表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/31

23話 村の子供たち ――無邪気な笑顔とシオンの戸惑い

 その日は朝から、少しばかり気だるい陽射しが村の上に降り注いでいた。梅雨の終わりを思わせる湿った空気のなか、シオンは畑からの帰り道、いつもの小道を通って雑貨屋へと向かっていた。


 けれど、その足音が雑貨屋に近づくにつれて、何やら騒がしい声が耳を打った。


「わあーっ、待てーっ!」


「リアナお姉ちゃーん! かくれんぼ、もう一回だけ!」


「ずるいよソウ! 今の数え方、短かったー!」


 陽射しを照り返す小さな砂利道の先。

 雑貨屋の前の広場には、五、六人の子どもたちが駆け回っていた。

 その中心で、笑いながら何かを指差しているのはリアナだった。

 髪を後ろで編み、カジュアルなエプロン姿の彼女が、子どもたちと全力で遊んでいる光景は、どこかとても自然だった。


(……随分、にぎやかだな)


 シオンはその光景を少し離れた場所から眺めながら、足を止めた。

 他の誰でもない“自分”が、この明るさの中に入っていくことに、どこか躊躇してしまったのだ。


 そんな彼を最初に見つけたのは、ひときわ背の低い、リクという男の子だった。


「……あっ! シオンお兄ちゃんだーっ!」


「えっ、ほんと!?」「お兄ちゃんー!」

「シオン! あそぼあそぼー!」


 たちまち数人の子どもたちが、泥と葉っぱまみれの笑顔でシオンに駆け寄ってくる。

 まるで、嵐のようだった。


「お兄ちゃんっ、かくれんぼ一緒にやろ? ソウくんがすっごい隠れかたしたんだけど、ぜんぜん見つかんなくて! お兄ちゃんなら見つけられるよね!?」


「この前のお野菜、すごくおいしかったー! またちょうだい! トマトもっとー!」


「ねえ、ねえ……本当に、剣使えるんでしょ? お姉ちゃん言ってたよ!」


(……にぎやかすぎる)


 シオンは思わず一歩、後ずさりそうになった。

 だが、すぐにリアナが子どもたちの輪の向こうから歩み寄ってくる。

 汗を拭いながら、彼女はにこやかに言った。


「お疲れさまです、シオンさん。ごめんなさい、騒がしくしちゃって。今日は村の学校がお休みで、みんなここに遊びに来てるんです」


「……いや、大丈夫だ。見てて微笑ましいというか……にぎやかで、いいな」


 言いながらも、シオンの視線は、寄ってくる子どもたちをどう扱えばいいのか分からず、右往左往していた。

 その様子に、リアナは思わず笑いをこらえる。


「……ふふ。シオンさん、もしかして“子ども”苦手ですか?」


「いや、嫌いなわけじゃ……ただ、どう接すればいいか、わからないだけだ」


「そっか……。でも、子どもたちは、シオンさんのこと大好きですから。きっとすぐ慣れますよ」


 その話を聞いていたのか、ひとりの女の子、クロエがシオンの前にきゅっと立った。

 黒髪をツインテールに結った彼女は、少し物怖じしながらも懐から小さな紙を差し出した。


「あの……これ、“ありがとうカード”。この前、お兄ちゃんが落ちてた野菜拾ってくれたから……」


 そこには、つたないながらも色鉛筆で描かれた赤いトマトと、満面の笑顔の絵があった。

 “しおんおにいちゃん だいすき!”

