2話
2
季節は春。
まだ肌寒い夜明け前、空がうっすら白くなり始めたころ、乾いた音が空に響いた。
音の出どころは、山の中に作られた訓練場だ。
無数の丸太が地面に突き立てられており、全てに藁が巻かれている。そして、それに向かって少年が木剣を振るっていた。
名前はガビ。髪は黒く蛇のようにうねり、切れ長の目はするどく可愛げがない。
十一歳という年齢の割には筋肉の引き締まった体格で、その体から繰り出される一撃はなかなかのものだ。同年代に並ぶものはそうそういないだろう。
ガビは小気味良いを音をさせながら、丸太を上から下から、時に回転や跳躍を交えながら打っていく。
滝のような汗を流し、疲労に顔を歪ませながら、それでも動きを止めることなく木剣を振るい続けている。
ガビが全ての丸太を打ち終えたのは、白んでいた空が青く染まり、太陽が空たかく昇った頃だった。
ガビは丸太に引っかけていた手ぬぐいで汗をぬぐうと、休憩もそこそこに駆け出した。
ゆるやかな獣道を下っていく。
浅く幅の広い川を越えて、小さな林を抜けると、その先に廃村がある。ガビの暮らす名もなき村だ。
この村の住人が健在だった頃には、長が住んでいたであろう、立派な家屋を寝ぐらにしている。
しかし、立派とはいえ状態はすこぶる悪い。強風がふけば屋根は飛びそうになるし、大雨の日には雨漏りがひどかった。
家屋のあちこちに見られる破壊痕や焦げ跡が、過去の悲しい出来事を思い起こさせるところも難点のひとつだ。
だが、それでも住めば都。ガビにとっては生まれ育った愛すべき我が家である。
「ただいまー」
建て付けの悪い玄関の引き戸に手をかけた。その時だった。ガビは背後に刺すような殺気を感じ取った。
ガビは即座に横へ飛んだ。そこへ間髪入れずに矢が飛んできて、玄関戸に突き刺さる。
「危な——うわっとと!」
さらに二の矢、三の矢に襲われ、それらを紙一重でかわす。恐ろしい事に全ての矢が正確に頭部に狙いを定めていた。少しでも判断が遅れていれば大惨事だった。
近くの廃屋の中へ逃れたガビは、ほっと胸をなでおろした。ガビの師匠は修行の一環で、時々こうして不意に攻撃をしかけてくる。
昔はよく痛い目にあっていたガビだったが、今ではご覧のとおりだ。
しばらく身をひそめて、追撃がないことを確認すると、そーっと様子を伺う。
念のため「エレナ、もう終わり?」と声をかけた。
すると、大きな木のかげから弓を携えたエレナが姿を現した。
エレナは、伸ばした薄茶の髪を後ろでひとつに結び、怪物の皮でこしらえた軽装の鎧をまとっていた。
背が高く、手足は細く長い。一見か弱く頼りないように見えるが、武術を修めた者であれば彼女の佇まいには隙がなく、かなりの使い手である事が分かるはずだ。
「やあやあ、お見事。仕留めるつもりで射ったんだけど、よく避けたね」
エレナは手を叩きながら、ガビのもとへやってきた。
「冗談だよね?」
「いいえ。だって私の愛弟子があのくらい避けられない訳ないもの」
笑顔でそう言い放ったエレナ。
ガビは顔をひきつらせた。それから、矢が刺さっているところを指差した。矢尻のまわりの板が黒ずんでいる。毒によるものだ。
「毒まで塗るのは、やりすぎじゃない?」
「大丈夫。死ぬような毒じゃないわ。死にそうになるだけの毒よ」
「悪魔だ」
「愛ゆえよ。愛は時に人を悪魔にするの」
「そう……」
ウインクをするエレナを無視して、ガビは扉に刺さった矢を抜いて集めた。エレナはそれを受け取ると、背中の矢筒に放り込んだ。
「それじゃ、朝ごはんにしましょうか」
ガビは頷いて、エレナに続いて家に入った。
長い廊下の突き当たりを左に曲がった先がキッチンだ。
テーブルにはいつも通りの質素な料理が並べられていた。二人は向かい合うように置かれた椅子に腰をおろした。
ガビは「いただきます」と言い終わるなり、焼いたキノコを口に放り込んだ。蒸した鶏肉や、根菜を柔らかく煮込んだスープやらを次々に平らげていく。
すっかり冷めてしまっているが、それでも美味しく食べられるのは、エレナの料理技術が抜群に良いからだ。
いつだったか、旅で大事なのは食事なのだと熱く語っていた。味気ない携帯食料だけだと気が滅入って仕方ないらしい。
ガビは、最後に水を飲み干して、朝食を全て食べ終えた。
「ごちそうさまでした」
そう言うと、エレナは満足そうにうなずいた。
皿洗いはガビの仕事だ。
二人分の食器を重ねて流し台まで持っていくと、手ばやく汚れを落として、広げて乾かす。数分で終わる簡単作業である。
皿洗いを終えて再び椅子に座ると、コーヒーの入ったマグが差し出された。ガビはお礼をいって、コーヒーをちびっと飲んだ。
「お昼からの修行は何するの?」
「そうねぇ。今日は戦闘訓練にしよっか」
「やった!」
修行内容は多岐にわたるが、中でもガビは戦闘訓練が好きだった。実戦がやはり、一番成長を感じられるからだ。
「いい加減、怪我のひとつでも出来るかしら」
「今日こそ、参ったって言わせてやる」