23話 村の子供たち ――無邪気な笑顔とシオンの戸惑い
その日は朝から、少しばかり気だるい陽射しが村の上に降り注いでいた。梅雨の終わりを思わせる湿った空気のなか、シオンは畑からの帰り道、いつもの小道を通って雑貨屋へと向かっていた。
けれど、その足音が雑貨屋に近づくにつれて、何やら騒がしい声が耳を打った。
「わあーっ、待てーっ!」
「リアナお姉ちゃーん! かくれんぼ、もう一回だけ!」
「ずるいよソウ! 今の数え方、短かったー!」
陽射しを照り返す小さな砂利道の先。
雑貨屋の前の広場には、五、六人の子どもたちが駆け回っていた。
その中心で、笑いながら何かを指差しているのはリアナだった。
髪を後ろで編み、カジュアルなエプロン姿の彼女が、子どもたちと全力で遊んでいる光景は、どこかとても自然だった。
(……随分、にぎやかだな)
シオンはその光景を少し離れた場所から眺めながら、足を止めた。
他の誰でもない“自分”が、この明るさの中に入っていくことに、どこか躊躇してしまったのだ。
そんな彼を最初に見つけたのは、ひときわ背の低い、リクという男の子だった。
「……あっ! シオンお兄ちゃんだーっ!」
「えっ、ほんと!?」「お兄ちゃんー!」
「シオン! あそぼあそぼー!」
たちまち数人の子どもたちが、泥と葉っぱまみれの笑顔でシオンに駆け寄ってくる。
まるで、嵐のようだった。
「お兄ちゃんっ、かくれんぼ一緒にやろ? ソウくんがすっごい隠れかたしたんだけど、ぜんぜん見つかんなくて! お兄ちゃんなら見つけられるよね!?」
「この前のお野菜、すごくおいしかったー! またちょうだい! トマトもっとー!」
「ねえ、ねえ……本当に、剣使えるんでしょ? お姉ちゃん言ってたよ!」
(……にぎやかすぎる)
シオンは思わず一歩、後ずさりそうになった。
だが、すぐにリアナが子どもたちの輪の向こうから歩み寄ってくる。
汗を拭いながら、彼女はにこやかに言った。
「お疲れさまです、シオンさん。ごめんなさい、騒がしくしちゃって。今日は村の学校がお休みで、みんなここに遊びに来てるんです」
「……いや、大丈夫だ。見てて微笑ましいというか……にぎやかで、いいな」
言いながらも、シオンの視線は、寄ってくる子どもたちをどう扱えばいいのか分からず、右往左往していた。
その様子に、リアナは思わず笑いをこらえる。
「……ふふ。シオンさん、もしかして“子ども”苦手ですか?」
「いや、嫌いなわけじゃ……ただ、どう接すればいいか、わからないだけだ」
「そっか……。でも、子どもたちは、シオンさんのこと大好きですから。きっとすぐ慣れますよ」
その話を聞いていたのか、ひとりの女の子、クロエがシオンの前にきゅっと立った。
黒髪をツインテールに結った彼女は、少し物怖じしながらも懐から小さな紙を差し出した。
「あの……これ、“ありがとうカード”。この前、お兄ちゃんが落ちてた野菜拾ってくれたから……」
そこには、つたないながらも色鉛筆で描かれた赤いトマトと、満面の笑顔の絵があった。
“しおんおにいちゃん だいすき!”
