第二十二話:移ろいゆく季節
【アート・コモンズの業務開始】
王国歴百六十一年十二月初日。
アルモンド・シティバンク本店に、アート・コモンズの窓口が設置された。その窓口に、王都中の貴族や商人が行列をなした。
「あの画狂神を支援できると聞いて」
「マグノリア侯爵夫人や、ソレアン殿が推してる新人芸術家全員に投資させてくれ」
「変な名前つけてない画家を探したい」
支援者は様々な理由で、様々な画家へ支援金を支払う。
また、アルモンド・シティバンク内に設けられた展示スペースも盛況だった。アート・コモンズに参加する画家たちの作品が飾られ、多くの人々が閲覧する。
「こちらがマグノリア侯爵夫人のレビューにあった画家の作品か。確かに流麗な筆運びが目を引く」
「この画家、フォルケン美術を彷彿とさせる荘厳さを、今の時代らしい親しみやすさに落とし込んでいる」
「ラグナル殿下とカレスト公爵の絵が多すぎて、推し活展示場みたいになってる……」
人々は作品をじっくり眺めながら、気になった画家への支援金とともに、自らもレビューを書き残していく。
業務開始の初日、支援者数は目標の150%達成、支援金総額にいたっては200%超であった。
「アート・コモンズの盛況ぶりを耳にしているよ。すごいじゃないか」
「僕の予想を超えてますね、正直」
ある日、王城の一室で、ソレアンはテオドールと会合をしていた。
「また、業務開始が今月というのが上手いね。冬の社交シーズンで、領地から貴族たちが王都へ集まるのを見越してのことだろう?」
テオドールの質問に、ソレアンは「もちろん」と即答する。
「参加者は多ければ多いほど良い。アート・コモンズを通じて、多くの画家たちの成長と、支援者の芸術を見る目の修養がなされ、文化を振興させてくれることを願っています」
ソレアンは薬草茶に口をつけながら、ニコリと微笑んだ。
「アート・コモンズは単なる支援活動の仕組み化にとどまらず、画家と支援者たちの人材育成の場になり得ると。なるほど、ソレアンはよく未来が見えている」
画家が育てば、より芸術性の高い絵が生まれる。支援者が育てば、その価値を見抜き、市場を形成する。
市場が活性化すれば、更に人が集まり、やがて経済と文化の中心地となる。成熟した市場は、新たな才能を引き寄せ、切磋琢磨の中で人を育て、さらなる発展を促す。
だから、人は育てなくてはならないのだ。
これは、どんな産業においても、市場が成長し、経済的な波及効果をもたらす基本的なメカニズムである。
しかしテオドールは試すような口ぶりで、ソレアンに問う。
「ただその育成のあり方は、アート・コモンズという競争環境と実践に委ねられた状態だ。人材育成としてはギャンブルであることは否めない。その点について、ソレアンはどう考える?」
——問われると思っていた。
ソレアンはティーカップをソーサーに置き、テオドールへ真っ直ぐ視線を見据えた。
「十年後を見越して、アート・コモンズの利益の一部を、教育基金としています。またアート・コモンズの市場原理の中で成長した第一世代の内、向いている人間には芸術教育に携わってもらおうかと。この基金と人材を活用し、芸術教育を提供する。こうしてギャンブル的人材育成からの脱却を図りたいですね」
——殿下なら、絶対に食いついてくる。
ここ数ヶ月の交流で、ソレアンはテオドールの人となりを把握していた。構造主義、論理的思考、未来志向、戦略性、そしてそれらを支える知的好奇心。そんな彼が、この話を聞いて興味を惹かれないはずがない、とソレアンは踏んでいた。
今、テオドールが進めているらしい、教育政策。その全貌は不明だが、それを知る足がかりを作ることが、ソレアンの今日の目的だった。その上で、テオドールの教育政策にアート・コモンズが深く関わるための次の一手を考え、打つ。ソレアンは合理的に事を進めていた。
「面白い。ソレアン、腹を割って話そう——僕はね、今、フィオーネ嬢が通っている『ヴァルミール王立学園』のアヴェレート王国版を考えているんだ」
ソレアンに二つの動揺が走った。ここでフィオーネの名前を聞かされたこと、そしてテオドールの構想そのものに。
「それは……壮大な計画ですね」
「そうだろう? ありとあらゆる学問知を集め、更に掛け合わせて知の創出を促す。そんな人材育成基盤を作りたいんだよ」
テオドールの語る夢に、ソレアンは思わず耳を傾けていた。
「今、考えているのはマトリックス型の学術機関でね。『専門教育』を司る縦割りのアカデミックな学部と、『実践教育』として社会課題で横断する学部。専門教育が知識を磨き、実践教育がそれをどう使うかを鍛える。学生はこの二つの学部に属し、専門知識の向上と融合を通じて、実践力を培っていくんだ」
これまで見たことも聞いたこともない学術機関の構想に、ソレアンも心が浮き立った。もしその構想に、芸術教育を組み込めたら、その中でゼファリスの名前や技術、作品を、王国の未来へ永劫的に継承できる。ソレアンの『ワガママ』が、叶いそうな手応えを感じた。
しかしソレアンは、一瞬自分の内に生じたその浮かれを冷ますように、薬草茶に口をつけた。ソレアンは、改めてテオドールに問う。
