22話
強烈な殺意に肌が痺れて産毛が逆立つ。
草が揺れ、枝が踏み折られる音が近づいてくる。
ガビがどう動くべきか思案していると、アントンを背に庇っているロタルが、静かに短剣を抜いた。
ガビは、ハッとした。
森の中で長さのある武器は不利になるというエレナの教えが頭をよぎる。
そんな簡単なことさえ頭から抜け落ちてしまっていたとは……ガビは苦虫を噛み潰した顔で、剣を置き、短剣を抜いた。
「うっ……なんだ、この臭い」
アントンが鼻を覆い、顔を歪める。ガビもたまらず片手で鼻を抑えた。
肉が腐ったような臭いが足音と共に、ぷんと漂ってきている。やがて、森の奥からやって来たソレの姿が焚き火に照らされた時、ガビは驚きに目を見開いた。
髪の半分が頭皮ごと剥がれ落ち、皮膚の大部分が腐って溶けた人間が——死体がそこに立っていた。
アントンが悲鳴をあげ、吐いた。
「……邪霊憑きか」
ロタルが舌打ちして、不快そうに言った。
ガビはこみ上げる吐き気を飲み込んで、死体から数歩距離をとった。
山で死んだ人間は、邪霊に取り憑かれて動く死体となるという。実際に目にすると、話で聞いていたより遥かに不愉快で許しがたい存在だった。
辛うじて形を保っている衣服から見るに、旅人だろうか。何らかの理由で森で亡くなり、邪霊に憑かれてしまったのだ。
「楽にしてやろう」
ロタルの言葉に、ガビは深く頷いた。
「こんなの……かわいそうだ」
「……幸い雨はあがっている。街道に連れ出し、首を刎ねて火をつける。やってみるか?」
言葉を飲み込むように一拍おいて、ガビの心臓が大きく跳ねた。
「おれ、が?」
「そうだ。ガビ、君はまだ命をとった事がないだろう。出発前のやり取りで、剣を抜くのを躊躇ったな。実践では、あの一瞬の隙が命取りになる」
ぐずぐすになって曲がった足を引きずりながら、死体がゆっくりと迫ってくる。ガビは一歩後ろに下がった。
「賞金稼ぎとして生きるなら、手を汚さずにはいられないんだ……こいつ相手なら、殺すことで救ってやれるという大義名分がある」
ガビは、腹の底からくる震えを止められず、奥歯をカチカチと震わせながら、さらに一歩下がった。
視界の端で、アントンを木陰に避難させたロタルが、短剣を構えたのが見えた。ガビと目が合ったが、ロタルはもう何も言わなかった。
ロタルは、死体に石ころを投げつけて気を引くと、アントンから遠ざかるようにして街道へ誘い出した。
死体は地面に体液の線を引きながら、ガビの前から遠ざかっていく。
街道の中央まで出たロタルが、剣の柄に手を伸ばした。死体が間合いに入れば、ロタルは何の迷いもなく首を刎ねるだろう。
ガビは歯を食いしばった。
覚悟を決めろ。怖いことも、嫌なことも、乗り越えなければ——進むなら、もう、前しかないのだから。
ガビは短剣を納め、先ほど放り投げた剣を拾い上げた。
「おれにやらせてください」
ロタルの目に驚きの色が一瞬見えて、すぐに消えた。無言で頷き、ガビのために場所を空けてくれた。
死体の光を映さない濁った瞳が、ガビの方へ向けられる。目尻から流れ落ちた体液が、体を奪われ、尊厳を踏み躙られたこの人の涙に見えた。
「……解放します」
呼吸を整え、震える体を抑えつけるように力強く踏み込む。素早く振り抜かれた剣は、防ごうとした死体の腕を斬り飛ばし、そのまま首を刎ねた。
腐りかけの肉は驚くほど無抵抗で、スカスカになった骨は小枝のように容易く切れた。
頭がぬかるんだ地面を転がり、少し遅れて体が崩れ落ちる。邪霊は去り、体はただの死体となった。
どこかで鳥が飛び立ち、揺れた枝葉から雨水が落ちる音がした。途端に、ふわふわしていた頭が現実に引き戻される。
松明を用意したロタルが、そっとガビの肩に手を置いた。
「よくやった。後の始末はやっておく」
ガビは、震えたまま、微かに頷く事しか出来なかった。




