塩田の希望と、雷鳴の誓い
潮風が、頬を優しく撫でていく。
その香りはどこか懐かしくて、けれど目の前に広がる風景は、寂しさを感じさせるものだった。
海沿いに長く伸びる塩田。
かつて沢山の塩を生産した場所。けれど今は、活気がない。
風に晒されて白く結晶化した塩が、かろうじて昔の名残を伝えていた。
「ここが、昔栄えていた塩田なのね」
呟き、目を細める。
現地に残っていた数人の職人たちが、細々と作業を続けているのが見えた。
その中のひとり、年老いた男性が、天日に干した塩を木製の熊手で集め、桶に運んでいた。
「今でも少しは塩を作っているようですね」
隣でロイが静かに言う。
彼はわたしの護衛を任された騎士で、表情は変わらないけれど、視線は常に周囲を警戒している。
「うん。でも……、この規模じゃ、とても足りないわ。水の流れも滞ってるし、効率が悪すぎる。まずは塩田の構造を見直すところから、ね。」
わたしは視線を巡らせ、前世で読んだ本の知識と照らし合わせる。
水門の調整、結晶池の配置、作業動線の簡略化。まだ粗いけれど、改善の道筋は見え始めていた。
(まずは塩。そのあとで、魚の保存にも活かせるように。塩漬け樽の構想は、その先)
そう思った瞬間だった。
風に乗って、馬の蹄の音が近づいてくる。
「アリア様。あちらから。馬車が来ます。旗にご注目を」
ロイの声に顔を上げると、白銀と青の縁取りが印象的な美しい馬車が、ゆっくりとこちらに向かってきていた。
その屋根には、王家の紋章があしらわれた小さな旗がはためいている。ひと目で、それが王族の乗り物だと分かった。
馬車の前後を、騎士たちが静かに警護していた。
数えてみると、全部で五騎。そのうち、二人はすぐに誰だか分かった。有名人で王都に滞在中、顔だけはみかけたことがある。
一人は、ヴェルナー・ベルトラム。
銀の髪を後ろでひとつに束ね、黒の魔導士衣を纏った痩身の男。瞳が鋭く光り、切れ者だと一目でわかる風貌だ。
その存在感は、静かなのに圧がある。
国内随一の使い手と称される宮廷魔導士、確か今はテオドール第一王子の教育係をしていると聞く。
もう一人は、バルド。大陸でも名の知れた伝説の傭兵。
赤褐色の髪で、大柄な男。鎧の着こなしはざっくりとしていて、自信に満ちた笑みを浮かべている。
けれどその目には、鋭さが宿っている。
(ふたりとも、王子の近衛騎士。他の騎士たちは、補助的な警護かしら。けれど、訓練は行き届いている)
わたしがそう思っていると、馬車が止まり、中からゆっくりと少年が姿を現した。
彼が、テオドール殿下。
年齢は十歳のわたしとそう変わらない。背は小柄で、淡い金髪が陽光を受けてきらめいていた。
王族らしい白と紺の正装に身を包み、姿勢は緊張気味。けれど、どこか柔らかい印象を残す少年だった。
「テオドール殿下でいらっしゃいます」
ヴェルナーが馬を下り、わたしにそう紹介する。
「ようこそお越しくださいました。私はアリア・アイゼンベルクと申します。殿下にお目にかかれて光栄です」
スカートの裾を軽く持ち、丁寧に一礼をする。
それを見た少年――テオドール殿下は、ほんの一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐに表情を引き締めて、小さくうなずいた。
「よろしく、アリアさん」
その声は少しだけ上ずっていて、でも真剣だった。
そして彼は、ほんのわずかに口元をほころばせて、はにかんだような微笑みを浮かべた。
(素直でまっすぐな子)
王族としての威厳よりも、誠実な気遣いと優しさがにじみ出ている。
塩田の縁を歩きながら、テオドール殿下は興味深げに周囲を見渡していた。
その瞳は真剣で、ただのお飾りとして来たわけではないことが、すぐに伝わってくる。
「この白い塩、本当に、海の水から取れるんですね」
「はい。まず海水を水路で結晶池に流し込みます。それを太陽の光で蒸発させると、塩だけが残るんです」
わたしはできるだけわかりやすく説明する。
殿下は小さく頷きながら、わたしの言葉を丁寧に聞いてくれていた。
「アリアさん、すごいくわかりやすいです」
そのまっすぐな瞳に見つめられ、少しだけくすぐったくなる。
「ありがとうございます、殿下。でも、ここはまだ始まりにすぎません。塩を作るだけでなく、これを活かす仕組みが必要なんです」
「そのあとの話、ぜひ聞きたいです!」
