第7話 未来を耕す手、風を運ぶ船
春の陽射しが、エーベルの港町に柔らかな光を落としていた。
まだ肌寒さの残る空気の中、アリアは街の外れにある畑の一角でしゃがみ込んでいた。
手には、小さな苗。淡い緑の葉をつけた、異国の植物、セリナが商会の輸送網を使って取り寄せてくれたもので、香料、薬草。
そして、“甘味のもと”となる果実や草木が含まれている。
「うん。この子は、土とも相性良さそう。水はあっちから引けるとして……」
アリアは指で土をつまみ、湿度と質感を確かめる。
その傍らには、思念写本によって再現した植物の育成記録が、空中に光の文字として浮かんでいた。
「魔法と知識を合わせれば、この世界でも、甘いものはもっと作れるはず!」
その言葉には、どこか使命感とほんのりとした欲望がにじんでいる。
近くで作業していたイルマが、ちらりとアリアを見る。
「アリア様。甘味、そんなに好きなんですか?」
「好きに決まってるじゃない!」
アリアは思わず力強く返した。
「甘いものが少ないの! 貴族の御茶会でしか出てこないし。庶民なんて、ほとんど食べられない!」
「……なるほど」
「だから、自分で作るの。甘い果実、甘い蜜、焼き菓子、ジャム、ケーキ……。夢が詰まってるのよ!!」
熱弁するアリアに、イルマは「おやつ抜きにすると怒るタイプですね」と微笑を浮かべた。
アリアは、手を止めずに苗に水をやる。
その手は真剣で、でもどこか楽しそうだった。
「この子たちが、きっと甘さを運んでくれる……この町に、未来に……そして私にも!」
そんな言葉に、作業していた村人のひとりがぽつりとつぶやく。
「領主様が……甘味に本気すぎる……」
陽光の中で、異国の苗が静かに揺れる。
それは確かに、“未来の港町”を形作る第一歩であり――アリアの「幸せ計画」でもあった。
*
午後の陽射しが傾き始めたころ、アリアは港の一角にある古びた造船所を訪れていた。
潮の香りと、木材の匂いが入り混じる作業場には、削りかけの板や、使い古された船の骨組みが並んでいる。
エーベルの港は、少しずつ活気を取り戻しつつある。
魚と塩の出荷が安定し始め、今後は周辺諸国との貿易にも乗り出す予定だ。
だが、それにはひとつ、大きな問題があった。
「これが今の船じゃ、長距離の航海には不安があるわね」
目の前にあるのは、せいぜい十人乗りの木船。
浅い海や沿岸用に作られた船で、風や波に弱く、積載量も限られている。
「嬢ちゃん、今日は何の用だ?」
奥から現れたのは、たくましい腕の造船親方。
濃い眉の下に鋭い眼光を宿し、長年の経験が刻まれた顔には頑固一徹な気質が滲んでいる。
「今日は、ちょっと“未来の船”の話をしに来ました」
アリアはそう言って、手にしていた筒を広げた。
中から出てきたのは、細かい線で描かれた船の設計図。
彼女が前夜、思念写本で再現し、紙に転写した“竜骨構造を備えた帆船”の図面だった。
「これは船の設計か?」
親方は眉をひそめ、図をじっと見つめた。
指でなぞりながら、中心部の構造に目を留める。
「真ん中を通る太い材、これが“竜骨”ってやつか?」
「はい。竜骨は船体の“背骨”です。これがあることで、船の軸がぶれにくくなり、長距離でも安定して航行できます」
「ふむ……。確かに、今の船は波を受けるとすぐ横揺れする」
「加えて、船底の形を細く深くできるので、水の抵抗が減って、速度も上がるんです。風を効率よく帆に受ければ、より遠くまで行けます」
親方は目を細め、図面を持った手を組む。
「なるほどな……見た目こそ奇抜だが、理に適ってる」
アリアは一歩踏み出して言葉を重ねる。
「この港がもう一度“交易の拠点”になるには、“運べる船”があって初めて、物も人も遠くへ運べるのです」
「未来を運ぶには、船が要るってことか」
親方は口の端を上げると、トン、と足元の木材を軽く叩いた。
「嬢ちゃんの夢、面白れぇじゃねぇか。やってやろう。ただし、こっちも本気で作るからには、無駄なもんは見せるなよ?」
アリアは力強く頷いた。
「もちろんです。最初の一隻がきっと、この町の風を変えてみせます」
その言葉に、職人たちの手が止まり、ざわめきが広がる。
造船所に、静かに、だが確かに“変化”の空気が芽生え始めていた。
*
春の風がやさしく吹き抜ける王都郊外。
白壁の校舎が並ぶアルシオン王立学院の門前には、新しい制服に身を包んだ少年少女たちが集まっていた。
銀髪の少年、レオン・ベルトラムは少しだけ深く息を吸い込む。
父は王国随一の軍師ヴェルナー・ベルトラムだ。、そして自分は王子付きの近習。責任の重さを噛みしめるように、彼は真剣な面持ちで門を見上げていた。
「んー、やっぱりレオンって真面目だよねぇ」
そんな彼の背中をぽんっと叩いたのは、快活な声の少女だった。
赤毛を高く結った少女、シエナ・グレイブ。
大陸有数の腕を持つと言われる傭兵、バルド・グレイブの娘である。
「学院の登校初日だぞ? 普通は緊張するだろ」
「うーん、そうかもだけど……。私、緊張すると逆にお腹すいちゃうんだよね」
屈託のない笑顔を浮かべるシエナに、レオンは思わず少しだけ吹き出した。
「それはお前らしいな」
「でしょー? でもさ、ちょっとだけ不安でもあるんだよ。私みたいなのが、本当にここでやってけるのかなって」
「お前は強い。訓練でも結果出してるし、推薦だって自力で勝ち取った」
「……ふふっ。ありがと」
軽く照れたように笑うシエナは、背伸びも見栄もなく、そのままの自分で立っている。
だからこそ、きっと、誰よりも伸びていくのだろう――レオンはそう思った。
「よーし、せっかく入ったんだし、ここでいっぱい学んで、テオドール殿下の役に立てるようにならなきゃね!」
「……ああ」
鐘が鳴り、門がゆっくりと開かれる。
ふたりは並んでその門をくぐっていく。
新たな学び舎の先に、どんな日々が待っているのかはまだわからない。
けれど、その背中にはもう、迷いはなかった。




