第21話 断る覚悟、選ぶ未来
朝の王宮は、まだ静けさに包まれていた。
テオドールは早朝の光の中、庭園の外縁を歩いていた。夜が明けてなお、迷いは完全には晴れていなかった。
(本当に、これでいいのか?)
国のため、民のためその大義は分かっている。
だが心は、昨日のアリアとの会話に引き寄せられるように揺れていた。
そんな時だった。乾いた音が、風に混ざって届いてきた。
カッ、カッ。
剣が木製の人形に打ち込まれる音。
近くの訓練場で、誰かが一人で剣を振るっていた。
姿を現したのは、レオン・ベルトラムだった。
汗で乱れた前髪を払いながら、黙々と剣を振り続けている。
その姿に、テオドールはふと声をかけた。
「朝早くから熱心だな、レオン」
レオンは振り返り、少し驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑を浮かべた。
「殿下こそ。珍しいですね、こんな時間に」
テオドールは苦笑する。
「眠れなかったんだ。少し考えごとをしていてな……」
レオンは剣を下ろし、静かにうなずいた。
「例の婚姻の件ですね?」
「ああ」
テオドールは正直に言った。
「国のためには良い話なのはわかっている。けれど、どうしても踏み切れない」
レオンは黙って聞いていたが、やがて口を開いた。
「殿下。私は先日、リオネル王子と出会いました。彼は眩しいほどに、自分の信じる道を歩いていました」
テオドールは目を細めて、じっとレオンを見つめた。
どこか、以前よりも表情に迷いがない。
どこか他人の顔色を伺っていたレオンとは、確かに違っていた。
「私は気づきました。王とは、自分の心に嘘をついてはいけないと。生きたいように生き、その背中を見せることで人はついてくる。民も、臣も」
そして、レオンはまっすぐにテオドールを見た。
「殿下は、誰かに命令されて動く人ではありません。ご自身の意志で未来を選ぶべきです。それを支えるのが、私たち臣下の務めですから」
その言葉に、テオドールの胸がふっと軽くなるのを感じた。
(俺のために、支えてくれる人がいる)
アリアも、レオンも。誰かの期待ではなく、自分の意志を信じてくれている人がいる。
小さく、だが確かに微笑む。
「ありがとう、レオン。少しだけ、背中を押してもらったよ」
レオンは照れたように笑い、剣を肩に担いだ。
「殿下には、迷っている時間なんて似合いませんから」
*
玉座の間ではなく、王の私室だった。
政治的な話というよりも、「親子としての対話」を選ぶために、テオドールが希望した。
部屋に入ると、カリオル王は静かに書簡を読んでいた。
老いの影はあるものの、その眼差しは鋭く、生半可な覚悟では通じないと改めて思わせられる。
「来たか、テオドール」
「はい。お時間をいただき、ありがとうございます」
王は書類を閉じ、椅子の背にもたれかかった。
その視線が、真っ直ぐに息子を射抜く。
「決まったか?」
テオドールは一歩前に進み、姿勢を正す。
「はい。オルデ王国との政略婚についてですが……、お断りいたします」
一瞬、沈黙が落ちた。
王の表情は変わらなかった。ただ、しばらく無言でテオドールの目を見つめていた。
やがて、静かに息を吐く。
「理由を、聞こうか」
テオドールは頷き、はっきりと答えた。
「国の利益になる話だということは、重々承知しています。それでも、私は“誰かの器”として未来を形作るのではなく、自分の意志で国を治めたいのです」
「……」
「ただ国を存続させるのではなく、この国に生きる人々が、誇りを持てる未来を作りたい。そのためには、心を偽った婚姻ではなく、自分自身の道を選びたいのです」
静寂が、再び部屋を包んだ。
だが、次に響いた王の声は、穏やかだった。
「……まったく、困った息子だな」
王は口元をわずかに緩めた。
「だが、そう言うと思っていた」
「え?」
「お前の目が変わっていた。スタンリーのところから帰ってきてから……いや、アリアと会うようになってからかもしれんな」
テオドールは、息を呑んだ。
「親というものは、案外見ているものだよ」
王は立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る。そして、テオドールの肩に手を置いた。
「好きにしろ。だが、その道を選んだ以上、すべてを背負う覚悟を、忘れるな」
「はい。覚悟は、できています」
その返事に、王はゆっくりと頷いた。
「ならばよい。私は、“この国の次代の王”として、お前に信を託す」
*
テオドールが王の私室を後にしてしばらくたった後、王妃エレオノーラの居間には、緊張感が満ちていた。
日差しの柔らかく差し込むはずの優雅な空間も、彼女の怒気を孕んだ気配に飲まれ、空気すら張り詰めていた。
「……断った、ですって?」
声は低く、しかし怒りを押し殺した響きだった。
密偵の男が頷く。
「はい、殿下は正式に、婚姻の申し出を辞退されたと…、王も、それをお認めになったようです」
「……そう」
エレオノーラは、ゆっくりと椅子の肘掛けに指を立てる。
爪がぎり、と沈み込む。
「これでオルデ王国がテオドールの後ろ盾となることは防ぐことができた。」
笑っていた。口元は微笑の形を保っていた。
だが、その目は笑っていない。むしろ、氷のような光を湛えていた。
「ならば、オルデ王国の後ろ盾は私たちが頂きましょう」
そのまま立ち上がり、控えていた侍女に命じる。
「リオネル王子に書簡を。婚姻はユリウスと、ということで進めたいと。早急に」
「かしこまりました」
エレオノーラは静かに窓辺へ歩み寄る。
王城の塔の向こうに、遠く王都の街並みが見えた。
「お前が選ばぬのなら、ユリウスが、いただきましょう」
笑みを浮かべて囁く。そこに込められた意志は鋼よりも固かった。
*
リオネル王子は、届いた書簡の封を切った。
美しい筆跡。香の匂いが微かに漂う。それは、エレオノーラ王妃からの書状だった。
文面には、丁寧な言葉でこう綴られていた。
“我が息子ユリウスと、貴国との友好をより確かなものとすべく、姫様との縁談を望んでおります”と。
リオネルは無言で手紙を机に置いた。
テオドール王子との縁談話が正式に破談になるや否や送られてきた書簡。
「……軽いな」
誰に言うでもないその言葉には、明確な拒絶が滲んでいた。
彼は窓の外、王都の遠景を見やる。白壁の美しい町並み。しかし、そこに流れる空気はどこかきな臭い。
(二人の王子で静かな政争が繰り広げられているとは聞いていたが、これは思ったよりも危ういな)
そう直感したリオネルは、すぐにカリオル王との面会を申し出た。
*
カリオル王の私室にて。
「エレオノーラ王妃より賜った、ユリウス殿下と我が妹ティアとの婚姻の件。我が国としては、これを見送らせていただきたく存じます」
リオネルは落ち着いた口調で告げた。
「代わりに、同盟という形で、貴国との関係をより確かなものとしたく、正式に提案させていただきます」
カリオル王はしばし黙した後、静かに頷いた。
「賢明な判断だ。婚姻にこだわる必要はない。信頼があれば、それで十分だ」
「感謝いたします」
リオネルは深々と頭を下げた。
そして、立ち上がりながら最後に一言。
「まっすぐな王が、この国の未来を導かれることを、心より願っております」
*
数時間後、リオネル王子の一行は、誰に見送られることもなく、王都を離れていた。
あのレオンという青年と、もう少し話してみたかったという思いが、ふと胸をよぎる。
だが、それもすぐに打ち消した。
「……戦が近いな」
馬上で呟いたリオネルのマントが、潮風にひるがえる。




