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第2話 わたしが、この町を変える

 馬車の車輪がきしむ音が、耳に残る。ようやく、アイゼンベルク領に入った。


 窓の外には、どこまでも続く、くすんだ空と、ぬかるんだ土の街道。街道整備が行き届いていないことが一目で分かる。


(やっぱり。思っていた以上に、状況は良くない)


 けれど、不思議と絶望はなかった。


(ここから始めるんだ。今度こそ、自分の力で)


「……ただいま」


 ぽつりとつぶやいた声は、馬車の揺れと一緒に、静かに空へと溶けていった。


 城門をくぐると、屋敷の使用人たちが一斉に頭を下げた。年老いた執事、幼い頃に髪を結ってくれた侍女。見覚えのある顔がそこにある。


 けれど、その誰もが沈んだ表情を浮かべていた。


「婚約破棄された」「襲撃に遭った」


 王都での騒動は、ここにも届いているのだろう。


 玄関ホールへ足を踏み入れた瞬間、懐かしい木の香りが鼻をくすぐった。少し埃っぽいけれど、どこか落ち着く匂いだった。


「アリア!」


 力強い声が響いた。振り向くと、父がいた。


 ベルンハルト・アイゼンベルク。鍛え上げられた体に、無駄のない動き。三十代半ばという若さながら、歴戦の風格が漂う父。だが、私を見るその瞳は、柔らかく揺れていた。


 続いて姿を現したのは祖父、ギュンター。


 五十代後半とは思えない威厳と体格。白くなり始めた髪を後ろで束ね、豪快に笑うその姿は、まさに“武人”だった。


「アリア、よく帰った!」


 祖父はそう言うと、私を大きな腕で包み込んだ。


「無事でよかった、本当によかった……」


 その一言に、胸が熱くなった。


 王都では、私は孤独だった。守ってくれる人も、味方もいなかった。


 でも、今ここには、私を抱きしめてくれる家族がいる。


 父も無言で私の頭に手を置いてくれる。その温もりに、目頭がじんわりと熱くなった。


(私、こんなにも誰かの優しさを欲していたんだ)


 私は彼らの前に一歩進み、背筋を正した。


「お父様、おじい様。お願いがあります」


 二人は黙って、うなずいた。


 まっすぐに、彼らの目を見つめて言った。


「私は領地を立て直したい。この家が“貧乏”だなんて、もう誰にも言わせたくありません。……アイゼンベルク家を、もう一度誇れる家にしたいんです」


 一瞬、静寂が落ちた。


 それを破ったのは、父の静かな声だった。


「経済のことは、正直俺にはよく分からん。だが、お前が本気なら、俺たちは剣を持ってでも守る」


 祖父が豪快に笑った。


「やるからには、全力でやれ。お前がやりたいことなら、儂は何でも支援するぞ」


 その言葉に、胸の奥で何かがほどけていく。


(突き放されたんじゃない。信じてくれてるんだ)


 自然と、笑みがこぼれた。


「……ありがとう」


 そう、小さくつぶやいた。


 ここが、私の再出発の地。


 これから始まるのは、誰にも期待されなかった“貧乏貴族令嬢”の、小さな革命の物語。



 その第一歩は、家族の温かさとともに踏み出されたのだった。


 *

 

 昼下がりの柔らかな光が、古い石造りの廊下を照らしていた。私はひとり、領主館の奥にある書庫へと向かっていた。胸の奥には、ほんの小さな希望と覚悟がある。


「お嬢様、お手伝いしましょうか?」


 階段の途中でイルマが声をかけてくる。彼女の腕の包帯は新しいものに替えられていたけれど、まだ完治しているとは言いがたい。


「大丈夫よ、イルマ。あなたは休んで。私は少し、家の記録を調べたいだけだから」


 少し不安そうにしながらも、イルマはうなずいて下がった。実のところ、この調査は自分の手でやりたかった。


「では、お呼びがあればすぐに参ります」


 イルマの姿が廊下の奥へと消えていくのを見送ってから、私は静かに書庫の扉を開けた。


 重厚な木の扉が軋む音とともに、ほこりとインクの混ざったような匂いがふわりと広がる。天井まで届く本棚に、ぎっしりと並ぶ革表紙の古書たち。祖父ギュンターが「わしでもあまり触らん」と笑っていたのも、納得できる。


 でも私にとっては、この空間すべてが宝の山だった。


(まずは情報収集。敵を知り己を知れば百戦危うからず、よっ!)


