挿話①:盤面戦略で動き出すエージェント
【策略王弟ラグナルによる盤面戦略】
ヴァルミールの西方の隣国、アヴェレート王国。
その夏、ヴァルミールへ交換留学中のテオドールから、アヴェレート王家を揺るがせる報告が入った。
『ヴァルミールの辺境伯家のご令嬢、クレア・サヴィエールを婚約者とするため、口説いております。ご承知おきください』
「何をやっているんだ、あのバカは!」
アヴェレートの現国王アーサーは執務室で怒鳴る。
「あれだけ、ヴァルミールでは慎重に振る舞え、絶対に目立つなと口酸っぱく言っていただろうに! 学園のパーティでの婚約破棄に介入、社交場を心理的に制圧の上、ご令嬢へ公開求愛だと!? 言い付けを何一つ守っておらんじゃないか!」
その隣に座る王妃メレディスは、穏やかに苦笑いを浮かべた。
「あなた、落ち着いて。そもそもあの子に、慎重な振る舞いと目立たないことを求めること自体が、鳥に『空を飛ばずに走って目的地に向かえ』と言うようなものですわ」
メレディスの例え話に、アーサーは息子のこれまでの数々のやらかしを思い出し、額を抑えた。
一方、それを聞いていた王弟ラグナルは、顎に手を添えて、じっくり思案していた。それは彼が策略を巡らせるときに見せる仕草だった。
「兄上。これは、貴方が思い描く長期的な国家展望『千年の団結』を実現する、最高の一手かもしれません」
ラグナルの言葉が、執務室の空気を切り裂いた。アーサー、メレディスが、ラグナルに目を向ける。
『千年の団結』とは、中央と地方を繋ぐ、有機的国家統合の構想である。アーサーは自分の治世の時代をその第一フェーズとし、行政機能再編と、国内の東西南北地域を繋ぐ国土開発および経済発展に着手していた。
その展望を実現するための一番の課題は、『中央・地方間の連携不足』であった。元々が、160年前、既に強国だったヴァルミールに対抗するため、東西南北に分かれる4つの小国を統一したことが、アヴェレート王国の興りである。まずは国としての体力をつけるため、東西南北地域で独自の経済圏を発展させてきた。
百年以上続いた外圧と内情不安を乗り越え、状況が安定してきた昨今、ようやく『中央・地方間の連携不足』の課題に本格的に着手し始めている。
ラグナルが再び、口を開いた。
「つい先日、第一王子のレオンが、南部地域の盟主ルーシェ公爵の養女、セレーネ嬢との婚約の決意を固めた。一方、北部地域を代表する才媛アデル・カレスト公爵と、私は恋仲です。そしてヴァルミールのサヴィエール辺境伯領は、王国の東部地域の盟主であるザルムート公爵領と隣接している」
ラグナルの指摘に、アーサーは『苦労人の父親』から『王国を導く為政者』へと表情を変える。
「テオドールがクレア嬢と婚約すれば、自ずとその隣接領を治めるザルムート公爵との連携が不可欠になる、ということか」
「その通り。王家と東部地域を繋ぐ窓口として、テオドールを置くことが最も自然。そして、残る西部地域の盟主ウィンドラス公爵家を抑えれば……王家と地方を繋ぐ盤面が整います」
まるでラグナルは盤面遊戯の駒を動かすかのごとく告げる。東西南北の信頼関係に、完璧に合致するピース。しかしその盤面に辿り着くには、最後の西部地域が難所であった。
「お前の言うことはわかるが、ウィンドラス公爵家の協力を得ることは、そんなに簡単なことではないぞ」
西部地域は王国内で唯一海に面しており、港を持つ。この港を介した対外貿易がウィンドラス公爵家の財政基盤を支えている。他地域に依存せずとも、豊かな交易収益を確保できる環境が整っていた。
また、西部地域内には豊富な石炭鉱山と漁場が存在し、エネルギー資源と食料供給の両面で自立できる強みを持っていた。
この自給自足の可能性と貿易収入の相乗効果により、独自の経済圏・商業文化が発達し、貴族たちの独立独歩の精神を育んでいた。
