第二十話:それぞれの日常
【お別れの一幕】
フィオーネの帰国当日。
アルモンド侯爵家の屋敷前には、一族が勢揃いし、彼女の旅立ちを見送る準備が整っていた。
「すっかりアルモンド侯爵家の一員のようだったから、寂しくなるな」
「妹ができたみたいで、この夏は楽しかったですね」
トレヴァー、ワルターが別れを惜しむ。
「フィオーネさん、またいらっしゃいな。次はソレアンの婚約者として、未来の娘として、歓迎するわ」
イレーネが、優雅な笑みを浮かべながら声をかけた。
「はい、お義母様。どうぞよろしくお願いします!」
フィオーネもまた、晴れやかな表情で微笑みながら答える。
そのやりとりに、ソレアンは思わず遠い目をした。
——なんか最初からこの結末になるのが定められていたかのように馴染んでる……。
侯爵家の面々があまりにも自然にフィオーネを家族として迎え入れていることに、ソレアンは少しばかり複雑な心境だった。
すると、ゼファリスが大きな荷物を抱えてズカズカと歩いてきた。
「おいフィオーネ! これ持ってけ!」
そう言って、布に包まれたキャンバスをドンと差し出す。
フィオーネは驚きつつも受け取り、陽が当たらないようにそっと布をめくった。そして、キャンバスに描かれたものを目にした瞬間、目を見開いた。
「え!? これ……ソレアン様の肖像画……!?」
「は!? まさか……去年の美術展の!?」
フィオーネの驚きにソレアンも驚いた。彼は慌ててゼファリスの方を向く。
一年と少し前、王家主催の美術展で、ゼファリスが審査員特別賞を受賞した作品——それが、このソレアンの肖像画だった。
優美な貴族の佇まいと、どこか気品を漂わせる青年の穏やかな表情。しかしその眼差しには、『狂おしいほど無垢な共感と憧憬』が宿る。芸術界隈でも高い評価を得た名作である。
「お前、そんな貴重なものを無断で……!」
ソレアンが思わず抗議すると、ゼファリスは鼻を鳴らして返した。
「うるせー! 描いたのは俺だ! 文句あっか!?」
そのあまりに強気な態度に、ソレアンは何も言えなくなった。
「いや……まぁ、良いか……?」
確かにソレアン自身の肖像画である。他の貴族に売ることもできなければ、アルモンド侯爵家の目立つ場所に飾るのも気恥ずかしかった。
それなら、婚約者の元にあるというのは、悪くない選択かもしれない……と、ソレアンも渋々ながらも納得する。
「ゼファリス、ありがとう! 大切に飾らせてもらいます!」
フィオーネは、無邪気な笑顔で礼を述べた。そんな彼女の様子を見て、ソレアンは小さく溜め息をついた。
「できれば人目につかないところに飾って欲しいんだけど……」
しかし、フィオーネが聞き入れた様子はなかった。
「ソレアン様、また冬季休暇になったら、遊びに来ますね!」
馬車三台分の荷物を詰め込んだ後、フィオーネが嬉しそうに言う。それに、ソレアンは微笑んで答えた。
「その前に僕が君に会いに行くよ、フィオーネ」
「えっ……」
フィオーネが思わず立ち止まる。
「……あのソレアン様が……!? 自分から……!?」
彼女の驚きがあまりにも大きすぎて、ソレアンは再び遠い目をした。
「解せない……」
今までどれだけ恋愛に消極的だと思われていたのだろうか——そんな疑問が頭をよぎるが、フィオーネの笑顔を見れば、それもどうでもよくなった。
ソレアンは、彼女に歩み寄るように、そっと手を差し出した。
フィオーネもまた、その手を取る。
——またすぐに、会いに行こう。
王都の朝の陽光が、二人を優しく照らしていた。
【その後のフィオーネ】
「クレア! 私たち、卒業したら一緒にアヴェレート王国に行きましょう!」
ヴァルミール王立学園の新学期初日の昼休み。いつもの中庭で、フィオーネはクレアの手を取り、興奮した様子で話しかけた。
「まさかこの夏休みの間に、貴女がアヴェレート王国で婚約してくるなんて……」
フィオーネの親友クレアは、その利発な顔立ちに、困惑の表情を浮かべていた。しかしフィオーネの幸せそうな表情を前にして、「おめでとう、フィオーネ」と、心からの言葉を伝えた。
「クレアは外交官として、私は劇作家としてあの地に上陸しましょうね」
フィオーネの語る夢に、クレアも思わず笑みをこぼした。しかし、ふと、クレアは思いついたように尋ねる。
「でもフィオーネ……貴女ほどの劇作家を、ヴァルミールの歌劇界がそう簡単に手放すかしら?」
クレアの指摘に、フィオーネはニヤリと笑う。
「そしたらヴァルミールの反対勢力たちの弱みを握って、暴露脚本を描いてやるわ」
「フィオーネ!? なんか腹黒くなってない!?」
クレアは驚きのあまり、顔を引き攣らせ、素っ頓狂な声を上げた。
「これがアヴェレート王国式の迅速で効率的な問題解決よ!」
フィオーネは自信満々に答える。クレアはハッと顔を上げた。
「た、確かにあの国、そういうところある……!」
「そうよ、クレア。外交官として、王子妃としてアヴェレート王国に行く貴女は、あの国の恐ろしさを知らなくてはならないわ」
