第22話 悔しさのドレス、誇りの真珠
王宮は朝から落ち着かない空気に包まれていた。
国王陛下が、急遽盛大な舞踏会を開くと宣言したからだ。
その知らせは、アリアのもとにも届いた。
「王宮で舞踏会……?」
手にした招待状は、重厚な封蝋で閉じられていた。煌びやかな金文字が彼女の名を浮かび上がらせている。その文面には、テオドール王子をはじめとした王宮の面々、そして王国中の貴族たちの出席が記されていた。
これはただの社交パーティーではない。何かが動こうとしている。
胸の奥がざわつくのを、アリアは静かに押し込めた。
*
数日後、ユーレイン商会の華やかな応接室に、アリア・セリナ・シエナの三人が集まっていた。
「じゃーん! これ、去年の新作ドレス! 私のお気に入り!」
セリナが広げたのは、金糸の刺繍が目を引く華麗なドレス。色違いの布地や、シエナの体型に合わせた予備のドレスまで並べられ、部屋の中は一気に花が咲いたようだった。
「わーっ、これ可愛い! でも、ちょっと大人っぽすぎるかな?」
「アリアにはこっちの方が似合いそう。落ち着いた色だけど、上品で可愛い」
和気あいあいとドレスを手に取りながら笑い合う三人。けれど、ふとアリアの手が止まる。
「……ん? どうかしたの、アリア?」
セリナが覗き込むと、アリアは目を伏せたまま、静かに言った。
「……昔ね。ユリウス殿下と婚約していた頃。王妃様が催した社交会に呼ばれて、出席したの」
「へえ、そんな時期が……」
「そのとき、家にある一番上等のドレスを着ていったんだけど……。王妃様に"見苦しい"って、笑われたの」
部屋の空気が一瞬、ぴたりと止まった。
「貴族の奥方たちも、一緒になって笑ってた。わたし、何も言い返せなかったの。悔しくて、泣きたくて、でも……それでも、何もできなかった」
ドレスの裾に指を滑らせながら、アリアは静かに続ける。
「あのとき、自分がすごくちっぽけに思えたの」
その沈んだ声に、セリナがそっと手を重ねる。
「じゃあ、今回はそのちっぽけな自分を――思いっきり見返してやらなきゃね!」
ぱちん、と明るく指を鳴らしてセリナは笑う。
「ユーレイン商会の倉庫、今なら見放題よ? 高級ドレス、揃ってます!」
「アリアのドレスも、もう"家にある一番上等なもの"どころじゃないしね。領地改革で稼いだんでしょ?」
シエナが笑いながら茶化すと、アリアは照れくさそうに頬をかいた。
「私、ドレスってあんまり着たことないけど。セリナ、借りてもいい? アリアの隣に立つには、それなりに恥ずかしくない格好しなきゃって思って」
「もちろん! シエナも絶対似合うって!」
三人で笑い合うその時間は、アリアにとって何より温かかった。
寄り添い、背を押してくれる友がいる。その事実が、心の奥に灯をともす。
*
そして迎えた、舞踏会当日。
王宮の大広間では、百の燭台が光を放ち、天井のシャンデリアが宝石のように輝いていた。耳をくすぐる楽団の調べと、貴族たちのざわめきが広がるなか。
「……あれは……」
一際注目を集める三人の少女が入場する。
蒼銀のドレスに身を包み、真珠の髪飾りが揺れるアリア。
陽の光を宿したような金糸のドレスのセリナ。
深紅のドレスを纏い、まっすぐ前を向くシエナ。
その堂々たる姿に、会場の空気が変わるのがわかる。さざめきが、波のように広がっていった。
「……まさか、あの娘が……」
遠くからそれを見つめる王妃エレオノーラは、わずかに顔をしかめる。
けれど、どこを見ても非の打ち所はなかった。アリアが身につけている真珠のアクセサリーは、王都でも話題になっている“エーベル産の養殖真珠”だと、すでに噂になっていた。