『王家の統治には賛同する。しかし西部地域のことは、西部地域でやらせてもらう』、そのスタンスを、ウィンドラス公爵家は代々継承していた。
「貴方の娘、マルガリータ王女がいるではありませんか」
ラグナルの再度の指摘に、アーサーは目を見開く。
「マルガリータが懇意にする、王都の高級ジュエリー店『エテルニタ』。その宝石を卸しているのは、西部の貿易港と切っても切り離せない、宝石貿易の名家ロシャール男爵家。マルガリータは既にその令息カイルと友誼を結んでいる。そしてカイルは、男爵家令息でありながらその宝石の目利きで国内貴族たちとの人脈を広げ、それは既にウィンドラス公爵家に届いている」
ここ半年ほど、高級ジュエリー店『エテルニタ』にまつわるエピソードは事欠かない。「店主が品位を認めなければ、貴族相手にも販売を認めない」という経営方針を巡って貴族論争が起きた。その中で貴族たちに理解を求めて奔走したのがカイル・ロシャールであり、そして王家御用達として権威を与えたのがマルガリータ・アヴェレートであった。
「カイル・ロシャールを通じた、マルガリータによる西部地域の関係強化。兄上や私があの地域に手を出すよりも、よほど警戒されずに済むのでは?」
ラグナルの提案は合理的かつ現実的で、未来を予感させた。では具体的にどのようにマルガリータを西部地域へ近寄らせるか……とアーサーが思考を巡らせようとしたその瞬間、男たちの会話を見守っていたメレディスが、ようやく口を開く。
「それは興味深い話ね。だって、ウィンドラス公爵のご令息って、子どもの頃からずっと、うちの娘に片想いしてますもの」
王妃メレディスが悪戯っぽく告げた言葉に、アーサーとラグナルの目が点になる。そしてようやく言葉の意味が心に染み入り、笑いがこぼれる。
「これでチェックメイト、ですね」
ラグナルが盤面戦略の完成を告げた。
「きっと後の世の歴史学者は、こう語るのであろうな。『この時期の王家の婚姻戦略により、中央と地方の連携が進んだ』と」
「王家のロマンスは、いつだって時代を動かすものですわ」
国王夫妻がその戦略を承認する。こうしてアヴェレート王国における、『千年の団結』を実現する次なる一手が始動した。
【王家と西部を繋ぐエージェント・マルガリータ】
その日、王女マルガリータは、高級ジュエリー店『エテルニタ』のサロンに足を運んでいた。アヴェレート王国における最高峰の気品とセンスを誇る、強気の経営姿勢の店である。その矜持を裏打ちする魅力的なジュエリーの数々が、王国中の貴族を虜にしていた。
そして店主ヴィオラ・スミスが認めた顧客しか入れない店奥のサロンは、「今、王都で最も熱望されるサロン」として、若い貴族たちを中心に羨望の的になっている。
マルガリータがサロンを訪れると、カイル・ロシャールが先に訪れていた。そしてヴィオラに恋するカイルがヴィオラを情熱的に見つめ、ヴィオラもまたそれに気付いて言葉を失っている、そんな甘酸っぱい一幕であった。
「もはや私がこの店に来るタイミングを間違えたというよりは、貴女たちに自重を求める方が正しいのではなくて?」
マルガリータの揶揄いに、二人はハッとする。そして慌ててヴィオラはお茶を淹れ、カイルがマルガリータのためにお菓子を差し出した。いつもの『エテルニタ』の平和なやりとりだ。
三人は互いの身分の違いも忘れ、すっかり気を許し合っている仲だ。三人が揃えば自然と会話が弾んでいく。その中で、マルガリータは珍しく、ちょっとした愚痴を呟いた。
「今、ヴァルミールから姫を受け入れてるでしょう。彼女、すっかり落ち込んでるのよね」
「それは……ラグナル王弟殿下との失恋によるものですか?」
カイルはエリオノーラの気持ちを想像しながら、配慮を滲ませた声で尋ねる。