そのタイミングで、ロイが話に加わる。
「ちなみに、自分は料理が得意でして。港町に魚が揚がるなら、干物や塩漬けで保存できます。保存食があれば、遠くの街にも売れますから」
「ええ、私もそれを考えていたの」
わたしは前を見つめながら話す。
「塩で魚を漬け込み、樽に詰めて輸送する。長期保存ができるから、交易品として成立するのです。そうすれば、港は再び栄えるわ」
テオドールは目を見開き、うれしそうに笑った。
「アリアさん、本当にすごい。未来のこと、ちゃんと見てるんだ」
その笑顔に、わたしの心もぽっとあたたかくなる。
その瞬間だった。
風の中に、低いうなり声が混ざる。
振り返ると、灰色の影が森の奥から飛び出してきた。
狼のような魔物。赤く濁った瞳、泡立つ唾液。明らかに、ただの野獣ではない。
「魔物っ!」
ロイがすぐさま剣に手をかけ、前に出る。
テオドール王子をかばう様に前に立ったのはバルドだ。
「はっ、やっとお出ましか」
不敵に笑ったバルドが、剣に手をかける。
その表情に一切の緊張はなかった。むしろ、楽しんでいるかのような余裕があった。
(大丈夫。バルドがいる。彼なら)
そう思った、はずだった。
けれど、脳裏に焼き付いて離れない映像があった。
刺客の襲撃に巻き込まれ、イルマが傷ついたあの日の記憶。
(……だめ、あのときみたいに)
気づけば、わたしの足が動いていた。
心臓が高鳴る。視界が光に包まれる。
《思念写本》が、反射的に発動する。
アリアは以前家庭教師に魔法を教わっていた時期があった。その時の記憶を呼び起こす。記憶の中の一番出来の良かった魔法構築式を瞬時に展開し指先へ魔力を集める。
「雷よ、我が声に応えよ《雷撃》!」
青白い稲妻が魔物を直撃し、地面へと叩きつける。
魔物は咆哮を上げ、苦しみながら身をよじる。
「まだ!」
わたしはもう一度思念写本を発動させ即座に今使った構築式を再展開。
魔力の流れが過負荷を起こしそうになる中、それでも魔力を指先に集中させる。
「《雷撃》!」
二撃目の雷が、今度は魔物の首筋を撃ち抜く。
魔物は痙攣しながら倒れ込み、動かなくなった。
「アリアさん!」
駆け寄る声。
足元がふらつき、視界がぐらりと揺れる。
(……やっぱり……魔法って、こんなに、消耗するのね……)
わたしの肩を支えたのは、テオドール殿下だった。
小柄なその手が、どこまでも優しい。
「ありがとう、アリアさん。ほんとうにありがとう」
「ううん……無事で、よかった……です……」
ヴェルナーは地に片膝をつきながら、掌を地面にかざした。
「……探知」
呟きと同時に、彼の足元から波紋のような魔力が静かに広がっていく。
周囲の空間が歪み、複数の反応が瞬時に浮かび上がる。
「近場に潜んでいる数は五、六人。その奥に……十人ほどか」
彼の背後に、幾何学模様の魔法陣が展開される。
銀光が何重にも回転し、空気を巻き込んで唸りを上げた。
「砕けろ」
その声と共に、六本の閃光が放たれ、林の中に潜んでいた刺客たちを正確に貫いた。
爆ぜるような閃光が木々を裂き、悲鳴が次々に響く。
ヴェルナーはすぐに振り返り、付き従っていた騎士たちに短く命じた。
「王子の護衛を頼む。バルド、残りを頼んだ」
「了解」
バルドがにやりと笑い、剣を抜く。
「待ってました、ってな!」
豪快な掛け声と共に、敵たちの方に駆けて行く。
一方、ロイはアリアの様子を振り返った。
テオドールがアリアを抱えており、その傍らにはヴェルナーがいる。
(殿下もアリア様も無事。なら、自分のすべきことは――)
「行きます!」
ロイも剣を構え、バルドの後を追って戦場へ駆け出す。
バルドの剣は、重さと速さを兼ね備えていた。
一撃で敵の武器ごと弾き飛ばし、続けざまに三人を圧倒。
その戦いぶりを間近で見たロイは、ただ息を呑む。
(これが……“大陸最強”のと言われる剣技……!)
敵の刃を受け止めながらも、心の底から震えるような感覚に包まれていた。
戦いが終わり、潮風だけが静かに吹いていた。
ヴェルナーは、淡い銀の魔力が残る空間を見上げながら、そっと息を吐く。
(……あの年齢で、即時に二連撃の雷撃魔法。それも、あの精度で?)
表情には出さなかった。
けれどその胸の奥では、驚愕と興奮が、静かに、しかし確実に燃え上がっていた。
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