第11話 若き王子、決意の時
朝の光が、王城の白い壁をやさしく照らしていた。
アリアは、小さく息を整え、部屋の扉を開いた。
今日から、正式に、第一王子テオドール殿下の家庭教師だ。
部屋には、すでにテオドールが座っていた。きりっとした表情で、こちらを見上げる。
「おはようございます、アリア先生」
「おはようございます、テオドール殿下」
ぺこりと頭を下げ、アリアは歩み寄った。
(少しだけ、緊張する。でも、大丈夫。ここからが本当のスタートだ)
テオドールは勉強熱心で、吸収も早い。だけど、「座学」は少し苦手なところがある。
そこでアリアは、特別な手段を使うことに決めていた。
「今日は、特別な教材を使いますね」
そう言って、アリアはそっと指先を掲げた。
──思念写本。
頭のなかにある知識を、魔法のように"視覚化"するスキルだ。
ふわり、と部屋の空間に光の映像が浮かび上がる。
そこには、アリアが用意した歴史や戦術の図解、地図、年表が、まるで本を開いたように次々と映し出された。
「わあ……!」
テオドールが、目を丸くして見上げる。
「歴史や、国の成り立ちを、こうして目で見ながら覚えていきましょう」
アリアはにっこりと微笑んだ。
この方法なら、文字ばかりの難しい教本よりも、ずっと直感的に学べる。
何より、テオドール自身が興味を持ってくれるはずだ。
実際、彼は食い入るように映像を見つめていた。
──そこへ。
「おはようございますっ! シエナです! よろしくお願いします!」
元気いっぱいに部屋へ駆け込んできたのは、赤毛のポニーテールを揺らす少女だった。
屈託のない笑顔に、アリアは自然と頬が緩む。
(同じくらいの年……かな? 親しみやすそうな子)
そのすぐ後ろから、もう一人の少年が静かに歩み出る。
「本日より、授業に参加いたします。レオン・ベルトラムと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
きっちりと礼をする仕草には、真面目な性格がにじんでいた。
(レオンさんは、私より、少し年上みたい)
アリアは、レオンの落ち着いた雰囲気に、そんな印象を抱いた。
清潔感があるきちんとした服装に、言葉遣いも大人びている。
まだ少年らしさを残しつつも、頼もしい空気をまとっていた。
ふたりが揃ったところで、テオドールがアリアの方へ視線を向け、軽く紹介を添える。
「レオンは、ヴェルナーの息子だ。父親譲りで、かなり真面目なやつだよ」
冗談めかした言い方に、レオンは苦笑しながらも軽く頭を下げた。
「そして、シエナはバルドの娘だ。見た目どおり元気だけど、腕っぷしもなかなかだ」
そう言うと、シエナは胸を張って元気よく笑った。
「えへへっ、任せてください!」
(ヴェルナー様とバルド様の、お子さんたち)
アリアはふたりを見つめ、改めて気を引き締めた。
きっと、このふたりも、テオドール殿下にとってかけがえのない仲間になる。
アリアが優しく手招きすると、ふたりは隣同士の席についた。
シエナが早速、隣のレオンに声をかける。
「ねぇねぇ、レオン! 授業、すっごい面白そうだよね!」
「シエナ、少しは静かにしないと」
やれやれと言わんばかりにレオンがたしなめると、シエナはむっと頬をふくらませた。
「レオンって、ホント真面目すぎ~!」
そんなふたりのやりとりに、アリアも思わず小さく笑ってしまう。
(いいコンビだな、この教室も、きっとにぎやかになる)
新しい仲間たちとの、はじめての授業が始まろうとしていた。
(よかった、これで、テオドール殿下も、ひとりきりで勉強しなくて済む)
年の近い仲間がいるだけで、きっと勉強の時間もずっと楽しくなるはずだ。
授業開始の合図とともに、アリアはそっと右手を掲げた。
──思念写本。
光の板がふわりと浮かび上がり、王国の地図や歴史年表が目の前に広がる。
絵本のような柔らかな映像に、教室の空気がぱっと明るくなった。
「わあっ、すごい!」
シエナが、素直な声をあげた。
興味津々に身を乗り出す様子は、子犬のような愛らしさがあった。
(シエナさんは、感性で学ぶタイプなんだな)
「わかりやすいですね。これなら、授業も楽しくなりそうです」
レオンは、静かに言いながら、手元のノートにすばやくまとめを書き加えていく。
几帳面だけど、どこか親しみやすい柔らかさもあった。
(レオンさんは、きちんとしているのに、堅苦しくない。)
アリアはそんな彼の雰囲気に、自然と安心感を覚えた。
テオドールは黙って映像を見つめていた。
拳を握りしめ、ひとつひとつを懸命に吸収しようとしている。
(殿下は本当に、まっすぐな人)
その頑張りを、誰よりも近くで見守りたい。
そんな想いが、芽生えていた。
新しい仲間たちと、新しい学びの時間。
テオドール、レオン、シエナも興味津々で、図解に目を輝かせている。
ふと。鋭い視線を感じた気がした。
辺りを見まわすと、部屋の外にヴェルナーの姿があった。
彼は、アリアが使う「思念写本」をじっと観察していた。
まるで、その可能性を探るように。
アリアは、小さく微笑んで会釈を返した。
(まだ、今は気づかないふりをしておこう)
きっと、この小さな部屋から、新しい未来が始まる。
そんな予感が、アリアの胸の奥に、ふわりと灯っていた。
*
その日の午後。
部屋の窓の外から、急ぎ足の馬の蹄音が響いてきた。
──ぱかぱかぱかぱか!
