な魔導師ですね」
栄光は祝福の渦、その中心で彼女だけが冷えた心地よさを満喫していた。
回想は深く、エミリアの心を冷たく締めつけて夜まで沈んでゆく。
都のひときわ静かな夜半——魔導研究塔で小規模な魔法事故が発生した晩。若い助手が制御不足の魔力暴走に呑まれ、炎が回廊を包む。その悲鳴と、空気を裂く異常魔力の鼓動は生涯消えぬ記憶として残った。
「エミリア様、何とかしてください!」
「動けぬで——隔壁を!」
「彼女しか止めらん!」
エミリアは冷たく光る呪文を紡ぎ、自らの魔力で塔の炎を鎮圧した。
「私が……もっと見張っていれば、こんなことには」
責務は遂行したはずだが——だが、その夜からエミリアの心には「監視者」としての自責と、魔法への恐怖が先に届いた。
その事故のあと、王室はエミリアに栄誉を与えられた。 「都最大の危機を未然に防いだ」と讃えられ、宴の席で新たな勲章が与えられる。
「レード殿、あの恐ろしいから守ってくれてありがとう」
しかしその夜、泉庭でひとり独りきりの月を仰ぎながら、自分が「孤独の盾」としてしか生きていないことを痛切に思っていた。
(称賛も名声も、私自身の心に空洞を作るだけ。誰に「普通」の弱さを見せられないまま、誰かをも守るふりをしている……)
監視員としての職務の日常には、宮廷の調和を守るために「誰かを見守る」「誰かに疑いの目を向ける」ことが行われる。
「魔法の力で救えるものもあれば、魔法の力でしか壊せないものもある。——エミリアよ、忘れるな」
「クロイス様、私は人間らしさを忘れたくありません。もし私自身が暴走したら、誰が私を止めるのですか?」
その言葉は励ましにも、苦しみにも聞こえました。
宮廷の数々の出来事、暗闘、失敗、秘密の共有——エミリアの記憶には、誰にも語れない痛みが層になって重なっている。
それでも、幼い王女セリーナが弱った夜には、ただ手をかけて励ますことしかできなかった。
「誰も魔法を使えるわけがない。でも、あなたがここにいてくれるだけで、心温かいの」
「私がそばで見守るのは仕事だけど……それだけじゃない。あなたが怖い夜は、いつでも呼んで」
「エミリア様……」
守ることで傷つき、守ることでしか生きられなかった日々。 それが、宮廷での栄光の正体だった。
事故や陰謀の記憶は、都を離れるきっかけになった。
(力で戦うより、手で守ることのできる場所がほしかった。観察して過ごすだけじゃない、「日常」の中で生きたい――)
エミリアは宮廷に別れを告げ、命令として課せられた「監視者」の役割を担い、都から遠く離れた村へと旅立つ。
村に足を踏み入れたとき、手仕事の音や子供たちの笑い、曇りの柔らかな日々の脈動に、彼女は初めて「普通の人間」になりたいという痛切な希望を抱く。
(魔法も監視も、過去の映像も全部——いつか“誰か”と分かち合う瞬間が訪れるなら、それを夢見てもいいのだろうか)
蝋燭の火を吹き消すと、村の静かな夜が心に沁み込んでくる。
エミリアは古い魔導書を閉じ、最後に小さく息を吐いた。
——そうして彼女は、過去の映像を忘れてなお、村という新しい舞台で「守ること」の意味を探し続けます。




