第十二話:恋愛相談
【朴念仁ソレアン・アルモンド】
マグノリア侯爵家の文化サロンが終わりに差しかかる頃、ソレアンはマグノリア侯爵夫人の誘いで、お茶の席につくことになった。
マグノリア侯爵家の侍女が手際よく動き、白磁のカップに淡い緑色の薬草茶を注いでいく。微かに甘い香りが立ち上り、湯気が柔らかく揺れた。
マグノリア侯爵夫人は、ゆったりとした仕草でカップを持ち上げながら微笑む。
「さて、先程の件ですけど」
その声はどこか楽しげで、探るような響きを帯びていた。
マグノリア侯爵夫人の目は好奇心に満ち、まるで良質な舞台劇の幕開けを前にした観客のようだった。
ソレアンは一瞬、言葉を探す素振りを見せたが、無難な返答を選ぶ。
「え、えーっと……フィオーネ嬢とは、文化交流させてもらってますが……」
しかし、マグノリア侯爵夫人はその答えを軽く流し、くすりと微笑む。
「文化交流ねぇ」
カップを置き、指を組みながら、淡々とした口調で続けた。
「二人で歌劇を観に行ったり、迎賓館からフィオーネ嬢を連れ出したり、王城で意味深に微笑み合っているのを目撃されたりしているのが文化交流ねぇ?」
その指摘に、ソレアンは少し黙った。
「よくご存知ですね……」
マグノリア侯爵夫人は、どこか愉快そうに肩をすくめる。
「王都の噂というものは、風のように広がるものですわ」
そのまま視線を逸らさず、続ける。
「あの硬派なソレアン・アルモンド様が、フィオーネ嬢とは随分と親しげにされているとか」
ここで初めて、ソレアンが目を瞬かせた。
「……硬派?」
「ええ、あのウィンドラス公爵令嬢のアプローチをも躱したお方ですもの」
その言葉に、ソレアンは少し考え込むような素振りを見せた。
「……僕、ウィンドラス公爵令嬢にアプローチされてた自覚ないんですが……」
次の瞬間、マグノリア侯爵夫人の表情が一変する。
「え? 貴方、以前、王城の舞踏会で、ずっとウィンドラス公爵令嬢が隣に立っていたこと覚えておりませんの?」
彼女の声が、驚きと困惑を滲ませたものに変わる。
ソレアンは記憶を辿るように視線を少し泳がせた。昨年の夏の社交シーズン、王城の舞踏会。あの日、彼は壁際で立っていた。そこに、ウィンドラス公爵令嬢が声をかけてきた。
「ソレアン様は踊らないのですか?」
「ええ、僕はあまり舞踏に興味がなくて……」
「……でしたら、少しお話でも?」
「そうですね」
そんなやり取りがあった。
その後、会話が途切れることなく続き、気がつけば舞踏会の終了まで一緒にいたが、それ以上の意図があったとは考えていなかった。
だからこそ、何の疑問もなく口を開く。
「え? いや、あれは会話が何となく続いてただけで、別にダンスパートナーでも何でもありませんよ?」
「嘘でしょう!? そんな認識だったの!?」
マグノリア侯爵夫人の驚愕に満ちた声が、室内に響いた。ソレアンが僅かに瞬きをする。
「え? え?」
マグノリア侯爵夫人は、額に手を当て、深く溜息をついた。
「……失礼。なるほど、貴方が硬派とかではなく……」
一拍置き、改めて口を開く。
「——朴念仁だということがよくわかりましたわ」
「朴念仁!?」
予想外の指摘に、ソレアンが軽く眉を上げる。しかしマグノリア侯爵夫人の表情は変わらない。
「ええ、もう、見事なまでの……」
そのまま言葉を切り、改めて観察するような目を向ける。
「……まさか貴方、フィオーネ嬢の気持ちもわかってなかったりします?」
その問いかけに、ソレアンはすぐに首を横に振る。
「流石に、あれだけ情熱的にアプローチされれば気づきます……」
その返答に、マグノリア侯爵夫人は安堵したように頷いた。
「良かったですわ。危うく教育的指導をするところでしたわ」
穏やかに微笑みながら言ったが、その口調には冗談めかしつつも、微かな本気が滲んでいる。
彼女の手がすでに扇を持ちかけていたことを、ソレアンは知る由もない。
マグノリア侯爵夫人はカップの縁に指を添えながら、再び微笑む。
「逆に、『迎えに行っても良いですか!?』の言葉通り、本当に国境を越えて迎えに来るご令嬢でないと、貴方の意識に入ってこないと」
ソレアンは何も言い返せなかった。
「ウィンドラス公爵令嬢に、同情しますわね……」
紅茶の湯気がゆらりと揺れる中、マグノリア侯爵夫人の声音に、心の底からの同情が滲んでいた。
しばしの沈黙の後、マグノリア侯爵夫人は再び話題を変える。
「それにしても、今貴方たちがこれほど注目されているのは、イレーネ様の外堀固めってことですわね。さすがですわ」
その名を聞き、ソレアンの表情がわずかに動く。
「え、母上の?」
「フィオーネ嬢を家に滞在させたり、サロンで『婚約内定してます』と言わんばかりに貴方たちを参加させたりしているのはイレーネ様でしょう?」
マグノリア侯爵夫人は、当然のことのように言う。
「明らかにフィオーネ嬢を囲い込みに来てますわ」
それを聞き、ソレアンは僅かに目を見開いた。
