第二十一話:文化祭見学
【文化祭】
「ソレアン様、ゼファリス、ようこそヴァルミール王立学園へ!」
ヴァルミール王立学園の校舎前で、フィオーネがソレアンとゼファリスを出迎えた。会えるのが嬉しくて仕方ない、という様子だった。その姿に、ソレアンは思わず抱き締めそうになるのを堪えた。
「ようフィオーネ! 来てやったからありがたく思え!」
「お前、ここに来た目的忘れてるだろ……」
元々は「フィオーネに籍の件を直接お礼する」という大義名分があったのだが、ゼファリスはすっかりそのことを頭から追いやっていた。
この日、文化祭で賑わうヴァルミール王立学園は、多くの人間で溢れている。生徒だけでなく、その保護者や、新たな文化の芽に期待する者たち。皆、この非日常的な空間で、楽しそうに過ごしている。
「フィオーネ久しぶり。会えて嬉しいよ」
「私も、すごく嬉しいです」
フィオーネがキラキラとした笑顔を見せる。その笑顔にソレアンが目を奪われる。そして隣でゼファリスが「けっ!」と声を上げた。
「私が脚本提供した歌劇が、もう少しで始まります。ぜひお二人にもご覧いただきたくて」
フィオーネの案内で歌劇場へと連れられる。その道中を三人で歩いていると、他の女性たちの視線が集まった。そして女性たちがヒソヒソと囁き合う。ソレアンは、「ああ、いつものゼファリスへの視線か」とスルーした。ゼファリスは黙っていれば王子様のような端正な見た目をしており、アヴェレート王国内でも、町を歩くたびに女性たちからの注目の的だった。
しかしその様子に、フィオーネがなぜかムッとした顔をしていた。
「フィオーネ、どうかした?」
フィオーネのただならぬ様子に、ソレアンが声をかけると、フィオーネは大きく声を張り上げた。
「ソレアン様の婚約者は誰ですか!?」
「は!? いや君しかいないけど!?」
フィオーネの唐突すぎる質問に、ソレアンが素っ頓狂な声を上げた。すると、周囲の女性たちの表情が変わる。
「フィオーネ嬢の婚約者ですって!」
「やっぱりアヴェレート王国の男性って……レベル高い……!」
「私もアヴェレート王国に行こうかしら……?」
周囲の様子に、ソレアンは首を傾げた。フィオーネは満足そうに笑みを見せる。ゼファリスは、「おい、さっさと行くぞ!」と短気を見せた。
ソレアンは気付いていなかった。そもそもヴァルミールでは、ゼファリスの金髪緑眼は珍しくないことを。ヴァルミールの女子たちが憧れる「王子様」とは黒髪黒目であることを。ソレアンの色合いが、それにかなり近いしいものであることを。そして、自分がそれなりに女性受けする顔であることを。
【歌劇『愛と希望の舞台裏』】
誰もがその名を知る女公爵アルカ・デレトス。彼女は王弟と婚姻し、理と利と愛と希望の全てを備えた、今時の女性の理想を体現していた。
しかし! その理想の裏で、彼女は己の望みを一切妥協しないために、国政をも巻き込んだ、あらゆる権謀術数を行っていたのだ!
時に、自分と王弟の離反工作を企む貴族に対して、「私と組めば王家に掛け合って税金を安くすることもできるわよ?」と甘い汁をちらつかせて屈服させたり!
時に、敵対貴族の奥方たちを味方に引き込んで、「私と敵対するなら貴方たちの家庭の平穏が崩れるかもしれませんわね?」と恐ろしい脅迫を投げかけたり!
更には、隣国の王に対して「あら、私の男をそちらの国に引き入れたい? 国境をなくせば、同じ国の民になりますわよ?」と百年の平和を一瞬で崩壊させる外交問題を引き起こしたり!
その権謀術数の全ては、愛する王弟のため!
「愛とは己の実力で勝ち取るものですわ」
行き過ぎた自立心が、権謀術数のもとに、王国内に愛と希望をもたらす——!
