13話
「そうなんだ」
ガビはあっけらかんと答えた。
「それだけ?」エレナが眉をひそめた。
「しばらくって、どのくらいなの?」
「はっきりとは言えないけど……一ヶ月か、二ヶ月はかかるはず」エレナはランバートの方を見てから、少し悩んで答えた。
「うわ、ずいぶん長いね。どこへ行くの? ランバートと一緒?」
続けて質問を投げるガビに、エレナが慌てて待ったをかけた。薄茶の瞳に戸惑いの色を浮かべている。
「驚かないの? 私がいないって事はつまり、ガビ、あなたは一人ぼっちで過ごさなきゃいけないって事なのよ。不安じゃないの? 寂しくないの?」
さっきの悲しげな様子はどこへやら、エレナはガビが寂しがらない事に怒り始めてしまった。
しかし、エレナはこれまでにも度々、生活費を稼ぐために出かけていた。数時間や半日で戻ることもあれば、一晩中帰ってこなかった事もある。
確かにエレナが帰ってこず、泣きながら朝を迎えた事もあったが……それはガビが六歳の頃の話だ。今なら一ヶ月くらい余裕で待てるに決まっている。
「驚いたけど、ちゃんと帰ってくるんでしょ? だったら平気だよ。それに留守番くらいこれまでにもあったじゃない」
エレナは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。いやいやと頭を振って、鷹のように鋭い目でガビを見つめる。
「それは長くて一日程度の話でしょう。今度は早くて一ヶ月よ。ごはんだって、ひとりで作って、ひとりで食べないといけないし……寝ても覚めても私がいないのよ、本当にわかってる?」エレナは必死の形相で苦しそうに言った。
「もう十一歳だよ、一人で留守番くらいできるよ。子どもじゃないんだからさ」ガビは呆れて鼻で笑った。
一人で生活するなんて、ワクワクする気持ちさえある。それがずっと続くとなれば、話は変わるけれど……
ついにエレナはこの世の終わりのような顔をして、椅子に深くもたれかかった。その様子を見て、ランバートが吹き出した。
「だから言ったじゃないか。五歳児じゃあるまいし、留守番くらい出来るって」
エレナは答えず、口を尖らせたまま、机に指でぐるぐる模様を描いている。
「そう拗ねるなよ、エレナ。ガビだって、まったく心配してない訳でも、寂しくない訳でもないだろう。ん?」
ランバートが目配せした。
機嫌を取れと言っている。
「そりゃそうさ。一人ぼっちが好きなわけないし……行かないでいいならそうして欲しいと思うよ。でもそれは無理なんでしょ?」
ガビは少しだけ大げさに心配する態度を取った。
機嫌を取るために分かりやすくそうしたが、その気持ちは間違いなく本心でもある。だからこそ、エレナは拗ねた顔を少しだけ緩ませた。
「ああもう、気を使わないで。大人気ない態度取ってごめんなさい」エレナは肩をすくめて、大きく息を吐いた。
「サバイバル術はひと通り教わってるし、一、二ヶ月くらい何とかなるからと思うから心配しないで。それにちゃんと寂しい気持ちはあるからね」
「分かったってば。私が悪かったから、もう許して」
エレナが観念して両手をあげると、ランバートがこっそり親指を立てた。
「ところで、どこへ何しに行くの?」ガビはずっと気になっていた事を尋ねた。
エレナは少し間を空けて、かすかに声のトーンを落として言った。
「昔やり残した仕事をきっちり終わらせに行くだけよ」
ふと、ガビの脳裏を昨夜の出来事がよぎる。
「それってもしかして——」
昨夜の話と関係あるのか、と聞こうとしてガビは慌てて口を閉じた。エレナが首をかしげてこちらを見つめている。
危うく盗み聞きを白状するところだった。
ガビは墓穴を掘らないように、慎重に言葉を選んで言葉を続ける。
「その……危ない仕事なの?」
確か、人が死ぬとかどうとか言っていた。
あの怪しげな会話がエレナの言う仕事に関係があるなら、それは危ない仕事なのではないか。そう思うと、言いようのない不安が心を波立たせた。
「あら、心配してくれるの? さっきまで平気そうだったのに」
「当然だろ。おれが一人で過ごす事とは、また別の問題だよ」
「それはそうね。心配してくれて嬉しいわ、ガビ。でも大丈夫よ」エレナは優しい口調でいった。
「危なくなんてないわ。洗い終えた皿に残っていた汚れを拭きとる程度の簡単な仕事よ」
「それは言い得て妙だな」ランバートが言った。
「だからそんな顔しないで。ね?」
諭すように言われて、ガビは頷くしかなかった。
食い下がれば、うっかり口を滑らせてしまうかもしれない。
「そうとも。何も心配する事はないさ。我々の強さは君が身をもって知っているはずだろう」
ガビは正面に並んで座る二人を交互に見た。
そう言われると、この二人が負けるところは想像できない。
「確かに……心配するだけ無駄かもね」
ランバートが「だろう?」と笑ってウインクをした。
「さて、話もついたし、旅の用意をしなくちゃ」
「手伝おうか?」
エレナは首をふった。
「今日はおやすみの日でしょう。せっかくだし、ランバートの旅の話を聞かせてもらいなさい。きっと勉強になるわ。多分ね。そうなる事を祈ってる」
ガビの頭をぐしゃぐしゃに撫でてから、エレナは部屋を出ていった。
「なんて言い草だ……」
口を尖らせたランバートは、首をぐりんと回してガビを見た。そして見開いた目をギラリと輝かせる。
「とびっきり面白くてタメになる話をしてやろうじゃないか」
その夜、ガビは小さな頭痛に悩まされていた。
原因は明白、ランバートだ。
彼の話はエレナが戻ってくるまで、休む間もなく続いたのだ。脳みそだって嫌になるというものである。
滅多にない頭痛に苦しめられて、寝付けないまま夜がふけていった。
日付が変わるかどうかといった頃合いだろうか、ようやくうつらうつらとしていたガビは人の気配を感じ、扉の向こうへ声をかけた。
「誰なの」
「私よ。入ってもいい?」
ガビが応えると、枕を抱えたエレナが部屋に入ってきた。
「どうしたの?」
「久しぶりに一緒に寝ようと思ってね。いいでしょう?」そう言うなり、布団の中へ滑り込んできた。
「それは布団に入る前に聞く事じゃない?」
エレナはくすくす笑うと、ガビの頭を胸元に抱き寄せた。
「ちょっと、離してよ」
「いやよ。今日はガビを抱いて寝るの。しばらく会えなくなるんだから」
ガビは身をよじって逃げようとするが、当然かなうはずもなく……諦めて胸元に顔をうずめた。
石けんとヘアオイルの混ざった甘い匂いがする。
昔からよく知っているエレナの匂いだ。つい三年前までこうして寝ていたのに、随分と懐かしく感じた。
明日からエレナがいない……そう思うと、なぜだか胸の奥がギュッと苦しくなった。
今になって、不安と寂しさがたくさんたくさん押し寄せてきている。
「さっさと仕事終わらせて帰ってきてよね」
「冬までには必ず帰ってくるから心配しないで。約束よ」
エレナはガビの目をまっすぐ見て、優しくも力強く言った。