フィオーネの真面目な声のトーンに、クレアはごくりと唾を飲む。
「だからあの国の価値観の真髄を教えてあげるわ……今日の物語講釈は、『無気力三男と策略猫の靴と成り上がりの日々』よ!」
こうしていつも通り、フィオーネの物語講釈が始まった。
「あの物語、ほんっとひどいのよ! まず主人公が超受け身! 何も自分で選択してないの!」
「しかもヒロインも、今時見かけないくらい、典型的なトロフィーワイフなの! 主人公の爵位が上がったご褒美扱いよ!!」
「何より、策略が単なる犯罪のオンパレード! 爵位詐称!! 脅迫!! 詐欺!! 殺人!! サイコパスが犯しがちな違法行為のフルパックよ!!!!」
フィオーネの物語講釈が熱を帯びる。それを聞きながらクレアも徐々にそのペースに乗せられ、「猫に人生導かれる人間ってどういうこと?」「そこまで清々しいトロフィー扱い、逆に天晴れね」「策略ってもっとこう……ギリギリの行為で人を思いのままに動かすとか……じゃないの?」と、同意していった。
「でもねクレア、アヴェレート王国の凄いところはここなのよ。問題解決さえできれば、猫だろうと犯罪者だろうと成り上がれるの」
「いやそれは偏見がひどくない?」
「偏見じゃなくて敬意よ。だって、そういう社会だからこそ、あの女公爵アデル・カレストが先駆けて台頭した……そう思わない?」
「な、なるほど……!」
一つの作品から文化背景を読み取り、現実の事象を解釈する。それは非常に知的興奮を伴う作業である。その興奮に酔いしれながら、フィオーネは声を張り上げた。
「つまりアヴェレート王国で女性が生き延びるのに必要なのは、詩でも刺繍でもなく、権謀術数なのよ!!」
フィオーネは拳を握りしめ、声高らかに主張した。
【その後のソレアンとゼファリス】
秋も深まりつつある頃。その日、ソレアンは執務室で仕事をしていた。アート・コモンズを稼働させるための予算や人員の編成、協賛者たちへの手紙など、やることは山積みである。
デスクワークの疲労を感じ始めた頃、ソレアンは少し姿勢を伸ばし、一息ついた。そして目に入ってくるのは、壁にかけられた一枚の絵画。火の精と人間の物語を描く、フィオーネの肖像画だ。
彼女の青い瞳に吸い込まれるように、ソレアンは見惚れた。
「やっぱり可愛いな……」
「お前、重いやつだな……」
ちょうどソレアンの執務室を尋ねたゼファリスに、ソレアンの秘された惚気はばっちり目撃されていた。
「フィオーネから手紙が届いてたよ。ナディア男爵家が、デュヴァン男爵家に、お前の籍の件を掛け合ってくれたって」
「ふん。どうでも良い」
「どうでも良くないだろ。お前、籍がなくなるところだったんだぞ」
ゼファリスの金髪緑眼は、紛うことなく、ヴァルミールの民の血筋である。ゼファリスの母方の祖母が、ヴァルミール出身だった。
これはソレアンも知らないことだったが、この祖母が、若い頃に駆け落ち同然で、当時のアヴェレート王国の貴族と結婚した。そしてその祖母はなんと、ナディア男爵家の出身だった。当時のナディア男爵家は、出奔同然の娘の籍を抜くかどうかで揉めたが、最終的には完全な温情で籍を残した。それにより、若い二人は「貴族同士の結婚」として体裁を整えることができた。
この真実に辿り着いたのは、フィオーネの勘と調査のおかげだった。かつてナディア男爵家からアヴェレート王国へ嫁いだ女性が、ゼファリスと同じ金髪緑眼だったことを、フィオーネは元々知っていた。そしてゼファリスを前にして、「もしや」と思い立ち、調べたことで発覚した。
「そうした経緯がありましたのに、まさかその孫息子の籍を抜くなんて、そんな非道なことはされますまい?」と、ナディア男爵家当主——フィオーネの父——から、デュヴァン男爵家に掛け合ったことで、ゼファリスの身分は守られた。
ちなみにこの筋書きを書いたのは、権謀術数に魅入られたフィオーネであった。それを手紙で委細報告されたソレアンは、フィオーネが変な方向に育っていることを心から心配していた。
「籍がないって、最悪、犯罪に巻き込まれても誰にも守ってもらえないんだからな。フィオーネに感謝してくれよ」
「気が向いたらあいつにお前の肖像画を送っとく」
「そ、それはやめてくれ、恥ずかしいから」
ソレアンがたじろぐと、ゼファリスは悪戯めいた笑みを浮かべた。
「じゃあ、直接お礼言いに行くか!」
「——は!?」
「おいソレアン、ヴァルミールに行くぞ!」
思い立ったが吉日。ゼファリスはさっさとフィオーネに手紙を送りつけ、国際旅行の手配を済ませた。普段の社会不適合ぶりからは信じられない手際の良さだった。
「こいつ……いつの間にか人間社会に適応してる……!?」
その様子に、ソレアンですら驚きを隠せなかった。
「ゼファリスが自ら支度するなんて驚きね。せっかくだからゆっくりしてらっしゃいな」
というイレーネの一言で、あっさり国外旅行が認められた。
ヴァルミールへの到着は十月中旬。奇しくも、ヴァルミール王立学園の目玉イベント、文化祭の時期だった。




