37話 村人の助け ──農具の急な修理や皆の要望に応える姿。
朝靄も消えぬうち、村の通りに緊張感が走る。農家のタカシが息せき切ってグレンの鍛冶場の扉を叩いた。
「グレンさん! 田んぼの畔が崩れて、鍬が壊れちまいました。今日中に何とかならないか……!」
「朝飯前だ。ほら、鍬をよこせ」
寝不足気味の眼でグレンはさっと道具を手に取り、軽く刃を叩いて音を確かめる。
「この音ならまだいける。換え刃を打ち直してやるから、お前も泥で冷やすのを手伝え」
「ありがとう……グレンさん、あなたがいなけりゃ、今ごろ田植えは全滅です」
「おいおい、村の仕事はひとりじゃできねぇ。助けてほしい時は、いつでも声をあげりゃいいのさ」
昼すぎには、様々な依頼が鍛冶場に舞い込む。
「グレンさん、パン切り包丁の刃が丸まっちまって」
「うちの馬の蹄鉄が取れそうで、走らせられねえ!」
「薬草採りに今日中に新しい鎌がいるんだけど……」
グレンは誰にも「無理」とは言わない。
炉の火を絶やさず手を動かし、「これは急ぎか」「こっちは明日でいいな」などと、村人自身にも作業を仕分けさせる。
「道具の修理も順番だ。でも、命や作物がかかった時は“抜け駆け”しても文句は言わん。それくらいでちょうどいい」
鍛冶場の隅には“要望ノート”がある。道具の修理や新作のお願いごとがびっしりだ。
「自分の分の仕事が終わったら、他の奴の道具取りに走るくらいでいい。支え合うのは恥じゃねぇ」
午後、グレンの修理が終わると、村人たちは即座に動きだす。
「おーい、ナツメ。グレンさんの修理した鍬が上がったぞ!」
「よし、これで畝立て再開だ!」
道具を中心に村全体の作業が連動していく。「農具が戻った!」「包丁の切れ味が違う!」と歓声が上がれば、それがまた他の作業を早める。
グレンは時折、こう呟く。
「いい道具は人をつなぐ。農具一つの修理が全員の明日を守る、――俺の火は、そのためのもんだ」
時には、とんでもないトラブルもある。
嵐の後、橋が落ちて牛が川に取り残される。
村の誰かが「グレンさん、鍛冶屋の道具全部貸してくれ!」
「構うな。これは“村の一大事”だ。道具もハンマーも全部運んでけ! 俺もすぐ行く!」
村人は縄や板切れ、グレンの工具一式を担いで現場に走る。
素手で応急でつなげた鎖橋、グレンが微調整しながら安全を見守る。
老人も子供も関係なく、手が空いてる者は皆手伝いに加わった。
「無事で何よりだ……みんなのおかげで橋も牛も救われたな」
「グレンさんの“臨機応変の鍛冶仕事”がなきゃ無理だったよ」
「違ぇよ、お前らと俺が一緒だからだ。村の道具は、みんなの手の分だけ強くなるってことさ」
夕暮れ、村人たちが鍛冶場に菓子や炊き出しを持ち寄る。
「グレンさん、本当にありがとう。あなたがいるから、私たち安心して畑や仕事に集中できるの」
「礼はいい。俺は鍛冶屋だ。“困った”が届く場所にいる――それが誇りなんだ」
子供たちも手作りの小さな旗や絵を持ち寄り、こう語る。
「グレンじいちゃんがいると、ぜったいに困らない村になるって、みんなで言ってるんだ!」
「そんなこと言われると照れるな。でもな、お前らがてんやわんやの村こそ、俺にとって一番のやりがいなんだよ」
春。
新しい命と土の匂いが村を満たすと、鍛冶場はとりわけ賑やかになる。
「鍬も鎌も、すぐに泥で詰まっちまう。グレンさん、もっと掃除が楽なヤツ、できませんか?」
村の畑娘の声に、グレンは首をひねり、何度も土や草の切れ端で刃の角度を試す。失敗しては溶かし直し、工夫を重ねる。
「これはどうだ?泥よけの溝を彫り込んでみた。今度はどうしてもらおうか」
「これなら泥がべとっとつかない!腕も疲れません」
夏、虫があふれ、草地が荒れれば、小さな鎌や草取りナイフが慌ただしく往復する。
「グレンじいちゃん、コイツで竹藪に入ったら……うわ、刃こぼれだっ」
「こりゃあ勇気も道具も鍛え直しだな。今度は“虫よけの持ち手”もつけてやろうか」
秋には収穫の鍬ややり直しの籠、冬は雪降ろしの鉄板や火挟を頼まれ、四季ごとに道具の声と村人の声が混ざりあう。
ある時、エミリアの薬草畑で突風が苗をなぎ倒した。
「もう間に合わない……」
諦め顔のエミリアに、グレンが大声で叫ぶ。
「皆!エミリアの畑が大変だ!鍬も縄も“俺の道具”勝手に持ってけ!」
その声を聞いた子供たちや青年が駆けつけ、グレンの作った鍬で苗を植え直し、泥にまみれて手を動かす。
「みんながいれば、どんな失敗もやり直しだってできる」
「グレンさんの道具なら、何度でも!」
畑は夕焼けに包まれ、つぎの芽吹きを約束する。
昼下がり、ノルが鍛冶場にパンを抱えてやって来る。
「休憩に、うちの嫁が焼いたパンだよ。グレンさん、あんたの道具がないとパンも焼けない」
「何を言う、パンの香りがあるからこそ俺もがんばれるんだ」
リアナが寄ってきて、
「グレンさん、“支える”って難しいと思ってたけど、助けてもらった人から“ありがとう”を受け取り合う、それがこの村なんですね」
「手伝うのは難しくねぇ。相手を待って、応える。道具みたいにな――不器用でも毎日繰り返せば、それが“絆”になるのさ」
沈黙を挟み、グレンは小さく呟く。
「俺の仕事は、みんなの『困った』を黙って受け止めて、また明日を繋げることだ。それが村の鍛冶屋の誇りなんだ」
翌日、子供たちがせっせと鍛冶場を掃除し、農夫たちは畑の野菜を分け、エミリアは薬湯を差し入れる。
「おじちゃん、昨日おれの鍬を直してくれてありがとな!」
「ミリィ、今度は一緒に新しい釘作ろう」
「……グレンさん、村の皆のために健康でいてくださいね」
「はいはい、オレが倒れたらみんなで鍛冶屋をやってくれよ!」
その日暮れ、村長バルスも現れ――
「グレン、お前が来てから、村は強くなった。お前が教えてくれた、“支え合い”ってのは道具作りだけじゃない、村そのものの在り方じゃよ」
「俺は……ただ、ここにいてくれて、みんなの『困った』が聞こえることが何よりありがたいんだ」
バルスは深く頷き、火の向こうで微笑む。
静かな夜、鍛冶場の火が落ち着き、村は安堵とともに包まれる。
グレンは炉の残り火に手をかざし、呟く。
「……道具は磨けば、また新しくなる。人も村も、同じことだ。誰かのために働くことで、自分ひとりじゃ見えなかった温かさや誇りが胸に残る。明日もきっと誰かの『困った』が届くだろう。だが、それこそが幸せなのさ」
その言葉は誰に向けたものでもなく、しかし、村のすみずみまで沁みわたり――
エルデン村の人々は、グレンの仕事と優しさを胸に、「また明日」へと歩みを進めていくのだった。




