第15話 笑顔の午後、血風の夕暮れ
今日は、久しぶりの完全な休日だった。
家庭教師の仕事も、書類整理もない。
朝からスケジュールに空白が並ぶなんて、何カ月ぶりだろう。
「……よし」
私はそっと胸元に手を当てて、小さく息をついた。
今日は、ずっと前から楽しみにしていた“女子会”の日だ。
シエナ、セリナ、イルマ、私にとって大切な仲間たちと、久々に街へ出かける。
普段はそれぞれに忙しく、なかなか予定を合わせられない。
だからこそ、この一日を大切にしたいと思った。
*
「わあーっ、すっごい人出だね!」
シエナが目を輝かせながら、港町のメインストリートを見渡した。
海から吹き込む風に、甘い焼き菓子やスパイスの香りが乗って流れてくる。
露店が軒を連ね、威勢のいい商人たちの声が響く。
「港の市が開かれていますから」
イルマが短く答えた。護衛役の彼女も、今日は少しだけ柔らかい表情をしている。
「賑やかだね。美味しそうな匂いもする」
セリナがふわりと微笑む。
陽光を浴びた栗色の髪が、ふわりと揺れる。
私たちは顔を見合わせて、自然と笑った。
こんなふうに、何でもない一日を心から楽しめることが、今はとても嬉しかった。
*
「アリア!あっち、見て見て!変な帽子売ってる!きっとアリアに似合うよ!」
シエナが元気いっぱいに手を引く。
振り向くと、派手な羽根飾りのついた帽子が、屋台にずらりと並んでいた。
「……あれを私に被れと?」
私は苦笑しながら首をすくめた。
シエナは「絶対似合うって!」と無邪気に笑っている。
「帽子だけじゃないよ。スイーツもあるし、雑貨も」
セリナが次々と露店を指差す。
まるで宝探しをするみたいに、目を輝かせている。
「はしゃぎすぎですよ。」
イルマが注意を促す。
しかし、その口調には、優しさが滲んでいた。
私は小さく息をついて、ふわりと笑った。
この何気ない空気が、心地いい。
*
歩き疲れた私たちは、小さなカフェに入った。
港に面した、白い壁の可愛らしい店。
木の椅子に腰を下ろすと、ふわりと甘いミルクティーの香りが漂ってきた。
「いただきまーす!」
シエナが嬉しそうにカップを掲げる。
セリナも「ここのスコーン、有名なんだよ」と微笑んだ。
私はふうっと小さく息を吐き、カップに口をつけた。
温かな紅茶の香りと甘みが、喉から胸へ、じんわりと広がっていく。
「アリアってさー、殿下と仲いいよね?」
不意に、シエナが無邪気に爆弾を投げてきた。
「っ――!」
私は思わずむせかけた。
セリナが面白そうに笑いをこらえている。
「ふふっ、若いって素敵だよ」
セリナがからかうように言う。
私は顔を赤くしながらも、苦笑して、そっとカップを置く。
……こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
*
外は、少しだけ風が強くなっていた。
店の窓ガラスが、かすかに揺れる。
陽射しはまだ柔らかいが、通りを歩く人影はまばらになりつつあった。
「そろそろ帰りましょうか」
イルマが静かに言った。
私たちは名残惜しさを胸に、それでも頷き合った。
カフェを後にして、王城へと続く裏通りへ歩き出す。
港の賑わいから一歩離れると、街は嘘のように静かだった。
裏通りは、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていた。
石畳を打つ私たちの足音だけが、やけに響く。
(変だ)
潮風に混じる、鉄と油の匂い。
背筋を這うような違和感に、私は小さく息を呑んだ。
「……みんな、止まって」
小声で告げると、すぐにイルマが前に出て周囲を警戒する。
シエナも空気を察して身構え、セリナは一歩引き、私の背後を守る位置に動いた。
誰も、余計な言葉は発しない。
こういうとき、互いに信頼しているからこそ、無言で通じ合える。
空気が、張り詰める。
「来ます」
イルマが低く告げた、その瞬間だった。
影が動く。
路地裏の暗がりから、黒ずくめの男たちが一斉に飛び出してきた。
数は、ざっと見て六人、いや、奥にまだ数人隠れているかもしれない。
皆、剣や短剣を手に、明らかにこちらを狙って突っ込んでくる。
「気をつけて!」
私は鋭く声を放った。
それに応えるように、イルマが一歩踏み出す。
素早く短剣を両手に構え、空気を切るように呪文を紡いだ。
次の瞬間、鋭い風の刃が、敵の先頭を襲った。
吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる黒装束。
その動揺を見逃さず、私は魔力を練り上げる。
思念写本を展開。
頭の中で組み上げた構築式を一瞬で走らせ、手をかざした。
「雷撃っ!」
放たれた雷光が、敵の一人を直撃する。
火花と共に悲鳴を上げ、地に崩れ落ちた。
場が一瞬、静止する。
その間隙を突いて、シエナが地を蹴った。
彼女の身体が、まるで弾丸のように刺客たちへ突っ込む。
「はぁっ!」
シエナの拳が、一人の刺客の脇腹に叩き込まれる。
鈍い音とともに、男の体が派手に吹き飛んだ。
周囲の敵が、動揺して足を止める。
そこを狙い、イルマが一気に間合いを詰めた。
低く身を滑らせ、短剣を二閃っ!