 私は意気込みながら、一番奥の歴史書や領地記録が並ぶ棚へと向かう。念のため、書庫の扉には鍵をかけておいた。今は誰にも邪魔されたくなかった。


 選んだのは、分厚く古びた帳簿や記録書。中には中途半端に書きかけのものや、誰かの手書きメモのようなものまで混ざっている。


 机に運び、ページをめくっていく。農地の分布、村の人口推移、税収の変化、干ばつや飢饉の年……。


 ばらばらの情報が、少しずつ頭の中で繋がっていく。


 記録を読み解いていた時、不意に目の前が淡く光った。


「あれ?」


 視線を落とした本のページから、波紋のように空間がゆらめく。


 次の瞬間、文字や図がまるでホログラムのように立体的に浮かび上がった。


「これは、なに?」


 目の前には、透明な光の地図や構造図。手を伸ばせば触れそうな距離にあるのに、現実には存在しない。けれど、自分の脳が“理解しやすい形”に変換して見せてくれていることは分かった。


 驚きに椅子を押しのけて立ち上がった瞬間。


「お嬢様? お茶をお持ちしました」


 扉の向こうからイルマの声。私は慌てて、目の前の光の像を手で払うような仕草をした。すると、それはまるで霧のようにスッと消えていった。


「ちょっと待って、イルマ!」


 急いで深呼吸をし、平静を装って鍵を開け、扉をほんの少しだけ開く。


「ありがとう。でも、ここで飲むわ。しばらく集中したいから、誰も入れないでくれる?」


 イルマは不思議そうな顔をしたが、従順にうなずいた。


「わかりました。でも、無理はなさらないでくださいね」


 茶器を受け取り、扉を閉めて鍵をかける。心臓がドキドキとうるさく鳴っていた。


(今のが、思念写本?)


 その言葉が浮かんだ瞬間、どこからともなく“知識”が流れ込んでくる。記憶を視覚化し、情報を再構成するスキル。名前は思念写本メモリア・グラモリア


 どうして知っているのかは分からない。けれど、確かにそれが“正しい名前”だと確信できた。


 もう一度、机の本を開き、意識を集中させてみる。


 すると、再び光の像が現れる。今度は鮮明に、そして精密に。


 ただの記憶ではない。情報を構造化し、理解しやすく整理して“見せる”力。


 それは、自分の意思で具現化された“知識の魔法”だった。


(これって、転生者の特別な力なの?)


 前世で読んだ小説のように、私にも“チート能力”があるというのかもしれない。しかもそれは、月島詩織としての記憶と結びついた、実用的な力。


 試しに思い出す。戦国時代の城下町、塩の流通、港町の発展と衰退の歴史……。


 するとそれらが、目の前に光の構造図となって広がっていく。しかも、今の世界の言語と単位で、完璧に翻訳されている。


「すごいっ!」


 思わず笑みがこぼれた。前世では誰にも必要とされなかった知識が、今は“力”になる。


(これが、私の武器)


 教育、交渉、軍議、そして開発、この能力があれば、どんな分野でも活かせるはず。


(でも、今は、まだ誰にも話さない)


 力を持つ者には、それを“いつどう使うか”が問われる。


(まずは情報を集めること。港、塩田、漁村の現状。全部、自分の目で確かめてみたい)


 そう決めた私は、静かに本を閉じる。


(誰にも気づかれず、でも確実に進める。私だけの革命を)


 次のページへと手を伸ばす。


 静かな書庫の中、私の中で新しい物語が始まっていた。


 *


 数日後。

 

 わたしは馬車の窓から流れる景色をぼんやりと眺めていた。

 

 視界に広がるのは、かつて繁栄を極めた港町、エーベル。その街並みは、今ではどこか寂れた印象をまとっている。海の香りと潮風が、ほんのり鼻をくすぐった。


「昔はここが、領内でもっともにぎわっていたんですよ」


 隣にいるのは、護衛役を務めてくれているロイ。

 

 父の騎士団でも信頼の厚い若手騎士で、十歳のわたしより十歳ほど年上の青年だ。

 

 ブラウンの短い髪に、落ち着いたブラウンの瞳。きちんと磨かれた鎧からは、彼の真面目な性格がにじみ出ていた。


「お嬢様が港を見たいとおっしゃったときは、正直驚きました。でも前を向いておられる姿を見ると、少し誇らしくもあります」


「ふふ、ありがとうロイ。でも、ただの思いつきじゃないのよ。ちゃんと理由があって来ているの」


 笑ってそう返すと、ロイは穏やかにうなずいた。


 彼は、幼いころからアイゼンベルク家に仕えている騎士で、戦場でも実績を上げてきた。そんな彼が、今はこうしてわたしのすぐそばで、馬車から降りようとしている。


「少し歩きますよ。舗装が悪いので、足元に気をつけて」


「うん、大丈夫。ちゃんと歩けるわ」


 馬車を降りて一歩踏み出すと、足元の石畳はひび割れ、建物の屋根は崩れかけ、滑車は錆びついていた。想像以上の荒れ具合に、思わず息をのむ。


「昔は、もっと活気があったの?」


「ええ。交易船が毎日のように出入りしていたそうです。けれど、戦で一時期領地を失った頃から、町の勢いは一気に落ちました。うちの領地には、まだ復興できていない場所が多く残っているんです」


