第27話 その名を刻む一撃
戦場を見下ろす高台から、アリアは眼下の布陣を見つめていた。
包囲網はほぼ完成している。スタンリー伯とベルンハルトの部隊が左右から敵を圧迫し、中央は宮廷魔導士の爆撃と塹壕戦術によって敵を押し返している。
けれど崩れない。
その“芯”に立ちはだかっているのが、ギエル伯だった。
「すごい。ほぼ包囲されてるのに、まだ戦線が保たれてる……」
シエナが隣で呟く。アリアも無言で頷いた。
戦場の中央。重厚な鎧をまとい、巨大な剣を振るう男が、まるで砦のように味方を守り続けている。
ギエル伯。かつてアイゼンベルク家と並び称された将。その存在が、まるで最後の砦のようにユリウス軍を支えていた。
「彼がいる限り、中央は崩れませんね」
敵軍の偵察を終えたヴェルナーが戻り、静かに言う。
「包囲網は完成している。だが敵も中々粘る」
アリアは、テオドールが振り返る気配を感じた。
彼の眼差しは、迷いなく前を見据えている。
「ギエル伯を討つ。ここで終わらせる」
その言葉に、空気がぴんと張り詰めた。
「バルド。任せていいか?」
テオドールが振り返り、彼の視線が戦場の端に控えるひとりの男に向けられる。
黒いマントに鎧姿の歴戦の傭兵、バルド・グレイブ。
彼は剣に手をかけ、静かにうなずいた。
「了解した。」
その一言で、周囲の空気が震える。バルドが動くというだけで、兵たちの士気が変わる。
「とうさん!」
少し離れた場所にいたシエナが小さく声を上げるが、バルドは何も言わず、淡々と準備を始める。
テオドールはその背を見送りながら、そっと拳を握った。
(終わらせる。この戦いに、決着を)
アリアもまた、その背中に目を向けていた。
(バルドさんなら、きっと……)
だが、そのときだった。
「お待ちください!」
鋭い声が響く。
アリアが驚いて振り向くと、声の主はレオンだった。
彼の眼は真っ直ぐにテオドールを見据えていた。
「その任、私にやらせてください!」
戦場の緊張を裂くように放たれたレオンの声に、全員の視線が集まった。
テオドールが振り返る。その表情は驚きというより、確かめるような静けさを宿していた。
「レオン。なぜ、お前が?」
問いかけに、レオンは一歩、前へ出る。その瞳は真剣だった。
「ギエル伯のような英雄を、父やバルド殿に任せてばかりでは、私はいつまでも“その次”の男のままです」
言葉には、重みがあった。
「私は父の息子として、そしてバルド殿と共に学んできた一人の戦士として。今ここで証明したいのです。自分が、この戦場に立つ意味を」
沈黙。
アリアははっとしてレオンを見た。彼の背筋はまっすぐ伸び、拳は震えていた。それでも、目は逸らさない。
(あのレオンが、こんなふうに……)
彼はもう、誰かの影ではなかった。
テオドールは、しばらく黙っていた。そしてゆっくりと、口を開いた。
「お前が行って、勝てると思うか?」
その問いに、レオンは即答した。
「はい。勝ちます」
テオドールの目が、すっと細められる。数秒の静寂の後、彼は静かに頷いた。
「……分かった。お前に、ギエル伯を任せる」
レオンが深く頭を下げた。
その姿を、アリアは目を細めて見つめる。
「レオン、無事に戻ってきて。」
彼は小さく微笑み、兜をかぶる。
「もちろん。」
そして、彼は駆け出した。剣を携え、戦場の渦へ。
戦場の空気が重く淀んでいた。
炎と砂煙、レオンは、ただ一人その中心に歩を進めていた。
剣を握る手が汗ばむ。けれど、それでも足は止まらない。
(あの人を倒せば、この戦は、終わる)
そう信じて、彼は進んだ。
眼前に立つのは、ギエル伯。
歴戦の将として知られ、その存在だけで兵を支える“英雄”。
「来たか、小僧。」
低く、重たい声。
だが、レオンは怯まなかった。
言い終えるが早いか、ギエル伯が大剣を振り下ろす。
ガァン!