【終幕後の観客席】
「女性の自立とは、こんなにも覚悟を伴うものなのですね……!」
「でも不思議だわ、私も戦いたくなってくる……!」
今年のフィオーネの歌劇もまた、大絶賛の内に幕を下ろした。特に女性客たちが、熱に浮かされたように興奮している。
そしてゼファリスは。
「やっぱりあの女、そういう奴だよな! フィオーネ、わかってるじゃねーか!」
大絶賛していた。その無邪気な姿に、フィオーネはドヤ顔をする。その傍らで、ソレアンはため息をつく。
——南北特定商品関税無税って、確か王家のダブルご祝儀のはずだったけど、もしかして……。
——推し活夫人たちの影響力が強まってから、その夫である議員たちが、議会でスキャンダルネタを持ち出さないようになった、って父上が言っていたような……。
——あの国境発言は本当にあったやつなんだよなぁ……。
——フィオーネのカレスト公爵の人物描写、完全に僕も解釈一致……。
アヴェレート王国の上流社会をよく知る、侯爵令息ソレアン・アルモンド。やはり元ネタが気になって、純粋な目で歌劇を見れないのであった。
【二人きり】
「俺ここにいるからお前ら二人で回ってこいよ!」
と、ゼファリスが珍しく気を遣った……のではなく、文化祭の出し物の一つ「猫サロン」なる、本物の猫たちと触れ合えるサロンを気に入り、居座ることにしたようだ。
ソレアンは「ゼファリス一人にして大丈夫か!?」と心配性ぶりを発揮していたが、「ソレアン様はゼファリス様を甘やかしすぎです!」とフィオーネがさっさと連れ出した。
「本当にゼファリス一人で大丈夫か……? 迷惑かけてないか……? 猫たちを怖がらせてないか……?」
離れても尚、ゼファリスのことが気にかけるソレアンに、フィオーネがいよいよ呆れの溜め息をついた。
「もう、ゼファリスだって来年には成年でしょう? 大丈夫ですよ。この国際旅行だってゼファリスが手配したんでしょう?」
「それはそうだけど……」
「ゼファリスも大人になろうとしているのだと思いますよ」
フィオーネが安心させる笑みを浮かべた。確かに、ゼファリスの世界が広がってから、以前ほどソレアンの手が掛からなくなっていた。
ソレアンにとって非常に喜ばしい反面、子どもが親離れしていくような寂しさも覚えるのだった。
「それに、やっと二人きりになったのだから、私のことも気にかけてください」
学園の中庭の東屋の一つ。文化祭の喧騒からは遠ざかる場所へと、二人は身を移していた。そのシチュエーションに、ソレアンは今さら気付いた。
「そうでないと、私も怒りますからね」
フィオーネは、顔をむくれさせながら、ぷいっと顔を背けた。その様に、ソレアンは数秒遅れて笑いが込み上げる。
「ごめん。こっち向いてくれる?」
「向きたくなるようなこと言ってくれたら向けても良いですよ」
「えー……僕はテオドール殿下じゃないんだけどな」
ソレアンはテオドールとの関係を深めつつあった。
アート・コモンズの事業承認を得た後、「先日アドバイスいただいたお礼」という体で、ソレアンがテオドール宛に手紙を出した。その中でアート・コモンズの事業内容に触れたことで、テオドールから「今度は僕個人のお茶会にお越しください」と誘われた。それ以降、テオドールとは何度か意見交換している。
そしてテオドールとの雑談で、ソレアンは彼の恋愛術を聞き、「この人、本当に僕より年下なのか……?」と戦慄した。
そんなテオドールの話を参考に、ソレアンは言葉を組み立てた。
「フィオーネの可愛い顔を見たいから、こっち向いてくれる?」
そう言いつつ、ソレアンは自分の言葉の似合わなさに、寒気を覚えた。しかしフィオーネはすっかり機嫌を良くしたらしく、「許してあげます!」と満面の笑みを浮かべて向き直った。
——本当に可愛いから、まぁ良いか。
ソレアンは惚れた女に弱かった。
「今日の歌劇も素晴らしかったよ。女性たちがあんなに勇気づけられている様を見て、時代の変化を感じた」
「今、ヴァルミールはエリオノーラ王女の後押しもあって、女性たちの自立心が強まっているのです。彼女たちを励ませたなら、私も嬉しいです」
「ただ、僕はカレスト公爵の顔が浮かんで気が気じゃなかったけどね……でも、それだけ人物解釈が真に迫っていたのだと思う」
ソレアンは苦笑いを浮かべる。歌劇の内容を思い出し、どこまでが真実で、どこからがフィクションなのか、その境界の曖昧さに思いを馳せる。
「カレスト公爵にもご覧いただけたら良いなぁ」
「……それ、大丈夫だろうか?」
「きっと大丈夫ですよ。私は彼女に伝えたいのです。貴女の生き様が、巡り巡ってヴァルミールで芽吹いて、多くの女性の心に希望の光を灯したのだと」
そう確信を持つフィオーネの頼もしい表情に、ソレアンは目を細めた。
「フィオーネもまたその一人ということなのかな」
「もちろん。私の処女作の主人公は、オクタヴィア様の歴史と、カレスト公爵の評判、そして親友クレア・サヴィエールの矜持を踏まえて人物造形したのですから」
フィオーネは胸を張る。その誇らしげな表情に、ソレアンは微笑みを浮かべた。
「女性抑圧への怒りを自覚できなかった少女が、今や女性自立の輪を広げて、世界を変えようとしている。僕は君の生き様にこそ、敬意を払うよ」
ソレアンの王国紳士らしい堂々たる宣言に、フィオーネはハッと目を見開き、そして顔を赤らめ、手で顔を覆った。
「もう……ソレアン様はいつも不意打ちするんですから……」
その赤らめ顔と仕草に、ソレアンは思わずフィオーネの頭に手を伸ばして撫でた。フィオーネはますます慌てふためく。
「……フィオーネ、僕の理性を試すのはやめて欲しい」
「えっ……!?」
二人はお互いに頬を染めながら顔を見合わせた。
【新たな仲間】
二人の甘酸っぱい時間を終え、ソレアンとフィオーネがゼファリスを迎えに行く。すると、ゼファリスの金髪頭の上に、黒茶色の毛並みを持つ、青い目の猫が乗っかっていた。
「ソレアン! こいつ家に連れて帰ろうぜ!」
「は!? 猫!? え!?」
「この猫、ゼファリス様にすっかり懐いていますね……」
他国の、しかも出し物の猫を連れて帰るなど、そんなことがあって良いのだろうか、と、ソレアンが店主に尋ねると、「この出し物は元々保護猫支援の普及を意図した場所でして、可愛がってくれる里親との出会いも兼ねていますから、歓迎ですよ。帰りの馬車で、少し多めに休憩を取ってあげてください」と、太鼓判を押されてしまった。
「なんかお前らに似てるから、名前ソレーネな!!」
確かに猫の毛並みはソレアンの髪色によく似て、青い目はフィオーネの目によく似ていた。猫は返事するかのごとく鳴き声を上げた。
「まさかヴァルミールに来て、猫を連れて帰ることになるとはね……」
ソレアンはガックリと肩を落として脱力した。
三人の日常に新たな仲間が加わるのだった。




