24話
1
足を踏み入れた途端、ガビは圧倒され息を呑んだ。
道幅は馬車が四台並んで走れるほど広く、両脇に立ち並ぶ建物も一軒が縦にも横にも大きい。
そしてなにより、人の数が桁違いだった。
人馬の熱気で、門の外と内で気温がいくらか違うよう感じる。
「離れるなよ、ガビ。迷子になっても探してやらんぞ」
アントンがくつくつと笑い、ガビは慌てて後を追う。
ずらりと並ぶ屋台に目を向けると、見たことない食べ物や食材、アクセサリーなどが見えた。旅をして来たのだという実感が湧き、体が興奮で熱を帯びていく。
子ども連れが珍しいのか、好奇の視線を向けてくる人々の群れを抜けて、ガビ達は、角を幾つか曲がった。
耳に残るほどうるさかった喧騒が、今は遠くでかすかに聞こえている。荷馬車は、人通りの少ない通りの、少々古ぼけた宿の前に止まった。
「ついたぞ。ここが今夜の宿だ」
アントンが御者台から降りると、宿の横の厩舎から腰の曲がった白髪混じりの老人がやって来た。
「今年も生きて会えたな、アントン」
「ああ。スタンも元気そうで何よりだ」
「部屋は空いてるか?」
「埋まってると思うのか?」
二人は旧知の仲らしく、軽口を言いながら部屋を確保すると、銀貨を数枚払った。アントンの計らいで、今夜の宿代は彼がもってくれる事になっている。
と、アントンは彼の上着のポケットに銅貨を数枚忍ばせた。
それに気付いたスタンは微笑みを浮かべると、御者台に乗り込み、厩舎へ向かった。ガビは、今の金は何かとロタルに尋ねた。
「鍵代さ。あれを払わないと厩舎の扉は閉まらない」
ガビは眉をひそめる。
「そんなの変じゃない? 馬と荷馬車の分は宿のお金と一緒に払ったんでしょ?」
「この宿のルールを決めるのは、主人のスタンだ。それに従うも従わないも客の自由。アントンさんは夜の間の安全を確保した、それだけだ」
「……ふーん。だから客が少ないんじゃないの?」
ガビは、蔦がのび、苔むした外壁を見る。
ロタルは、ふっと鼻で笑い、「かもな」といった。
宿の中は思っていたより綺麗だった。
汚らしい外観とは違い、隅々まで掃除されている。
夕食は、スレイニオ名物の羊肉だった。
生の肉が山盛り乗った皿が置かれ、ガビは反射的に昨夜の事を思い出した。胃がぎゅっと締め付けられるような感覚がする。
アントンが気遣って別のものを用意してもらおうとしてくれたが、ガビはそれを断った。
「でもよ……」
言いかけたアントンを、ロタルが手で制した。
「あの程度の事で、何食も飯を食えなくなるほど弱るなら、この仕事には向いていない。そうだろう?」
ガビは頷いた。
「気を使わせてごめんなさい。大丈夫だから気にしないで。ほら見て、美味しそうだよ」
「……そうかい。そんじゃ、旅の一区切りってことで、パーっとやろうや!」
甘じょっぱいタレに漬け込んだ肉を、網に乗せて炭火で焼いていく。炭に落ちたタレがジュッと音を立て、煙とともに香ばしい匂いが部屋に充満する。
表面が少し焦げるくらいまで焼いた羊肉を、ふっくら炊いた米と一緒に食べると絶品だった。
腹が膨れるまで食べた後は、風呂で体をさっぱりさせ、ベッドに寝転んだ。
ランタンの火は消したのに、窓から差し込む月あかりのせいで、天井のシミが見える程度には明るかった。
どこか遠くで、人の笑い声が聞こえる。
この大きな町は、夜になっても眠らない人がたくさんいるらしい。
ガビは、頭まで布団を被り、寝返りをうった。
寝られない。高揚感とは別に、胸の奥に不安と恐怖が渦巻いている。
眠るのが怖かった。
朝になれば、アントンとロタルは次の町へ向けて旅立ってしまう。ガビは一人になってしまう。知らない町で、たった一人に。
それでも、体は正直だった。
長旅で疲れ切っていたせいか、いつの間にか眠り込んでいて、気付けば窓から薄く柔らかな光が差し込んでいた。
ぼんやりしながら体を起こし、周囲を見る。
三つあったベッドのうち、二つはすでに空だった。
ガビは、慌てて飛び起きた。
急いで身支度を整え、転がるように階段をおりると、パンの焼ける香ばしい香りが漂ってくる。
「やっと起きたか」
開け放たれた玄関扉の向こうで、アントンがタバコを吸いながら手をあげた。その横でロタルが腕を組んで立っている。
ガビは二人に駆け寄って、起こしてくれなかった事を抗議した。
「どうして起こしてくれなかったのさ」
二人は顔を見合わせて、アントンが困ったように笑った。
「おまえさんとはスレイニオまでの約束だ。これ以上、手伝わせる訳にはいかんだろ」
胸の奥がズキっと痛んだ。
ガビは何かを言おうとして、言葉が出なかった。
「……もう用意は出来てるみたいだけど」
言葉を探してそう言うと、アントンがニヤリと笑って、荷馬車から小さな袋を取り出した。
こちらに向かって放り投げられたそれを、ガビは胸の前で捕まえた。ジャラッと音がして、ずっしり重い。中を見ると、銀貨がいくらか入っていた。
「しばらくの飯代にはなるだろ。少ねぇが、それで我慢してくれや」
「そんな、貰えないよ」
ガビが返そうとすると、アントンが笑いながら首を振る。
「約束通り、着いて来ただけなら、ここまでしてやる義理はねぇが……おまえさんは、そいつで俺を助けてくれたろう」
アントンは、ガビの背中の剣を指した。
「護衛の仕事を果たしたんだから、報酬を貰う権利がある。そうだろう、小さな賞金稼ぎさんよ」
困ってロタルを見ると、「貰っておけ」といった。
それ以上何も言えなかった。
ガビは袋を胸に抱いて、小さく頭を下げる。
「……ありがとう」
「いいってことよ」
ガビの肩を叩くと、アントンは御者台に飛び乗り、ロタルは荷馬車の横についた。
ふと、ロタルが振り返った。
「賞金稼ぎ組合は、東の通りにある。一際デカいから見れば分かるはずだ」
「ありがとう、ロタルさん——色々と」
ロタルは小さく微笑むと、背を向けた。
「健闘を祈る」
馬がいなないて、地面をかいた。
荷馬車が軋んで、ゆっくりと車輪が動き始める。荷馬車は、あっという間に遠ざかり、ガビは、その姿が見えなくなるまで見送った。
冷たい朝の風が、うなじを撫でた。
体の芯まで寒気が響く。これでまた、ガビは一人になった。
不安に押し潰されそうな気持ちを、頬を叩いて奮い立たせる。ここからが本番なのだ。
と、香ばしい香りが鼻をくすぐる。
お腹がぐぅと鳴って、ガビは思わず口元を綻ばせた。
お腹が空いていては何も始まらない。
ガビは、少し軽くなった足取りで宿へと戻っていった。