「気づかなかった……!」
「はぁ。イレーネ様も大変ですわね……」
静かな室内に、マグノリア侯爵夫人の淡い溜息が溶けていった。
【ソレアンの気持ち】
お茶会は続く。窓から差し込む夕暮れの光が、白磁のカップに映り込み、淡い輝きを帯びている。
マグノリア侯爵夫人はカップを傾けながら、何気ない口調で問いかけた。
「それで、ソレアン様は、フィオーネ嬢のことをどう思っていらっしゃるの?」
何気ない——というよりは、核心を突く問いだった。ソレアンの手が一瞬止まる。
——これ、誤魔化しても、正直に言っても、怒られそうだな。
そんな嫌な予感を抱きながらも、彼は慎重に言葉を選んだ。
「……正直言って、まだわからないです」
マグノリア侯爵夫人が興味深そうに目を細める。ソレアンは続けた。
「彼女と一緒にいるのは落ち着きますし、楽しいとも思います。でも、それが友愛なのか恋愛なのか、自分でも判断がつきません」
ソレアンの声は真剣だった。
誤魔化せば間違いなく問い詰められてバレて怒られるし、白状したらしたでまた怒られる。ならば、一回の叱責で済む方を選ぶべきだ——そんな冷静な判断が働いていた。
マグノリア侯爵夫人は彼の答えを聞くと、少し考えるようにカップを置いた。
「正直に言ったことは評価しますわ」
そして、小さく肩をすくめる。
「それに、この朴念仁ぶりでそこまで内省が進んでいるのも、進歩と言えるのではなくて?」
その言葉に、ソレアンは何とも言えない顔をしながら、曖昧に答えた。
「ありがとうございます……?」
マグノリア侯爵夫人はくすりと笑うと、ふと表情を引き締めた。
「では、よくある試し質問ですけど」
ソレアンが視線を向けると、マグノリア侯爵夫人はゆっくりと指を組んだ。
「例えば、フィオーネ嬢が別の男性と王都を歩いていたら、どう思いますか?」
「え?」
突拍子もない質問に、一瞬考え込む。しかし、すぐにごく自然な答えが口をついた。
「……歩いてるなーって思いますが」
その瞬間、マグノリア侯爵夫人の表情が微妙に引き攣った。
「本当にそう思う?」
念を押すように問いかけると、今度は少しだけ角度を変えて質問を投げる。
「例えば、その男性が彼女の手を取っていたら?」
「フィオーネ嬢は貴族ですし、エスコートの一環では?」
マグノリア侯爵夫人のまつげがわずかに震えた。彼女は無言のまま、カップをソーサーに静かに置く。
「じゃあ!」
急に身を乗り出し、ぐっとソレアンを見据えた。
「その男性が、彼女にプロポーズしていたら!?」
その瞬間、ソレアンの動きが止まり、言葉を失った。
ソレアンの想像の中で、知らない男がフィオーネに跪き、指輪を差し出す光景がよぎる。
——その男は、フィオーネ嬢の才能と情熱を受け止められる男なのか……?
——単にフィオーネ嬢の可憐さや穏やかさに惹かれただけの男には、彼女を幸せにできないのでは……?
ソレアンの思考は、そのままブツブツと独り言となって、口から紡がれていた。
マグノリア侯爵夫人は、その様子をじっと見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「良かったわ……脈なしではなさそうだわ……」
マグノリア侯爵夫人が話を仕切り直した。
「自分の気持ちを確かめたいのなら、一人で考え込んでいても仕方ありませんわ。愛は考えるものではなく、感じるものですわよ」
その言葉に、ソレアンは少し戸惑ったように反応する。
「感じるもの、ですか」
「そう。そのためには、相手との時間を過ごすのが一番」
マグノリア侯爵夫人は穏やかに微笑みながら、さらりと続けた。
「二人きりでデートでも行ってらっしゃいな」
ソレアンの動きが完全に固まる。
「……デート?」
マグノリア侯爵夫人は当然のように頷いた。
「特別な場所、特別な時間の中でしかわからないこともありますわ。そこで何も感じないのであれば、貴方の気持ちは友愛なのでしょう」
ソレアンは考え込み、やがて小さく呟く。
「なるほど……それは確かに合理的かもしれない……」
マグノリア侯爵夫人は満足げに微笑み、お茶会は幕を閉じた。
【帰宅後の光景】
日が沈む頃、ソレアンはマグノリア侯爵家を後にし、アルモンド侯爵邸へと戻ってきた。館のエントランスホールを通り抜けようとしたその時。
「お前、何でそんなにコイントス強いんだ! いかさましてるだろ!」
「していないわ! だったら貴方が投げてみたら良いじゃない!」
怒号が飛び交う声が聞こえてきた。
視線を向けると、そこではゼファリスとフィオーネが、向かい合って険しい表情をしている。
ゼファリスは拳を握りしめ、不満げにフィオーネを睨みつけていた。
フィオーネは余裕の笑みを浮かべ、銀貨を指で器用に弾く。
どうやら、再びコイントスで勝負していたようだ。
ソレアンは、しばらくその様子を眺めていたが、やがて静かに目を遠くした。
「結局こうなるのか……」
アルモンド侯爵家は今日も賑やかであった。




