12話 信じる者たちと共に
王の命を受けたあと、テオドールはしばらく、私室に戻り思案していた。
窓から差し込む光は、いつもよりずっと重たく感じられた。
(僕に、本当にできるのか)
胸を押しつぶすような不安。
敵は、ただの隣国軍ではない。
ザイデン・オルデ王、切れ者で知られるオルデ王国の君主自らが率いる軍だ。
まだ十五歳の王子に、国の命運を託すなど、本来ならありえないこと。
そんなとき。
そっと、背後から声がかけられた。
「テオドール殿下」
振り向くと、そこにはアリアが立っていた。
彼女の蒼い瞳は、真っ直ぐにテオドールを見つめていた。
「殿下は、どんなご命令も、受け止めようとされました。それは、とても立派なことだと思います」
アリアの声は、静かで、あたたかかった。
「でも、今はもっと、殿下ご自身のお考えを、王に伝えてもいいのではないでしょうか」
テオドールは、思わず目を見開いた。
「……僕の、考えを?」
「はい」
アリアは、まっすぐにうなずいた。
「今、兵を集め、軍を整えるには、時間も物資も足りません。正面からぶつかれば勝てないでしょう。けれど、殿下は、それを分かっている。ならば、その思いを、王に伝えるべきです」
テオドールは、拳を握りしめる。
(国を守るために、今、自分にできる最善を考えなければ)
「ありがとう、アリア」
小さく、でも確かな声でテオドールは言った。
アリアはほっとしたように微笑んだ。
「殿下の言葉なら、きっと届きます」
胸の奥に、かすかに芽生えた灯り。
それは、重圧に押し潰されかけたテオドールにとって、確かな救いだった。
テオドールは深く息を吸い、そして小さくうなずいた。
「父上に、僕の考えを伝えよう」
それが、若き王子の、次なる一歩だった。
アリアは、そんな彼を見つめながら、静かに心に決めていた。
(私もできることを、すぐに始めなきゃ)
*
テオドールと別れたアリアは、その足で港へ向かって馬で駆けた。
(一刻も早く、お父様に知らせなきゃ)
アイゼンベルク領の経済状況は劇的に改善している。そして急な敵の襲来に備えて常備軍も雇用している。
今回のオルド軍の襲撃にも父ならきっと対応できるはずだ。
街を駆け抜ける潮風が、アリアのプラチナブロンドの髪をはためかせる。
港に近づくにつれて、空気はどんどん塩気を帯びていった。
やがて、見慣れた白い船影が視界に飛び込んでくる。
ルミナ号、アリアが運営する商会の高速帆船だ。
アリアは桟橋まで駆け寄り、大きな声で呼びかけた。
「船長!」
がっしりした体格の船長と、ルミナ学園で学んだ少年魔導士のティムが顔を出した。
「お嬢様、どうなされたんですかい、そんなに慌てて!」
「何かあったのか!?」
二人とも、ただならぬアリアの様子に目を見張る。
アリアは息を整えながら、素早く要点を伝えた。
「王城から急報が入りました。北のオルデ軍が進軍を開始しました」
「私は今すぐ、アイゼンベルク領に連絡を取りたいんです」
アリアは懐から急ぎ書いた手紙を取り出し、ティムに手渡した。
「この手紙を、お父様、に急ぎ届けてください!」
船長とティムは、一瞬顔を見合わせ、力強くうなずいた。
「任せといてください!ルミナ号の速さを舐めてもらっちゃ困る!」
「僕たち、絶対届けますから!」
ティムは手紙を大事に抱え込むと、すぐに甲板へと駆けていった。
船員たちも、怒号のような掛け声を上げながら帆を張り始める。
アリアは、出帆準備が進む船を見つめながら、強く胸に誓った。
(必ず間に合わせる。殿下のために、国の未来のために)
ルミナ号は、港の風を切り裂き、まるで白銀の矢のように海へ飛び出しすぐに見えなくなった。
アリアは、小さく手を合わせて祈る。
(お父様、どうか応えてください)
若き王子と、国の未来を守るために。
*
アリアが港から急報を託した、その頃。
テオドールもまた、静かに決意を胸に抱いていた。
(僕は父上に、自分の考えを伝える)
私室から玉座の間へと続く、重厚な廊下を歩く。
緊張で、心臓がどくどくと音を立てるのを感じながら。
衛兵に導かれ、扉が静かに開かれる。
燭台の揺らめく光の中、カリオル王は静かに息子を見つめていた。
「何の用だ、テオドール」
低く、威厳に満ちた声。
その一言に、広間の空気がぴんと張り詰める。
テオドールは、しっかりと王を見据えた。
「父上。出陣の件について、私の考えをお伝えしたく参りました」
王の目がわずかに細められる。
「ほう。聞こう」
テオドールは一歩、玉座に近づいた。
「今から兵を集めても、オルデ軍に敵いません。時間も、物資も、圧倒的に足りないからです」
王は無言のまま、ただ鋭い視線を注いでいる。
「ですが、それでも私は、諦めたくないです」
テオドールは、拳を強く握りしめた。
「国を守るため、今、自分にできる最善を尽くしたい。だから私は父上と会いに来ました」
広間に、静かな沈黙が落ちた。
そして、王カリオルの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「よく言った、テオドール」
その声は、先ほどまでの冷たさとは違った。
どこか、父親としての誇りをにじませた声音だった。
「案ずるな。ヴェルナーが、すでに裏で動いている」
