27話 村の噂話 ――広場に集う人々とささやき
陽射しが傾きだす午後遅く、エルデン村の広場には、自然と人が集まってくる。
雑貨屋の軒先に腰かける者、花壇の手入れを済ませてひと息つく者。
子供たちは遊び疲れて、石畳に寝転がったり、鬼ごっこに夢中になったり。
その合間合間には、村の誰もが一度は耳をそばだてたことがある「噂話」が、さざ波のようにさりげなく流れていた。
シオンが広場を歩いていると、久々にパン職人の奥さん、カネさんが手を振る。
「シオンさんもお疲れさま。ちょっと寄っていきなさいな。今日はなんだか、みんなおしゃべりしたいみたいだよ」
「……ええと、何か面白い話でも?」
カネさんが笑いながら耳打ちする。
「今日は“北の竹林で光るものを見た”だの、“例の空き家に夜な夜な狐がいる”だの、賑やかなこと!」
その言葉をきっかけに、近くで立ち話をしていたグレンが割り込んでくる。
「おうシオン、聞いたか? 昨夜わしが畑の見回りしとったらよ、あの薬草畑に赤い火の玉が飛んどったんじゃ! あれはな、村に古くから伝わる“火の精さん”ってやつだ」
「火の精……?」
「そうよ。昔からこの村の土地で火事が出ると、その火を沈めるために出てくる精霊だって言われてる。その火の玉を見ると“いいことがある”とも“怪我に注意しろ”とも……人によって伝わる話が違うんだがね」
そこへエミリアが、冷静な顔で割り込んだ。
「グレンさんの“火の精”の話、毎年微妙に現場が違う。去年は湖畔で見たって言ってなかった?」
「お、おお? そ、そうだったかの……いや、細けぇことはいい!」
村の年配者の輪に、ときおり若い母親組や子どもたちも顔を出す。
「うちの子が裏山で“やさしい大男を見た”って言うんだよ。おばあちゃんは“山の精”だって信じてるけど、私にはサルの見間違いにしか思えなくて……」
「うんうん、うちの父さんも子供のころ、夜に井戸端で女の人が髪を梳かしてるの見て泣いて帰った、って何度も聞かされたっけ。昔話かお化け話か、今じゃ分からないわよ」
雑貨屋の前に陣取るリアナは、素朴な笑みでみんなの話を受け止めている。
「私、小さい頃“山姥”にさらわれそうになったって、大泣きしながら帰ってきたことがあります。でも、それたぶん、隣の畑のおばあちゃんだったんですよね……」
皆がどっと笑う。
話題は自然と次々めぐり、新しい噂話へ。
「ねえ、今年の夏祭りの夜、隣村の青年が狐に化かされたって噂、とっくに聞いた?」
「そうそう、帰り道の小道で、何度歩いても家に着かなかったらしいな」
「こないだ村の川で“金色の鯉が跳ねた”ってのも流行った。アレ見た人はその年、家族みんな健康だって……うちも家族で見に行ったさ」
話の中には、“真実”か“でたらめ”か、誰もが知りつつも敢えて確かめようとしない、不思議な余白が残されている。
シオンが、ぼそりと呟く。
「村の噂話って、本当に尽きないんだな。どれも、ちょっとだけ本当のことが隠れてる気がする……」
カネさんは嬉しそうに言う。
「噂話がひとつも聞こえない村なんて、面白みがないもの。子供の嘘も、大人の妄想も、村の誰かの心配も、ぜんぶが広場で“物語”になって伝わるのさ」
エミリアは微笑みつつ、少し真面目に補足する。
「こうやって皆で噂話をするのは、村社会の一つの“緩衝材”なのかもしれません。誰かの悩みや不安を直接言葉にせず、物語の中でやんわり表現する。昔から、そうやって社会が荒れないようにしてきたんじゃないかしら」
「たしかに……昔話や噂話には、村の決まり事やちょっとした戒め、教訓が隠されていたような気もするな」
リアナが頷きながら言う。
「“悪口や陰口”じゃなくて、“みんなのための心配や予防線”にもなってるんですね。怪談も、子供を夜遊びから遠ざけるためだし……」
その時、ちょうどミリィたちが子供同士でなぞなぞを始めていた。
「ねえ、シオンお兄ちゃん、“目がひとつ、足がひとつ、飛んだあとにしるしを残すものな〜んだ?”」
「うーん、それは……針、かな?」
「正解っ! おばあちゃんに聞いたやつだった」
「昔からのなぞなぞも全部、村の伝承なんだな」
