第十七話:仲良し三人組
【文化論争?『制作スピード』】
「おい、フィオーネ! もう他に作品はないのか!? 遅筆だな!」
ゼファリスの尊大な声が、ソレアンの執務室に響き渡った。フィオーネが眉を吊り上げる。
「ここに来てから三作品書いてるのに、遅筆ですって!? 歌劇脚本舐めてるの、ゼファリス!?」
「俺の読むスピードより遅ければ遅筆なんだよ!」
「貴方なんて、昨日ようやく一作品できたばかりのくせに!」
いつものように、ゼファリスとフィオーネの言い争いが始まる。
ソレアンは、二人の喧嘩を聞きながら、ため息をついた。
ゼファリスはすっかりフィオーネの脚本を気に入り、彼女の持つ原稿をすべて読ませてもらったところだった。
これは非常に贅沢なことだ。それにもかかわらず、ゼファリスはまるで当然のような態度を崩さない。
そんな光景を眺めながら、ソレアンは呟いた。
「フィオーネ嬢の作品が見れる歌劇場でも行けば良いのでは……」
いつもなら聞き流される彼の独り言だったが、この時ばかりは違った。
「それは良いな!」
ゼファリスが即座に反応し、フィオーネを見た。
「おい、ソレアン、フィオーネ、行くぞ!」
「え!?」
ソレアンが目を見開く。
「良いわね、感動で打ち震えればいいわ!」
フィオーネも即座に乗った。
「ええ!?」
ソレアンの抗議は完全に無視された。
こうして、彼らは中央歌劇場へと向かうことになった。
【乙女系貴公子とスパダリ王女、そしてその知り合いのソレアン】
中央歌劇場のメインホールは、王都でも指折りの格式高い劇場である。
ここでは、大作がロングラン公演される。そして今、行われている演目は『乙女系貴公子とスパダリ王女』。
この演目は、ヴァルミール王国の王女エリオノーラが、アヴェレート王国の王女マルガリータとその婚約者であるモーリス・ウィンドラスの恋愛模様をフィオーネに語り、それを基にフィオーネが執筆した脚本だった。
フィオーネの作品は、今やアヴェレート王国へ逆輸入され、王国中の観客を魅了していた。
「マルガリータ王女もモーリスも知り合いだから、すごく不思議な気分だ……」
劇場の豪奢な座席に腰掛けながら、ソレアンがぼそっと呟く。
「ここにいるお客さんたちのほとんどは、その二人を殿上人だと思ってると思いますよ」
フィオーネが珍しくツッコミ側に回った。
普通なら、王女と公爵令息を個人的に知る機会などない。しかしソレアンは高位貴族であり、本人の影響力も強いため、自然とそういう人脈に恵まれていた。
この感覚が「普通」であるソレアンの境遇は、一般の貴族とは大きく異なっていた。
ちなみに、今フィオーネとゼファリスは、その目立つ金髪をカツラで隠し、身なりを整えていた。
ソレアンが金髪の二人組を連れていたら、劇作家フィオーネ・ナディアと、†漆黒の画狂神†だと察されて、王都がパニックになりかねない。
変装を施す際、ゼファリスは嫌がっていたが、いざ茶髪になった自分を姿見で見て「別人だ!」と面白がっていた。
フィオーネもまた、新たなオシャレに心を弾ませている様子だった。
そして舞台の幕が上がる。
物語の始まりは、幼き日の貴公子と王女が舞踏会で出会う場面だった。
貴公子は、王女の笑顔に一目惚れする。
しかし王家と一定の距離を置く家の生まれである彼は、その想いを伝えることすらできない。
彼は十年もの間、遠くから王女の笑顔を見守り、彼女の幸せを祈る。
そして転機が訪れる。
貴公子の視線に気づいた王女が、ダンスホールで彼に手を伸ばしたのだ。
「貴方の純愛に敬意を払って」
王女はまるで王国紳士のような堂々たる態度で、貴公子をダンスへと誘い、優雅に舞った。
そして次の瞬間、彼女は毅然と言い放つ。
「貴方の愛は、この国の歴史を変えるに相応しい」
