第一話:テオドールの夏休み①
【国家戦略に組み込まれた求愛ゲーム】
ヴァルミール王立学園の夏季休暇。それは学生たちにとってのお楽しみの期間であり、貴族たちはそれぞれの領地へ帰省したり、避暑地へ赴いたりと、思い思いの時間を過ごす。
しかし、アヴェレート王国からの留学生にして王子であるテオドール・アヴェレートにとっては、何の変化もない。
学業的な休暇と、公務としての留学は無関係。アヴェレート王家の王子に「休み」などという概念は存在しないのだ。
その日、テオドールはヴァルミール王宮の滞在先で、一通の手紙を受け取った。送り主は、祖国アヴェレート王国の王宮——父であるアーサー国王からの返事である。
先日、テオドールは実家に「クレア・サヴィエール辺境伯令嬢を口説くので事後承認よろしく」という旨の手紙を送った。
当然、あの手紙を受け取った父は烈火のごとく怒り出し、母が「あの子なら仕方ない」と庇いながら宥め、叔父であるラグナルが「政治的に見れば利点が多い」と理論的に説得して丸く収めたに違いない、とテオドールは予測していた。
——きっと返事には、「何を勝手なことを言っているのか!」「しかしすでに事が動いている以上、致し方ない」「やるからには失敗するな」といった内容が並んでいることだろう。
そう、思っていたのだが。
「……え?」
テオドールは、手紙を開いて数行読んだだけで、眉をぴくりと動かした。
書かれていたのは——
『アヴェレート王家として正式に認める。この婚姻は国家戦略として位置付ける。必ず説得を成功せよ』
「……国家戦略?」
さすがのテオドールも面食らった。
婚約に関する話が何らかの形で政治利用されることは予想していたが、まさか国家戦略レベルで組み込まれるとは、テオドールも思っていなかった。
手紙を読み進めると、そこには驚くべき内容が続いていた。
・サヴィエール辺境伯令嬢との婚約の取り付けが出来次第、テオドールを東部地域のザルムート公爵との連携窓口に置く体制とする。
・レオンの立太子とともに、婚約が決定した。相手は南部地域の盟主、ルーシェ公爵家の養女・セレーネ嬢。
・北部地域は言わずもがな、王弟ラグナルがすでに盤面を固めている。
・西部地域のウィンドラス公爵家に対しては、王女マルガリータが交渉にあたる。マルガリータの人脈を考えれば、高確率で成功が見込まれる。
・よって、アヴェレート王国内の東西南北の連携が完成しつつある。
・テオドールの婚約成功が最後の鍵となる。失敗は許されない。
「……これ、間違いなく叔父上の構想だな」
テオドールは思わず肩をすくめて苦笑した。
——さすがにこれは読めなかったな。
しかし、テオドールはすぐに気を取り直した。
国家戦略レベルで婚約が組み込まれることは、確かに彼にとっては想定外だったが、納得可能な範囲内でもある。
アヴェレート王家のトリックスター、テオドール。彼はこれまでにも予想を裏切りながら、時に期待とはあらぬ方向へ進みつつも、確実に成果を上げてきた。そしてそれは今回も例外ではない。
「面白くなってきたじゃないか」
テオドールはにやりと笑う。こういう『期待されすぎた状況』の方が、彼の本領が発揮されるのだ。
——国家戦略にまで格上げされたこの求愛ゲーム……必ず成功させてみせようじゃないか。
手紙を手にしながら、テオドールは次なる一手を考え始める。
クレア・サヴィエールの心を射止めるために、そして祖国アヴェレート王国の未来を繋ぐために。
【激動の祖国】
テオドールは手紙の続きを静かに読み進めていた。
先ほどの内容だけでも十分に驚かされたが、どうやらそれで終わりではなかったらしい。そこにはテオドールが祖国を離れて約一ヶ月半の出来事が記されていた。
『一点目は、王弟ラグナルがカレスト公爵との関係を公にし、実質婚約していること。その公開方法があまりに大胆すぎたため、ご夫人方の新たなムーブメントとなる兆しあり。ヴァルミールでも話題になることが考えられる。王家としては、これを文化戦略と捉えている。よってヴァルミール内で言及された場合には、その熱狂を覚まさないような対応をするように』
「……いやいやいや、何やってんの叔父上……」
テオドールは思わず顔を顰めた。
普段は飄々とした態度を崩さない彼だが、感性は普通の十四歳の少年である。身内の恋愛話を嬉々として聞けるような心性の持ち主ではない。