受け止めた衝撃が腕を痺れさせる。力が違う。重さが違う。
それでも、剣を離さずに食らいついた。
連撃を受け流し、斬り返す。だが、ギエル伯の鎧には届かない。呼吸が乱れ始める。
「技だけでは、倒せんぞ」
冷ややかな声が耳を打つ。その言葉にレオンは、そっと目を閉じた。
「……そうでしょうね。だから僕は、“力”も借ります」
彼の足元に風が集まり始める。
「《風迅加護》」
風が渦を巻くように体を包み、剣が軽くなった気がした。地面を蹴ると、そのまま駆け出す。
先ほどまでとは比べものにならない速さ。ギエル伯の剣が追いつかない。
「なにっ……!?」
その驚きの隙を突いて、レオンは一撃を放つ。
肩口へ刃がかすめ、鎧の一部が砕けた。
「……っ、やるな……!」
ギエル伯が膝をつく。その瞬間を、レオンは見逃さなかった。
「《鋼刃強化》!」
剣に魔力が灯る。最小限の魔力で、最大限の刃へと転化。狙うのは致命傷ではない、“戦いを終わらせる一撃”。
「これで、終わらせる!」
レオンの刃が、ギエル伯の脇腹を斜めに裂く。深くはない。けれど、戦意を削るには十分だった。
「くっ……! 貴様!」
倒れ込むギエル伯に、レオンはゆっくりと近づいた。そして、静かに剣を収める。
「どうか、武器を置いてください。これ以上、兵を死なせたくないんです」
しばしの沈黙。
風が吹き抜け、戦場の音が遠のいた気がした。
やがてギエル伯が、重い息を吐きながら言った。
「……負けたな」
彼は大剣を地に置き、そのまま両膝をつく。
「レオン・ベルトラムとやら。見事だった。……好きにしろ。」
レオンはわずかに微笑み、ゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます。命を、無駄にしない道を選んでくれて」
そのやり取りを見届け、遠くから味方の兵たちが歓声を上げた。
その瞬間、ユリウス軍の士気は瓦解し、各地で投降が始まる。
ギエル伯が捕虜となった途端に、戦場から一気に緊張が引いた。
それは、まさに“柱”を失った陣の崩壊だった。
両翼ではすでにスタンリー伯とベルンハルトの部隊が敵陣を制圧しつつあり、各地で白旗が次々と上がっていく。
「撤退だ! 殿下に伝えろ!」
「もうダメだ、中央が崩れた!」
ユリウス軍の兵たちが、次々と武器を捨てて退いていく。
そしてその中ひときわ豪華な幕舎の中にいたユリウス本人は、蒼白な顔で戦況報告を受けていた。
「ギエルが……!? 捕まっただと!?」
地図を乱暴に払いのけ、苛立ちに身を任せる。
「馬を! 今すぐここを離れる!」
「で、ですが殿下、味方の一部がまだ――」
「構わん! あいつらは負け犬だ! 私を生かしてこそ、再起がある!」
周囲にいた貴族たちが互いに顔を見合わせ、そして我先にと馬車や護衛を集めて脱出の準備を始める。
「殿下、ここは退きましょう!」
「残った兵には“持ちこたえろ”と伝えておけ!」
戦場を離れたその背中に、誰一人として従う者はいなかった。
やがて、太陽が高く昇る。
ユリウスの本陣が完全に撤収された後、戦場にはテオドール軍だけが残っていた。
アリアはその様子を静かにみていた。
「終わったのね」
隣にいたヴェルナーが目を細める。
「ええ。これで、一つの戦が終わりました」
風が吹く。
朝焼けの名残が残る空の下、テオドールは馬を降り、勝利した兵たちの元へと歩み出した。




