1話。
2
まだ肌寒い夜明け前、空がうっすら白みはじめたころ、木剣が藁を打つ乾いた音が山に響いた。
音の出どころは、山中に設けられた訓練場だ。地面に突き立てられた無数の丸太。その一つ一つに藁が巻かれている。
そこで、ガビが木剣を振るっていた。蛇のようにうねる黒髪を振り乱し、小気味良い音をさせながら丸太を打っていく。
顔は疲労で歪み呼吸は荒い。だがそれでもガビは動きを止めなかった。無我夢中で剣を振り続け、最後の一本を打ち終えたころには周囲はすっかり明るくなっていた。
よろめきながら横倒しの丸太に腰をおろすと、ガビは風に流れる薄い雲をぼんやりと見つめた。明るくなっても春先の風はまだ涼しく、火照った体をゆっくりと冷ましてくれる。
サワサワと葉を揺らす木々の音が心地良く、うっかり目を閉じると眠ってしまいそうだ。
(こんなところで眠ったらエレナにどやされる)
重い体に鞭を打って立ち上がると、どこかの骨がポキポキ鳴った。湿っていた肌はもうサラサラに乾いている。
ガビはブルっと体を震わせた。体の芯に近い場所がうすら寒い。少しばかり風を浴びすぎたかもしれない。丸太にひっかけていた手ぬぐいを首にかけ、小走りで駆け出す。
ゆるやかな獣道を下り、浅く幅の広い川を越えて、小さな林を抜けると、その先に廃村がある。ガビの暮らしている場所だ。
村の外側はすでに森に呑まれ始めており、蔦に覆われた外壁、崩れた屋根からは枝が飛び出ている。そんな廃墟の中をすり抜け、我が家を目指す。
中心部には辛うじて形を保っている家屋がぽつぽつあり、ガビはそのうちのひとつを修繕して住まいにしている。それでも嵐の日には屋根が浮くし、雨もりが酷いので快適とは言い難いのだが。
「ただいまー」
建て付けの悪い玄関の引き戸に手をかけた。その時だった。腰からうなじにかけて寒気が伝う。
(殺気だ!)
ガビは咄嗟に横へ跳ぶ。直後、空気を裂く鋭い音が顔の横を通り過ぎた。
トンッ、ビィィ……ン。
顔の横で揺れる矢を見て、ガビは目を見張った。さらに、ヒュンと風を切る音。慌てて頭をさげると、すぐ上を矢が掠めた。
「あぶ——うわわ」
次から次へ飛んでくる矢を、すんでのところで躱しながら、ガビは近くの廃屋へ飛び込んだ。しばらく身をひそめて、追撃がないことを確認してから外の様子を伺う。
すると、大きな木のかげから弓を携えたエレナが姿を現した。エレナは、伸ばした薄茶の髪を後ろでひとつに結び、怪物の皮でこしらえた軽装の鎧をまとっている。
背が高く、手足は細く長い。戦士としては些か頼りないように見えるが、その佇まいには隙が全くない。
「やあやあ、お見事。仕留めるつもりで射ったんだけど、よく避けたね」
エレナは手を叩きながら、ガビのもとへやってきた。
「冗談だよね?」
「いいえ。だって私の愛弟子があのくらい避けられない訳ないもの」
「……毒まで塗るのは、やりすぎじゃない?」
矢が刺さったところを指差した。毒液が染みて周りの板が黒ずんでいる。
「大丈夫。死ぬような毒じゃないわ。死にそうになるだけの毒よ」
「さすがにひどくない?」
「愛の鞭ってやつよ」
「そう……」
ウインクをするエレナを無視して、ガビは扉に刺さった矢を抜いて集めた。エレナはそれを背中の矢筒に放り込んだ。
「それじゃ、朝ごはんにしましょうか」
ガビは頷いて、エレナに続いて家に入った。
長い廊下の突き当たりを左に曲がった先がキッチンだ。
いつも通りの質素な料理が並べられてるテーブルに、二人は向かい合うように腰をおろした。
ガビは「いただきます」と言い終わるなり、焼いたキノコを口に放り込んだ。蒸した鶏肉や、根菜を柔らかく煮込んだスープやらを次々に平らげていく。
すっかり冷めてしまっているが、それでも美味しく食べられるのは、エレナの料理技術が抜群に良いからだ。
いつだったか、旅で大事なのは食事なのだと熱く語っていた。味気ない携帯食く料だけだと気が滅入って仕方ないらしい。
「ごちそうさまでした」
そう言うと、エレナは満足そうにうなずいた。
皿洗いはガビの仕事だ。二人分の食器を重ねて流し台まで持っていくと、手ばやく汚れを落として、広げて乾かす。数分で終わる簡単作業である。
皿洗いを終えて再び椅子に座ると、コーヒーの入ったマグが差し出された。ガビはお礼をいって、コーヒーをちびっと飲んだ。
「お昼からの修行は何するの?」
「そうねぇ。今日は戦闘訓練にしよっか」
「やった!」
「いい加減、怪我のひとつでも出来るかしら」
「今日こそ、参ったって言わせてやる」




