19話
「おーい! ガビー!」
商店通りの真ん中を過ぎたあたりで、ふいに名前を呼ばれ、ガビは立ち止まった。
声の方へ振り返ると、つるりとした頭で、口ひげをたっぷり蓄えた細身の男が、こちらに向かって手を振っていた。小鬼退治の依頼主、アントンだ。
急いでいるとはいえ無視するわけにもいかず、ガビは少し考えてから、アントンの元へ駆け寄った。声をかけると、アントンは抜けた歯を見せつけるように笑った。
「今日はひとりか?」
そう言って辺りを見渡したので、ガビは兵士にしたのと同じ説明をすると、アントンは納得したように頷き、ヒゲを絞るように撫でた。
「そりゃ大変だな。助けてやりたい気持ちもあるが、何せウチもカツカツの貧乏一家なもんでなぁ。俺も明日から、ここいらに増えた出稼ぎ商人どもと同じように、野菜をたっぷり積んで遠出せにゃならんのよ。一月は帰ってこれんのさ」
そう言って、視線を横にむけた。
ガビもつられてそちらを見ると、古びた荷馬車があった。今日の積荷はすべて売っぱらったのか、荷台は空っぽだった。
それを引くのは毛艶の良い雄馬で、栗色の毛並みに光が反射して輝いて見える。ガビは、こんなに間近で馬を見たのは初めてだった。顔を撫でようと手を伸ばすと、嫌そうに頭をふって、ブルルッと鼻を鳴らした。
驚いて後ろへ下がると、アントンが声をたてて笑った。ガビは耳が熱くなり、慌てて話をそらした。
「ずいぶんたくさん積んでるね。どこへ行くの?」
「スレイニオを経由してユンドンまでさ」
機嫌を取るように馬の腹を撫でながら、アントンは言った。
「へーえ……ちょっと待って、スレイニオへ行くの?」
ガビは弾けるように顔をあげた。
「スレイニオはここいらで一番デカい町だし、あそこを起点にしないと、どこにも行けやしないだろ」
ガビの脳内にひと筋の光が差し込んだ。
数少ないガビの知り合いが、同じタイミングで同じ目的地に行こうとしている。ガビはある考えを思いついたと同時に、口に出していた。
「もしよかったら同行させてくれませんか」
アントンが驚いたように目を開いた。
「スレイニオに用事があるんだけど、ひとりで遠くへ行くのは初めてで不安なんだ。おれにできる事なら何でもするから、お願いします」
ガビはアントンに向きなおると、まっすぐ目を見て頼み込んだ。アントンは眉根を寄せて、片手で顎ヒゲを撫でている。やがて、何かを思いついたように、片方の眉を持ち上げた。
「着いてくるのは別にかまわんが、食いぶちは自分で用意してもらわねぇと」
「もちろんだよ。アントンさんに迷惑はかけないから」
「それなら断る理由はねぇわな。その代わり、おまえさんにゃ、大変な仕事を任せるぜ」
そう言ってガビの肩を強く叩いた。
その夜、旅支度を済ませたガビは、エレナ宛の手紙をしたためた。
墨が乾くのを待ってから四つに折りたたむと、隙間風に飛ばされぬようにして机に置いた。これでガビがいない間にエレナが帰ってきたとしても心配をかける事はない。
ガビは、枕元に置いたエレナ手製の革袋の中身をもう一度確認してから布団に入った。
エレナと共に暮らしていた日々が、もうずいぶん昔の事のように思える。つい数ヶ月前まで、ガビ一人で旅に出ることになるなんて思ってもいなかった。
緊張に高鳴る鼓動を抑えるように、じっと目を閉じていると、エレナと過ごした日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
そうしている内に心は落ちつき、ガビはうつらうつらと夢の狭間をさまよいはじめ、やがて浅い眠りに落ちていった。
2
翌朝、ガビは外が暗いうちに家を出た。
林を抜けて平原へ出ると、空と大地の境目から薄紫の光がぼんやりと漏れ出ているのが見えた。
松明を片手に、冷たい空気に身を震わせながら歩みを進める。ポルユスの西門をくぐり、アントンの待つ東門へ辿り着いた時には、空の端からうっすらと白くなり始めていた。
ポルユスの大通りは馬車が二台並んで走れるくらいの幅があるが、門の近くはさらに広く幅がとられていて、門の両脇に馬車を停める事が出来るようになっている。
ガビがそこへ近づいていくと、闇の中に大きな影がぼんやりと見えた。
荷馬車だ。
山盛りに荷物を乗せて、そこへ形の悪い動物の皮を雑に縫い合わせたものを被せている。そのすぐそばで、点のような赤い光が、灯ったり消えたりしている。
近づいて、それがアントンのタバコだと分かった。
「ごめんなさい。待たせちゃった?」
ガビがいうと、アントンは首をふった。
「いいや。今しがた来たところさ。吸い終わるまで待ってくれや」
そう言って、ふーっと煙を吐き出した。
闇と混じった灰色の煙が、細く天にのぼって空にとけた。
ガビは背負っていた革袋を床に下ろした。
食糧やら薬なんかを入るだけ詰め込んだので、ずっしりと重く、肩紐が食い込んで鈍く痛んでいる。
肩を揉み、首を伸ばしながら、ガビは荷馬車の後ろ側に向かって「その人はどなたですか」と声をかけた。
アントンが驚いたように目をみはった。そのまま荷馬車の方へ顔をむけると、薄闇の中から、男が姿を現した。
ローブをまとった背の高い初老の男だった。左の腰のあたりの布がわずかに盛り上がっていて、帯剣しているのが分かった。
「なぜ私がそこに隠れていると分かった?」
出てきたところをチラリと見ながら、男が尋ねた。
「なぜって……気配を感じたから」
ガビが答えると、背の高い男がふっと笑った。
「気配を消していたつもりだったが、なるほど、ただの子どもではないらしい」
ガビは訳が分からずアントンの方を見ると、アントンは申し訳なさそうに話しはじめた。
「試すような事をして悪かった。そういや、おまえさんの実力について実際のところは知らねぇなと気付いてよ。そしたら彼が、おまえさんを見極めるって言うから、頼んだんだ」
アントンがタバコで背の高い男を指す。
「この人はロタルさんだ。いつも遠出するとき世話になってる腕利きの賞金稼ぎだ。」
「初めまして。ガビです」
ガビは軽く頭をさげた。
ロタルは言葉を返さず、じっとガビを見た。無愛想な態度にガビはムッと顔をしかめた。
アントンはタバコを靴底に押しつけて火を消すと、腰に下げた錆びた缶の中に放り込んだ。濃縮されたタバコのにおいが、むわっと周囲に漂った。ガビはたまらず顔をしかめた。
「さて、ロタルさん。この子は仕事を任せるに値するかね?」
ガビはタバコのにおいを手で払いながら、ロタルと呼ばれた背の高い男をみた。ロタルは険しい目つきでガビを見下ろしながら、考えごとをしているようだった。
ふと、ガビは皮膚がピリピリするのを感じた。ロタルが、敵意を向けている。背筋がゾクリと冷えた。
布擦れ音がかすかに聞こえ、ローブがわずかに揺らめいて——直後、敵意が殺気に変わった。ガビはすかさず数歩下がり、背中の剣に手を伸ばした。