「そうだったのね」


 アリアの記憶を探っても、その頃の出来事は思い出せない。きっと、生まれる前のことなのだろう。


 わたしは港を見渡した。


(本当に、放置されていたのね)


 海沿いの桟橋には、大型の船が停泊できそうな広さがある。ならば、もう一度交易を復活させられるかもしれない。商人たちが戻ってくるような魅力的な商品があれば。


 その一つに、心当たりがあった。

 

 前世の知識によれば、ハンザ同盟はかつてニシンの塩漬けで莫大な富を築いた。

 

 この地でも、記録によれば漁は安定しているようだ。となれば、必要なのは塩と保存のための樽。


 確か近くに、昔栄えていた塩田があったはず。 

 そこに足を運ぶ必要がある。


 *

 

 その頃、王都の一室にて。


 陽の傾き始めた書斎で、ヴェルナー・ベルトラムは静かに書類に目を通していた。

 

 歳は三十代前半くらい。引き締まった面差しに、灰銀の長髪を緩く後ろで束ねている。 

 淡い光を帯びた瞳が紙面を冷静に追っていくその姿には、自然と威圧感すら漂っていた。


 宮廷魔導士の中でも特に王からの信任が厚く、第一王子テオドールの家庭教師としても知られる。

 

 一部の貴族からは、その冷徹な判断力と影響力の強さから「影の宰相」とも囁かれている男だ。


 重厚な本棚の隙間から差し込む夕陽が、積み重なった資料の端と、彼の肩にかかる外套の裾を静かに照らしていた。


「アイゼンベルク家の令嬢、アリア様が領地に戻り、港の視察を行うとのことです」


「アリア様が、視察を?」


 眉がわずかに動く。

 

 記憶にあるアリアは、社交界の隅で浮いていた我儘なお嬢様。まだ十歳。ユリウス第二王子との婚約破棄で塞ぎ込んでいるものと思っていたが。

 まさか、領地に戻ってすぐ港町の視察に出かけるとは。


「報告、ご苦労。下がっていい」


「はっ。失礼いたします!」


 部下が去ると、部屋の隅から声が飛んだ。


「珍しく、間抜けな顔をしてるじゃないか」


 声の主は、バルド・グレイブ。

 逆立つような赤髪で、鋭い目つき、屈強な体躯がひと目で只者でないことを物語っている。

 覗く逞しい腕と無骨な動きは、剣と血にまみれて生きてきた男と一目でわかる。

「大陸最強の傭兵」とまで噂された実力者で、今は王城近衛の教官と第一王子のテオドールの護衛を務めている。


 少し前から、ヴェルナーの書斎で勝手に酒を飲んでいた。

 

「アイゼンベルク家の我儘な令嬢が、自分の意志で視察に行ったらしい」


 ヴェルナーは肩をすくめながら、差し出された杯を受け取る。


「で、そんな子をなぜ監視してる?」


 バルドが不思議そうに眉を上げ、干し肉を口に放り込んだ。


「婚約破棄されて落ち込んでいると思ってね。心の隙を突いて、第一王子テオドール殿下の派閥に引き込めればと考えた」


 ヴェルナーの言葉に、バルドは酒をぐいっと煽り、にやりと笑う。


「なるほど。失恋したお嬢様に優しくして、仲間に引き込むってわけか」


「ユリウス側に取られたときは痛かったが婚約を破棄されて、離れた今、こちらにも希望がある。アイゼンベルク家の武力は、今のテオドール派には喉から手が出るほど欲しい戦力だ」


 そう言って、ヴェルナーは酒を一口含んだ。


「彼女が社交界で浮いていたのも、冷たい視線を浴びていたのも知っていた。だが、まさか婚約を破棄されるほどとは……。あの家が、中央貴族たちは価値観がと水と油なのは確かだが」


「あの家は、余った金があれば国を守るために使うような連中だ。贅沢三昧の中央貴族と合うはずがない」


 バルドが笑う。


 ヴェルナーは杯を静かに置き、視線を地図へと落とした。


「……テオドール殿下と、あの地へ赴くのも。面白いかもしれんな」

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!


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