アリアは、授業の合間にふと顔を上げた。
教室の外も、どこかざわついている気がする。
扉の向こうから、慌ただしい声が駆け抜けた。
「急報だ! 北のオルデが軍を編成して進軍を開始!」
その瞬間、教室の空気がぴんと張り詰めた。
シエナが不安そうにきょろきょろと周囲を見回す。
レオンは眉をひそめて、じっと耳を澄ませる。
そしてテオドールは、静かに顔を伏せたまま、じっと考え込んでいた。
(とうとう、来たんだ)
アリアは胸の奥に、冷たいものが広がるのを感じた。
この世界で生きる以上、戦は避けられない。
やがて、慌ただしい足音とともに、使者らしき兵士が教室へ駆け込んできた。
「テオドール殿下、至急、王のもとへ!」
そして、兵士はもう一つ、息を切らしながら伝えた。
「敵軍を指揮しているのは、ザイデン・オルデ王直々とのこと!」
教室に、さらに深い衝撃が走った。
オルデ王国の君主、ザイデン・オルデ。
鋭い頭脳と冷徹な采配で知られる、強敵だ。
(ザイデン王本人が)
アリアはごくりと唾を飲んだ。
これはただの侵攻ではない。本気の戦だ。
テオドールは立ち上がった。
その横顔には、15歳の少年らしい不安も、迷いもなかった。
ただ、静かに。
「わかった」
と答えた。
レオンもシエナも、心配そうにテオドールを見つめていた。
けれど、誰も言葉はかけなかった。
それが、いまこの場でできる最大の敬意だと、みんなわかっていたから。
テオドールは小さくうなずき、教室を後にする。
その背中を、アリアはじっと見つめた。
(どうか、無事に……)
静かな祈りが、アリアの胸に灯る。
王城には、嵐の予感が満ちていた。
*
王城の大広間。
重厚な扉の向こうでは、貴族たちが集められ、ざわめきが満ちていた。
──オルデ王国軍、進軍開始。
国境が脅かされるその報に、誰もが顔をこわばらせている。
玉座の上、王カリオルは静かに全体を見渡し、低く宣言した。
「国境を守るため、誰か、兵を集め出陣せよ」
その言葉が、大広間に落ちる。
しかし、誰も動かない。
重苦しい沈黙だけが、広がっていった。
(……やっぱり)
テオドールは、内心で深く息を吐いた。
貴族たちは皆、自分の領地と家族を守ることに必死だ。
すでに五千の兵を率いて進軍しているオルデ軍。
いまから兵を集め、物資を揃え、戦の支度を整える、そんな時間はほとんど残されていない。
誰も、そんな無謀な命に応じようとはしなかった。
時間だけが、いやに長く感じられる。
そのとき、王の鋭い視線が、まっすぐテオドールに向けられた。
「テオドール・アルシオン」
一瞬、大広間の空気が震えた。
皆が、驚きと戸惑いに満ちた視線を、若き第一王子へと向ける。
(……僕に?)
テオドールは、胸の奥がきゅっと縮まるのを感じた。
まだ十五歳の自分に、国境を守れというのか。兵を急に集めるのは無理だ!
無茶振りにもほどがある、と心のどこかで思った。
「お前が、軍を集めて北の国境へ向かえ」
王の声は、迷いのないものだった。
すると、沈黙を破るように、広間の一角から声が上がった。
「お待ちください!」
叫んだのは、ユリウス派に属する有力貴族だった。
「第一王子には、まだ早すぎます! こんな大事な任務を任せるなど、あまりにも無謀!」
周囲の貴族たちも、ざわざわと騒ぎ出す。
それは、単なる心配ではなかった。
第一王子テオドールに手柄を立てさせたくない、そんな打算が、見え隠れしていた。
だが、王は動じなかった。
「ならば、誰か他に志願する者はいるか?」
王の静かな声が、広間に突き刺さる。
誰も、答えられなかった。
長い、長い沈黙。
テオドールは、玉座に座る父の目をじっと見つめた。
そこには、厳しさと同時に、深い信頼が宿っている。
(逃げるわけにはいかない)
ぎゅっと拳を握る。
自分は、王族だ。
この国を守る責務を、生まれながらにして背負っている。
テオドールは、静かに一歩前に出た。
そして、堂々と頭を下げる。
「承知しました」
その声は、大広間にいた誰よりも、真っすぐで、凛としていた。
これが、若き王子の最初の一歩だった。
未来へと続く、決意の一歩。




