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第十八話:文化革命

【プレゼン練習】


 今朝もまた、ソレアンの執務室には、喧騒が満ちていた。

「あーもー鬱陶しい! お前の説明聞くのしんどい!!」

 ゼファリスが声を荒げる。それに対峙していたのは——

「お前のために作ってる制度なんだぞ! ちょっとは人の話聞け!」

 ——ソレアンだった。

 ゼファリスとソレアンの怒鳴り合いが、部屋中に響く。そのやり取りを見守っていたフィオーネは、必死に間に入ろうとする。

「えっと……二人とも落ち着いて……!」

 しかし、二人はまるで聞く耳を持たず、声を張り上げるばかりだった。


 事の発端は、ほんの十分前。

 ゼファリスがふらっとソレアンの執務室へ立ち寄ると、いつもなら静かに書簡の確認や読書をしているはずのソレアンが、珍しく満面の笑みでゼファリスを迎えた。

「待ってたよ、ゼファリス!」

 その不自然なほどの歓迎ぶりに、ゼファリスは一瞬引いた。警戒心を抱き、後ずさる。

「……お、おう? なんか用か?」

 しかし、すでに先に部屋にいたフィオーネが、ゼファリスの逃げ道を塞ぐ。

「どうぞ、こちらへ!」

 にっこりと微笑みながら、彼をソファに座らせた。その動きは、まるで捕まえた獲物を逃さないかのようにスムーズだった。

 そして、ソレアンはすかさず、準備していた資料を手に取り、力強く語り始めた。

「さて、今日は君に芸術家支援制度について説明しようと思うんだ!」


 しかし、説明が始まってわずか三分。

「話が長い! 難しい! 聞くのしんどい!」

 ゼファリスが根を上げた。

「お前、将来自分も使うかもしれないんだから、少しは興味持て!」

 ソレアンが食い下がる。

「お前が俺より長生きしろ! 一日でいいから!」

「僕の方が年上な時点で、お前より先に死ぬ可能性高いんだからな!」

「お前なら生き延びれる!」

「無茶言うな!」

 もはや喧嘩なのかどうかもよくわからない言い合いだ。ただお互いの長寿を願う仲睦まじさである。


 バンッ!!


 空気を切り裂くような衝撃音が、執務室に響き渡った。

 ゼファリスとソレアンの口が、ピタリと止まる。二人の視線が、音の源へと向かった。

 そこにいたのは——フィオーネだった。

 彼女は執務机を勢いよく叩き、青い瞳を鋭く光らせていた。

「お二人とも、声を荒げるのは、おやめください」

 地を這うような低い声が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 その迫力に、ゼファリスとソレアンは思わず顔を見合わせた。

「お……おう……」

「ご、ごめんね……」

 男二人は素直に従った。


【プレゼン改善】


 三人は改めてソファに座り、向き合う。

 ソレアンがプレゼンの練習をしているのは、明日の家族会議で、この新構想について正式にプレゼンし、事業化の承認を得るためだった。

 フィオーネは腕を組み、冷静に分析する。

「ゼファリスが飽きずに聞けるプレゼンなら、誰もが耳を傾けてくれる気がします」

「うーん、一理ある」

「お前ら俺を馬鹿にしてるだろ?」

 ゼファリスがジト目で睨むが、フィオーネはそれを無視し、続ける。

「では、ゼファリスのフィードバックを聞きましょう」

「話が長い! 難しい! 聞くのしんどい!」

 さっきと全く同じことを言っている。

「もう少し具体的に言って欲しいんだが……」

 ソレアンが呆れながら尋ねると、フィオーネがふと考え込み、すぐに答えた。

「つまり、できるだけ短く、専門用語は使わずに、説明というよりは語りかけるような話し方を意識して、話せば良いってことではないでしょうか?」

「そうだ!!」

 ゼファリスが即答する。

 ソレアンは感心しつつ、ぼそっと呟いた。

「フィオーネ嬢の通訳すごすぎない?」

「最近、ゼファリス語がわかるようになってきました」

 フィオーネが笑う。

 ゼファリスも「ようやくわかってきたか!」とふんぞり返る。

 その光景を見ながら、ソレアンは心の中で決意を新たにした。


 ——絶対プロポーズしよう……。


 気を取り直し、ソレアンは言葉を選びながら考えを整理する。

「ふむ……この制度を、わかりやすく伝えられると良いんだけど……」

「ザコ画家でも飯が食えて、人気出て、絵が売れるかもしれない制度だろ?」

 ゼファリスが端的にまとめる。フィオーネは目を見開いた。

「え、わかりやすい……!」

「……お前、ちゃんと理解してるじゃん」

 ゼファリスの説明は、驚くほど明瞭だった。

 しかし、これをそのまま家族会議で言うわけにはいかない。ソレアンは慌てて、より上品な表現に言い換えてメモを取る。

 こんな調子で、プレゼンの改善は着々と進んでいった。


 概ねプレゼンの形が整った頃、ゼファリスは突然立ち上がった。

「飽きた!」

 そう言い残し、あっさりと執務室を後にする。

 その後ろ姿を見送りながら、フィオーネが微笑んだ。

「これで明日は大丈夫そうですね」

「ありがとう、二人のおかげだよ」

「いえ、大したことでは……あ。やっぱり大したことかも。見返りを要求します!」

「え!?」

 ソレアンが驚く間もなく、フィオーネはにっこりと笑いながら続けた。

「明後日、私とのデートを要求します!」

 突然の申し出に、ソレアンは一瞬戸惑う。しかしすぐに、その意味を理解した。


 明後日。それは、フィオーネがアヴェレート王国を離れヴァルミールへ帰国する前日だった。

 ソレアンは静かに、しかし確かな声で答えた。

「……喜んで」

 その言葉に、フィオーネは満面の笑みを浮かべた。


【機関決定】


 翌朝、アルモンド侯爵邸の当主執務室には、家業を担う四人の家族が集まっていた。現当主トレヴァー・アルモンド、その妻イレーネ、次期当主で長男のワルター、そして次男のソレアン。

