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19話 静かな夕暮れ、手のひらの土  ――一日の終わりに感じる成長

 夕暮れのエルデン村。

 畑の上を、茜色の光が静かに包み込んでいた。

 シオンは、今日一日を終えた畑の真ん中に、泥だらけのまま腰を下ろした。

 遠くで鳥が鳴き、風が畝の間を抜けていく。

 その風の中に、土と青草の匂いが混じっていた。


「……今日も、よく働いたな」


 ふと、手のひらを見つめる。

 爪の間には土が入り込み、掌には小さな傷やタコができている。

 剣を振るっていた頃の手とは、まるで違う。

 だが、今はこの手が、何よりも誇らしかった。


 そのとき、リアナが畑の端から駆けてきた。

 バスケットを抱え、夕陽に照らされた髪が、金色に輝いている。


「シオンさん! お疲れさまです。今日もたくさん頑張りましたね!」


「ありがとう、リアナ。……君のおかげで、畑仕事にもだいぶ慣れてきたよ。けど、毎日が試行錯誤だな。今日は午前中、苗がしおれて焦った」


「それでも、午後には元気を取り戻してましたよ。ちゃんと土の乾き具合を見て、水やりのタイミングを調整してたじゃないですか」


「……ああ。最初は水をやりすぎて失敗したけど、君のアドバイス通りに“土の声”を聞くようにしてみたんだ」


「それが一番大事なんです。畑仕事は、毎日少しずつ学んでいくものですから。私も、最初は失敗ばかりでしたよ。芽が出なかったり、苗が枯れたり、雑草に負けたり……でも、そのたびに“どうしてだろう”って考えて、次はもっと上手くできるようになるんです」


「……君は本当に前向きだな。俺は、失敗するとすぐに落ち込んでしまう」


「失敗も大事な経験です。畑も人も、昨日より今日、今日より明日――少しずつ成長していくんです」


 シオンは、土のついた手のひらをもう一度見つめた。


「剣を振るっていた頃は、勝つか負けるか、白か黒かしかなかった。でも、畑仕事は違う。失敗しても、またやり直せる。少しずつでも、前に進めるんだな」


「そうです。畑は、何度でもやり直せます。私も、何度も泣きながら種を蒔き直しました。でも、やめなかったから、今は野菜が育てられるようになったんです」


「……ありがとう、リアナ。君がいてくれるから、俺も諦めずにいられる」


「それでいいんです。畑も人も、ゆっくり育てばいいんですよ」


 そこへ、グレンが鍬を肩に担いでやってきた。

 夕陽を背にしたその姿は、どこか頼もしい。


「おーい、シオン。今日も一日ご苦労だったな」


「グレンさん、お疲れさまです。……畑仕事って、本当に体力が必要ですね。腰も腕も、もうパンパンです」


「ははは、最初はみんなそうだ。だが、毎日続けていれば、体も慣れてくる。農家は体が資本だからな。休むときはしっかり休めよ」


「分かりました。……でも、疲れても不思議と心は軽いです。昔は、戦いの後は虚しさばかりだったのに」


「それが畑仕事のいいところさ。自分の手で土を耕し、種を蒔き、芽が出て、実がなる――その小さな積み重ねが、明日の力になるんだ」


 エミリアが、ノートを片手に静かに現れる。


「シオン、今日の畑の様子はどうだった?」


「うん。午前中は苗がしおれて焦ったけど、午後には少し元気を取り戻した。雑草もだいぶ抜いたし、畝の形も整えた。……毎日、少しずつだけど、畑が変わっていくのが分かるよ」