テオドールは、思わず目を見開く。
「ヴェルナーが……?」
王はゆっくりとうなずいた。
「オルド国の動き早くから掴んでいた。ヴェルナーには傭兵の手配と輸送。そして、物資の確保を進めさせてある」
さらに、王は重々しく続けた。
「加えて、アイゼンベルク家にも支援を要請する手はずだ」
テオドールの胸に、熱いものが込み上げた。
カリオル王は、テオドールをじっと見つめた。
「テオドール。王とは、すべてを一人で背負う存在ではない」
テオドールは、はっと顔を上げた。
「自分だけではどうにもならぬ時、人を頼ることも、王の資質だ」
重みのある言葉だった。
カリオル王は、少しだけ表情を和らげて言った。
「すぐに相談に来た。お前のその在り方を、私は誇りに思う」
胸の奥が、熱くなる。
テオドールは、深く、深く頭を下げた。
「はい、父上」
少年の中に芽生えた小さな炎は、確かに、王たる者への覚悟へと育ち始めていた。
王との謁見を終えたテオドールは、静かに拳を握りしめた。
(もう迷わない。僕は、国を守るために、この手で道を切り拓く)
*
王城の作戦室。
ヴェルナー・ベルトラムは、地図に目を落としながら、密かに進めていた兵と物資の動員を最終確認していた。
戦いの準備は、着々と整いつつある。
そんな時、静かに扉が開き、ひとりの男が入ってきた。
バルド・グレイブ。かつて最強と謳われた傭兵であり、今はテオドールの護衛と剣の家庭教師をしている。
「呼んだか、ヴェルナー」
重厚な声に、ヴェルナーは顔を上げた。
「ああ。」
ヴェルナーはしばし考え込み、そしてぽつりと問いかけた。
「レオンには、将としての才能があると思うか?」
バルドは、ふっと眉をひそめた。
「さあな。お前も知ってるだろう。将としての才は、実際にやらせてみるまでは分からん」
ヴェルナーは苦笑する。
(だろうな。私自身が、一番冷静に判断できていないのかもしれない)
だが、バルドはそこで言葉を止めなかった。
「ただ」
バルドは、ニヤリと笑った。
「うちの我儘娘と、喧嘩しつつも、ちゃんと友達をやってるんだ。あいつの相手をしながら折れずに付き合えるなら、将としての度量くらいはあるんじゃないか?」
ヴェルナーは一瞬、ぽかんとした顔になる。
「……何だその答えは」
思わず、吹き出した。
バルドは、照れくさそうに肩をすくめた。
「結局、考えたってわからねぇよ。戦場で、本人が答えを出すしかねぇ」
ヴェルナーは苦笑しつつも、確かな安心を覚えていた。
(あいつなら、大丈夫だ。)
すべての準備は整った。
あとは、若き王子と、その仲間たちに託すのみ。
*
一方、ベルンハルト・アイゼンベルクは娘であるアリアから急報を受け取り、すぐに決断した。
「すぐに動ける兵を集めろ!アリアが助けを求めてきた。ならば、我らが応えぬわけにはいかん!」
領内に鳴り響く号令。
常備軍の兵士たちは次々と武装し、整列していく。
ベルンハルト自身が馬にまたがり、出陣の準備を整えた。
「行くぞ、アイゼンベルクの誇りにかけて!」
こうして、王都からはテオドールがヴェルナーと傭兵隊を組織、南からはアイゼンベルク家の軍勢が、着実に動き始めた。
*
夜が明けきらぬ、蒼い空の下。
王都の北門近くに集められた兵たちが、静かに整列していた。
ヴェルナーが手配した傭兵たちやテオドールを慕う下級の貴族や庶民たちの兵士、 そして、急ぎ駆けつけたアイゼンベルク家の精鋭たち。
合計で六千人の兵が集まりオルド王国軍を数で上回った。
彼らの眼差しには、不安と期待が入り混じった光が宿っている。
その前に、若き王子テオドール・アルシオンが立った。
まだ少年の面影を残す顔に、覚悟の炎が宿っていた。
テオドールの傍らには、アリア、レオン、シエナ。
三人もまた、それぞれの想いを胸に、彼の隣に立っていた。
テオドールは六千人の兵を見渡し、胸の高鳴りを抑えた。ふと隣のアリアを見ると、彼女のプラチナブロンドが朝の蒼い光に輝いていた。
「アリア、君がアイゼンベルク領を動かしてくれたから、僕たちはここに立てる。」
アリアは静かに微笑んだ。
「テオドール殿下なら、必ず民を守れます。信じています。」
その真っ直ぐな瞳に、テオドールの心が熱くなる。
テオドールは、一歩前に進み、兵たちに向かって声を張り上げた。
「みんな、聞いてほしい!」
広場に、彼の声が響き渡る。
「今、オルデ王国軍が国境へ迫っている、彼らを止められるのは、今ここにいる私たちだけだ!」
兵たちが、息を呑む。
「私は、まだ若い。力も、経験も、足りないかもしれない。だけど!」
テオドールは拳を握りしめ、叫んだ。
「未来は、私たちの手で切り拓く!」
その言葉に、広場の空気が震えた。
アリアは静かにうなずき、レオンは真剣な眼差しで殿下を見つめ、シエナは小さな拳を胸の前でぎゅっと握りしめた。
テオドールは、兵たちひとりひとりに視線を向け、力強く宣言した。
「この国を、私たちの手で守ろう!力を貸してくれ!」
沈黙。一拍、空気が張り詰めた。そして。
「おうっ!」
「殿下に続け!」
次々と上がる、叫び声。
兵たちの胸に宿った、小さな火が、一気に燃え上がる。
まだ幼い王子。
けれどその背中は、確かに、未来を切り拓こうとする王の姿を映していた。
未来を信じて、彼らは進む。