 普段は和やかな家族であっても、今日の彼らの表情は真剣そのものだった。

 家族会議とはいえ、議題は芸術支援事業部門における新規事業計画について。

 ソレアンは、家族にこの計画の趣旨を説明し、事業としての合意と承認を得るために、慎重に口を開いた。


「この新規事業『アート・コモンズ』は、『駆け出し画家でも支援金・人気・作品販売のチャンスを得られる仕組み』です」

 彼の簡潔な要約に、家族の面々が興味深げに目を向ける。それを確認したソレアンは、用意していた資料をテーブルに並べ、プレゼンを続けた。

「アート・コモンズの理念は、『画家の特定パトロンからの脱却による、持続可能な画家支援』です。それを事業として成り立たせるために、三つの機能を持たせます」

 ソレアンは指を三本立てた。

「まず第一に、小口化された支援金調達機能。第二に、支援者による画家レビュー機能。そして第三に、実際に完成された芸術品のオークション機能です」


第一機能:小口支援金調達

•支援者は、一口あたり二十銀貨で、アート・コモンズに参加する画家を支援できる。

•画家は、集まった支援金を、毎月一金貨(=百銀貨)を上限に受け取ることが可能。

•調達された支援金の二割を運営費と利益に充てる。


第二機能:画家レビュー機能

•支援者は、自分が支援した画家についてレビューでき、その評価が画家の名声に影響を与える。

•レビュワー自身の社会的名声も向上する仕組みを導入し、「芸術の審美眼」を磨くインセンティブを与える。

•画家は、そのレビューを通じて芸術界隈での人気や名声を早期に獲得しやすくなる。

•この機能は無料提供とし、アート・コモンズの知名度向上と、芸術振興への貢献を狙う。


第三機能:限定オークション

•アート・コモンズに参加した画家のみが出品できる芸術オークションを定期開催。

•売上金の三割を画家の収入とし、四割を支援者への利益還元に充てる。

•売上金の三割を運営費と利益に充てることで、事業の安定運営を図る。


 ソレアンの説明は、これまでの試行錯誤の甲斐あって、実に簡潔で分かりやすかった。昨日のゼファリスとのやり取りが功を奏した。

「アルモンド・シティバンクの本店の一画に、参加画家の情報・レビュー情報・支援金の管理を担う窓口を設けます。これにより、本業とアート・コモンズの顧客共有を狙える環境を作ります」

 ソレアンは一拍置き、改めて家族たちの顔を見渡してから、告げる。

「芸術支援の理念、事業性、本業への還元。アート・コモンズこそが、アルモンド侯爵家ならではの芸術支援のあり方であり、この国の芸術支援の革命になると確信しています」

 これが、ソレアンのプレゼンの締めくくりだった。


 場に静寂が訪れる。数秒の沈黙の後、ワルターが口を開いた。

「あえて画家支援に絞っている意図は? 音楽家や工芸家は入れないのか?」

 ソレアンは頷き、落ち着いた声で答える。

「前例のない取り組みの上、僕の専門分野外まで最初から手を出すのはリスクが大きいかと。まずは画家をターゲットに事業運営のノウハウと実績を蓄積し、その後、別領域へ横展開しようと思います」


 続いて、イレーネが微笑みながら尋ねる。

「ゼファリスは参加させるの? 良い宣伝になりそうだけど」

「参加意思は確認しました。ただ、あいつ自身が手続きしない限りは、強制する気はありません。それすらできない人間が、作品を世に出して支援者に還元できるとは思えないので」

 イレーネは納得したように頷いた。


「十年後の展望はあるか?」

 トレヴァーの問いに、ソレアンは即答する。

「この国の芸術支援基盤として、資金・人材・名声の一極集中を目指します。そして、その集まった力で、次世代の芸術家や支援者たちの教育へ還元し、百年、千年続く芸術潮流を生み出します」

 その力強い言葉に、トレヴァーは満足そうに笑みを浮かべた。そして、ふと意味深な言葉を口にする。

「では、テオドール王子殿下とは早めに友誼を結びなさい」

「え? テオドール殿下?」

 ソレアンは意外な名前を耳にして、思わず聞き返した。

「最近、彼がこの国の教育関係者とコンタクトを取っている。恐らく教育に関わる政策を考えているだろう。そこに関与しなさい」

「そんな動きが……」

 ソレアンは一瞬思案し、やがて小さく頷いた。

「わかりました。彼には既に布石を打ってあります」

 トレヴァーはニヤリと笑った。

「さすがだな」


 再び、場に静寂が訪れる。

 トレヴァーは一度ゆっくりと息を吸い込み、そして言った。

「アルモンド侯爵家として、この事業計画を承認する。年内には事業として稼働させよ」

 トレヴァーの宣言とともに、アート・コモンズが正式に動き出した。


 アルモンド侯爵家が仕掛ける、アート・コモンズ。この仕組みが、貴族の資金力に依存しない「文化の民主化」を促し、アヴェレート王国の文化再興を決定的なものとする。

 その動きは、後の歴史に「文化革命」として刻まれる。そしてソレアン・アルモンドは、文化史における最重要人物の一人として記録されることとなる。

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