王女は単身で貴公子の父と交渉し、王家との協調を取り付けた。
それは、王家と公爵家の関係を大きく変える、歴史的な転換だった。
王女は、その後も数々の困難を乗り越える。
時には白馬に乗って、違法薬物を取り扱う悪漢に捕らわれた貴公子を救い出す。
時には、他の貴族令嬢たちに群がられている貴公子を前にして、堂々と宣言する。
「悪いわね、彼は既に私のものなのよ」
王女の強気な愛の宣言が劇場に響くたび、観客席から黄色い歓声が上がった。
幕が閉じ、観客席には拍手が鳴り響いた。華やかな余韻の中、人々は感動に浸っていた。
そんな中、ひときわ騒がしい声が響く。
「おい、ソレアン!」
ゼファリスが興奮した様子で身を乗り出してきた。
「うちの国の王女って本当にあんなスパダリなのか!? 会わせろ!」
「無茶言うな!」
ソレアンは思わずツッコミを入れた。
ゼファリスはすっかり歌劇にのめり込んでいた。
もはや彼はスパダリ王女マルガリータのファンになっており、何なら「俺もスパダリになる!」と豪語し始めた。まるで英雄譚を見たばかりの五歳児のような反応である。
フィオーネはそんなゼファリスの反応にすっかり気を良くしていた。脚本家冥利に尽きる、とばかりに満足げに微笑む。
しかしソレアンは、舞台上で繰り広げられた数々のシーンに、元ネタを知る者ならではの複雑な思いを抱いていた。
——マルガリータ王女とモーリスが踊ったのって、確か去年のカイルが主催したパーティだよな? あれ、モーリスからダンス誘ってたはずだけど……。
——さすがに王女単身で悪漢の屋敷に乗り込む話は聞いたことがないが……。
——ただ、「悪いわね、彼は既に私のものなのよ」のあのエピソードは本当のことなんだよなぁ……。
昨年末の王城のパーティで、モーリスに絡む令嬢たちを前に、マルガリータ王女が実際に言った台詞である。
その瞬間、周囲の貴族たちが「は、はい……」と圧倒され、モーリス本人は赤面していた。
そんな知り合いたちの一幕を、ソレアンは歌劇中もついつい思い出していた。
——純粋な目で舞台を見れるゼファリスが、心底羨ましい。
自分の隣で、目を輝かせてスパダリ宣言をしているゼファリスを見て、ソレアンはそっとため息をついた。
【『日向の道』を見に行こう】
劇場を後にしながら、フィオーネが提案した。
「せっかくだから、ゼファリスの『日向の道』も見たいわ」
「いいな! 魂を震わせるがいい!」
ゼファリスも即座に賛同した。
しかし、問題があった。
王立美術館でゼファリスの代表作『日向の道』を鑑賞するには、通常一時間以上の待ち時間が必要だった。
何しろ、『日向の道』は今や王都の芸術愛好家たちや推し活夫人たちの巡礼地と化しており、毎日長蛇の列ができている。
それでも良いとフィオーネは言い、その様子に満足したゼファリスも「仕方ねーな、一緒に並んでやるよ!」と上機嫌だった。
しかし、ここでソレアンが動く。ため息をつきつつ、彼は王立美術館の総合受付へ向かい、館長を呼び出した。
「どうにかならないだろうか?」
館長は一瞬驚いたが、すぐに二つ返事で答えた。
「閉館後にお越しいただければ、特別にご案内いたします」
そう、ソレアンはちゃんと顔がきくのである。
「お前、すげーな!」
ゼファリスが驚いたように言う。
「ソレアン様、ありがとうございます!」
フィオーネも感激した様子で微笑む。
二人のキラキラした視線に、ソレアンは冷静に釘を刺した。
「いや、これ本当に特別だからね……」
こうして、彼らは閉館後の王立美術館で『日向の道』を特別鑑賞することになった。
夕方の王立美術館。
閉館後の静寂の中、特別展示室には三人だけが佇んでいた。