その文字を見た瞬間、シオンの心に、何かぬくもりが差し込んだ。
「……ありがとう、大事にするよ」
シオンは、初めて自分から子どもの頭を撫でた。
クロエは「えへへ」と嬉しそうに笑った。
他の子どもたちが一斉に騒ぎ出す。
「ずるいぞクロエ! おれも描く描くー!」
「お兄ちゃん! 次は一緒に鬼ごっこしてっ!」
「剣の構え、一回見せてよー!」
シオンは、困ったようにリアナのほうを見る。
リアナは、にこりと笑って、小声で囁いた。
「……こういうときは、逃げちゃダメですよ」
「……参ったな。俺にこんな日が来るとは……」
太陽はいつの間にか高く昇り、広場には子どもたちの歓声が響き渡っていた。
シオンは戸惑いながらも、その賑やかさの中に、少しずつ身を委ねていった。
昼が近づくにつれて、子どもたちの元気はますます高まり、広場の騒がしさは途切れることなく続いていた。
「シオンお兄ちゃん! 次は鬼ごっこしようよ!」
「やだー、今度は秘密基地作りがいい!」
「ねーねー、ちゃんと剣のポーズ見せてくれるって約束したじゃん!」
まるで収拾がつかなくなった小さな嵐に、シオンは戸惑いながらも、いつの間にか子どもたちの中心に立たされていた。
リアナはさりげなくフォローに入りつつも、微笑ましげに見守っている。
「シオンさん、せっかくだから“鬼”になってあげてください。ほら、子どもたち、シオンお兄ちゃんが本気で鬼ごっこしてくれるって!」
シオンは、困ったように苦笑いしつつも、つい笑顔をこぼす。
「……分かった、今日は本気で“鬼”をやる。覚悟して逃げろよ」
「きゃー!」「絶対捕まらないからね!」
「やったー! お兄ちゃん鬼だー!」
じゃんけんもルールも曖昧なまま、村の広場を舞台に全力で駆け回る。
ふだん畑で鍬を振るうよりもずっと長く、子どもたちを追いかけたり、捕まえたり、冗談を飛ばしたり――
シオンの頬には、気づけば久しぶりに大粒の汗と笑顔が浮かんでいた。
一息ついたところで、ソウが息を切らせて駆け戻ってくる。
「お兄ちゃん、すごい足早いね! ほんとに元・騎士だったの?」
「剣も見てみたい! 昔の武勇伝、聞かせてよ!」
「……いや、戦いの話ばかりじゃつまらないだろう。剣の構えは見せてもいいが、君たちはそのかわり、村で大事なことを一つ教えてくれ」
「えー! でも、剣の話も聞きたい!」
シオンは、おどけて草で作った即席の“剣”を振って見せた。
「よく聞くんだぞ。畑でも遊びでも、“誰かを傷つけるため”ではなく、みんなのために体を動かすんだ。剣も、本当なら守るためのものだ」
「守るため……?」
「そう、お兄ちゃんは昔、仲間や村を守るために剣を使った。でも、いちばん大切なのは“仲間と力を合わせる”ことだ。分かったか?」
「うーん……むずかしいなー。でも、みんなで遊ぶ方が楽しいよね!」
「それでいいよ。……さ、剣の構えはこうだ」
シオンは両手で木の枝を握り、真剣なまなざしで構えて見せる。
子供たちは「すごい!」「強そうー!」と目を輝かせる。
「……お兄ちゃん、本物みたい!」
その時、クロエが小さな声でシオンに話しかけてきた。
「あのね……シオンお兄ちゃん。村に来たとき、本当はちょっと怖かった。でも、今は楽しいよ。お兄ちゃんと遊ぶの、大好き」
シオンは、不意に胸を突かれる思いがした。
子供の無垢な言葉は、どんな勇者の剣よりも心に刺さる。
「……ありがとう。君たちといると、俺も勇気が出る」
午後になると、雑貨屋の軒先で皆でおやつタイムになった。
「はいはい、今日のおやつは、シオンさん畑のじゃがいもで作ったコロッケでーす!」
リアナが配る皿を受け取りながら、子どもたちは元気よく手を挙げる。
「やったー! これ、僕の一番好きなやつ!」
「お兄ちゃんも一緒に食べようよ!」
並んでコロッケをほおばるその輪に、シオンも加わった。
最初は心のどこかで「戸惑い」の色が濃かったが、今は優しく温かな何かが、その心を包み込んでいく。
「また鬼ごっこしようね!」「次は秘密基地作り、一緒にやるよ!」「今度、カブトムシ捕まえてあげる!」
「……みんな。約束だぞ。今度はもっと全力で逃げてくれよ」
「うんっ!」
気づけば、シオンの顔には、村に来て以来いちばん柔らかな笑みが宿っていた。
夕陽が傾き始めても、子どもたちの声は広場に響き続けた。
村の優しい日々のなかで、シオンは少しずつ「隣人」以上の存在に近づきつつあった。
――無邪気な笑顔と賑やかさ。
戸惑いと、少しずつ溶けてゆく心。
そのすべてが、今日という一日の確かな“宝物”になったのだった。