(もう、あのときの私じゃない)
アリアは王妃の視線を正面から受け止め、ゆっくりと前を向く。
そのとき。
「アリア」
柔らかな声が背後から響いた。
振り向くと、正装を纏ったテオドールが、手を差し出していた。
「よければ、一曲、踊ってくれるかい?」
その優しい眼差しに、胸の奥がほのかに温かくなる。
「……はい、喜んで」
アリアは手を重ね、ゆっくりと舞踏会の中央へと歩き出した。
彼女のドレスがきらめくたびに、その一歩一歩が、かつての"悔しさ"を置き去りにしていくようだった。
夜は、まだ始まったばかりだ。
美しい旋律が、大広間に優しく広がる。
アリアとテオドールは、他の貴族たちが見守る中、静かに踊っていた。
彼の手の温かさ。
リズムに合わせて揺れる足取り。
ふと目が合うたびに、胸がふわりと浮き上がるような感覚。
(まさか、こんな日が来るなんて)
アリアは内心でそっと呟いた。
あの日、嘲られた自分が、今こうしてテオドール王子と並び、祝宴の中心に立っている。
「似合ってるよ、今日のドレス。すごく綺麗だ」
テオドールが、照れくさそうに言う。
彼の褒め言葉に、アリアの頬が少しだけ熱を帯びる。
「ありがとう。セリナたちが選んでくれたの」
「君は、もうどこに出ても誇れる女性だよ」
少しの沈黙。
「僕には、まぶしいくらいにね」
思わず返す言葉を探すアリアだが、そのとき、舞踏の終わりを告げる鐘が鳴り、場の空気が変わった。
*
「本日は皆の参列、感謝する」
高台に立った王が、穏やかな声で語り始める。
「今宵の舞踏会は、オルデ王国との正式な同盟を祝い、また我が子テオドールを、王国の正統なる後継者と定めることを、ここに宣言する場でもある」
言葉が終わるより早く、会場は騒然としたざわめきに包まれた。
ユリウスの顔がこわばり、エレオノーラ王妃はまるで仮面のような笑みを浮かべたまま、黙っていた。
(やっぱり、今日の本当の目的はこれだったのね)
アリアは、王の言葉を反芻しながら、人々の反応を見つめていた。
その時。
「陛下、祝杯をどうぞ」
給仕が王へと差し出した一杯の酒。王はそれを受け取り、軽く口をつける。
だが、直後。
「……ぐっ……うっ……!」
王が苦悶の声を上げ、胸元を押さえて崩れ落ちた。
「父上っ!?」
「陛下!?」
大広間が悲鳴と混乱に満ちる。
真っ先に駆け寄ったのはシエナだった。緊迫した空気の中でも、彼女は両手で王を支え、震えを抑えるように呪文を紡ぐ。
「ヒール!」
と叫びながら、シエナはカリオル王に手をかざした。
優しい光が王を包み込む。だが、症状は軽減されない。
その瞬間、ヴェルナーが鋭い声で命じた。
「全員、離れろ。《解毒》!」
魔力の陣が浮かび上がり、王の体から淡い緑色の霧が抜けていく。
「……毒、か。しかも、精製された」
ヴェルナーの表情が険しくなる。
「命に別状はないが、これは間違いなく、王を狙った犯行だ」
その言葉に、会場全体が凍りついた。
*
その裏で、ひそやかに動く影があった。
エレオノーラ王妃と、ユリウス王子である。
「こんな場で毒を使うなんて……。やりすぎよ」
「奴らが先に動いた。母上、ここを出ましょう。今は、王都にいる理由はない」
王妃は一瞬ためらうが、やがて頷いた。
「ええ……。しばし王都を離れましょうか」
二人の姿は、誰にも気づかれぬうちに、王宮から姿を消していた。
*
「王妃とユリウス殿下が。姿を消した?」
事態を聞いたアリアの心に、冷たいものが走る。
この事件は、きっと“始まり”にすぎない。
政争の火種は、すでに王宮を離れ、炎となって広がろうとしていた。