そもそも、彼はアヴェレート王国にいた頃から、ことあるごとに「あのお二人は本当にお付き合いされているのですか?」などと問われ続けてきた。そのたびに「いやぁどうなんでしょうねぇあはは」と適当に笑ってやり過ごしていたが、正直、精神的にはかなりのダメージを負っていた。
ヴァルミールに来れば、そのような話題とは無縁になるはずだった。にもかかわらず、異国の地にまで叔父とそのパートナーの噂が及んでいる。
まさかここまでとは——テオドールは、二人の影響力の大きさを、これほど憎く思ったことはない。
ちなみにテオドール自身もクレアに対して大胆な求愛ゲームを仕掛けたことについては、棚上げした。
とはいえ、アデル・カレスト公爵の政治的手腕には、テオドールも絶大な信頼を置いていた。
彼女の領地経営はきわめて戦略的かつ合理的であり、その商才には舌を巻くほどだ。
中でも、カレスト公爵領の名産品『薬草スフィリナの薬草茶』を巡る一連の戦略は、もはや「戦略の芸術」だった。
産業戦略・事業戦略・商品設計・マーケティングが相乗効果を生み、王国全体の経済にも大きく貢献している。
最近では北部地域の他の領地とも栽培契約を結び、生産規模を拡大しているようだ。
「つまり……スフィリナを使った新たな展開を考えてる、ってことだな」
テオドールの口元が自然と綻ぶ。
このような画期的な戦略を打ち出せる人物が王弟のパートナーであることは、アヴェレート王家にとって間違いなく大きな利益である。
その動向を追うことは、彼の知的好奇心を刺激すると同時に、王族としての喜びでもあった。
手紙をさらに読み進めると、次の驚くべき報告が目に飛び込んできた。
『二点目は、北部地域の薬草茶と、南部産ワインの交易に関して、南北地域間の関税免除を認めた』
「……は!?」
テオドールは思わず素っ頓狂な声をあげた。
アヴェレート王国内の地域間関税は王家と領地双方の重要な税収源である。特に薬草茶とワインは高級嗜好品であり、高い関税がかけられている。
その二大収益源が免除されるなど、前代未聞の政策だった。
手紙をさらに読み進めると、その理由が記されていた。
『表向きは、ラグナル・レオンともに婚約したことにより、パートナーの出身地である北部・南部地域にむけたご祝儀である』
「なるほどな……」
テオドールは頷く。
確かに「新たな婚約を祝って税金免除」というのは、貴族社会の理解を得るには申し分ない理由だった。
しかし、続く文章を読んで、彼は戦慄する。
『しかし、実際は……ラグナルに近づく二人の女性に嫉妬したアデル・カレスト公爵が、彼女たちを排除するための一環として、王家に要求してきたものである。彼女を王家の政治的パートナーシップとして位置付けていることからも、その要求を飲まざるを得なかった』
「……は?」
『これを王家の過失として教訓に刻む。ゆめゆめ、パートナーを嫉妬させることのないように』
「はぁぁぁぁぁ!?!?」
テオドールは頭を抱えた。
「嫉妬で!? 二つの税収源が!? 吹っ飛ぶって何!?!? こんな恐ろしい要求が通るなんて、もはや政治的暴君では!? 叔父上、一体どうしてここまでの事態を阻止できなかったの!? いや、むしろこの要求を面白がって飲んだのか!? っていうか男女の嫉妬が、なんで国政にまで影響及ぶの!? 誰か理性的な人はいなかったの!?」
テオドールの疑問という名のツッコミが止まらない。
そうしている間に、テオドールの脳裏に、最近のクレアとのやり取りが浮かんだ。彼は彼女の感情を引き出すために、わざと嫉妬心を煽るような言動を取っていた。
——「僕、王国内では人気あるから、婚約候補者には困らないし」
——「嫉妬した?」
「……っ!!」
テオドールの背筋が凍りついた。
——嫉妬で、税収が減る……!!
テオドールはガタガタと震えながら決意する。
「……絶対に、クレア嬢の嫉妬心を煽るような戦術は使わない」
こうして、テオドールの求愛ゲームの方針は、クレアの知らぬところで大きく方向転換された。
求愛戦術は「嫉妬を誘う駆け引き」から「誠実かつ率直な王道アプローチ」へ。
国家戦略に組み込まれた求愛ゲームは、さらなる高難度へと突入するのであった。
嫉妬で税収源が吹っ飛ぶ話は本編第五章をご覧ください。
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