風が吹けば、また噂が一つ増え、新しい物語が生まれていく――
それが、夕暮れの村広場の日常だった。
広場にぽつぽつと灯るランタンの明かりが、夕風に揺れ始めたころ――
村の噂話は、いつしか日常のよもやまから、もっと微妙で、時に深いささやきに変わっていく。
「ねえねえ聞いた? 向こうの端の空き家、また誰か見に来てたって。今度こそ新しい人が越してくるのかな?」
「でもさ、何年もあそこ借り手つかないのって、やっぱり“あのこと”があるからじゃない? 前の家族が急に出て行った理由、結局みんな知らされてないし……」
「あそこの井戸は昔から“夜に物音がする”って言い伝えがあるよ。母さんが子供のころからそうだったって!」
「でも、狐の嫁入りごときで家が売れないのは、ちょっと大げさじゃない?」
声をひそめたり笑い声に紛らせたりしながら、村人たちは“みんなが知っている”ことと“誰も本当は知らない”ことの間をふわりとすり抜けていく。
「村の外から来た若い人が長続きしないのも、この村のややこしさだって言う人もいるね。でも昔はよそ者のほうが頼りになったって、おばあちゃんは言ってたよ」
「都会から来る人は最初は目新しいことばかりで楽しそうだけど、村の習慣をすぐ学べないと一気に噂の的になるもんなあ……」
「そうそう、昔“村協力隊”で来た人、朝が遅いとか、近所づきあいをしないとかで色々言われて……」
「みんな結局、“他人のこと”を語りたいだけなのさ。噂があると、何故かみんな落ち着くんだよなあ」
エミリアが静かに補足する。
「それはまあ、人間って“知らない”ことに不安を感じるからでしょうね。小さな村や集落だと特に、情報共有は“安心”と“快楽”を生むから、自然と噂話が絶えなくなるんです」
「同じこと、都会でもあると思うよ。社宅だって、町内会だって、いろんな“新参者”の話題はすぐ広がるもんだ」
「昔より今の方が、人目が気になる分、根も葉もない話も広がりやすいのかもなあ」
グレンがふと顔をしかめて、やや真面目な顔で言う。
「けど、噂というのは良いことばかりじゃないよな。昔は“部落の人らはおっかない”なんて根拠のない話をそのまま飲み込んでた。それで実際に誰か遠ざけられたり、仲間外れにされたことだってある」
リアナが優しく口を挟んだ。
「だけど、噂話は本当に危ないときの“警鐘”になったこともありました。たとえば『崖の裏山には近づくな』『この草は毒だ』みたいな伝承も、もとは噂や昔話。でも、誰かを傷つける噂話は広げたくないですね」
子供たちは、大人たちの低い声に耳をそばだてつつ、また自分たちの伝説゙ごっこを始めている。
「ねえ、知ってる? むかしここでお姫さまが迷子になって、星になったって。だから広場の真ん中に石が埋まってるんだよ」
「嘘だあ、それはリンゴの木を切ったときの話と混ざってるでしょ」
「でも、うちのじいちゃんは絶対本当だって言ってるよ!」
大人たちはにこやかにそれを眺めながら、郷愁と苦味の混じった空気で噂話を続けていく。
「結局さ、村の噂話って“他人の秘密”をちょっと暴きたい、知りたいっていう欲求から始まるんだ。でもそれは、村全体の“調和”や“安全”や“安心”を保つ仕組みでもある。時に誰かを守り、時に誰かを傷つける。付き合い方が難しいよな」
「傍観だけでなく、時には自分から問い直したり、間違いを“そうじゃない”って言えるのも大切なんでしょうね」
「俺たちがこうして噂話で盛り上がる一方、誰かがその外に押し出されていないか、時々気にかけるくらいはしたいもんだ」
シオンは静かにうなずく。
「村の噂話――楽しい時もあるけれど、やっぱり“誰かの痛み”や“不安”が無視されないようにしたい。噂話が“安心”や“快楽”で終わるだけじゃなく、みんなを本当に支える知恵になるように、俺にもできることを考えたい」
日が完全に落ち、広場には夜気と提灯の灯りが残るだけになる。
村人たちはそれぞれの家路につきながら、また新しい噂話を心のどこかで温めている。
――こうして、エルデン村の小さな“物語”は、今日も息づいていく。




