21話
3
ガビの気の張り詰めようとは裏腹に、旅路は拍子抜けするほど平穏だった。
初めての野営の準備に手間取ってしまった以外は、特に失敗らしい失敗はない。味気ない食事を終えると、夜番の交代に備えて、ガビは毛皮にくるまった。
凝り固まった肩をさすっているうちにポカポカと温まって、気付かぬうちに寝入っていた。
ふと体が揺れて、ガビは薄目を開けた。
月明かりの下で、防寒具で鼻のあたりまで顔を隠したロタルがこちらを見下ろしている。
ガビは、はっとして体を起こす。
「寝過ぎましたか」
ロタルは静かに首を振った。
「いいや。そうならない為に起こしたからな」
「そりゃどうも」
ガビが肩をすくめると、ロタルの目に微かな笑みが浮かんだ。初めはキツかったロタルの態度も、ガビの仕事ぶりを認めてくれたらしく少し柔らかくなった。
立ち上がり、背伸びをすると、服の隙間から入り込んだ冷たい夜風が肌をくすぐる。ガビは、焚き火に両手をかざしながら、椅子がわりの小岩に腰をおろした。
「何かあったら大声をあげてくれ」
それだけ言うと、ロタルは毛皮にくるまり、荷馬車の車輪に背を預けて、座ったまま寝入ってしまった。
ロタルは寝姿にすら隙が無く、ガビは素直に感心した。
焚き木がパチッとはぜて、風で炎が大きく揺れた。
ロタルとアントンの寝息は森のざわめきに飲み込まれて、まるで世界にガビしかいないような気がしてくる。
地平の果てがぼんやり明るくなった頃、荷馬車の反対側でもぞもぞと音がして、アントンが大あくびをしながら起きてきた。
「おう、ガビ。何もなかったか?」
頷くと、アントンは「そいつぁよかった」とマグについだ水を、ぐっと飲み干した。
ガビは、のんびりと朝食の用意をはじめたアントンと入れ替わりで、出発前に短い眠りについた。
空は見渡す限りの灰色で、湿気を多く含んだ空気がしっとりと肌にまとわりつく。ガビは不快そうに裾をバタバタと振り、服のうちにこもった熱気を追い出した。
荷馬車は昨日よりも速度をあげて進んでおり、それに合わせるガビの額には、うっすらと汗が浮き出ている。
雨が降りはじめる前に、マグルの森へ着いておいた方が良いというロタルの判断にアントンも同意しての事だった。
途中で何度か馬を休めながら急ぎ足で進み、午後を大きく過ぎた頃、道の先に、黒々とした塊が姿を現した。
視界の端から端まで、背の高い木々がずーっと立ち並んでいる。マグルの森だ。
「なんとか本降りになる前に着けたな。もう少しだ。あとほんの少し気張ってくれよ」
アントンが馬の首を撫でた。
馬は答えるように鼻を鳴らす。
と、ガビの火照った体に、ぽつぽつと冷たい雨が落ちはじめた。
「マグル森林道に入ったら、すぐに野営の準備をするぞ」
荷馬車の向こうから、ロタルが言った。
ガビは頷いて、空を見上げた。
空の灰色はより濃くなり、糸のように細い雨が無数に落ちてくる。雨が大地を湿らせた時の、独特なにおいが漂いはじめた。
ガビ達が野営の準備を済ませた時には、まだ夕暮れのはずの世界は夜のように真っ暗で、大きな雨粒が、ザーザーと力強く地面を打ちつけていた。
大蛙の皮で作った雨除けで荷馬車をまるっと覆うと、それを外壁にして森の木々の間に布を張り、そこで雨をしのぎながら、ガビ達は少し早めの夕食をとった。
「明日の朝には止んでてくれよ」
アントンは毛皮の上から大蛙の皮を巻いて、焚き火のそばで横たわると、あっという間にイビキをかきはじめた。
ロタルも焚き火のそばで胡座をかいて、相変わらず隙を見せぬまま浅い眠りについている。
雨足が段々と強くなって、身震いするほど寒い。ガビは両手を焚き火にかざしては毛皮の中に引っ込めるのを繰り返していた。
夜も更け、交代の時間が近づいてきた頃、ガビは微かに皮膚がピリッと痺れるのを感じた。
(見られてる!)
ガビはすかさず立ち上がり、周囲を警戒したまま、ロタルの足を鞘付きの剣先で小突いた。瞬間、ロタルが目を開いて、素早くアントンの元へ駆け寄った。
揺すり起こされたアントンは、怯えた表情で周囲を見回した。
「よく気付いた」
森に鋭い視線を向けたまま、ロタルが言った。
ガビは、胸の奥に熱いものが込み上げてくるのを感じ、口元が綻びそうになるのを、グッと堪える。
いつの間にか雨は止んでいる。
風はなく、むっとする土のにおいが漂う夜の森の奥で、何かが草木をかき分ける音が静かに木霊した。




