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29話 シオンの過去を匂わせる描写

 夜風が、村をやわらかく包みこむ。星明りは畑の土と木々の葉を銀色に染め上げ、しんと静まりかえったエルデン村の家々には、灯りが一つ、また一つと消えてゆく。


 シオンは小さな家の縁側に座って膝を抱え、未完成の畑を眺めていた。

 周りには誰もいないと思っていたが、どこか気配を感じる。

 静寂の裏側で、小さく何かが変わりはじめていた――


 ふと、村の小径にリアナの足音が静かに響く。

 彼女は手に小さな布を持ち、そっとシオンの隣に腰を下ろした。


「……眠れない夜ですね」


「……ああ。なんだか今日は、心が休まらなくて」


 しばし黙って、ふたりは夜の田畑と星空を眺めていた。

 リアナは、そっと言葉を探すようにシオンに問いかける。


「シオンさん、時々……とても遠い目をしていることがあるんです。まるで、何かと戦っているみたいに」


「……そう見えるか?」


「ええ。今日の昼間、子供たちと話している時も……。ふとした拍子に、何か大事なものを思い出しているみたいな顔をされてました」


 シオンは戸惑い、しばらく答えずにいた。

 しんと静まる夜気のなか、やがて彼はぽつりと語り始める。


「リアナ……。俺は、ずっと遠いところにいた。たくさんの“戦い”と“決断”の中に身を置いてきた。時には命より重いものを背負わされたこともある」


「命より、重いもの……?」


「……昔のことだよ」


「今、話したいことがあれば、なんでも聞きます。でも……無理にじゃなくていい。私は、シオンさんがここで静かに毎日を、村の人と過ごしてくれるだけで充分ですから」


 シオンは夜空を仰ぐ。


「……ありがとう、リアナ。でも、こうやって静かな夜風にあたっていると、どうしても思い出してしまう。“帰る場所”も“守るべきもの”もなく、ただ旅を続けていたことがある。誰かの命令で剣を執り、誰かのために涙も流す余裕もなく……気がついたら、自分の心の形すら見失っていた」


「シオンさん……」


「村に来て、やっと自分を取り戻せた気がするんだ。ここでは、人が“生きる”ことと向き合える。でも、時々……この平穏が壊れるんじゃないかと怖くなる。俺の過去は、表に出してはいけないものかもしれない。そう思うことがある」


 リアナは、ぎゅっと布を握りしめて答える。


「誰だって、誰にも言えない過去や、心の傷はあると思います。過去を消すことはできなくても……シオンさんがここでどんなふうに生きているかを、私は一番知っています。みんなも、きっと同じですよ」


「……本当に?」


「本当です。シオンさんが大事にしてくれるから、みんなが毎日安心して過ごせる。誰も“完全な人間”なんていません。過去も悩みも抱えながら、“今”この村で共にいることがきっと宝物なんです」


「……リアナには、何でも見透かされてしまうな」


「ふふ。でも、よく見ていたから分かるんです。時々とても厳しい表情になる理由も、村の人に優しすぎる理由も、きっと全部……過去のどこかと繋がってるんですよね」


 シオンは小さく笑い、深く静かにため息をついた。


「……ありがとう、リアナ。もう少しだけ、“ここで生きる”ことに心を預けてみるよ。少しずつだけど、自分の過去とも向き合ってみたいと思う」


「ゆっくりで大丈夫です。私はずっと、そばで見守ってますから」


 闇の奥には穏やかな風が渡る。

 リアナの横顔は、どこか“家族”にも似た温かさをたたえていた。


 夜はなお深く、遠くの山中からは草木を渡る風の声。エルデン村を包む静寂のなか、シオンとリアナは並んで縁側に座り、言葉少なに過去と現在の狭間に沈んでいた。


 リアナはしばらく考え込むように黙り、やがてそっと問いかける。


「……シオンさん。もし……過去の自分が、今の自分を見てどう思うと思いますか?」


 シオンは懐かしむような、けれど少し苦い微笑を浮かべた。


「たぶん、きっと“情けない”と思うだろうな。昔の俺は、“強いこと”がすべてだった。“守るために戦う”ことしか知らなかった。でも今は……強さの意味がずいぶんと違って見える」


「それは……この村で何かが変わったから?」


「そうかもしれない。ここでは、誰かを剣で守るのではなく、言葉や手仕事で守る。悩みを一緒に背負い、お互いを気遣う。最初は居心地が悪かった。でも、思い切り笑ったり、戸惑ったり、時には悩んだり……そういう日々こそ、本当の強さなんじゃないかって思うようになった」


 リアナは、シオンの横顔を見つめる。その瞳には、ふとした決意の色が宿る。


「……シオンさん。私は、ここで一緒に過ごしていくなかで、シオンさんが変わってきたのをたくさん見てきました。けれど……時折、何か重いものを背負い直すような仕草をします。そのたびに、もしかしたら……って不安になることがあるんです」


「どうしてだ?」


「私……昔、大事な親友を都会に送り出したことがあって。最初は新しい世界に飛び込むのを応援してたけど、しばらくして、どこにも居場所がないみたいな顔で帰ってきた。……そのとき思ったんです、ひとりで何かを背負い込んでしまう人には、言葉や手を差し伸べるだけじゃ足りないことがある。寄り添うって、ただ“そばにいる”ことなんだなって」


 シオンは目を伏せ、夜の静寂のなかに吐息を溶かした。


「……リアナ。君に会えてよかった。この村に来て、初めて本当に“誰かに守られている”気がした。……もしも、過去から何かが俺を追いかけてきたとしても――きっと俺は、もう逃げずにいられると思う。君がいるから」


「……シオンさん」


 リアナはそっとシオンの肩に寄り添った。

 ふたりの間に流れる沈黙は、もう気まずさのない、安らかなものだった。


 しばらくして、シオンはぽつりと語り始める。


「剣を捨てた理由は、“力”が怖くなったからだ。いくら人を守っても、失うものが多すぎた。自分の手で、たくさんのものを壊してしまった……。けれど、あの日村に来て、リアナやみんなと過ごして――“壊したもの”じゃなく、“積み重ねていくもの”の重みを知った。土を触るたび、野菜が芽吹くたび、ようやく自分が少しだけ救われていく」


 リアナは視線を落とし、静かに手を握る。


「……どれほど苦しい過去でも、今こうして笑っていられるなら、その全てが無駄じゃなかったと私は思います。シオンさんがそばにいてくれて、みんな本当に支えられている。怖いことや言葉にならない痛みも、きっと半分こできるから――」


「ありがとう、リアナ。本音をこうやって言えたのは初めてかもしれない。もう少しだけ……頼ってもいいかな」


 リアナは強く頷いた。


「はい。いつまでも、何度でも、私はシオンさんの味方です」


 縁側に、夜露が静かに降りる。

 シオンはその冷たさを掌で受け止め、遠い夜明けの気配を感じ取る。


「……俺もいつか、自分の過去をきちんと語れる日が来たら――また、改めてリアナに全部伝えたい。その時は、笑って聞いてくれるか?」


「もちろんです。その日が来るまで、ずっとそばにいます」


 ふたりは並んで夜空を見上げた。

 暗闇の向こうに希望の光がにじみ、かすかな星のきらめきが、小さな村とふたりの心をやさしく照らし出していた。


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