「それが“観察”と“記録”の力よ。毎日土や作物を見て、小さな変化に気づくことが大事なの。畑も人も、目には見えないところで根を張り、静かに成長しているのよ」


「……ありがとう、エミリア。君たちがいてくれるから、続けていける」


 ミリィが、畑の隅で小さな花を摘んで走ってくる。


「お兄ちゃん、これ、今日一番きれいだったお花だよ!」


「ありがとう、ミリィ。君も、毎日畑でいろんな発見をしてるんだな」


「うん! 昨日はなかった花が、今日は咲いてたの!」


 リアナが、シオンの手のひらをじっと見つめる。


「シオンさん、その手、すっかり“農家の手”になりましたね」


「……そうかな。剣のタコは消えたけど、今は土と汗の跡ばかりだ」


「それが“成長の証”です。私も、最初は手が痛くて辛かったけど、今はこの手が自慢なんです」


「……君たちに出会えてよかった。もし、都会にいたままだったら、こんな手にはなれなかった」


 グレンが、夕陽を見上げて言った。


「畑仕事は、毎日が挑戦だ。だが、今日の疲れは、明日の力になる。自分のやり方を見つけていけばいい」


「……自分のやり方、か。焦らず、少しずつ進んでいくよ」


 エミリアが、ノートに何かを書き込みながら微笑む。


「今日の記録、“静かな夕暮れ、手のひらの土”。きっと、来年の今ごろは、もっと立派な畑になってるわ」


「……そうだな。来年の自分が、今の自分を見て、少しでも誇れるようになりたい」


 ミリィが、花を空に掲げて叫ぶ。


「明日も、きっといい日になるよ!」


「そうだな。明日もまた、畑と一緒に成長しよう」


 シオンは、夕焼けに染まる畑を見渡した。

 畝の間には、今日植えたばかりの苗が、まだ頼りなく揺れている。

 その一つ一つが、これからどんなふうに育っていくのか――想像するだけで、胸が高鳴った。


 ふと、村長バルスがのんびりとした足取りで現れる。

 手には、村のリンゴが入った籠を持っている。


「おーい、みんな。今日も一日、ご苦労だったな」


「村長さん、お疲れさまです!」


「シオンくん、どうだい? 畑仕事にも慣れてきたかね」


「はい。まだまだ分からないことだらけですが、毎日が新しい発見です」


「それでいいんだよ。畑も人も、一日で大きくは変わらん。だが、毎日少しずつ積み重ねれば、いつか大きな実りになる。……それが、村の教えさ」


「……ありがとうございます、村長さん」


「はっはっは、礼なんていらん。さあ、みんなでリンゴを食べよう。今日の疲れを癒すには、甘いものが一番だ」


 みんなでリンゴをかじりながら、畑の端に腰を下ろす。

 夕暮れの静けさの中、土の匂いと果実の甘さが、心を満たしていく。


 リアナが、そっとシオンに囁く。


「シオンさん、最初は不安そうでしたけど、今はすっかり村の一員ですね」


「……そうかな。まだ、自分では実感がないけど」


「大丈夫です。畑の土と同じで、ゆっくり、しっかり根を張ってますよ」


「……ありがとう、リアナ」


 エミリアが、穏やかな声で続ける。


「畑仕事は、毎日が“気づき”の連続よ。昨日できなかったことが、今日はできるようになる。その積み重ねが、いつか大きな自信になるの」


「……そうだな。今日の自分が、昨日の自分より少しだけ前に進めていれば、それで十分だ」


 グレンが、鍬を肩に担ぎ直しながら言う。


「シオン、お前の手はもう立派な農家の手だ。剣のタコは消えても、土と汗の跡が残ってる。それが、お前の“今”だ」


「……ありがとう、グレンさん」


 ミリィが、シオンの膝に頭をのせて、ぽつりと呟く。


「お兄ちゃん、明日も一緒に畑で遊んでね」


「ああ、約束するよ。明日も、明後日も、ずっと一緒だ」


 静かな夕暮れ。

 手のひらの土の感触が、シオンの心を温かく包み込む。

 それは、戦いの日々では決して得られなかった、穏やかで確かな“成長”の証だった。


 畑も、人も、村も――

 ゆっくりと、しかし確実に、明日へと歩みを進めていく。


 シオンは、夕闇に包まれる畑を見つめながら、静かに呟いた。


「……ありがとう、みんな。ありがとう、土。明日もまた、新しい一日が始まる」


 その言葉は、土の奥深くまで、静かに染み込んでいった。

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