鋭い動きで、敵を次々と斬り伏せる。
私は、魔力の感触を確かめながら、次の構築式を練った。
万が一、敵がまだいるなら、すぐに動けるように。
でも、必要はなかった。
ほんの数十秒の間に、黒装束の襲撃者たちは地に沈んでいった。
路地裏には、静寂が戻っていた。
倒れ伏す黒装束たちを見下ろしながら、私たちは小さく息を整える。
勝った。
だけど、まだ、終わっていない気がする。
そんな私の内心を見透かしたように、セリナが口を開いた。
「ねえ、アリア。この襲撃たぶん、これで終わりじゃないよ」
セリナは周囲をぐるりと見回し、落ち着いた声で続けた。
「普通、こういう仕事を命じたやつは、結果を確かめたがるものだよ。成功したかどうか、ちゃんと自分の目で。」
私は一瞬、目を見開き、すぐに頷いた。
「つまり、近くに、指示を出している人物がいるかもしれないってことね」
イルマも鋭い視線を巡らせ、短く「確かに」と呟く。
シエナもぐっと拳を握り、警戒を強めた。
私は目を閉じ、静かに呼吸を整える。
思い出す。
以前、ヴェルナーが使った探知魔法。
空間に漂う微かな魔力の揺らぎを感じ取り、敵の存在を捉える術。
あの時の光景を、私は思念写本で焼き付けていた。
(できる。やってみせる)
心の中で構築式を組み上げ、魔力を練り上げる。
思念写本が私の記憶を支え、精密な魔法式を形成していく。
「探知」
静かに呟くと、周囲の空気が微かに震えた。
視覚ではない、感覚の網を張り巡らせる。
細かな魔力の粒子が、路地の隅々を撫でていくような感触。
感じた。
建物の陰、死角に潜む微かな魔力の反応。
ただの通行人のそれとは違う、重く、鋭い気配。
「あそこ……!」
私は指差した。
イルマとシエナがすぐに動く。
イルマが低い姿勢で駆け、シエナが側面から回り込む。
短い格闘の末、隠れていた男が引きずり出された。
黒装束ではない。高級な外套に身を包んだ、中年の男だった。
「くっ、放せっ!」
男は暴れようとしたが、イルマの腕にがっちりと押さえ込まれ、身動きできない。
男の顔を見た瞬間、私は確信した。
ユリウス派の貴族だ。
王城でも何度か見かけた、ユリウス陣営の側近の一人。
どうやら、今回の襲撃の指揮役を任されていたらしい。
男は、私たちの姿を見て、明らかに顔色を失った。
これで、動かぬ証拠が手に入った。
*
捕らえた貴族は、なおも抵抗しようと暴れたが、イルマに押さえ込まれ、身動きできなかった。
「行きましょう」
私は静かに言った。
*
王城の門番は、血相を変えて駆け寄ってきた。
だが、イルマが捕らえた男を見せると、すぐに道を開けた。
空気が変わる。
兵士たちの間にも、ざわめきが広がった。
私たちはその中をまっすぐ歩き、テオドール殿下の元へ向かった。
*
殿下は私たちを見るなり、鋭い視線を向けた。
そして、イルマに押さえ込まれた男を一瞥し、わずかに眉をひそめた。
「その者はユリウス派の、ギルベルト・ファルクス卿ですね」
殿下の声は静かだった。
けれど、その奥に、燃えるような怒りが潜んでいるのがわかった。
「アリア、詳しい経緯を」
「はい。……街中で刺客の襲撃を受けました。この者が指揮を執っていたことを、探知魔法で確認し、捕縛しました」
私は短く報告した。
殿下は目を細め、ギルベルト卿をじっと見据えた。
「罪のない市民を巻き込みかねない襲撃を、王都内で行い、私の大切な人たちを狙うとは」
淡々とした口調だった。
けれど、拳を強く握りしめる仕草に、抑えきれない怒りが滲んでいた。
ヴェルナーが一歩前に出る。
「殿下。尋問を行う手はずを整えます」
「頼む」
テオドールは短く答えた。
バルドが無言でギルベルト卿を引き受け、衛兵たちに引き渡す。
ギルベルト卿は、引きずられる間際まで、私たちに向かって憎悪の視線を向けていた。
*
捕縛は、完了した。
けれど、これで終わりではない。
これが、始まりなのだ。
私はそっと手を握りしめた。
隣では、テオドール殿下がまっすぐ前を見据えていた。




