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36話 鍛冶屋の日常  ── 朝から晩までひたむきに火を焚き、鉄を打つ日々。

 夜明け。野山の静寂を破るのは、鍛冶場にくすぶる初めの火だ。

扉の隙間から一筋の光が射し、炉には昨日の残り炭がまだ微かに朱を灯している。


「さて、今日もやるか――」


 グレンは黙々と、手慣れた動作で火をおこす。

ふいごを吹けば、炭はたちまち赤々と膨らみ、炎の中で鉄が鳴き始める。


「この音、この匂い……鍛冶屋の朝は、これがなきゃ始まらねぇんだ」


 炉の隣では、仕込み中の鍬や包丁、村人から預かった修理道具が順番を待つ。



 朝食の支度が終わった頃、表通りから誰かが鍛冶場の戸を叩く。


「グレンさん、また鶏小屋の扉が外れちまいましたよ」

「おう、すぐ見る。――リアナ、うちの畑の鎌も一緒に持ってきてくれ」


 リアナやシオン、子供たちが次々と「おはようございます!」と明るくやって来る。


「グレンじいちゃん、僕の草刈り鎌、ちょっと曲がっちゃった!」

「また派手にやったな、ミリィ。だがいいぞ、道具は使ってこそだ」

「おじちゃん、今朝はパン職人のノルさんも来てたよ!」



 一人きりになる時間、グレンは鉄の延べ棒をたたきながら、胸の奥の父や師匠の教えを思い出す。


「父さんだったら、この鍬の刃、もう少し薄く仕上げるだろうな……。いや違う、ここの土なら少し厚め――」


 銅・錫・鉄、時に外れ品の再生、材料選びにも妥協はない。

重たい鉄槌の音、火花のリズム。全身で「村」を生きる感覚があった。



 昼前、子供たちが鍛冶場に駆け込んでくる。


「グレンじいちゃん、炎、もっと大きくできるの!?」

「これはな、ふいごで空気を送ると――ほら、こんなに燃える」

「すごい!ドラゴンの口みたい!!」

「こらこら、火のそばは危ねぇぞ。でも……一緒に火箸を作ってみるか?」


 グレンの手元を見つめる真剣な目。失敗した時の悔しげな顔や、うまくできた時の誇らしい声。


「見てグレンじいちゃん!僕の作った釘、ちゃんと尖ってる!」

「上出来だ、ミリィ。お前の指先もしっかり“鍛えられてる”ぞ」



 昼過ぎ、農作業帰りの男たちやパン職人ノルがふらりと立ち寄る。


「おう、グレンさん!この包丁、三日で切れ味が鈍るんだ。何か工夫してもらえないか?」

「ノルさんのパン切りなら、刃の形を少しだけ変えてみよう。硬いパンだし、“ハマグリ刃”に挑戦してみるぞ」


「助かるよ。そういえば先週の鍬も使い心地が良かった。今度は弟子用にも作って貰えないか?」


「新しい道具は使って覚えるもんだ。どんどん鍛えてやるさ」


 時にエミリアが薬草ナイフを預けに現れる。


「グレンさん、このナイフもっと細くできませんか?薬草刈りが楽になる」

「任せとけ。あんたの細腕でも疲れにくい軽さに仕上げてやろうじゃねぇか」



 午後には子供たちが「火の番」や「釘拾い」を引き受けてくれる。


「俺がやる!リアナお姉ちゃんに教えてあげたら、すぐに覚えたんだ」

「これで鍛冶屋見習い卒業か?よし、今夜はお前らの好きな“飴細工”で一息つこう」


 村の誰もが、“道具”を預けに、遊び心や悩みも持ち込んでやってくる。

それをグレンは、ただ淡々と――そして温かく受け止めている。



 日が傾き、鍛冶場に残るのは鉄の焼け跡と煤の匂い。

リアナやシオンが手伝いに現れ、今日の出来事や村の噂話に花を咲かせる。


「グレンさん、今日も鍛冶場は賑やかでしたね」

「誰かが来ない日はねえな。それが一番ありがたい。……俺一人きりだった頃は、夜の炉が一番寒かったからな」


「グレンさんがいると、村が元気になる。そうみんな言っていますよ」


「照れるじゃねぇか。今日は……いい一日だったな」


春には雪解けの水で炉の底を洗い、

「この季節は鉄も機嫌がいい。新しい鍬をどんどん打てるぞ」とグレンは鼻歌まじり。

夏の午後、蝉しぐれの下、鍛冶場の扉全開にして村の子供たちを招けば、「暑くても火を絶やすなよ!」と戒めつつも、

「でも金床冷やしは気持ちいい!」と子供らのきゃっきゃとした声が響いた。


秋は収穫後の忙しさをねぎらい、農夫の手を見ては「包丁ならこまめに相談しろよ、俺の知ってる傷は道具の傷だ」と労わる。冬の凍える夜は、

「さあ、鍛冶場でおでんでもやるか。鉄の鍋は冷めにくいぞ」と皆を誘い、冷たい手を温めあっては、土の香と鉄の匂いが混ざった村本来の空気で、心も満たされた。



 時には、仕事の合間にふとした孤独の波が胸によぎる。

「……俺がここにいなかったら、村の道具はどうなるだろう」

そんな思いが炎の奥に沈む夕暮れもある。


 ある晩、シオンが鍛冶場の片付けを手伝いながら静かに語った。


「グレンさん。寂しいときは、こうして一緒に火を見ているだけで落ち着きます。僕にとって鍛冶場は、村でいちばん“帰ってきた”って思える場所なんです」


 グレンは黙って火ばさみを手渡す。「お前にも、俺にも、きっと“帰る場所”がある――それが一番大事だな」と。



 日が落ちきって最後の火を消すと、村の誰かが「また明日頼むぜ!」と声をかけて通りすぎる。

「おやすみなさい、グレンさん!」と子供たちが大声で手を振り、リアナやノルが残り火で夕食の鍋を温めていく。


「今夜も――悪くないな」


 深夜、ひとり作業台に残りながらグレンは思う。

(もう、昔みたいに独りで鉄を打つだけの夜じゃない……)


 枕元には村人から預かった古い鍬、爪の間には今日も落ちなかった煤。

けれど胸の奥には、誰かの「ありがとう」と、穏やかな安堵の灯火。



 翌朝。川辺の水音、鳥の声、子供たちの呼び声。

「グレンじいちゃーん!今日も火おこしていい?」

「好きなだけやれ。でも、火は命だ。俺がそばにいるから、怖がるなよ」


 季節がめぐり、世代が引き継がれ、グレンの手は明日もまた鉄を叩くだろう。


「今日もいい一日だったな……」


 それは地味で、繰り返されるばかりの、けれどかけがえのない鍛冶屋の日常――

エルデン村に根付いた「人のまなざし」と「手仕事」の温かさそのものなのだった。


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