『日向の道』、ゼファリスが描いた代表作であり、王立美術館の目玉展示となった傑作。
通常なら大勢の人が群がり、遠巻きにしか鑑賞できないが、今日は特別な許可のもと、三人だけでこの作品を堪能できるという、贅沢な状況だった。
フィオーネは、『日向の道』を前にして、言葉を失った。しばらく何も言わず、ただじっと、その圧巻の絵画を見つめ続けた。
ゼファリスもまた黙って、まるで観客のように自らの作品を見つめている。
長い沈黙の後、フィオーネはポツリと呟いた。
「……この愛は、狂気だわ」
その感想に、ゼファリスはただ神妙な面持ちで頷いた。
ソレアンもまた、久しぶりに『日向の道』を間近で鑑賞する。一見すると、美しくロマンチックな絵画だった。
王城の大広間で貴族たちに囲まれる中、胸元に青いネックレスを輝かせ、堂々と微笑む女性と、その前に跪く男の姿。昨年の夏、実際に行われたロイヤルロマンスのワンシーンだ。
しかしソレアンは、この絵の本質がそれだけではないことを知っている。
日向の道に描かれる男女の目には昏い光が宿り、表情は陶酔した狂信者のようだった。見る者によってはロマンチックに映るが、よく見ればおぞましさすら感じさせる。
ゼファリスがこの絵を描き上げた当初、ソレアンは不思議に思った。
——なぜゼファリスは、あのロマンチックな告白シーンを、こんなにも狂気的でおぞましく捉えたのだろう?
しかし、今のソレアンなら納得できる。
最近、ソレアンはアデル・カレスト公爵と直接対話する機会を得た。そして、彼女と話す中で、こう思ったのだ。
——この人、圧倒的な思考力で覆い隠されているけど、理性より感情を優先する人だ。
カレスト公爵ほどの立場と実力を持つ者が、感情を優先して決断を下すのなら、ソレアンの知らないところで、末恐ろしい権謀術数がこの国の裏側でなされてきたに違いない。
ゼファリスは、それを見抜いていたのだ。
彼の芸術は、ただ美しさを表現するものではない。本質を暴き出す力がある。
ソレアンは、ゼファリスが見抜いていたものを、ようやく理解したのだった。
【天才たちの共鳴】
王立美術館を後にし、三人は馬車に乗り込んだ。
フィオーネは静かに目を閉じたまま、深く呼吸をしていた。
『日向の道』の衝撃が、まだ彼女の中で渦巻いているのだろう。
「ゼファリスって、本当に天才なのね」
彼女は、ふと呟いた。
「ようやくわかったか! 崇めろ!」
ゼファリスは大変気を良くしている。相変わらずの尊大さだが、その表情にはどこか誇らしげな色が滲んでいた。
「共感と憧憬、愛と希望……そして狂気的な献身と受容……」
フィオーネは、自らの内に生じた衝撃を、一つ一つ確かめるように呟いた。
その言葉に、ゼファリスも冷静になった。彼はフィオーネの顔を見つめ、しばらく沈黙した後、静かに口を開いた。
「お前……ずっと我慢してきたんだな」
その一言に、フィオーネはハッと顔を上げた。二人の視線がぶつかる。
彼らは、言葉を交わすことなく、ただ目を合わせる。やがて、互いに頷き合った。
天才同士の共鳴。
芸術を通じて、彼らは互いの魂を理解し合ったのだ。
そんな二人のやり取りを見ていたソレアン。
——僕には理解できない……。
彼は、内心そう思いながらも、どこか微笑ましく、そして少しだけ羨ましく感じていた。
フィオーネとゼファリスは、ソレアンとは違う次元の感性を持っている。彼らの間には、“芸術”という共通の言語があった。
ソレアンは、その感性を持たない。ソレアンの役割は、彼らの才能を支え、社会に橋渡しをすることだ。
しかしそれでも、彼らの世界が美しいことは、ソレアンにも伝わっている。
ソレアンは、ほんの少しだけ微笑んだ。
馬車は、夜の王都を走り、静かにアルモンド侯爵邸へと向かっていった。