エリオノーラがラグナルに心を寄せているという噂は、この夏の社交シーズン中、貴族であれば誰もが知るところであった。しかしつい先日の王城でのパーティで、ラグナルがアデル・カレスト公爵にむけて、なんと衆目の中で告白した。その大胆公開告白は、階級に関係なく王国中に旋風をもたらしている。
ちなみにその時、カレスト公爵が身につけていたロイヤルサファイアのネックレスは、ラグナルがカレスト公爵に贈ったものであり、元々はヴィオラが製作したものだ。ヴィオラは、自分のジュエリーが王家のロマンスの舞台を彩った事実に感極まりつつ、その裏で一人の女性がひっそりと失恋していたことに、なんとも言えない気持ちになった。
「そうよ。まぁ、私としては、恋心で留学までしてくる姫というのは、正直気に入らないのだけど……でもあの姿を見ると、気の毒ではあるわね」
マルガリータとエリオノーラは一歳違いである。そして王家の娘という立場でもある。これだけの共通点がありながら、二人は打ち解けていなかった。マルガリータから見るエリオノーラは、恋の情熱に浮かされた、どこか地に足のついていない「お姫様」だった。
一方のマルガリータは、王女として国内の工芸展や美術展を主導したり、王女外交に挑んだりと、既に「アヴェレート王国の気高い王女」としての評判を固めつつある。これが、いわゆる『姫』と称される者、『王女』と称される者の違いであった。
「せっかくご縁があってアヴェレート王国にお越しいただいているのだから、少しでもお元気になっていただけたら良いのですが……」
ラグナルとカレスト公爵のロマンスを彩った者の一人として、ヴィオラはエリオノーラへの贖罪のような気分で、慮る。その言葉に乗るように、マルガリータは続けた。
「そうなの。それで、彼女に「男なんて星の数ほどいるわよ」ってことを伝えるために……カイル、貴方の人脈を使って、パーティを開催してくれない?」
「え!?」
カイルが素っ頓狂な声を上げた。
「私たちと同世代の貴族令息を集めて、ちょっとしたパーティをしたらどうか、って思ってるのよね。彼女にとっても良い気晴らしになるのではないかしら。もちろん私も参加するわ」
「いやいや、男爵令息が王女とヴァルミールの姫を招待するなんて、不釣り合いにも程があるって!」
「そんなことないわ。だって貴方は既に宝石鑑定士として名を馳せている。そして私はこのエテルニタにお墨付きを与えた王女。私たちの友情、とっても自然よ?」
マルガリータがニヤリと笑う。カイルはそれでも恐れ多さのあまり、口をパクパクしている。
その空気に終止符を打つように、ヴィオラが凛として告げた。
「カイル。私からもお願いするわ。姫の失恋に私も無関与とは言えない。少しでも姫を元気づけられるなら、私もホッとする」
ヴィオラには逆らえないカイルである。カイルは渋々、マルガリータの要請を受け入れた。
――これで、ウィンドラス公爵令息との繋がりは持てるわね。
アヴェレート王家と西部地域を繋ぐエージェントとして、マルガリータは動き出す。
しかしその裏側で、「マルガリータが、ウィンドラス公爵令息を選んでくれたら良いなぁ!」と考えている父母並びに叔父の思惑は、彼女の知らないところであった。
これにて第一章は終了です。明日から第二章です。
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ちなみに。
アヴェレート王家のラグナルと、そのパートナーのカレスト公爵の話が、本編作品です。
そして、ヴィオラ・カイル・マルガリータの前日譚として、スピンオフ短編を書いています。
ご興味があれば覗いてみてください。
拗らせ女公爵と策略王弟の愛と希望の日々 〜政略と社交の狭間で愛し合ってみせます〜
https://ncode.syosetu.com/n3251jx/
ジュエリー店主ヴィオラ・スミスの矜持
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