 その文字を見た瞬間、シオンの心に、何かぬくもりが差し込んだ。


「……ありがとう、大事にするよ」


 シオンは、初めて自分から子どもの頭を撫でた。

 クロエは「えへへ」と嬉しそうに笑った。


 他の子どもたちが一斉に騒ぎ出す。


「ずるいぞクロエ! おれも描く描くー!」


「お兄ちゃん! 次は一緒に鬼ごっこしてっ!」


「剣の構え、一回見せてよー!」


 シオンは、困ったようにリアナのほうを見る。

 リアナは、にこりと笑って、小声で囁いた。


「……こういうときは、逃げちゃダメですよ」


「……参ったな。俺にこんな日が来るとは……」


 太陽はいつの間にか高く昇り、広場には子どもたちの歓声が響き渡っていた。

 シオンは戸惑いながらも、その賑やかさの中に、少しずつ身を委ねていった。


 昼が近づくにつれて、子どもたちの元気はますます高まり、広場の騒がしさは途切れることなく続いていた。


「シオンお兄ちゃん! 次は鬼ごっこしようよ!」


「やだー、今度は秘密基地作りがいい!」


「ねーねー、ちゃんと剣のポーズ見せてくれるって約束したじゃん!」


 まるで収拾がつかなくなった小さな嵐に、シオンは戸惑いながらも、いつの間にか子どもたちの中心に立たされていた。

リアナはさりげなくフォローに入りつつも、微笑ましげに見守っている。


「シオンさん、せっかくだから“鬼”になってあげてください。ほら、子どもたち、シオンお兄ちゃんが本気で鬼ごっこしてくれるって!」


 シオンは、困ったように苦笑いしつつも、つい笑顔をこぼす。


「……分かった、今日は本気で“鬼”をやる。覚悟して逃げろよ」


「きゃー!」「絶対捕まらないからね!」

「やったー! お兄ちゃん鬼だー!」


 じゃんけんもルールも曖昧なまま、村の広場を舞台に全力で駆け回る。

ふだん畑で鍬を振るうよりもずっと長く、子どもたちを追いかけたり、捕まえたり、冗談を飛ばしたり――

シオンの頬には、気づけば久しぶりに大粒の汗と笑顔が浮かんでいた。


 一息ついたところで、ソウが息を切らせて駆け戻ってくる。


「お兄ちゃん、すごい足早いね! ほんとに元・騎士だったの?」


「剣も見てみたい! 昔の武勇伝、聞かせてよ!」


「……いや、戦いの話ばかりじゃつまらないだろう。剣の構えは見せてもいいが、君たちはそのかわり、村で大事なことを一つ教えてくれ」


「えー! でも、剣の話も聞きたい!」


 シオンは、おどけて草で作った即席の“剣”を振って見せた。


「よく聞くんだぞ。畑でも遊びでも、“誰かを傷つけるため”ではなく、みんなのために体を動かすんだ。剣も、本当なら守るためのものだ」


「守るため……?」


「そう、お兄ちゃんは昔、仲間や村を守るために剣を使った。でも、いちばん大切なのは“仲間と力を合わせる”ことだ。分かったか?」


「うーん……むずかしいなー。でも、みんなで遊ぶ方が楽しいよね!」


「それでいいよ。……さ、剣の構えはこうだ」


 シオンは両手で木の枝を握り、真剣なまなざしで構えて見せる。

 子供たちは「すごい!」「強そうー!」と目を輝かせる。


「……お兄ちゃん、本物みたい!」


 その時、クロエが小さな声でシオンに話しかけてきた。


「あのね……シオンお兄ちゃん。村に来たとき、本当はちょっと怖かった。でも、今は楽しいよ。お兄ちゃんと遊ぶの、大好き」


 シオンは、不意に胸を突かれる思いがした。

 子供の無垢な言葉は、どんな勇者の剣よりも心に刺さる。


「……ありがとう。君たちといると、俺も勇気が出る」


 午後になると、雑貨屋の軒先で皆でおやつタイムになった。


「はいはい、今日のおやつは、シオンさん畑のじゃがいもで作ったコロッケでーす!」


 リアナが配る皿を受け取りながら、子どもたちは元気よく手を挙げる。


「やったー! これ、僕の一番好きなやつ!」


「お兄ちゃんも一緒に食べようよ!」


 並んでコロッケをほおばるその輪に、シオンも加わった。

 最初は心のどこかで「戸惑い」の色が濃かったが、今は優しく温かな何かが、その心を包み込んでいく。


「また鬼ごっこしようね!」「次は秘密基地作り、一緒にやるよ!」「今度、カブトムシ捕まえてあげる!」


「……みんな。約束だぞ。今度はもっと全力で逃げてくれよ」


「うんっ!」


 気づけば、シオンの顔には、村に来て以来いちばん柔らかな笑みが宿っていた。


 夕陽が傾き始めても、子どもたちの声は広場に響き続けた。

 村の優しい日々のなかで、シオンは少しずつ「隣人」以上の存在に近づきつつあった。


 ――無邪気な笑顔と賑やかさ。

 戸惑いと、少しずつ溶けてゆく心。

 そのすべてが、今日という一日の確かな“宝物”になったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