「そんな構想、僕に話してしまって大丈夫なんです? まだ政策として公にもなっていないのに……」
長期的な取り組みとなる政策が、公になるよりもずっと前から水面下で動いている、というのはよくあることだ。しかしその状態で、中核メンバーでもない貴族相手に構想そのものを伝えるなど、相手によっては混乱や妨害が生じかねない。ソレアンはテオドールのリスク管理を心配してしまう。
そんなソレアンの心配などどこ吹く風、という様子で、テオドールは笑った。
「大丈夫だよ。だってこの話を最後まで聞いたからには、君も僕に協力してくれるでしょ?」
「は?」
ソレアンの無防備な声が室内に響いた。テオドールは、待ってましたと言わんばかりに畳み掛けた。
「僕と同じ方向で芸術分野の人材育成を考え、すでに長期的視野で動いている。そして僕と君の仲だ。君に断る理由なくない?」
「えっ……あっ……ええ!?」
アヴェレート王家のトリックスター、テオドール。彼は人の意表を突いて翻弄し、自分の策に巻き込むのを得意としていた。
そしてソレアンは、生粋の巻き込まれ体質である。二人の相性は大変良かった——特にテオドールにとっては。
こうしてソレアンは、テオドールの構想への足がかりを作るどころか、ガッツリと中心部に巻き込まれるのであった。
後の世に「アヴェレート王国の知の中枢」と称される王立アカデミー。その芸術領域の学問群の初代統括責任者として、ソレアンがテオドールに振り回されることになるのは、そう遠くない未来のことであった。
【冬のお出迎え】
王国歴百六十一年十二月末の前日。
この日、フィオーネが再びアルモンド侯爵家へ滞在する予定だった。アルモンド侯爵家の面々も、彼女の来訪を楽しみにしていた。
母イレーネは「せっかくだから、彼女の好きな料理を用意しないと」と厨房へ指示を出し、父トレヴァーと兄ワルターも、和やかにフィオーネの到着について話題にしていた。
そして、ソレアンはというと。
「なあゼファリス、フィオーネがもっと可愛くなってたらどうしよう」
めちゃくちゃ浮き足立っていた。
「うるせー! 絵描いてるときに話しかけてくんな!」
ゼファリスはうんざりした面持ちで叫んだ。
二人はゼファリスの工房にいた。ゼファリスは絵筆を握り、キャンバスに向かっている。そしてゼファリスの視線の先には、キリッとした表情でポーズを決める一匹の猫、ソレーネ。黒茶色の毛並みに青い瞳、気品ある姿勢が、まるでプロのモデルのようだ。
「僕から話しかけられるのが嫌で絵を描いてるくせに」
ソレアンがぼやくと、ゼファリスは即座に言い返した。
「わかってるなら尚のこと自重しやがれ! お前パトロンだろうが!」
珍しくゼファリスが正論を言った。
しかし、そんな忠告もどこ吹く風。ソレアンは工房の椅子に座り、考え込むように頬杖をついた。
——文化祭の時点で、あれだけ理性を試されたのに。
——今会ったら、我慢できる気がしない。
ソレアンの心は、期待と戸惑いで満ちていた。
ソレアンは、生まれて初めての恋にどっぷり浸かっている自分を自覚しつつ、その感覚が自分の日常に輝きをもたらしているようにも感じていた。
「はぁ……フィオーネとともに学園生活を送ってる男子たちが羨ましい……」
そう呟いて、ソレアンは椅子の背もたれに顔を突っ伏した。
ゼファリスはそんなソレアンを完全に無視し、絵筆を動かしながら言う。
「ソレーネ、もうちょい顔こっち向けろ」
すると、ソレーネはゼファリスの言葉を理解しているかのごとく、完璧に応じた。
その様子を見たゼファリスは、「ソレアンよりソレーネの方が理性的だな」と独りごちた。
そして昼過ぎ頃。
冬の冷たい空気を貫くように、陽光が煌めいていた。そして、その光の中を、一台の馬車が屋敷の前に到着する。
扉が開かれ、そこから降り立ったのは——
「フィオーネ……」
ソレアンの目が釘付けになった。
アイボリーのコートに、薄い青のマフラーを巻いた彼女。ふわりと風になびく金髪。海のような青い目。
王都の冷たい空気の中でも、その微笑みは柔らかく暖かかった。
ソレアンは、思わず一歩前に踏み出した。しかし、その瞬間、ソレアンの脇を茶色い疾風が駆けていった。
「にゃあ!」
ゼファリスの腕の中から飛び出したソレーネが、フィオーネの胸元へ一直線に飛び込んだ。
「えっ? あら? ソレーネ?」
フィオーネは驚きつつも、しっかりと彼を受け止める。
ソレーネは、フィオーネの腕の中でゴロゴロと喉を鳴らして甘えていた。
「おいソレーネ、何でフィオーネに甘えてやがる! お前の飼い主は俺だろ!」
ゼファリスが抗議の声を上げる。ソレアンも、内心で「まったくだ!」と、ゼファリスに強く同意した。
フィオーネとソレアンの目が合う。二人は、同時に苦笑した。
「いらっしゃい、フィオーネ」
ソレアンが、穏やかな声で言う。
「遊びに来ちゃいました」
フィオーネが、嬉しそうに微笑む。
「ゆっくりしてけよ!」
ゼファリスが、豪快に言い放つ。
アルモンド侯爵家の、賑やかな日常が戻ってきた。この冬のひとときは、また新しい物語の始まりを予感させるものだった。




