第13話 静かなる初陣
朝霧が立ち込める中、アルシオン軍六千は静かに北へ進軍した。
兵たちは緊張した面持ちながらも、整然と隊列を組み、無駄な動きひとつない。
その中で、アリアは別の任務に奔走していた。
補給物資の輸送管理。
今回の軍の補給は、彼女が信頼するユーレイン商会に依頼していた。
実務担当として派遣されてきたのは、商会の若き孫娘、セリナ・ユーレイン。
アリアとセリナは親しい間柄であり、連携は抜群だった。
アリアはセリナとの連絡役となり、補給物資の到着や配分状況をこまめに確認し、滞りなく兵たちに食料や装備を行き渡らせていた。
軍の行軍速度に合わせた物資搬入は、戦場では死活問題。
アリアの働きが、軍の士気を陰から支えていた。
その功績を知るテオドールは、アリアに歩み寄った。
「アリア、補給の手配。本当に助かっている」
静かに、だが確かな声で。
アリアは小さく微笑み、礼を受け止めた。
「殿下のためなら、当然のことです」
朝霧の中、二人の間に静かな絆が結ばれていく。
国境地帯。
遠くに、オルデ軍の旗がはためいているのが見えた。
両軍は一定の距離を保ったまま、睨み合った。
重たい沈黙が流れる。
空気は冷たく張り詰め、剣を抜く音ひとつすらない。
(まだ動かない)
テオドールは、焦りを抑えながら、じっと相手の出方をうかがった。
アリア、レオン、シエナたちも、それぞれ持ち場で静かに待機する。
やがて、動いたのはオルデ軍だった。
彼らは、ただ使者を送り出してきた。
*
オルデ軍の本陣。
ザイデン・オルデ王は、国境の向こうに整然と並ぶアルシオン軍をじっと見つめていた。
「短期間で我らよりも多くの兵を繰り出してきたか。アルシオン王国は変わったな」
隣に控える若い武将、ザイデンの嫡男リオネルが答えた。
「確かに。アルシオンは貴族の権力が強い国。貴族たちの意見をまとめるだけでも時間がかかり、すぐに兵を編成できるとは思っていませんでしたが」
ザイデンは小さくうなずいた。
「あぁ。アルシオン軍の装備も整っておるな。これは戦っても被害を出すだけで、得られるものは何もない」
リオネルは一瞬、戸惑いを見せたが、すぐに問いかけた。
「確かに、では、いかがなされますか?」
ザイデン王は涼しい顔で言った。
「兵を退くぞ」
「敵に追撃されませんか?」
リオネルが心配そうに眉をひそめる。
「多分な。相手がこちらに攻撃を仕掛けてこないのを見れば、積極的に戦を望んでおらん。いざとなれば、速やかに撤退すればよい」
リオネルは深くうなずき、すぐに撤退の準備にかかった。
だが、ザイデン王はさらに続けた。
「あとな」
「はい?」
「相手の指揮官、テオドール王子だ。会談の申し入れをしておけ」
リオネルは目を瞬かせた。
「はっ? 敵の指揮官と、戦場で会談ですか?」
ザイデン王は、わずかに口角を上げた。
「おもしろい若造だと思ってな。話してみるのも、悪くないだろう」
そう言うと、ザイデンは再び国境の向こう、朝靄の中に佇むアルシオン軍を見やった。
(若き王子よ……。どれほどの器か、見極めてやろう)
*
アルシオン軍本陣に、オルデ軍の使者が到着した。
「ザイデン・オルデ陛下は、戦闘を望まず、アルシオン王子テオドール殿下との会談を希望されております」
兵たちは一様にざわめいたが、テオドールは静かに頷き、ヴェルナー、アリアたちと短く相談を交わした。
(ここで無用な争いを避けられるなら、それが最善だ)
慎重な警戒を残しつつ、テオドールは会談の申し入れを受けることを決めた。
そして。
簡素な天幕の中、テオドールは一人、ザイデン王と対峙していた。
老練な王は、静かな微笑みを湛えたまま、テオドールを見つめていた。
「ようこそ、王子殿下」
ザイデン王は、まるで旧知の間柄のような親しげな口調で言った。
「近年、我がオルデとアルシオンは、関係改善に尽力してきた。私はそれを、決して忘れてはおらん」
テオドールは黙って頷く。
「だが、私は確かめたかったのだ。この国が、盟友に値するかどうかをな」
ザイデン王はあくまで穏やかに、方便めいた言葉を並べる。
(……確かめる、か)
テオドールは、胸の内で静かに思った。
本当は、もしこちらが準備不足だったなら、そのまま攻め込むつもりだったのではないか。
しかし、それを問いただしても得られるものが何もない。
ザイデン王は続けた。
「短期間で、我らよりも多くの兵を集め、整然と展開してみせた。アルシオンは、確かに変わった」
王の瞳には、わずかな驚きと、確かな興味が宿っていた。
「テオドール王子。私は、君と貴国が、真に同盟を結ぶに値すると確信した」
確信。
その言葉に、テオドールは小さな違和感を覚えた。
(本当に、そんなに簡単に心変わりするものか?)
だが、今は感情に流される時ではない。
テオドールは、静かに口を開いた。
「戦にならなかったことを、私も心より喜ばしく思います」
ザイデン王は満足そうに笑みを深めた。
「よろしい。では、兵を撤収し、後日、正式な使者を貴国王都へ送るとしよう」
テオドールはうなずき、続けた。
「同盟締結に関する件は、私の父、カリオル・アルシオン王に伝えします。正式な交渉は、王同士で行われることとなるでしょう」
「当然だ」
ザイデン王はゆるく頷き、立ち上がり貼り付けたような笑みを浮かべ去った。
*
冷たい空気が、張りつめた緊張をふわりと洗い流していく。
天幕の外には、アリアとヴェルナーが待っていた。
アリアは、柔らかく微笑み、そっとテオドールに声をかけた。
「お疲れさまでした、殿下」
その声に、少しだけ力が抜けた気がした。
隣に立つヴェルナーは、テオドールへ静かに言った。
「よく話をまとめましたな。テオドール殿下」
テオドールは小さく息を吐き、それでも心の奥に残るもやもやを、口にした。
「これで、よかったんでしょうか。本当にこれで」
ヴェルナーは、しばし空を仰ぎ、静かに答えた。
「ザイデン・オルデ王。非常に老獪で、臨機応変な男です。」
「はい」
「もし、こちらが隙を見せていれば、容赦なく突いてきたでしょう。だが、逆にこちらが力を示せば、無駄な争いを避け、利を取るために笑って手を取る。」
ヴェルナーの声は、冷静で、そしてどこか淡々としていた。
「だからこそです、殿下。こちらが、同盟を結ぶに足る力を持っていると示し続けることができれば、奴は、誠実な盟友にもなります」
テオドールは、ヴェルナーの言葉を胸に刻んだ。
信じるだけでは、守れない。
けれど、力だけでも、絆は生まれない。
(これが、王たちの生きる世界か)
蒼い空の下、テオドールは静かに、拳を握りしめた。
未来を信じ、進むために。
若き王子の、新たな一歩が、今、踏み出された。




